アマチュア・オーケストラ応援ページ

アマオケ奮闘記
  〜 地域社会への音楽のひろがりの最前線にて 〜  

東海地区編

豊田楽友協会管弦楽団

 

’03 11/29(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第14回定期演奏会

 オール・サン=サーンスというプログラム。
 「英雄行進曲」、「動物の謝肉祭」、交響曲第3番。アンコールは、「フランス軍隊行進曲」。
 指揮は、佐藤寿一氏。オルガンは、豊田市コンサートホールのオルガニスト、椎名雄一郎氏。
 パイプ・オルガン設置の記念コンサートであった。

(2005.7.6 Ms)

’03 3/23(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第3回ファミリーコンサート
             〜親子のための管弦楽入門〜


第一部

エルガー   「威風堂々」第1番
L.モーツアルト   おもちゃの交響曲

第二部

ホルスト   組曲「惑星」から
「火星〜戦争の神」

G.ミラー   ムーンライト・セレナーデ
マンシーニ    ムーンリバー
J.ウィリアムズ   「ET」フライング・テーマ
ハーライン   星に願いを

ホルスト  組曲「惑星」から
「木星〜快楽の神」

(アンコール)
J.ウィリアムズ   「スターウォーズ」メインテーマ

 時は、2003年3月23日、残念ながらも、21世紀最初の大規模な「戦争」となった、イラク戦争勃発から3日後。世界の世論のうねりを無視して、国連の枠組を無視して、戦争へと突入した英米軍。その、イギリス、アメリカの国威または、文化を高らかに歌い上げるようなプログラム、と、偶然なってしまったコンサート。なんだか、複雑な心境ではあるのだが、ここに聴かれる音楽たちに、戦争責任などありはしない。純粋に音楽を楽しみ、演奏し、鑑賞し、私としても、自分史上、心に残るコンサートとなったと思う次第。

(2003.4.6 Ms)


’02 6/9(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第13回定期演奏会

 プログラムは、ベルリオーズ「ハンガリー行進曲」、ビゼー「カルメン」第2組曲、ブラームス「交響曲第2番」。アンコールとしてブラームス「ハンガリー舞曲第6番」。
 指揮は、当楽団でもいつもお馴染の西野淳氏。
 実は、およそ半年間の演奏活動休止状態からようやく活動再開となる契機となったコンサート。とにかく仕事三昧で、練習にも行く予定としながらずるずる行けずじまい、とうとう本番前日に初顔合わせ、というとんでもないことになってしまいました。前日、会場入りして、指揮者が、棒を持ちオケの状況をぐるりと見回したとき、突然今までいなかった私を見つけて、驚きの表情を見せたのが忘れられない。西野先生とも長い付き合いですが、いきなり、それもティンパニ奏者が本番前日やっと登場、というのも大変申し訳なかったことです。

 トラとしては、迷惑かけず演奏できたとは思います。カルメンのタンバリンは、自分としては、おこがましくも十八番のつもり。ばしっと決めたつもり?ただ、終曲のジプシーの踊りの終盤、8分音符の連打は、本番けっこう西野先生もノリノリ燃え燃え、最後のアッチェレランドで、指揮者と一体となってリズム、テンポを先導してしまったか。演奏終了後、他の打楽器のトラの方から、「煽るねえ」と冗談めかしく言われるや、傍らの先生が、「いやあ僕のせいだねえ」と。「最後はタンバリンが頼りです」なんて本番前に言われるし、精一杯の集中力と判断で演奏しただけに、音楽の醍醐味のかけらでも、客席に伝わったのなら幸い。

 演奏会全体としては、その練習の過程も知らず、また、自分の降り番は練習中も本番中もグッタリ目もつぶっていたし、語る資格もないか。ただ、前日のブラームスの2番の練習で、奏者が棒について来れない苛立ちが、指揮者に露わになってしまったという事態も・・・。個人的な感想ながら、当団の利点を生かすには、金管打のリーダーシップが取りやすいレパートリー、なのかなと感じる。今までの記憶の中でも、今回は少々残念な演奏会となったのかもしれない。

