アマチュア・オーケストラ応援ページ

アマオケ奮闘記
  〜 地域社会への音楽のひろがりの最前線にて 〜  

東海地区編

蒲郡フィルハーモニー管弦楽団

 

’03 6/22(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第24回定期演奏会

 速報風につき、ご容赦。
 マーラーの「巨人」をメインに、同じくマーラーの「花の章」、ウェーバーの「魔弾の射手」序曲。指揮は、蒲郡出身で、東京学芸大助教授、マーラー協会所蔵のマーラーの3番に関する論文なども手掛けてみえる、山本訓久氏。かなり、野心的な試みである。名古屋ほどの大都市ならともかく。地方の小都市にしては、なんと大胆な。マーラーの研究家でもある指揮者の緻密なスコアの読みが興味深い。さすがに、マーラーに馴染みの無い方々も多い土地がらゆえか、前半の途中、「花の章」の演奏前には、指揮者自ら、マーラーに関するトーク。通俗的な旋律の引用とか、環境音楽的なアプローチについて語る。
 演奏会には、私は、2nd Timp.として参加。本番1ヶ月前に、一度、第4楽章の通し練習に参加したきりで、本番前日を迎え、関係の方々には迷惑おかけしました。本番は、精一杯、務めは果たした所存。それにしても、こんな感動的なステージにご一緒させていただき、感謝の気持ちで一杯です。
 まず、指揮者のこだわり、明確な作品構築の方向性が感じられた、意志の強い、信念の演奏、という点が凄い(詳細はまた)。それに、ついていくオケ側の努力に共感。コンマスの統率力、吸引力は、いつものことながら、私の知る限りにおいて(演奏をご一緒させていただく団体しかわからないが)、最高のものがこの団体にはある。さらに、マーラー作品の顔的なパート、ホルンのレベルの高さは、他の追随を許さぬ。第1,4楽章の大活躍ぶりは、(私にとっての)アマオケの常識を超えるもので、感激。さらに、オーボエの音色、歌い方、それら含めた、素晴らしい存在感には敬服。ホルン、オーボエにみられる輝きが、オケ全体の印象をかなり良いものにしていると感じた。
 アマオケのマーラー、もう、珍しいものではないが、名古屋から1時間余、人口8万程度の小都市での、「花の章」と「巨人」、それも、マーラー研究家によるスコアに忠実な学究的な趣すらある、邪心の無い演奏、日本におけるマーラー受容史において特筆すべきトピックとして、私は紹介したい。

(2003.6.29 Ms)


’02 5/12(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第22回定期演奏会

 ブラームスの1番とストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」の組み合わせ。「火の鳥」に燃えるというのが、蒲フィルらしさ、か。
 アンコールは、指揮者、山本訓久氏の編曲によるブラームス最晩年のオルガン作品「一輪のバラが咲いて」。感動的名品。

(2005.7.6 Ms)


’01 12/16(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第21回定期演奏会
          ファミリーコンサート

 3週続けての本番だ。久々に演奏会三昧なこの師走。無事にこなしてこれで私も年越しができる。ふーっと一息。それにしてもいいコンサートだった。出番こそ少なかったが、とてもいい演奏の数々に出会えて楽しい。何から書いていいか迷ってしまうな。チラシには、大きく、「いつでもどこでもチャイコフスキー」とありました。オール・チャイコフスキー・プログラム。以外とありそうでない。なぜなら、アマオケには結構つらいです。弦や木管は細かい音符だらけでさらうのが大変。金管は、ペース配分に失敗すればばててしまう。ただ打楽器は楽しいですね。あと、お客さんもリラックスして聞けるでしょう。まずはプログラムを紹介。

「眠りの森の美女」から、序奏とリラの精の踊り・ワルツ

ピアノ協奏曲第1番(独奏・石川智子)

(休憩)

 「くるみ割り人形」から、行進曲・こんぺいとうの踊り・花のワルツ 

 「白鳥の湖」から、情景・ワルツ・チャルダッシュ・情景(終幕)・終曲 

(アンコール)
「白鳥の湖」から、ナポリの踊り
「くるみ割り人形」から、トレパック

指揮:寺島康朗
進行:新山王政和

 三大バレエとピアノ協奏曲といういいプログラムですね。これでもかこれでもか、と馴染みの名旋律の数々。そして聞き手の耳をとらえて離さない劇的な展開。私も時には奏者として、時には聴衆として、夢中で聴いていました。特に、「白鳥」の終幕の情景から終曲への展開は、こんな感激した事は稀なくらいです。とうとうと歌い流れるゴージャスな弦を目の前に、パワフルな金管の音の風が横から吹き殴り、背後からはティンパニと大太鼓の怒涛の振動とシンバルの衝撃と。私の陣取った小太鼓の席はとにかく、この劇的な「まことの愛(ナレーションで恥かしいほど何度も連呼していた)を巡る大クライマックスの渦中にあって、なんだか音楽という海の中に一人放り投げられて荒波に飲まれてどうしていいんだかわきゃわかんないぐらいの感激に襲われつつ、なかばうるうるしつつタイコを叩く羽目になったのでした。ホントに。

