第二十五日  2003年6月30日
第十九日  2003年6月24日
そのU     第14日目〜 
第十四日  2003年6月19日
 昨日は丸一日温泉漬けで骨休め。でも、退屈な一日でもあった。幸いにも台風は日本海へ逸れていくらしい。雨もにわか雨程度らしいというので、8時に出発する。
 八十八カ所霊場では徳島を“発心の道場”、高知を“修行の道場”と呼ぶらしい。初日は6つものお寺を回れたのがだんだんと少なくなり、高知に入ってからは2日に一つのお寺になった。
 27番神峯寺の参道入り口までは計算どおり1時間で着いた。そこからお寺まで4kmとある。狭いながらも民家の並ぶ通りから山に入る。はじめはちょっときつめの登りが、半分過ぎたあたりから険しくなる。ガイドブックには1時間30分とあったが私は2時間もかかってしまった。これだけの長い急な参道、つまりは神峯寺のためにだけ造ったとは、驚きである。見事山門が終点だ。
 山の頂にあるこのお寺、お天気が良ければ土佐湾から足摺岬まで見渡せるとか、でも今日は雲の中。50mさきが見えない。
 お参りを済ませると11時30分。安芸市内の旅館にアポを入れ、好意で造ってくれた二十三士温泉のおにぎりをお昼として頬ばる。
 参道の下りは順調にいった。1時間で下りてしまった。ここから、宿までの道のりは、昨日バスで通っている。自分の居る位置の見当が付くって言うことは、精神的にこんなにも楽なものかと、気が付く。でも、始めての道を歩くことにも意味がある。特に険しい山道をゼーゼー言って登っているときなどは「なんで、こんなことをしてるんだろう?」という声が聞こえていたが、「たとえ10cmでも歩を運べばやがて終わりが来る」と考えられるようになってきた。

 安芸市内に入って、こんな看板を見た。とある会社の窓の所である。屋根がなく吹きさらしではあるがホットする。県や市町村が屋根付きで休憩所を造ってあるのは見てきたが、民間のものは始めてである。
第十五日  2003年6月20日
 久しぶりにお日様が顔を出してくれた。湿度は高く蒸し暑いが気分はいい。
宿を7時30分に出発、国道を避けて旧市街地を行く。阪神タイガースのキャンプ地ならではのものを見つけた。名古屋の私としては、星野監督の活躍はうれしいがタイガースが快調にとばすのには複雑な心境。ドラゴンズも、星野監督も頑張れ!ってところ。
 市街地を抜け、サイクリングロードを行く。海岸の防潮堤を利用して国道と併行するようにある。車が来ないので安心して歩ける。浜木綿の花がきれいに咲いていた。自生ではなく、庭に植えられているもの。
 土佐の海は緑色だ。日本海のブルーではない。これも新しい発見。やがて見晴らしの良い岬にでた。花壇からの脱走兵だろう、アマナを見事な入り江を背景に捉えてみた。
 私の持っているガイドブックは、高知県についての記述が不親切。また実際にも標識が少なく不安になる。28番から31番にかけて宿が載っていない。これが一番困る。予備に持ってきた別のガイドブックにある宿に電話をかける。気持ちよく受けてくれた。
 琴ヶ浜の松並木の間をサイクリングロードは抜ける。これが、実に退屈な道路。なんの変化もないからだ。歩いてる者だけではなく自転車に乗ってる人も同じだと思うがいかが。レンタルの自転車まで用意をしての事業と訊くと、もう一工夫あっても良いのではと、余分なことを考えてしまった。
 予約をした宿は、野市町に入ってすぐの所にあった。時間はまだ午後2時、リュックを預けて大日寺へお参りに行くことにした。
 大日寺は野市町のはずれ、地図では近く思えたのが実際は1時間かかった。納経所で訊くとお寺の近くに沢山の宿があるとのこと、やはり出版社と著者の怠慢があったのでは、と思えてくる。宿はお寺さんに紹介してもらうのも一つの方法かも。
第十六日  2003年6月21日