(2003.4.6 Ms)


’01 12/9(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第2回ファミリーコンサート
             〜親子のための管弦楽入門〜

 いつも意欲的な選曲で私達を楽しませて頂いている豊田フィルさんの待望の第2回目のファミコンです。昨年の第1回は、語り付きの「ピーターと狼」、そして、「くるみ割り人形」組曲はじめクリスマス系。さて今年の按配は・・・。


第一部

ムソルグスキー(ラベル編)  「展覧会の絵」プロムナード
ブリテン  「青少年のための管弦楽入門」 冒頭
バッハ  管弦楽組曲第3番より「ガボット」
ベートーヴェン  トルコ行進曲
(雷の描写の聞き比べ・・・ビバルディとベルリオーズ)
ベルリオーズ  幻想交響曲第4楽章
ムソルグスキー(ラベル編)  「展覧会の絵」バーバ・ヤガー&キエフの大門

第二部

アンダーソン 舞踏会の美女
          フィドル・ファドル
             ワルツィング・キャット
                トランペット吹きの子守唄
         タイプライター

シベリウス 交響詩「フィンランディア」

(アンコール)
メンデルスゾーン 結婚行進曲

 なかなか盛り沢山な内容。指揮者は山内陽二さん。地元の学校の先生ではありますが、コンサートの司会も含め、てきぱきとこれだけの内容を要領よくまとめあげていただきました。
 テーマは、標題の通り
「親子のための管弦楽入門」。オープニングにプロムナードを配し、まずは、指揮者の語り入りで、「管弦楽入門」のセクションごとのテーマと変奏の部分を奏者が立ち上がりながら(弦は座ってましたが)演奏。オーケストラの楽器を大雑把に紹介した上で、オーケストラの変遷を曲でたどりながら視覚的、聴覚的におってゆく。
 まずは、バロック、小編成のバッハ。そして、古典派ベートーヴェン。楽器も増えてくる。そこで、やや具体的な例として、バロックのビバルディが「春」で描いた雷の部分(弦楽器の刻み)と、ロマン派の入口に立つベルリオーズの幻想交響曲第3楽章の雷の部分(ティンパニ4台)とを聴き比べ。その後、幻想の第4楽章。そして、管弦楽法の魔術師ラベルによる色彩豊かなオーケストレーションを楽しむ、てな趣向。
 そして、第二部は、アンダーソンの気楽に楽しめるナンバーの数々と、最後に、重厚なオーケストラの響きを堪能する「フィンランディア」で締め。

 今回のポイントは、やはりこのコンサートの企画力、構成力にあると思います。いろいろファミコンと銘打ったものはありますが、私の長い経験からも、アマオケでこれだけの明確なコンセプトをもって、安易にあえて映画音楽あたりに走らずに、クラシックの王道でこれだけのしっかりと練られたレクチャーコンサートをまとめあげた豊田フィルさんには感服。・・・ただ、最後のフィンランディアは苦肉の策、妥協の産物的でやや?な感じもしましたが(個人的には、第二部は割り切ってアンダーソンだけくらいの方がしっくりいったか?とも感じましたが・・・最後も「美女」くらいならなんとか・・・もしくはせめてアメリカ絡みの作品くらいのほうが・・・・あ、他団体への選曲の口出しはいけません、失礼)、まぁ奏者としては楽しめたので良しとしましょう。
 打楽器的には、やはり、こういうファミコン系は大忙し。私も、ブリテンの小太鼓、ベートーヴェンの大太鼓、ベルリオーズのティンパニ、ラベルの大太鼓&鉄琴、さらに、第二部、「美女」の小太鼓、フィドルの大太鼓、ネコのウッドプロック&犬猫の鳴き声、タイプライターの第2タイプライター(2台でオケの前に出て行きました)、そして、シベリウスとメンデルスゾーンのシンバル、という具合にかなり面白くいろいろな楽器を美味しいとこ取りさせていただきました。団員のS先輩に感謝感謝・・・特別待遇ですね・・・ただ、ご期待に添えましたかどうだか・・・。