 私はトラとして、前半は「美女」でドラを一発入魂。後半は、「白鳥」のトライアングルを可愛らしく(ただ、緊張の度合い、体力の消耗は結構するんだな。これが。)、そして終曲はやややりにくい小太鼓。

 とても申し訳なかったのは今回スケジュール調整がつかず
(これだけ本番が立てこんでたら・・・)、ほとんど練習に参加できないまま、たった2回の練習で本番となってしまったこと。出番の少なさ、影響の小ささから、なんとかご了解頂こうと思っていたのだが、某弦団員から、もっと来た方が良かったのでは・・・と。確かに、実は、終曲の最後の小太鼓が、オケ全体が1小節3分割で動く中、僕だけが4分割で動く音符になってて、どうも慣れないとやりにくかったようで・・・大変失礼しました・・・決して間違った演奏はしてないのでその辺は念のため・・・。この部分は、かなりオーバーな演奏を心がけたつもり。まちがっているかのようなパッセージは不安げにやるな!というのは鉄則。

 ただ、この楽譜につきあったおかげで、同月本番であった豊田フィル「展覧会の絵」の大太鼓の誤植問題(?)にいろいろヒントがあったりして、それはそれで個人的には興味深い楽譜ではあった・・・。「白鳥」の終曲の最後のコーダの手前の打楽器も、オケ全体が3連で動く中、異議を唱えるべく4連の音符が並び、その末に、オケ全体が(不安定な3連を捨てて)普通の2/2拍子へと到達、解決感を得るわけだ。ロ長調への解決という和声感、ハープと弦というオーケストレーション、故に最後の「まことの愛」の成就は説得力をもつのは確かだが、このリズムの錯乱(下手すればストラヴィンスキーなみのポリリズム!!)の収斂もまた、解決感を演出している重要な要素だと思う。リズムの錯乱、という点で、打楽器の役割は、この2曲、よく似ているとも言えそうか。私なりの今回の発見。
 このように、この慌しい年末、いろいろな演奏活動、鑑賞体験の蓄積が相互に絡み合ってて面白い体験もできたのは確かだ。
 ちなみにもう一つ、やはり終曲で、ティンパニ、大太鼓と私、小太鼓がソロでトレモロのクレシェンドをして、あの有名な白鳥のテーマの大テュッティを導くところなどは、先月、東京で生で体験したショスタコの8番の第1・第5楽章の戦争の大クライマックスと同じサウンドで個人的にはぞくぞくしていたのでした。あぁオタク的話題。

脱・超個人的感想はこのあとで。(2001.12.18 Ms)

 全体的な感想。前日、本番通じて私の耳をとらえたのはホルンの安定ぶり。確かに、金管のレベルは私の知る限りかなりいい線いっているオケなのだが(特に今回、「白鳥」、トランペット5、ホルン7、トロンボーン4という編成はかなりエキサイトさせられたなぁ。それは上述のとおり。)、その中でも1番よかったのはホルン。私がオヤっと思ったのは「花のワルツ」のワルツ部分の冒頭、曲の顔とも言うべきホルンのパート・ソロ。こんな上品に落ちついたホルンの柔らかな響きをこの場面で、アマオケで聴けたのは初めてだ。よくアマオケのコンサートで耳にするが、どうもハープソロのあとはよくガクッとなったもんだ。その、ホルンの充実ぶりはすべての曲で満喫できました。ホルンの出来不出来はオケ全体を左右するくらいのものだと思うのだが、その点とても安心できるのは嬉しい限り。
 さらに、ホルン奏者がなんと「こんぺい糖」のチェレスタ・ソロを。なかなかない掛け持ちだ。芸達者ですね。練習ではとても端正なかちっとした演奏で、指揮者に、うますぎる、もっとよたよたした感じで、なんて言われていたのも印象的。
 あと、やはり「白鳥」といえばオーボエ、です。これも良かった。個人的には、ピアノ協奏曲におけるいろいろなソロの場面が、切実な訴えかけるものを感じさせるもので素晴らしい。歌、という感覚では私の耳には、ピアノ・ソロよりもオーボエの方こそコンチェルタンテなムードが漂っていたとすら思った。
 フルートもいい印象。協奏曲のソロ。あと、「花のワルツ」の三本のフルートのユニゾンによるメインテーマにからむ対旋律の部分が妙に気に入った。比較的低めの音域だと思うのだが、存在感を他のアマオケと比べ今までになく感じ、また美しくきまって耳に残った。
 最後に、弦のまとまりも良かった。「花のワルツ」の弦による副主題、指揮者もいろいろ指示をしていたところだと思うが、同じリズムパターンながら旋律の表情は毎回違う。その辺り、豊かな響きと、繊細な歌心で、その醸し出す雰囲気に引き込まれた。特に、ヴァイオリンのsul G とかの旋律線は、他のワルツでもいろいろ出てくるのだが、そういった場面はとても満足いくレベルで良かった。そして、大迫力の「白鳥」、指揮者の提案で最終的にプログラム入りした、終幕の情景。ここのスリル溢れる展開も必死な感じもよかったが、大太鼓、ティンパニの怒涛のトレモロに続くホ長調の解決、ここの快感は言葉にならないほどの感動だ。高音域のヴァイオリンも張りがあって、その解決感をしっかり支えていた(終曲の白鳥のテーマの短調による再現の部分の高音のヴァイオリンも泣けましたね)。
 そのクライマックスあって最後の終曲、白鳥のテーマの大々的な再現へ至る展開が説得力を持つ。指揮者の判断の確かさに感銘。この2曲は確かに一体の流れを持っている。・・・・いつか是非、ティンパニでも大太鼓でもシンバルでもいい。実際に演奏したいところだ・・・前回はドラを10数発、今回は小太鼓でややくすぶった(ちょっと、曲の持つエネルギーを楽器にぶつけようにも、やや違和感あるパート譜なので、やりすぎないことを必要以上に考えなきゃ。ホントにこの部分小太鼓のサウンドが欲しいんだろか?と思いながらの演奏なので辛いな。)また、超個人的感想が・・・失礼しました。