 二日続きの晴天に、気分も最高に出発をする。28番の参道入り口まで今日は50分で到着、そのまま、29番を目指す。ここは、遍路道が分かり易い。やがて、道はたんぼとその用水路を見ながらになる。水の中で動く者がいる。目をこらすと、ドジョウ、メダカ、オタマジャクシ、アメンボウ、タニシにカワニナと子供の頃、当たり前にいた動物がここでは今、泳いでいる。しかも、梅花藻(写真)まである。驚きである。
 29番を出て、30番に向かう。しかし、「こちらからは行けません。県道へお戻り下さい」と看板がある。ガイドブックとは違うとは思いつつ、県道を歩く。しばらくして「道を間違えてるは」との声。あの標識は、どうも自動車向けのもののようだ。おかげで、29番から30番へは遍路道に入ることができず、自動車での迂回路を歩くことになる。ずいぶんと大回りである。
 高知県に入ってから感じていることではあるが、案内、標識が少なく、特に歩き遍路道への案内が極端に少ない。民家の庭先を通らせるなんてのは行き過ぎで、地元の人の反感を買うのは理解できる。でも、「へんろみち保存教会」なる、任意団体の奉仕だけでは無理もないことかもしれない。徳島県との温度差を感じる。
 高知市に近づくにつれ宿がない。心配したとおり、サンピア高知は部屋が空いていないと断られた。地理が不案内で、高知市周辺の観光ホテルやビジネスホテルでどれがコースをあまり大きく外れなくって済むか見当がつかない。29番の納経所できいても返事はつれない。唯一、リストにあるホテルで持っている地図で場所が確認できた高知プリンスホテルへ電話をする。気持ちよく受けてくれた。料金は高いが料理は豪華、贅沢なお遍路になってしまった。
第十七日  2003年6月22日
 よく降りました。予報では曇りだったのに。お昼頃に一時的に上がった雨でカッパを脱いだとたん、再び雨。本格的な降りでしたね。
 高知プリンスホテルで朝食をとっていると、中年のご婦人から声をかけられた。見ると、昨日29番の前で道を聞いてきた人、霊場から霊場への移動は公共交通機関でするとか、次の30番でも顔を見た。インターネットで1週間も前に宿を予約して廻ってるとか、これも何かのご縁なんでしょうね。 
 今日の予定は31番竹林寺、32番禅師峰寺(ゼンジブジ)、33番雪寺、できれば34番種間寺あたりまで行けたらと7時50分に出発。竹林寺は高知のはりまや橋などの繁華街に近い丘の上にある。麓までは30分で着いたが、それから遍路道で丘を登るのに20分もかかった。でも短いが急な山道を登るのも悪くないと思えてきた。お寺に着くと実に賑やかである。そうなんだ、今日は日曜日、しかも高知市内で宿泊したバスでの巡礼軍団の今日の最初の霊場に違いない。
 霊場をお参りする人も作法も様々である。でも、大別すると三つに分けられる。
    1,バスで、あるいは大型タクシーなどでツアーを組んで廻る人たち。
    2,家族、友人たちとマイカーで廻る人たち
    3,供養、歩きなど一つのこだわりをもって個人で廻る人たち
 ツアーでの巡礼は、移動のための運転手と添乗員、それと霊場を案内する先達と言われる霊場会公認のガイドが同乗している。先達がみんなを誘導して本堂、大師堂でお経をあげている間に運転手と添乗員が乗客の納経帳や掛け軸に朱印をもらう。こんなかたち。
 ある霊場で10人ほどのグループ、私がお経をと、手を合わせると、その集団が読経を始めた。聞くつもりはなかったが終わるのを待っていると、7回繰り返すことになっている「光明真言」と言う梵語の短いお経を4回で止めてしまった。略式として3回の場合もあるとは聞いていたが4回はない。信仰ではなく観光事業化した光景に写った。ツアーに参加している人たちも、要は集団でポクポクとお経を唱えればそれで良いらしい。(光明真言と言うお経は死者の霊魂を成仏させるありがたいお経だそうです)
