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アマオケ奮闘記
  〜 地域社会への音楽のひろがりの最前線にて 〜  

東海地区編

岐阜県交響楽団

 

’03 6/29(日) 岐阜県交響楽団 第64回定期演奏会

 チャイコフスキー、スラブ行進曲。シベリウス、Vn協奏曲。ブラームス、交響曲第4番。
 Vnソロは、鈴木理恵子。指揮、新通英洋。
 シベリウス通、盟友清流氏のティンパニが、シベリウスの協奏曲で聞けるということで出掛けた。ソリストの調子が芳しくなかったというのが残念しきりだが、ラハティ響・ヴァンスカ風な、繊細なピアニッシモを聞かせたオケ全体に祝杯を。ただ、全般的には、ヒーロー不在的な?、地味な印象は感じる。まとまり、は感じられるものの、この部分が印象的!といった、私好みな、主観的感想の余地の少ないものではあった。(ただ・・・ブラームスでの某パートの決定的ミスは、演奏に対する集中を減じてしまい、辛いハプニングではある。団体全体への評価に直結し、今後の観客動員にも影響する、と個人的には感じられおおいに心配。)そんななかで、低弦の充実は、特にブラームスではいい感じ。私のアマオケ論、オーボエとホルン、そして低弦の印象が、オケの印象に大きく左右する。確かに、当団、安定した存在ではある・・・しかし、さらに、もう一つ以上、私の心に届く何かが、今回のコンサートで欲しかった。

2003年7月頃の「たぶん、だぶん」用記事を加筆、転載(2004.3.28 Ms)


’02 11/3(日) 花フェスタ 秋の岐響コンサート


’01 1/21(日) 2001岐響 New Yearファミリーコンサート

 記録的大雪で大変だった1/20、うってかわって翌日はからりと快晴。はるばる北国(?)、岐阜まで遠征し、標記のコンサート鑑賞。盟友清流氏が企画に携わっているということもあり、今回は趣を変えて、企画に対する感想を主に述べたい。

 雪によるスリップで、前日は車で小さな事故をしてしまい、当初車での遠征を予定していたものの、急遽電車でということに。我が自宅付近は雨だったのだが、岡崎から銀世界、名古屋を超えて、木曽川を渡るや、川原は一面真っ白・・・・なんだか、ヨーロッパへ行く飛行機の道中、眼下に広がるシベリアの大河を思わせ、これからショスタコーヴィチとチャイコフスキーが待っている・・・と思うだけでもわくわく。バッグの中には、名古屋で借りた、ショスタコーヴィチ全集のスコア1冊・・・ロシアへの旅、とすら錯覚するようなテンションで岐阜への県境を超えた。

 さて、今回のコンサート、「水・人・音楽」というテーマ。団伊玖磨の作品を全国で演奏すると言う、「DAN YEAR 2000」の一環としてのコンサートでもあり、ご当地の作品、交響詩「長良川」が演奏される、ということは事前に決定していたとのこと。
 プログラムの詳細は以下のとおり。

1.ショスタコーヴィチ 「祝典序曲」
2.ヘンデル 「水上の音楽」(ハーティ版)より3曲
3.スメタナ 交響詩「モルダウ」より (冒頭より「モルダウのテーマ」まで・・・つまり「狩猟」の手前で終わり)
4.シュトラウスU 「美しく青きドナウ」より (序奏と第1ワルツ)
5.団伊玖磨 交響詩「長良川」 

(休憩)

6.ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲 (ジュニアオケによる演奏)
7.ヨゼフ・シュトラウス 「鍛冶屋のポルカ」 (指揮者コーナー)
8.チャイコフスキー 「白鳥の湖」より6曲・・・
第1曲の情景、第1幕のワルツ、第10曲の情景、4羽の白鳥の踊り、チャルダッシュ、終曲   