 アンコールも良い。個人的には、2週前の自分のオケのコンサートで、アンコール「ナポリの踊り」を出したのだが却下。「イタリア交響曲」と「イタリア奇想曲」のプロなんだし、アンコールもイタリアンな選曲がいいと思ったのに、「結婚行進曲」。ということで、今回の「ナポリ」、イタリア三昧な私のこの「日本におけるイタリア年2001」を締めるに相応しい選曲で大喜び。センスも良いし、当団コルネット担当の自信の現われでもあろう。
 コルネットのソロも、ヤらしくテンポを揺ら揺らさせて面白い。テンポを上げた後半部も、強弱の差の表現など楽しくオケ全体と一体感もって演奏でき、楽しく演奏できました。

も少し書きましょう(2001.12.21 Ms)

 恒例のロビーコンサート。今回も楽しく聴かせていただきました。入り口から入って、中2階的なフロア、そして2階と吹きぬけみたいになってて、広いロビーの空間、目一杯使っての面白い趣向でした。まず1階奥からホルンによるファンファーレ。これが、ロビーが凄くいい響きを作って柔らかな感じ。観客が雑多にざわざわするなか、そちらに目がいってると、続いて、中2階に置かれた大きなクリスマス・ツリーの辺りからフルートの可愛い音色が。サンタの格好の女性と、トナカイの着ぐるみの男性によるフルート・デュオ。これが良かった。場所に意表をつかれ、また、コスプレで。でも、クリスマス・メドレーを暗譜だし演奏も確かなものだし、お客さんにサービス満点で、こんな楽しい企画は見てる方も楽しい・・・・私も随分前に自分のオケでクリスマス・コンサート企画したこともあったが、やはり奏者の役不足か・・・蒲フィルさんは、ホント人材そろってるな、と感じました。続いて、またロビーの中で場所を変えつつ、ヴァイオリンとチェロのデュオ(コンマスがなんとチェロを)、トランペットとチューバのデュオ、トロンボーンのアンサンブル、と楽しくクリスマスものを中心に聞かせていただきました。

 私がこういう団にいたなら、打楽器もいっちょどうだ、てな発想なわけですが・・・・どうでしょう。さて、打楽器全般についてなのですが、やや辛口になっちゃうか。オケ全体のレベルに比して、打楽器はもっと頑張らなきゃ申し訳ない。もっとアンサンブルとか詰めないと、打楽器が足を引っ張りかねません。シンバル、大太鼓の合わせは、こういったバレエ音楽では、テンポ、リズムの核ですし。ティンパニ・大太鼓の合わせももっと意識しなければ。そして、場所に応じては、指揮を見る、コンマスを見る、コントラバスを見る、あと当然、打楽器どうしでコンタクトを取る・・・・こういったアンサンブルの電波の飛ばしあいは、もっと考慮すべき、と自戒もこめて、この場にて一筆。また頑張りましょう、打楽器のみなさま。
 最後に、今回も打楽器の借用では、大変お世話になりました。我がオケのために、国内でも貴重なプロバンス太鼓、ギロ、シンバル、グロッケンと、いつもありがとうございます。蒲フィルさんなしに我々の演奏会は開けませんし、団を代表してお礼申し上げなければ。特に、グロッケンについては、蒲フィルさんが使うにもかかわらず、直前までお貸しいただき本当にありがとうございます。
 
