アマチュア・オーケストラ応援ページ

 アマオケ指南役?

 ティンパニ・パート譜 傾向と対策

 

 アマチュア・オーケストラで打楽器を担当している私のささやかな経験なども、このアマオケ応援ページにて紹介させていただきましょう。もうかれこれ15年を超える経験の中で、いろいろな作品、パートを担当させていただきました。最近の手首の負傷で何となく将来もずっと今までどおり続けるのも大変だと思いつつ、何か、自分史的にアマオケの総括などし始めてもいいのかもしれない、と思いつめることもあったりするわけでして、基本的には自分のために、一度、自分の演奏を振り返ってみようとも考えた次第です。

 さて、まずは、ブラームスの交響曲のパートを題材に進めてみましょう。私は実はあまり多くの作品に巡り合ってきたわけではないけれど、ブラームスだけはおかげと全曲舞台に乗せる事ができましたし、皆さんも手掛ける機会も多いでしょうし、何らかの参考になれば、という思いでひとつ書いてみましょうか。私の演奏活動の集大成、のつもり・・・そんなたいそうなものじゃあないですが。

(2002.9.23 Ms)

ブラームス

交響曲第1番

 古今東西、これほどにティンパニが重要な位置を占める交響曲もないでしょう。唯一、比較対象となり得るのは、もちろん、ベートーヴェンの第九ぐらいのものでしょう。この2曲はティンパニストにとってのバイブルだと思います。奏者としての力量が問われるとても恐い曲でもあります。
 個人的には、大学3年のとき、初めて定期演奏会でのメイン・プログラムのティンパニを担当した際の曲ということで、思い出深いものがあります。今までで一番、時間をかけていろいろ思い悩みつつ曲を仕上げた曲です。出来は正直不満だらけでしたが、自分の力ではここまでかな、ということで、2度目の演奏の機会はとりあえず今のところずっと断り続けています。

<第1楽章>

 冒頭からしてもう悩みの種です。単なるCの音の連続ですが、曲全体の厳しさを象徴するような雰囲気が出せるかどうか。重厚感ある、深みのある、余韻のたっぷり含まれた音が、ムラなく叩けるかどうか。そして、何としても両手を交互に使いたいところです。ムラになるから片手でずっと叩く、というのではプライドが許さない。また、2つのティンパニを両手で叩くという奇策もありますが、ちょっと抵抗ありますね。山本直純氏の指揮でそんな演奏を見たことはありますが。
 正直なところ、ひたすらティンパニの前に座って、自分の叩く音に耳を傾け、自分で解決していただくしかありません。
 私自身の経験では、固すぎず柔らか過ぎず、ミディアム・ハードの撥を使用し、手首の瞬発力ではなしに腕全体の重みを利用するような感じで叩いてはみましたが。練習の成果あって、両手のムラは解消されていたとは思いますが、最低限そこはクリアしたいです。
 ちなみに同様のCの音は、コントラバス及びコントラファゴットも演奏しているので、特にコントラバスとの連携は考慮に入れて。揺るぎ無いテンポで。ティンパニストがフラフラしてたらもうアウトです。また、バス・パートに書かれた、ペザンテ(重々しく)と、スラーにも注目。ティンパニもそのニュアンスを出すよう心がけたいところです(敢えてティンパニにそれらの表示はないですが、トゲトゲしい音では決してないはずです。)。
 学生オケ内の情報網から、どこぞの指揮者は来団早々、いきなり1時間もこの冒頭のティンパニを捕まえて、これでもダメ、あれでもダメ、と延々やられたらしく、戦々恐々だったのですが、私の時の指揮者は(東京でオペラなどで活躍中の、それこそ有名な方だったのですが)、合奏中の指示もなく、個人的にお話をしにいっても、あっさりいいよ、という感じで、直接この部分の演奏のヒントは得られず仕舞いでした。
 ただ、ティンパニはコントラバスのように、コントラバスはティンパニのように・・・・という抽象的な言葉は記憶にあるのですが、これを具体的に語るのはなかなか困難です。
 
 8小節目からクレシェンドがありますが、そのまま、楽譜どおりクレシェンドしたいところです。クレシェンドの開始のところで一度音量をおとす演奏もありますが、テンションが低くなるようで私は好みません。ただ、クレシェンドの先が、フォルテ一つです。冒頭もフォルテ一つ。ということで、あえて、クレシェンドの先をフォルテ一つにするため、クレシェンド開始前に音量をおとすという選択はあり得ます。しかし、ちょっと待って下さい。