アンコール.シュトラウスU 「雷鳴と電光」

という具合。さて企画に対する、私の個人的感想、まず好感を持った、素晴らしかった、という点。

 ボルガ川、ドン川の運河開通のための「祝典序曲」にかこつけて、カッコ良く、新世紀最初のコンサートの幕開けとしたこと。
 ご当地の作品、「長良川」をファミリーコンサートという、様々な人の集まる機会に演奏する企画自体が○。団作品などそうそう聞けない。地元の方々もそんなにこの作品の存在も知らないのでは。こんな作品があるんだよ、と知らせるだけでも大変な意義深いことだと思う。また、DAN YEAR企画としては東海地区唯一の機会。という意味でも素晴らしい。この企画の小冊子も購入できました。これから団作品もしっかり勉強したい。ちなみに私は、彼の交響曲第4番が好きです。とってもカッコイイですよ。
 恒例となっているという、ジュニアオケ演奏、並びに、指揮者コーナー。これが定着しているのも良い。理由は書くまでもない。指揮者コーナーはとにかく楽しかった。清流氏もちゃっかり、鍛冶屋パートで目立ってたしなぁ・・・。
 白鳥の湖は、かなり詳しい内容のナレーション付き。演奏も熱演だったが、ナレーターも熱演。これほど詳細なナレーションを付けての演奏は、白鳥のみならず、他の曲でも私は体験した事はない。台本も、リキ入ってましたね。ストーリーにのめりこむ事ができました。

 ということですが、逆に気になった点、改善点と思われるところ。

 実は、上記の良かった点、これが集積した結果が、私にとっては今回のプログラムにおける最大の短所、と感じたのだ。清流氏には申し訳ない・・・しかし、今後のこともあろうので、正直なところを書きます。少々辛いかもしれないけど、一つの意見として収めて頂ければ幸い。

 私の感覚から言えば、コンサートの時間は2時間以内かな。集中して音楽を聴けるのはこれが限度、私には。今回は2時間40分・・・やはり長さを感じてしまう。前半1時間、休憩はさんで後半1時間20分、特に後半の長さが辛かった。とにかく残念だったのは、熱演の「白鳥」が、演奏会開始より2時間を経過してからの出来事であったこと。熱演であればあるほど、早く終わらないか、とさえ正直感じてしまう(ごめんなさい)・・・・せめて、演奏会開始より1時間半くらいから始まって欲しかった。とても良かった、と理性では後から思うものの、リアルタイムでは、体は疲れ、集中できなかったのがとても残念・・・。
 今、私のオケでも企画モノのコンサートの練習中だが、その企画プロセスの中でも私は何度か主張してきたのだが、司会者を入れるコンサートなら、正味演奏時間は、前半後半30分づつ、トータル1時間くらい用意しておけば充分と考えます。定演よりも余裕をもった練習により、技術面もより確実とし、また、観客サービスという面で、可能なら2曲くらいアンコールをプレゼントできたらベスト、と考えます。
 始めて会場に来る人も多い、と仮定すれば、なるべく苦痛を与えないような配慮は必要でしょう。(指揮者コーナーというのはその効果を存分に発揮しますね。リラックス・ムードという意味で良い企画だ。)しかし、慣れない人にとっての最大の敵は、長時間じっとしていなければならない、という苦行かと思います。

 それにも関連して、アンコールの選択の件もどうだろう。「白鳥」の燃え上がるようなフィナーレの盛り上がりの後の、「雷鳴」は逆効果かな。しっとりとした曲をまず聞きたかった。「白鳥」フィナーレのすぐ後では、耳が疲れてしまう。演奏は良かった。メリハリのある快演だ。しかし、出す場所がそこでは残念。こういうピリッとくる曲は、出すタイミングをしっかり計算しないと。たらふく食った飲み会の締めの場で、キムチ・チャーハンじゃぁ辛いな僕は。さらりと、鮭茶づけが欲しい。そういう感覚です。

 あと、違う観点から。前半で演奏した、「モルダウ」と「ドナウ」のカットの仕方が、少々問題とも感じました。特に、「モルダウ」は、ホ短調の作品が、最後の一音だけ、狩りの場面のハ長調の主和音で、聞いていてすごく気持ち悪かったのですが・・・・。ここは、是非ともホ短調の主和音で「完全終止」はして欲しかったな(あえてホ長調にすることはないけれど)。
 それ以前の問題として、曲のカットに付いては、慎重な態度を取るべき、という点。確かに、5分間という制限のあるNHK名曲アルバム、放送時間の制限のある音楽番組の類で、確かにカットはしているがあくまでイレギュラーな措置と考えるべきと私は思います(頭の固い原則論かもしれませんが)。今回、特にこだわってその点を取り上げたのは、10数年前、団氏のインタビューを聞いたことがあるためで、彼の主張として、

「最近は、町に音楽が溢れ過ぎ。聞きたくないときに聞きたくない音楽まで聞かされるのは公害の一種だ。」その例の一つとして、「信号での進めの間の音楽に童謡など、既存の曲を使用する場合があるが、それは作曲家を冒涜するものだ。時間の都合で、メロディーの途中で途切れてしまう、というような使い方は作曲家は望んでいないはずだ」