 さらに、ポイント。指揮の山内さん、このような方に振っていただけるのは豊田オケさんは幸せです。身近に、ちゃんと指揮及びトレーニングの能力を備えた方がいて、機動的にこういう有意義な企画がすぐ実践できるわけですから。(以前お伺いした岐阜響さんもそう感じました)
 練習時から今回比較的長いおつきあいでしたが、練習も和気あいあい、笑いもありつつ、押さえるべきところは押さえ、本番ではみなさん楽しく演奏できたのでは、と思います・・・・なかなか辛い場面もなかったわけではないのですが(幻想第4楽章で弦が走ってしまったり、は愛嬌。ただ打楽器で音大生が落ちてたり、事故ってたり・・・ちょっとこいつはいただけねえや・・・要反省じゃ)。
 今後も、こういった楽しい企画、期待したいと思います。私も影ながら応援させていただきます。マンネリにならないようにするのが大変だとは思いますが、今回のようなこのスタンスを大事に、充実した活動を祈念致します。

 あと、今回は自分の打楽器の演奏のことなども含めて、もう少し書いてみようかと思っています。(2001.12.12 Ms)

 ムソルグスキー「展覧会の絵」は大太鼓を担当しましたが、なかなか難しいパートです。終曲「キエフ」。
 ティンパニに8分音符の前打音付きの音符が結構あって、その前打音が小節の頭に来るようパート譜には指示があり、かつ、前打音でなく本音符の方にアクセントがあります。そのティンパニの前打音に大太鼓が重なるわけで、なかなかアンサンブルが難しいのです。ティンパニの本音符に大太鼓を合わせるのは生理的に楽なのですが・・・。ラベルのアレンジの意図としては、ピアノ原曲だと、低音の前打音の上に、両手の分厚い和音が本音符が乗っかるわけで、その低音が大太鼓、上の和音がティンパニというイメージなのでしょう。そのピアニスティックな発想を打楽器でうまく表現できたかはどうも自信がありません・・・・あとでビデオなど見ても、やや大太鼓がツッコミ気味かなァ、と感じます。ちょっと攻め過ぎたか?

 あと、いろいろ物議をかもす箇所もありますね。手元のスコアで練習番号120、と言われてもわかんないか。最後の駄目押し、ドラや鐘が爆裂する最後の最後の主題再現の手前、6小節。低音に旋律が移って、B−D−Es/D−Es−B.と3/2拍子があって、金管の和音2つが鳴るところ。
 スコアによると、大太鼓のみが2/2拍子の2拍目に、どソロでドカンと入る箇所。
 大太鼓のパート譜はちゃんと3/2拍子の2拍目に入っていて、低音と連動しているのですが、今回は、指揮者の解釈により、スコアに従って、オケの和音の隙間に(個人的には大砲をイメージして)派手にドカンといれてみました。隙間故に、単なる叩き間違いと思われたくもないので正々堂々、オーバーにやらないと・・・・という理由もあり。
 ただ、個人的には、スコアは誤植で、パート譜が正解でしょう。弦、木管の動きを見ても(ピアノ原曲を見ても)、先行するティンパニのEsの2つの音と等間隔で低音の動きの補強として大太鼓を位置付けるのが良識的な判断か?というのが率直なところです。ムソルグスキーの原曲にないのですからラベルが何故そこにその大太鼓を入れたか、その意図もいまいちわかりませんし。
 ただ、大太鼓の、この異質な、1小節を2等分する一撃を、続く小節の金管の2つの和音を先取りする役割と考えれば、この大太鼓のソロ的な一撃も充分解釈としては面白いものかと思います。3/2拍子的に低音が1小節を3等分するも、大太鼓がそれに異議を唱えて1小節を2等分するや、続く金管はそれにつられて1小節を2等分してしまう。さらに低音は再び3等分・・・・その繰り返しの後に、結局、大太鼓の異議が通って、最後の2/2拍子による主題の大々的な再現と相成る・・・・。なかなか面白い効果です。
 しかし、これをやる時は、楽譜に忠実なテンポ設定をしなきゃ意図が伝わりません。すなわち、よく(聞き覚え的には)、その金管の2つの和音がほとんどフェルマータがついているかのごとく長く演奏されますが、それでは、1小節の2等分・3等分のせめぎあいが聞こえないのです。この解釈でいくなら、楽譜通り、
Poco a poco rallentando を厳守すべき。少しづつゆっくり、なわけです。唐突にフェルマータがつくは、最後に異常な粘りをつけるは、では楽譜の忠実な解釈にはなりません。