 次回は、通常の定演で、ブラームスの1番と、火の鳥だそうです。期待してます。

(2001.12.22 Ms)


’01 5/13(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第20回定期演奏会

蒲郡フィルハーモニー管弦楽団
第20回定期演奏会

2001年5月13日(日) 開場1:30pm 開演2:30pm
蒲郡市民会館

 R.シュトラウス 聖ヨハネ騎士修道会の荘重な入場    
 シベリウス    ヴァイオリン協奏曲
 ドビュッシー   小組曲
 ラベル      ボレロ

(アンコール)

   ドビュッシー  亜麻色の髪の乙女        
  エロール  歌劇「ザンパ」序曲  
    

指揮 山本訓久   Vn独奏 福本泰之

1:40pmよりプレトーク&プレコンサート  「現代音楽はこわくない!?」

(プレコンサート演奏曲)

ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲より
ウェーベルン  弦楽四重奏のためのバガテルより
バルトーク  ルーマニア民俗舞曲より
ドビュッシー  ゴリウォークのケークウォーク

 いつものことながら、充実した演奏活動を続けている蒲フィルさんに、今回も合流させていただきました。打楽器奏者としては、さほど出番のないコンサートながら、また、いつものことながら楽しくお手伝いさせていただきました。ありがとうございます。
 今回の私のテーマは、「最後に笑うのは俺だ」です(?)。今回は、各曲、最後に合流するのが常に私、という役回り(出番のないシベリウスは除いて)。
 まず、今回が日本初演、かもしれないというR.シュトラウス、私の担当、小太鼓は最後8小節のみ、ひたすらロール。
 小組曲は、タンバリン。第4曲のみ。
 ボレロは、銅鑼。これまた最後の数小節のみ、かつ、打楽器群の中でも駄目押しの3拍目、ドン・シャン・グヲーンの大太鼓、シンバル、銅鑼の最後なわけです。
 アンコールは俄然、張り切って、「乙女」は、「牧神の午後」的な、アンティーク・シンバルで要所を押さえつつ、最後は私の一発ソロで終わり。
 駄目押し、ザンパはとにかくガチャガチャ鳴らしまくるトライアングル。
 トータル的に、最後に笑う・・・・というか、(最後に笑われるのがオチか?)、いつまでたっても座ってるけどあの人何するのかしら、と思わせつつ最後はめでたしめでたし、という按配なコンサートだったわけです。

 さて、蒲フィルさん、設立20周年、そして今回20回定演、さらに2001年ということで、「20世紀プログラム」と銘打ってのコンサート。なかなか私的には楽しめました(小中学生には、少々難しかったかな・・・・会場の雰囲気とアンケートを見た限りでは・・・・)。
 まず、プレコンサート。現代音楽レクチャー。音楽の授業の開始のピアノ和音にて開始。この、ドミソ・シレソ・ドミソ、と言う古典的な機能和声の崩壊をワーグナーに聞き、その他、12音、セリーの音楽、そして民俗音楽からのインパクト、そして、ジャズからのインパクト、といった具合に20世紀音楽の大雑把な説明を、指揮者の山本先生のお話と蒲フィルの選抜メンバーの演奏で。
 ドビュッシーの「ケークウォーク」は、オケ版での演奏。中間部に「トリスタン」のパロディがあるというのも、にくい選曲だ。このドビュッシーから、本日の演奏曲の解説へとスムーズに話は移行。・・・今回は、プレ・コンサートというより、レクチャーとしての色彩が強くて、啓蒙的な企画でした。ちょっとリラックスしてコンサートへの導入を、という雰囲気にはなり辛かったでしょうか?でも、なかなかクラシック界では、20世紀の音楽を聴く機会も少ないし、こういった企画も意義はあります。今後もいろいろ趣向をこらしての企画を楽しみにしたいと思います。

 さて、プログラム。
 R.シュトラウスの作品は、日本初演かどうか調べられなかったものの、多分そうだろう、との山本先生のお話。CDは、小澤の「アルプス交響曲」の余白に入っているのだが、これは原典版、金管とティンパニのみの版らしい。今回は、R自身の編曲によるオーケストラ版。CDは見つかりませんでした。
 曲は、いかにも機会音楽らしく、華やか、かつ重厚な感じ。ですが、レクチャーで聴いた、ドミソ・シレソ、の古典的感覚から抜けきれていない、前世紀(19C)的なもの。主和音の分散和音をファンファーレ風に金管楽器が模倣していく。それがどんどん盛り上がってゆく、という趣向の曲。途中、「マイスタージンガー」風な、タッタカター、という合いの手もあったりして、ワーグナー万歳ってかんじもしつつも、音楽的には、「隠れ名曲」だ、とまでは主張できない程度の作品か。・・・そう言えば、かの有名な「英雄の生涯」の冒頭にしたって、ベートーヴェンの「皇帝」の冒頭ピアノカデンツと同じ和音構造だったりして、やはりR.シュトラウスは、19世紀をひきづった作曲家であることは再認識できた。