 スコアを見ますと、全部のパートがフォルテ一つで始まり、クレシェンドの結果、フォルテ一つになっています。果たして全てのパート、そんな音量で演奏するのだろうか?生理的には、開始したときの音量より、当然大きくなって9小節に落ちつくのが自然だと感じます。
 そこで、某プロ指揮者でベートーヴェンを演奏したときの話を思い出しました。ベートーヴェンの楽譜を見ると、小節の頭ごとにフォルテが頻繁に書き記されていたりすることがあります(ピアノ・ソナタなども)。どうみても、音量記号のフォルテとしては不自然な記載です。スフォルツァンドの意味で、フォルテが使われることがあるというのです。
 また、フォルティッシモでずっと来て、続くフレーズでフォルテ、と出てくる場面があり、これも、演奏してみると、何故ここで音量をフォルテ二つから一つに音量をおとすのか意味不明なわけです。そこでその指揮者曰く、「フォルテとは本来、強く、との意味である。原則的には、フォルテ(Fの字)の数で、音量の相対的な尺度を示しているが、フォルテ本来の強くという意味を思い起こせば、改めて、さらに強く、との意味でフォルテが使われることもあり得る。」ということです。

 つまりは、ティンパニストのみならず、どのパートにおいても同じことですが、フォルテには三つの意味があり、その前後関係などからどの意味かを判断しなければならないということです。
 原則的には、フォルティッシモより弱く、メゾフォルテより強い、という相対的な音量の指示。ただし、ベートーヴェンにおいて顕著な、スフォルツァンドの意味も二つ目としてあり、また、今までの音楽の流れに対して、改めてさらに強いことを強調させている意味も三つ目としてあります。

 意外と単純なことながら、このフォルテの解釈を原則のみとして理解して、生理に反した、無理な音楽作りをしてしまうことは往々としてありそうですので注意が必要です。必ずしも、フォルテ一つはフォルテ二つより小さい、という訳でないことは意識しておきましょう(メトロノームに書かれた速度の表示が、全く絶対的なものでなく、ただの目安でしかないように、音量も、その都度、事例に応じて詳細に検討すべきところがあります。)。

 さて、そのクレシェンドの先のGの音、スタッカートですので当然短い音ですが、やはり、冒頭のペザンテ感はここまで持続しているわけですので、あまり早く消音し過ぎて、楽器が鳴り終わる前ということでは具合が悪いでしょう。続く2拍目の弦、木管のピアノに移るまで音が鳴り続けていることさえなければ、あまり意識し過ぎない方が逆に良いかもしれません。

 21小節目からはピアニッシモでGを叩きますが、やはりスタッカート。ティンパニのみのリズムですので、ピアニッシモとは言え明瞭に聴き取れるクリアな音色と音量であるべきです。弦の動きも充分意識しつつ、16分音符への移行ももたつかないように。そのクレシェンドの先、25小節目は、フォルテ一つ。他のパートは全てフォルテ二つであることに注意。ここは、ブラームスの繊細、緻密なオーケストレーション故の仕業と理解します。コントラバスは冒頭同様、8分音符でGを弾き続けていますので、それを聴き取る余裕はもって、冷静にフォルテ一つで我慢。クレシェンドはオケ全体と一体感をもって、フォルティッシモの上をいくまで。クレシェンドを効果的に決めるべく、ここはフォルテ一つということで(原則どおりの意味で)良いでしょう。そして、決めは、スフォルツァンドそして楔型アクセント。
 楔型アクセントは、ブラームスにかなり固有な表示と思われます。いわゆる見なれた、「>」という形のものはほとんどティンパニには出てきません。スタッカート的な短い鋭さをも持ったアクセント、という風に個人的には解釈しています。それに加えて、スフォルツァンドなのですから、ブラームスとしては結構衝撃的な打音が欲しいということでしょう。ただし、指揮者にうるさいと言われない程度で・・・・Msには言われたくはない、と言われそうだな・・・。

 序奏から、アレグロの主部へ。
 いきなり、楔形アクセントのフォルテ一発。沈黙の中から突然。タイミングは命。木管の音色が聞こえる程度の音量で。やはり、ブラームスの金管打に対する慎重な音量配慮からか、フォルテ一つのみです。
 この主部で気をつけるべきこと。他の作曲家、さらには、ブラームスの他の交響曲に比べても、この第1番第1楽章は、音符に対する指示がとても細かいです。スタッカート。楔形アクセント。スフォルツァンド。叩き分け、しっかり考えたいところです。また、音量の指示も細かく見落としなく。拍子感も表裏が一見逆に感じられるところもありますし(それは他の作品も多々あり)、結構これを仕上げるのは難しいです。
 ブラームス自身も、この楽章は20年近く、ああでもない、こうでもないと推敲に推敲を重ねたわけで、そんな作曲経過もあって、大変細かく緻密なパート譜になっているのではないでしょうか?そんなブラームスの苦心の跡を我々も辿って、この楽章は特に徹底的に楽譜と対面して、演奏したいものです。

(2002.9.16〜20 Ms)


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