 
結論。打楽器奏者としての個人的な意見としては、スコアは誤植とみなし、パート譜の記譜を採用したい。でも、スコアの記譜を採用するならテンポ設定は楽譜に忠実にする。・・・ただし最終的には指揮者の判断には従います。

 ということでしょう。最近、
ハーディング指揮のドイツ・カンマーフィル・ブレーメンのコンサートに行き、ブラームスの3番の聴き慣れない演奏を聴いたところです。そしてNHK−教育TV(芸術劇場)でも彼のインタビューをやっていて、いかに今の指揮者たちが、フルトヴェングラーあたりの往年の巨匠の演奏にひきづられて、楽譜を詳細に検討する事無く、なんとなく作られた伝統のなかで勝手にそれが流儀として通ってしまうことに対しての挑戦を語っていました。
 この「キエフ」の最後のテンポ感もなんとなく作られた伝統という感じもします。解釈はいろいろで構わないと思いますが、一度、楽譜を冷静に見つめなおすのも、指揮者として奏者として大事な事なのだろう、とハーディングの話を聞きつつ、「キエフ」を演奏しつつ思ったところです。
 ちなみに、他の例として、
チャイコフスキーの5番のフィナーレの序奏から主部に入るティンパニのロール・クレシェンド。これも、思いっきりクレシェンドして最大音量かつアクセントを小節の頭につける演奏がなんとなくイメージにありますが楽譜にそんな大袈裟な指示はありません。一度ご確認を。私が自分のオケでやったときも楽譜に忠実にやったところ(その時の指揮者、寺島康朗氏も楽譜に忠実な演奏を目指していました)、指揮者からはなんの指示もありませんでしたが、団員からは、もっと派手にやらないの?、(きっとカラヤンの演奏を聴いて、だと思われるのだが)あのティンパニがカッコイイ。などといろいろ言われました。
 私個人の資質として、他人のマネはあんまりしたくない。自分なりの、自分でなきゃできない・やらない演奏を目指したい、という多分にあまのじゃく的な性質なので、いろいろ考えて演奏しているつもりです。

 今回の「キエフ」を例にとって、アマチュア打楽器奏者の舞台裏など紹介してみました。漫然と叩いてるだけじゃなくって、いろいろ頭使ってスコアとにらめっこしつつ、(プロと違って)たった一度になるかもしれないその曲の演奏に全力投球しているんだ、ということを伝えたかったわけです。
 なお、この話題については、今回の指揮者の解釈が誤っているとか、そういう意図は全くありません。解釈はさまざまあってしかるべし。
 ただ、演奏にあたって、なんとなく聞き覚えで、とか、下手すれば何も考えずに無意識に楽譜からはずれた演奏をしたり、という態度ではなく、自主的にまず自分の解釈、というのを考えたい、というのが私のスタンスです。その解釈と解釈のぶつかり合い、そして統合の上にオーケストラの演奏は成り立ちます。偉そうにのたまってしまって恐縮です。でも、こういうスタンスだからこそ、私はオケの打楽器奏者、やめられません。とても楽しいんです。・・・自分の職場では、こんな露骨な自己実現、まだまだ出来ないしね。