 続く、シベリウス。なかなかアマチュアではやってくれません。確かに、オケも、ソロも難曲ですし。今回の挑戦、大健闘、と称えたい。
 音楽的には、R.の後だと、シベリウスの和音感覚が、古典にしばられていない、というのがよくわかる。不協和感は少ないにせよ、和音の解決感、よりは浮遊感をより感じさせる・・・これは、まったく違った感覚ながらも、続くドビュッシーもそうなのだが。音楽史上のシベリウスの位置、というものが何となく浮かび上がるような選曲、並び方であったということか。

 休憩をはさんで、フランス・プログラム。小組曲。アマオケとしても、フランス音楽入門的存在としてよくとりあげられる(ベルリオーズ、ビゼー、サン・サーンス等々では、おフランスになりきれない。かといって、ドビュッシーやラベルのオケ作品も手が出ない、という我々にとっては、幾分手軽な、いわゆる近代フランス、印象派へのチャレンジの作品となっている。)。
 蒲フィルさんも、山本先生のタクトのもと、フランス的なムード、うまく漂わせていました。棒も結構いやらしく、まるでピアノ曲を作るような、微妙なテンポの変化の連続。それを奏者一丸となって、弦楽器のエキストラさんまで念入りな練習を積み重ねてここまで作り上げていったのには恐れ入ります。私も奏者として、うまく、団員の皆さんの作った世界に乗り込むことが出来ました。

 最後は、お待ちかねな「ボレロ」。正直、客席の雰囲気としては、緊張感の欠如は見られていたのですが(特にシベリウスを客席で聴いていてそう思いました。学校の先生である団員の方も多く、小中学生も多くいましたが、やはり辛いところはあります。)、この曲だけは、客席からの緊張感が感じられました。
 管楽器のソロもそれぞれ、キャラを生かした印象的なもので、それを支える小太鼓も、沈着冷静、確実な演奏(芸大生に応援に来ていただいたのは正解であったと思います。)。個人的には、エス・クラ、ホルンのソロに祝杯を上げましょう。良かったです。プロだと思われるサックス2本もさすが、水を得た魚的なソロなわけですし、色っぽく、感動させてくれました。
 最後の駄目押し、ホ短調への転調からハ長調へ戻るところ1拍で猛烈なリタルダンドがかかったのは壮絶な印象。こんな演奏は聴いたことない。小太鼓もかなりやりにくかったでしょうが、オケ全体がうまく粘って、その解決の大太鼓の最初の1発が快感!私の銅鑼も、ふと、オーケストラ・ダスビダーニャのショスタコの12番「1917年」の演奏がよぎりつつ、かなり燃えました。最後の一発も、すぐ消さなきゃいけないこともあって躊躇しがちな音符だと思いますが(鳴らしすぎるとすぐ止められない)、今回のテーマ「最後に笑うのは俺だ」に従って、躊躇なく鳴らし、全身で楽器に抱きついて自分としては効果的な1打を演出できたのでは?と思っていますが、さてはて。
 
(あと、今回感じたのは、ニールセンの5番がボレロに影響を与えたのか?という問題。これは別途触れておきたいですね。)

 アンコールに先だって、山本先生がマイクを持ち、蒲郡出身で、蒲フィルの音楽顧問でもある先生から団への20周年のプレゼントとして楽譜を贈呈、それが、「亜麻色」のオケ版編曲。とても柔らかな雰囲気の素晴らしいアレンジでした。私の、アンティークシンバル(Ges)も効果的に書かれていて、キラッと存在感を与えるような音色を出すよう工夫したつもり。
 最後は、これは、19世紀にもどってしまったのでしょうが、最近では珍しい「ザンパ」。思いっきり速く、威勢の良い演奏でした。とにかく、ガンガン、いってまえ、という演奏。結構好きだなあ・・・弦、木管の皆さんはホントご苦労様。

 今回も、私の演奏歴の中でも、心に残るコンサートとなりました。今後も、さまざまな趣向で、お客さん、そして団員の皆さんとともに、楽しむことが出来れば幸いです。

 「プレコンサート」

 ちょっと暗めでわかりにくいかな。
 私の好きな光景の一つ。遠くに三河湾、そして竹島。
 個人的には、中学の頃初めてここを訪れたことが思い出されます。
 あぁ、まだ自分は音楽を続けているんだなァ、としみじみ感じ入ったりして。