 今日はデジカメの出番はありませんでした。雨の桂浜、景色どころではありません。霊場への案内標識がどこにもないのです。ガイドブックは大まかな図であるし、雨の中では道路地図を出すこともできない。行き過ぎていないか、とんでもない方向に来てしまったのではないか、との不安がよぎる。地元の人に聞く。間違ってはいない。でも、標識看板のたぐいがまるでない。雨の中での無駄な歩きはしたくない。アパートの踊り場を拝借して道路地図を取り出す。もう少し先を右折、川を渡るとすぐらしい。これで一安堵である。
 今日の宿は民宿である。着いてみると33番雪蹊寺の門前にある。参拝者相手の茶屋を営む典型的なお遍路宿のようだ。部屋に上がるや、洗濯をしてくれるという。これもお接待の一つと、解釈して甘えることにした。

 そうそう、高知プリンスホテルの支払いは、7000円だった。部屋が年期の入っていることを除けば二十三士温泉より安くって豪華な料理などこちらの方が良い。お風呂も温泉の表示がしてあった。ここはお勧めかも・・・・・・・
第十八日  2003年6月23日
 今日は34kmの長丁場である。と、いうわけでも無いが3時半に目が覚めてしまった。昨夜は8時だったっけ、寝たのが。5時になるともう参詣に来ている人がいる。白衣に菅笠、金剛杖の出で立ち。でも、お寺さんの納経は7時からでそれより前の参詣は仏様しか認めてくれない。本当に信仰だけでお参りしてるんだろう。
 山門前に、こんな看板があった。クリックしてみてください。高知市にお住まいの方ならともかく、始めて来た余所の人間にこの地図を頼りに34番へいけって言われても行けますか?しかしこの図は自動車での道順で歩きでは大回りになる。
 雨は降っておらず、薄日が差している。34番までは、車での道も歩き遍路路もそんなに距離差はない。土佐の国もネムノキが花盛り。
 34番でお寺の奥さんが歩き遍路の私を見て、遍路道を教えてくれた。ありがたい、3kmの差がでるとのこと、時間にすると40分であるから。しばらくして昨夜の同宿の女性を追い越す。34番まではバスで来たという。
 教えてくれた道は土佐市まで。土佐市役所あたりからの遍路道が判らない。標識もない。市役所の前の生け垣に腰を下ろし、地図を開いて思案顔。目の前を何人もの市役所職員が通過する。誰も誰もが声をかけようともしない。やっと、見当をつけて歩き出すが、イメージと合わない。再び立ち止まって地図を開く。すると、後ろから声がかかり、70前後のおばぁちゃんが丁寧に教えてくれた。でもこの先、もう一度迷うことになる。 
 あたらなくって良い天気予報が当たってしまう。1時過ぎから降り始めた雨は時間とともに激しさを増す。36番青龍寺へ向けて雨に打たれてあるく。塚地峠のトンネルの手前に休憩所がある。近づくと妙齢なご婦人が近づいてきた。「お接待をしますので一休みされてはいかがですか」って。リュックの重さに肩が堪えていたからちょうど良い頃。「お茶とコーヒーが御用意できますがどちらがよろしいですか」ときた。お茶をお願いすると、団子とらっきょ、キュウリの漬け物がお茶とともにでてきた。車の中にポットなどを用意しているようだ。こんなかたちでのお接待は始めてである。雨で濡れた体に熱いお茶は染み渡る。うれしい一時であった。
 36番青龍寺の手前で、再び昨夜の同宿女性を追い越す。バスを乗り継ぎやってきたという。ところが36番に着くと、彼女はもうお参りをしている。いつの間に?と訊くと、車で送ってくれた人がいたとのこと。納得である。
 宿は国民宿舎土佐。36番の奥の宮の近くでその遍路道を通ると15分との話。20分かかってしまったが、きつい坂道は11番の頃より楽に上がれる。
 露天につかり、下を見るが。。。。。。、霧ばかり・・・・・・。太平洋が見渡せるはずなのであるが・・・・・
万歩計は48,000歩を越えていた。
 窓の外は断崖の海。昨日は見えなかった海岸と島と岩礁が見える。幸い雨は上がっているようだ。