さて、これから上記の「寺島」先生の指揮による練習へ向かう。明日また本番。いい演奏したい。(2001.12.15 Ms)
まだこの項、続けます。

 今回のコンサート、自分にとっては、とても感慨深いものがあった。特に幻想交響曲第4楽章、ティンパニ・デュオ。この作品は何度かいろいろなパートを演奏をしているし(最近では、盟友清流氏とのバスドラム・デュオ・・・名古屋シンフォニアさんにて、これはこれで思い出深いなぁ)、ティンパニも蒲郡フィルでエキストラながらやらせていただいた。今回はSさんとの15年来のデュオを本番に乗せるということで感激である。結果として、2人の合わせ、については、私の側としては何の苦もなく、サラリと完成したような気がする。それも、長年のおつきあい、何度もの共演あってのことと考えている(Sさんの側はそうでもなかったら、どうもスミマセンでした)。とにかく、演奏しやすく感じた。私もいろいろな団体でいろいろな人とやらせていただいて、どうも、この人とは合わせにくい、とか、完成品に持って行くまで苦労する人とか、様々な経験がある。今回のデュオを通じて、やはり、奏者同士の相性というのは確かにあるな、と再確認できた。常にこうありたいものです。ホントにSさんに感謝です。

 他に面白かったのは、「タイプライター」。前に出て、左右2人でフレーズ交互に叩くという趣向。タイプライターを演奏するのは初めて(と言おうか、触るのも初めて)で、これが以外と難しい。キーを誤って2つ以上同時に触れてしまうと、すぐ絡まってしまう。よほど慎重に一つ一つのキーを叩かなければならない。そういう意味で2人でやるのは、予防線が張れてやりやすいのは確かだ。この方法、オススメです。現実に、文章を作り上げることはできないのだけれど、演奏終了後に、素早く立ち上がり、用意していた印刷物など高く掲げれば、いかにも、いま打ちました、なんて感じで演出もまずまずだったと思う。

 個人的には、最後の「フィンランディア」「結婚行進曲」がシンバル担当ということで、思いきり、奏法なり、表現方法、表現の幅(音量とか音色とか)なりを変えて演奏してみた。同じシンバルでこれだけ違うんだぞ、という主張を込めてみたのだが、ビデオで確認する限りは、ややイマイチかなァ。特にフィンランディアはもっとゴージャスに鳴らしたつもりが、あと一歩か。こんなことなら、素直に違うシンバル用意すりゃ良かったか?ちょっと後悔。結婚行進曲は、それほどのゴージャスさは必要ないし、こんなところで許してくださぁい。ただ、全部の音がフォルテというのも能がないし、最後に向けて盛り上げるような配慮はしてみました。

 反省としては、こんなところです。ただ、今回残念だったのは、打楽器、音大生のトラが来ていましたが、どうも、展覧会も幻想もその他いろいろ、曲をご存知ないようで、練習時から本番まで滅茶苦茶やっていたこと。指揮者の方の忍耐力には頭が下がります。本番もハラハラもの。随分オチてたなァ。こちらの集中力も減ずるほどだ。彼女達の将来を案じてもしまう。少子化時代、最近は大学も入りやすくなっているみたいだし、こんな音大生もいるんだ、気をつけなきゃね、特にアマオケの皆さん、要注意ですよ。

ちょっと冷却期間をおいて書く必要がありました(2002.1.7 Ms)


’01 6/24(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第12回定期演奏会


’00 12/16(土) 豊田楽友協会管弦楽団 ファミリーコンサート 

 今年6月の定期演奏会では、シンフォニックダンス(もちろんウェストサイド)、ラプソディ・イン・ブルーという大曲難曲に挑戦、その存在感をおおいに高めた当団の次の演奏会である今回のコンサート、ファミリーの名は付くものの、これまた、プロコフィエフの「ピーターと狼」に挑戦、近隣のアマオケにはない、斬新な選曲が目白押し、エキストラとして呼んでいただいた私も当然ながら盛り上がらずを得ない状態であった。まずは、私を呼んでいただいた当団に感謝の念を表します。ありがとうございます。