 ガラスごしに、ずっと中を見ていた一人の子供の姿が印象的でした。
                                                     
 このロビーにてのコンサート。ずっと続けてほしいものです。

 「シベリウス ヴァイオリン協奏曲  リハーサル風景」
                                                          
 いつか、この曲のティンパニは演奏したいですね。ホント、素晴らしいパート譜ですよ。
 こんな重要な役回り、かつ、微妙なアンサンブルに満ちたティンパニ、そうそうありません。

 4月のN響の、テツラフのソロの勇猛果敢な演奏にも慣れてしまったところでしたが、
やはり、着実な手堅い演奏の方が安心して聴けますね。
 シベコン三昧な1ヶ月間、仕事の忙しさ、苦労も忘れさせてくれて感謝。 
       

                                                  
  本番 「休憩中」

 打楽器のセッティングも終了。最後の調整もぬかりなく。
 アマオケにとっては貴重な財産、チェレスタもティンパニ前方に配置。
 チェレスタ使いたい放題なアマオケって珍しいでしょうねぇ。
 うらやまし。


 私は、ティンパニ後方にて銅鑼担当。最後の10数秒までは観客気分?

 とうとう懸案事項であったデジカメを入手。今後、我がHPも多少は、見やすいものとなりますか?
 とりあえず、今回試験的に活用してみました。

 あと、今までの蒲フィルさんとのおつきあいについては、こちら(2000年5月)、とこちら(1999年12月)も良かったら見てください。

(2001.5.19 Ms)
デジカメ映像を追加(2001.5.21 Ms)

デジカメなしVer.


’00 5/7(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第18回定期演奏会


’99 12/5(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第17回定期演奏会(ファミリー・コンサート)

個人史的演奏会鑑賞記

 感慨深いです。私にとっての蒲郡(がまごおり)。かつて、私の中で、蒲郡は音楽の都であった。今もなお、蒲郡での演奏には身が引き締まる思いです。

 中学から吹奏楽で打楽器をやっていたのだが、2年の時、初めてコンクールに出た。その会場が蒲郡。吹奏楽のレベルも高く、指導者にもめぐまれ、既に当時、中学にオケも存在していた蒲郡。私の田舎から車で約1時間。畏敬すべき音楽の都なのである。その蒲郡の市民会館、中ホールでリハーサルし、大ホールで本番を迎えた。ロビーからは海が見える。山育ちの私のとって、ロビーの大きなガラス越しに見える海が、まるで異国の如き雰囲気をも感じさせた。
 リハーサルの前後、他の中学の演奏を聴くことができた。地元の中学の演奏、今なお忘れがたい。
アルフレッド・リードの第1組曲。中世をも思わせる荘厳かつ整然とした「行進曲」。みるみるうちにその音世界に引き込まれた。井の中の蛙が大海を知った衝撃!自分がいかに狭い世界にいたのかをはっきり思い知らされた。と、演奏時間を充分残しながらも、やや唐突に「行進曲」はその歩みを止めた。すると第3曲に当たる「ラグ・タイム」へとひとっ飛び。古き良きジャズの洒落た感覚が、緊張感に満ちた私に朗らかな微笑みを与える。やられた!それにしたって上手い。
 私の聴く限り、全ての団体で、技術、センス、ともに最高だった。しかし、結果は、県大会出場はおろか、金賞も得ず。銀。なぜだ?
 その時の私はふと思う。
これが、コンクールなのだ。ある規格に収まったものに対して優劣をつけるだけのつまらない思考。そのK中学の(きっと先生の判断だろうけど)、反骨心を邪推した。なんてカッコイイ態度であったことか(権威に対する反抗、ベートーヴェンしかり、ショスタコーヴィチなどまさにこれだ。)。この感動が、私の演奏履歴のなかには脈々と流れてはいないか!蒲郡が私に、大海を教えてくれた。そして、また、私は、ロビーから、その時に見たのと同じ海を見ながら、今また、蒲郡のサウンドを聴いているのだ・・・・。

 さて、長い前置きは、いつものことです。早速本文へ。
 何度もお世話になっている蒲フィルさん。いつも、大曲とか、ポピュラー名曲とか、自分の所属しているオケでは実現不可能な企画が目白押しで、いつも楽しませて頂いています。拙い私の演奏ですが、みなさんと一緒に演奏するのが、いつも楽しみなんですよ。さてさて、今回は・・・。