7時30分に出発、ところが少し前から降り始めた雨が見る見る激しくなってきた。かなりの上り下りが繰り返す横浪黒潮ラインと言う観光道路を川のように水が流れる中、歩く羽目になった。靴の中では水があばれている。
 3時間かかって黒潮ラインを下りきった頃、雲が切れてきた。
 須崎市の標識をみてしばらく、「お茶を飲んでいきませんか」の声がした。見ると道路のしたの家から70歳くらいであろうかおばぁちゃんがほほえんでいる。庭先に周り、縁側に腰をおろす。やがて、お茶と生姜湯、お菓子が出て、「どっから来たの?」「名古屋です」「名古屋にはいたことがありますよ」と話が弾む。2年間ほど名古屋の郊外にある療養施設へ努めていたことがあるとのこと。高知の人で、意外と名古屋に縁のある話がよく出てくる。
 市街地近くに「自由にお持ち下さい」と書いて、パンフレットが置いてある。遍路道と宿を紹介してある。高知県に入って、案内標識の少なさに不安かたがた歩いていた身にはありがたいもの。その図にあるように標識も出ている。霊場の無い須崎市がこうして面倒を見るのも弘法様を信仰する人が多いから、とは先ほど、お接待にありついたおばぁちゃんの言葉。右の写真は突然現れる巨大なコンビナート。住友セメントの工場です。
 今日の宿は、番外霊場の大善寺門前にある柳屋旅館。作りは時代劇に出てきそうな旅籠といった感じ。部屋にテレビ、エアコンは付いている。おかみさんの話によれば、築120年とのこと。窓の外には2階の屋根をしのぐほどの大きなウチワサボテンが花をつけているがこれが100年になるという。気さくなおかみさん、よき時代の雰囲気も感じられる、良い宿です。
第二十日  2003年6月25日
 激しい雨の音で目が覚めた。時計は午前3時30分。名古屋なら梅雨末期の大雨と楽観的に見るのだが、ここ高知ではこれぐらいの雨は普通とか。
 宿を出る頃には雨はすっかり上がっている。おかみさんにお礼と納め札を差し出す。近頃は、宿泊客でもお納め札をおいていく人はほとんどいない、とありがたがられてしまった。
 峠を越え、トンネルを抜けるとこんな良い景色が見られた。でも、バブルの時代に造られたレジャー施設の多くが立ちゆかなくなっているという。
 今日のコースは、37番岩本寺までの32km。ガイドブックによると国道を離れての遍路道が二つある。最初の遍路道は国道の2倍近い距離と急な山道になりそうなので敬遠。おかげで、こんな景色にお目にかかることができた。
 もう一つの遍路道、整備されていて歩きやすい、とガイドブックにあるのでそちらを通ることにした。林道をしばらく標識にしたがって歩く。すると、右の写真のように山の中へと分け入る案内。ここから約1時間15分厳しい登りの山道がつづく。11番への遍路ころがしと比べれば距離では1/4、だが険しさは同じくらいのところが多い。けっして歩きやすいとはいえる道ではない。その昔は、今の国道のあたりは険しい崖の海岸で何人もの旅人が波にさらわれたとか、でこうした山越えの道ができたのであろう。
 国道55号線に合流したのは12時に近かった。ここから、37番岩本寺まで13.5kmとある。ひたすら歩くのみ。わずかなアップダウンも、山越えのダメージなのか足にこたえる・
 学生風の遍路2人、乳母車に手荷物を入れて押している70代の遍路。今日は3人の遍路に出逢う。休憩の取り方が違うから、自然に追い越したり追い越されたり。

 きょうの宿は、岩本寺の宿坊です。今のところ、団体さんが8名、個人が私独り。「佛心」と書かれた掛け軸のある床の間の付いた部屋に通されたが、テレビがない。退屈しそうだ。
第二十一日  2003年6月26日
 朝、外を見ると一面の霧。北側は無い。海からの霧のようだ。6時に間に合うように準備をして本堂で待つがいっこうに朝の勧業が始まる様子がない。やむなく、朝食を撮り、7時に出発。7時ちょっと前から勧業の声がいているが間に合わない。和尚さんの都合で変更になったようだ。