 さて、今回のプロは、オープニングに、ミュージカル「キャッツ」のメドレー。そして「ピーター」。休憩をはさんでクリスマス気分満喫できる選曲として、チャイコフスキーの「胡桃割り人形」組曲、そしてアンダーソンの「そりすべり」そして「クリスマス・フェスティバル」。打楽器団員のSさんとは、今回は「軽いプログラム」なんて言い合っていたわりには、いざやってみるとそうでもない。なかなか重厚な内容である。

 「キャッツ」は、前回の定演のアンコールで「メモリー」を取り上げ、その延長で、メドレー全曲を今回の冒頭に演奏。私は今回、鍵盤を主に担当、久しぶりに叩きがいのある鍵盤の楽譜を演奏した。ほとんど休みなく、木琴、鉄琴、ヴィブラフォン叩きづめ。しっかり練習した上で本番に臨み、余裕もって出来て満足。よくよく思い出したら、ブラスでもほぼ同じアレンジでやっていたし、他のオケでも大昔やっていたパートと判明、どおりですぐ暗譜できたわけだ。
 全体としては、ステージが左右に広く、おまけに私の鍵盤、さらにドラムスがステージの一番隅で、演奏はすごくやりにくかった。特に冒頭はかなりオケ全体としてずれが生じていたと思われます。そんな最低なコンディションながらも、後でビデオで確認したら、とりあえずは許せるかな、といった具合で安心。

 今回期待の「ピーター」。正直、オケの力量から言えば、かなり背伸びだったと言うのが正直な感想です。練習のたびそう思いました。しかし、本番は集中力も高く、一番良いできに仕上がった感があります。良かった良かった。管楽器それぞれのソロに付いては、困難なパッセージも多く、完璧、とはいかないのは当然ですが、それぞれの最高の演奏を本番に持っていけた、さらには上達の過程が把握できた、という意味においても、私は奏者として一緒に演奏できてとても嬉しく感じました。
 演奏に先立ち、楽器紹介がありまして、我がパートも狩人の鉄砲という、全くの脇役ながら、ソロを披露する事が出来ます。私は大太鼓、Sさんがティンパニ。ティンパニが主役ですが、ソロパッセージを導くロールに大太鼓が重なります。リハーサルでは、スポットライトがまずティンパニに当たり、私のロールが終わって座ったところに私のスポットライトが当たって大変恥かしかったのですが、何も言わなかったにも関わらず、本番では、まず私にライトが当たり、私の出番が終わってから瞬時にティンパニのソロにライトが移って、効果的なライト当てがなされており、おおいに満足です。
 本番の曲の中では、鉄砲の最初の出番でロールの終わりの打点が2人でずれて、ありゃりゃって感じになったものの2回目のソロは息もぴったり、大迫力の鉄砲乱射、Sさんも、堂々たるrit、そして両手叩き、続くナレーターの「撃たないデーーー」との叫びを導くのに充分な迫力は舞台にいて大変心地よいものでした。
 ちなみにこの作品は、打楽器は壮絶な持ち替えを要する(かなり辛い持ち替えだ。)二人の奏者用に楽譜が書かれておりますが、今回は3人での演奏で行いました。ティンパニを中心とした第1奏者、小太鼓を中心とした第2奏者という割り振りのパート譜より、私が第3奏者として、第1からはトライアングル・タンバリン、第2からは大太鼓のパートをもらって演奏したところ、3人の分担がほぼ均等化できました。・・・ホントは小太鼓ソロも捨てがたかったなァなどと思いつつも、やはり、こんな小品とは言え、プロコフィエフの打楽器における大太鼓の妙技が堪能でき、良い経験が出来ました。プロコの大太鼓はホント楽しいですな。特にロールの使い方。そして弱奏の存在感。
 さてさて、この曲を生かすも殺すも、やはりナレーター次第。今回は地元の劇団で地域密着の活動を続ける、近藤博さんという名優を得、とても聞きごたえある音楽物語が演じられたと思います。キャラクター分け、音楽を理解してのタイミング、テンポ感ともに優れた喋り、こんな語り手を得てこそ、オケも燃え、その情景を作り出すイマジネーションも高まり、今回の演奏のレベルに至ったのかと思います。音楽と語りとのコラボレーション、素晴らしい物がありました。当然、その協働の要に、指揮者の力量、があるのですが。