 なんと、オーストリア政府観光局の後援までもらっての、第2部「ヨハン・シュトラウス2世没後100年に寄せて」で小太鼓を主に、ご一緒させていただいた。
 コンサートの全体像としては、演奏会前のロビー・コンサートが20分ほど。今回の指揮者、音楽顧問で蒲郡出身の東京学芸大助教授の山本訓久先生の司会で、ウィーンに因んだ曲の数々を。
 まず、木管五重奏で
「ウィーンの森の物語」。会場前から大勢の観客が行列しており、その人の波は途切れることも無い。そのごった返す中で、思い出残る大きなガラスを前に外光をいっぱい浴びて、遠くに海を眺めつつ、曲が始まる。ファミリーコンサートだけあって、子供達もはしゃぎ回る。しかし、演奏者と同じ高さで、ソファーに腰掛け、あるいは、階段に座り、あるいはふと足を止め、さまざまな人達が気楽に音楽を楽しんでいる。この光景を見るにつけ、音楽を通じての交流の暖かさを感じた。
 続いて、トロンボーン四重奏による、シューベルトの
「野ばら」「菩提樹」。教会の楽器さながらに、ロビーの2階から、天上の音楽の如く、やわらかな調べが我々に降り注ぐ。今回、「運命」とシュトラウス、というプログラミング、トロンボーン4人を擁するオケにしては、ちょっと淋しいプログラム故のことか、この意外な編成は。しかし、洒落た企画だと思った。
 視線がみんな上に行っている間に、ロビーの方は弦楽合奏が陣取り、最後に
「春の声」が演奏された。なかなかに響きも良く、聴きごたえも充分、指揮者なしで、結構テンポの揺れも無難にこなし、アンサンブル能力の確かさもあっての好演。期待充分もって、演奏会のプログラムへ。

 最初に、ベートーヴェンの交響曲第5番。これまた、ウィーンの生んだ文句無しの名曲。ただ、私舞台裏に引っ込んでましたので、不用意な感想はちょっと控えさせてもらいましょう。私も自分のオケで今後、練習を開始するとあってリハーサルもしっかり聴かせていただいたのだが、やはりアンサンブルの難しさはただものではない。ちょっとのミスがすごく気になる。ティンパニは、本気で恐い。認識も新たに、自分によくよく言い聞かせた次第。

 第2部。いきなり「常動曲」。テレビ「オーケストラがやって来た」懐かしいなァ。ホントにワクワクしながら、今日はどんな音楽が聴けるんだろう?と待ち望んでいた小学生の頃の私が頭をよぎる。鉄琴のソロも、遠くのコントラバスとのアンサンブルを気にしつつ、なんとか無難に。銅鑼のソロも目立ちすぎず、まずまずのスタート。それにしたって楽しい曲だ。ソロの受け渡しもおもしろい。お客さんもリラックスできたんでは?
 今回は、当団の管楽器トレーナーでもある、愛知教育大学助教授の新山王先生のお話、進行。おだやかな口調な優しい雰囲気が漂う。ちょっと緊張気味、不慣れかなということも感じたが、それがまた味だったりする。
 続いて
ワルツ「親しき仲」。喜歌劇「こうもり」の中の旋律をつなげたワルツ。そう言えば、今年のシュトラウス・イヤー、刈谷(3月)でも「こうもり」、名古屋シンフォニア(7月)でも「こうもり」、人並み以上にシュトラウスづいていた私にふと気付く。

 そして、また記憶をたどり始めるのだ。その昔、私が吹奏楽コンクールのため蒲郡に来るより数年前、シュトラウスが好きだった頃があったな。小学6年の頃か。ワルツやポルカを真似て作曲したものだ。当時最も気に入ったのが、弟ヨーゼフのワルツ「天体の音楽」。望遠鏡買ってもらったのと関係があるかどうか知らないが、その「天体の音楽」に真似て、曲を書きました、といった手紙をテープとともに音楽の先生にプレゼントしたっけなぁ。随分色あせた思い出。閑話休題。

 テンポの変化についていくのが大変だ。ワルツは。先生も容赦無く、妥協無く、自由な演奏スタイルの再現を試みる。ただ、バイオリンの後ろのあたり、つまり私のすぐ前あたりまで、なかなかその思いが浸透してない面も多々あったものの、善戦はしてました。
 
「アンネンポルカ」。テーマのバイオリンのグリッサンド風な歌い方が、女性の甘える仕草を想像もさせるが、新山王先生の解説では、キリスト教の聖人アンを称える曲とかで・・・ふーんそんなものかいなぁ、とも思いつつ、これまたテンポの変化を堪能させていただいた。
 