 連続しての強行軍、さすが今日は体が重い。思ったように足が前に出ない。しばらく歩いて気が付いた。ゆるい登り坂かかっていた。この坂だんだんと厳しくなり1時間15分続く。
 佐賀町に入ってしばらく、左の写真のお地蔵さんが祀ってあるのを見た。誰かが毎日掃除や管理をしているようできれいにしてある。休憩かたがた般若心経をあげる。
 国道56号線を歩く。目指すは大方町井の岬にあるホテル井の岬温泉。ところが正確な距離が分からず電話のタイミングがなかなかつかめない。佐賀漁港へあと2kmの標識をみてようやく電話をする。これで今日の宿は確保。佐賀漁港からは海沿いを歩く。大方町に入り、国道はトンネルへ。ホテルは旧道を海岸に沿って歩くとあるはず。でも、看板がひとつもない。結局、今日も32km歩いてしまった。
 年期の入った建物平屋一部2階建てのこぢんまりとしたホテル。でも夕日がきれいに海に映える。明日は、中村市でのんびりしたい。温泉のあるホテルをネットでリストアップしてある。 
第二十二日  2003年6月27日
 今日から四週目に入る“お四国”さん。ガイドブックを信じるなら540kmあまりを歩いたことになる。しかし、当の本人にはそんな感慨も何もない。これも不思議でならない。
 7時45分に出発する。今のところ、雨は降ってない昼過ぎまで持ちこたえることを願う。昨夜の温泉とマッサージ(自分での)が効いたのか足が軽い。
 入野松原という海岸沿いで前方に二人のお遍路さんを見る。二人とも若い感じがする。あまり距離が縮まらない内に二人は下田の渡しのルートへと進んでいく。私は中村市内の国民年金保養所・サンリバー四万十に予約が入れてあることから、国道を進む。大方町から中村市への峠はネムノキの花が散開する。いつ見ても神秘的な花だ。
 10時頃から降り始めた雨は、10時半には本降りとなった。一生懸命に歩けばお昼には宿に着いてしまう。予約の電話の際、チェックインの時間を聞くと4時という。その時間まで荷物を預かってくれないかと頼んだら、到着次第お部屋を使っていただきます、ときた。言ってみるものですね。

 近くのファミレスでゆっくりと昼食をとった後13時ちょうどにチェックイン。ここもかなり年季の入った施設のようだ。温泉といっても1000mボーリングして当てたものとか、立ち寄り入浴の地元の老人。
 一休みのあと、街のコインランドリーと散髪に行ってきました。やはり、最低限の身だしなみは必要ですね。
 歩いていて、けっして楽ではありません。でも、無理をしているわけでもありません。宿の関係で無理をしなければ行けない日もあるようですが、歩き遍路に対して地元の人は意外に親切で昼前後に電話をかける宿はホテル、旅館、民宿を問わず、気持ちよく受けてくれます。

 足摺岬の38番札所から39番にかけてが宿の関係で無理をしなければいけないかもしれません。足摺岬へはもう1泊する必要がありそうです。
第二十三日  2003年6月28日
 宿の朝は遅い。いわゆる併設のレストランでの朝食が7時30分からだ。遍路宿は6時から要望に応じてくれる。
天気予報が良い方に外れた。雲が雲がきれ太陽が顔を見せる。2日続きの温泉の効用か、体が軽い。ちょっとバランスがとりにくいほどである。30分ほど歩いて四万十川にでた。朝のラッシュ時とあってか車がひっきりなしに通る。ここいらで河口まで7kmぐらいであろうか、水が青い。 
 橋を渡ると、堤防を下る。歩道のない堤防道路、名古屋近郊でも木曽三川の堤防道路が便利だが車で走っても怖い。歩行者となるとまだ怖い。
 四万十といえば川船である。釣り竿に餌をつけて何かを釣っている漁師を見る。今は船外機を付けている。
 河口の野鳥公園まで結構長い。二時間もかかった。ここから、道は山にはいる。 