 その指揮者が今回は、地元の教員の方、ということで驚き。指揮の技術も確かですし、そのオケにあった、甘過ぎず厳し過ぎずの絶妙のスタンスでここまでひっぱってきた功績は、素晴らしいものがあります。このような人材に恵まれたオケは幸せですね。・・・昨月の岐阜県交響楽団でもそうでした・・・。ちなみに、パンフレットに寄れば、前回の「ラプソディ・イン・ブルー」での冒頭クラのグリッサンドを難なく吹き切ったのが今回の指揮の方ということです。

 後半、「くるみ割り」はかなり苦しかったです。やはり、特に弦楽器の力量の限界は見えていたように思われます。テンポも基本的に遅く確実に。私は、ティンパニ以外の打楽器各種をほとんどの曲、でづっぱりで楽しくやらせていただきました。「葦笛」における弱奏シンバルはてこづりましたが、その他は自信もってステージに乗せる事が出来ました。「トレパック」のダブル・タンブリンも爽快!

 続く、「そりすべり」、この曲が最もオケとしても気楽にリラックスムードでできましたね。私は、鍵盤と鞭。中間部で鞭を鳴らす瞬間、持ち方を間違えてオヨヨ。鞭のチョウツガイに近い方ではない逆に持っていた事に気付いたが時既に遅く、鞭の端を持ったまま、鳴らすしかありませんでした。映像的にはかなり変。あぁハズカシ。しかし、音響的には問題無しです。

 最後の「クリスマス・フェスティバル」は良かった。演奏会の最後を飾るに相応しい壮麗な演奏となりました。私は、鍵盤(鉄琴と鐘)、トライアングル、大太鼓、そしてコーダのシンバル。そして、さらに最後は、ティンパニのSさんが、オルガンがない場合のオプション楽譜で演奏しつつ、私が本来のティンパニ譜もそれに重ねて、あたかもマーラーの如く、ダブルティンパニでかっちょよく曲は閉じられると言うわけです・・・おぉブラーヴォー!!
 オケ全体としても、それぞれの部分のキャラクターの違いを生かしつつ、スマートな快演であったと思います。
 追記ながら、この「クリスマス・フェスティバル」、アンダーソンの作品としてはマイナーではありますが、諸人こぞりて、ジングルベルその他賛美歌をつないだメドレー風な作品ながらも、アメリカの派手なクリスマスのお祭り騒ぎが彷彿とされる、いいアレンジの作品です。途中、チャイコフスキーの交響曲第五番第1楽章に現れる木管のパッセージの真似があったり、コーダはほとんどブラームスみたいなオーケストレーションがあったりと、遊びの精神も垣間見せます。もっともっと取り上げられて良い作品ですね。今回のファミリー・コンサートを閉じるに相応しいものでもありました。
 アンコールは同じくアンダーソンの、お馴染みな「トランペット吹きの休日」。
 お客さんもほぼ客席いっぱい集まり、演奏会としても、みなさん満足行くものとなったのではないでしょうか?

 コンサート後は、Sさん宅にて、今回のビデオなど見つつ、今後の活動計画やら、ショスタコの話等しつつ午前4時まで語り、飲み、今年の演奏納め、叩き納めは、充実感の中に閉じられたのでした・・・・Sさんいつもありがとうございます。

今年の書き納め。みなさま、今年1年おつきあいいただき、たいへんありがとうございました。(2000.12.30 Ms)


’00 6/3(土) 豊田楽友協会管弦楽団 第11回定期演奏会 


アマチュア・オーケストラ応援ページ(東海地区)