ポルカ「町と田舎」。ゆったりとした「ポルカ・マズルカ」。小太鼓が叩きづめで(弱奏がほとんどだが、突然3拍にアクセントがあったりして)楽しい。途中、リムショットがあるのも驚き(枠打ちのこと)。木こりが木を切る音にも感じられる。最初、意味を取り違えて、鼓面の端を叩いていた。まるでバルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の第2楽章だ、と思っていたのだが。ちょっとイメージが相違してました。また、気になる曲名のいわれはよくわからないか゛、トリオでチロルのヨーデルをクラリネットが奏でるのが田舎の象徴というわけか。無関係ながらも、なんだか、中学2年の私のエピソードも思い出す。
 田舎から出てきた私と、「蒲郡」というとの出会い。その出会いの瞬間と同じく私は、15年以上たった今、同じ地でまさしく小太鼓を叩いている。緊張してカチコチになってた当時とは違い、余裕で、音楽を楽しみながら、他の奏者の動向も、指揮者も、お客さんの反応も感じながら、好きだったシュトラウスを演奏している。ホント、感慨深いのだ。
 さて、次が今回の大ヒット、
ポルカ「ハンガリー万歳!」。速いポルカで、いわゆるジプシー風な派手さを持つ佳曲だ。こんな曲と出会えたのは幸せだった。この夏のハンガリーの旅行も思い出したりして。生き生きとした民族舞踊。憂さを忘れさせる興奮がある。新山王先生の曲紹介で、しきりに、ウィーンフィルの伝統に基づく演奏スタイルの再現を聞き逃し無く」というリフレインが、団員の苦笑を誘う。よっぽど凄いことか、と客を思わせ、実は、そのココロは、最後の小節の後で、団員みんなが、「ヘイ」といって立ちあがるだけのこと。これが、また楽しかったね。私も「我が意を得たり」と、バチを高らかに振り上げて、威勢良く立ちあがったつもり。こういうノリ大好きです。あと、コーダで、ハンガリーの愛国歌「ラコッツィー行進曲」が倍速で引用されているのには、新山王先生に言われるまで気がつかなかった。てっきり、伊福部昭の怪獣映画音楽の「自衛隊マーチ」の元ネタかと思ったいたぐらいだ。しかし、さすが、民主主義者ヨハン2世だ。そして、ヨハン1世の「ラデツキ―行進曲」こそ、ハンガリーの独立運動の鎮圧者を称える曲なのだ。こんなところで父子の相克を垣間見るとは。みなさん、「ハンガリー万歳!」オススメします。また、途中、古賀メロディーみたいな短調の旋律が泣かせます。日本人の心に響くものあり、と感じました。と同時に、もとろん当時のハンガリー人の熱狂ぶりも想像してしまう。
 最後に、定番
「ドナウ」。第1ワルツ冒頭の小太鼓の合いの手。コンマスに助けられました。すごくわかりやすい体の動きで、合わせやすかったです。気持ち良い演奏ができた、と個人的には思います。お客さんも気持ち良く鑑賞できたことでしょう・・・。
 あと、そう言えば、今回の見所として、名古屋シンフォニアの 
I 嬢が何年ぶりかでシンバル担当したと言う点か。不慣れながら頑張ってました。合わせるべき、団員の大太鼓の方が、ちょっとミス多かったような・・・・。ま、それは置いといて。
 アンコール。これまた定番
「狩りのポルカ」。ただ、東京ディズニーランドまで行って買ってきたというオモチャのライフル、打楽器パートでは演奏せず、急遽他のパートの団員が歩き回りながらやることとなったはいいが、どこで撃つかがわからず、ところかまわず打つは、舞台に出てきて不発、また舞台裏に戻ったりと、滅茶苦茶で、喜劇をみているようだった。指揮者の苦笑い、に私は同情するが、前の方で聞いていたおばァちゃんが、えらく喜んで拍手してたのが印象的。ま、ウィーンでもやってるようなニューイヤーコンサート的なギャグとして笑えば済まさせる程度のことか。演奏中、マジで大笑いしてしまった私。こんな経験もそうそう無いだろうな。
 そしておおトリは、
「ラデツキ―行進曲」。ドラムソロまでやらせて頂いて、恐縮です。しかし、私の打楽器の道程の出発点こそ、小太鼓、行進曲。やっば、好きなんですよ。体に染み込んでいるのだろうか。行進曲は楽しい。始めて合奏に加われた時の喜び、大切にしています。そして、今、拙い歌心に乗せて、行進曲の小太鼓を演奏するとき、あぁ自分は変わっていないなあ、自分は自分なのだなぁ、と強烈に感じることができるのです。
 私に、さまざまな喜びを与えてくれた「蒲郡」、そして、クラシック音楽の駆け出しの頃の自分の姿、連続してゆく自分史のなかでこれからも、おりを見て思い出したい、そして胸にしまっておきたい、そんな気持ちになりました。

 感慨深いのです。私にとっての蒲郡(がまごおり)。かつて、私の中で、蒲郡は音楽の都であった。今もなお、蒲郡での演奏には身が引き締まる思いです。「いいじゃん、がまごおり。」
(注、東海地区の人にはお馴染みのこのフレーズ。蒲郡競艇のテレビCM。飯島直子が言ってたなあ。ローカルCMなのに大したものだと思ったもの)

千年代最後の我が記念日に思ふ(1999.12.7 Ms)


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