といった趣旨の事をTVで喋っていたことが記憶にある。その、まさに団氏の作品の前座で、こういった使い方をして良かったのか・・・と不安になったのは私だけだろうか?老婆心ながら心配に感じました。取り越し苦労だけど・・・。
 せめて、「モルダウ」なら、「モルダウの主題」再現から、急流を通って終止まで、とか、「ドナウ」なら、第1ワルツから、第2コーダに飛んで終止、とか、終止感のあるやり方を選択して欲しかったかな、とは思いました。細かい事でスミマセン。

 以上の点、今後のコンサート企画において考慮の余地として頭の隅に置いて頂けるのなら幸いです。あくまで個人的な感覚ですので、絶対的なものではないのは言うまでもありません。せっかく毎年、このような有意義なコンサートを続けてみえるのですから、さらに、皆さんに親しまれる、素晴らしいコンサートを作っていっていただきたい、と遠くからながら応援しています。また、機会あらば是非とも馳せ参じます。

 さて、企画面はこれくらいにして、演奏面についても少々。
 冒頭の祝典序曲。早弾き、早吹きの嵐で難曲のこの作品、弦、木管とも善戦していました。ロシア・オケのスピーディさの再現はプロでも難しいからさておき、曲の持つ快活な雰囲気は充分出ていたと感じます。特に、再現部の第2主題再現の辺りのカッコ良さはうまく表現できていました。コーダのバンダは、会場左翼に陣取り(共産主義を意識して?)、客の真横からの側面攻撃、いいですね。ただし、私は2階席に陣取ってしまい、やや、その効果の恩恵にあずかり損ねたかも。
 あと、特筆しなきゃならないのは、初耳の「長良川」。とてもわかりやすいメロディーに満ち、聞き心地のよい作品です。ソプラノ独唱が、優しく大らかな歌を歌います。また、鉄琴の活躍が耳に残ります。いわゆる紋切り型な、川のせせらぎの描写や、もろといった感じの民謡導入がないのに、日本的、また、川のイメージを喚起させるのは不思議。もっと演奏してしかるべき作品と感じました。こんな作品を自分たちのオケの作品として、自分たちの郷土の音楽として持っているということは、とてもうらやましく、また素晴らしいことです。これからももっと大事にしていきたい作品ですよね。作品の素晴らしさを不安なく私たちに提示していただけたという点では、今回のプログラムで最も良い出来だったと言えるかもしれません。
 そこで、私の感想・・・この「長良川」が、コンサートの最後を飾っても問題ないほどの重量感を持った作品、とも感じました。20分ほどの演奏時間ですし、最後こそ静かに終わりますが、第1部「川のうた」のクライマックス、「ながらがわよ」との叫びと、オケの応酬も迫力あり、また第2部「火の宴」
(鵜飼いの情景です)のクライマックスも声楽の歌い終った後に、優しげな旋律が大きく回帰する辺り、聞きごたえがありました。コンサートを閉める役割を負わせた方が上記の問題解決にいろいろ有利に働いたか?とも後々感じたりもしました。また、プログラムに歌詞も掲載されていましたし、アナウンスで、「歌詞もありますからどうぞご覧頂いて鑑賞しても構いません」とでも言っていただければ、歌詞も見つつ、未知の曲ながらもそれほど退屈せず多くの人に楽しんでいただけるのではないかとも感じました(以外とパンフを見ていた人は周囲にいなかったようでした)。私は歌詞を見つつ、その歌詞とオケの伴奏の密接な関係を、情景を思い浮かべながら聞くことで、なかなか興味深く聴く事が出来ました。今後の演奏の際は、ちょっと考慮に入れてもらってもいいかもしれません。ただし、派手なアンコールは必要かもしれませんけれどね。
 ただ、全体的には、1年以上前に聞かせていただいた定演と比較するなら、詰めの甘さが感じられた場面があったのは残念です。例えば、「モルダウ」冒頭は、もう少し丁寧に行きたかったですね。などなど。

 しかし、これだけの内容のコンサートを堂々、多くの人々に聞いていただいているのはうらやましくもあり、本当に素晴らしいことなのですから、さらなる、ファミリーコンサートのレベルアップ、を目指してかんばっていただきたいものです。アマオケでこれだけのコンサートを毎年、企画をまとめつつ継続してゆくご苦労、大変なものがあると思います。今後も期待して見守ってゆきたいと思います。

(2001.1.22 Ms)


’00 11/19(日) 岐阜県交響楽団 芥見地区わが町・わがふる里コンサート


’99 12/12(日) 岐阜県交響楽団 第58回定期演奏会


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