 右に大文字焼きの山を見る頃から国道321号線も勾配をきつくしていく。そして新伊豆田トンネルを抜けると土佐清水市である。しかし、このトンネルやけに長い。1620mと表示。入り口から見える出口の白い丸が、歩けども歩けども大きくなってこない。進むに連れ照明も暗くなる。歩行者には立派な歩道があるが、下がでこぼこ。あまり親切な設計とはいえない。抜けるのに、15分を要した。15分といえば、中央道恵那山トンネルを車で抜ける時間であるからいかに長いか察しが付くと思う。
 山を下りて海に突き当たるのが中村市と足摺岬の中間地点。今日はここで宿を取った。名前が良い、「旅館。安宿」アンシュクと言ってた。旅館というより民宿の感じが強いがのんびりとできる。
第二十四日  2003年6月29日
 途中何度か目は覚めたが4時まで眠ることができた。明るくなったばかりの外を見るとお天気は良さそうだ。6時から食事、昨夜の夕食もそうだが旅館の食事というより家庭料理といった方がいい感じ。宿泊代6000円では安い感じがしない。4300円の民宿の方がいい料理だった。
 朝日の中を歩くのは実にいい気分がする、土佐湾をてらす朝日を眺めながら、打ち返しに備えて宿候補に注意して歩く。室戸岬と違い、海岸線は比較少ない。結構きついアップ・ダウンがある。以布利を過ぎてからの坂の途中でのスナップを見てください。この後国道はトンネルを経て土佐清水の市街地へ向かう。足摺岬の東海岸道路へは小さな標識があるのみで、地名を知らないものには判りづらい。
 遍路道というものは、いわゆる昔からのものだけではないようだ。太平洋の荒波に削られるこの海岸、砂浜をうち寄せる波を気にしながら歩いたもののようだ。その一部が残る。ただし、この遍路道は潮の加減にによって通れない時間があるとのこと。それはご免被る。ヘヤーピンカーブを短絡するための山道なんかはとってつけた感じがしないでもない。
 こんなことぐらいしか考えることがないような代わり映えのしない道路がつづく。所々拡張工事をしているが軽自動車でもすれ違いができない所も残る。そんな中、掘っ建て小屋ではあるがこんなものを見つけた。いかにも手作りといった感じが心地よい。
 東海岸は観光から見ると裏通りである。突然に現れた足摺岬の遊歩道を示す小さな標識に、とまどってしまった。時間は2時、今夜の宿に決めた足摺国際ホテルへは3時頃に入ると伝えてある。「天狗の鼻」とある方向へ入って行くと、お遍路姿から判断したであろう、「お寺さんへ行かれるのではありませんか」と声がかかった。道が違う、という。親切に感謝しつつ、景色の良いところを聞くとやはり天狗の鼻とのこと。灯台を含めた景観に浸る。
 今夜の宿としたこのホテル、今まで泊まったどこよりもやはり格式がひとつ上。施設は多少年期が入ってはいるがルームサービスも、食事もいい。値段も良いがカードでの支払いも良いと言うことなのでこれもいい。
 お天気が良ければ日の出が見られるかもしれないロケーションなのに、厚い雲に覆われている。朝風呂は五時半からという、さっそく浴びに行く。団体さんが体を洗っている。内風呂はオーバーフローしていて気分が良い、しかし露天はお湯が循環しないのかゴミと垢と毛が漂っていた。
 朝食は六時半に依頼しておいたのに6時20分に仲居さんが呼びに来てくれた。

 7時に出発、すぐに登りになる。やがてそれがスカイラインであることに気が付くのは30分近く登ってからである。標識が地名であったことが海岸沿いの道への分岐点を見落とした原因のようだ。全行程3時間あまりのスカイライン行程の内2時間登って1時間くだって土佐清水の市街地に着いた。さかな広場の中のレストランでモーニングセットを食べる。みそ汁が付いてきたのには驚いた。こちらの喫茶店では「モーニングサービス」は聞いたことがない。名古屋では「モーニングサービス」は店の特徴の出し所、ということでトーストからゆで卵、サラダまで付くところもある。もちろん飲み物の代金で時間限定であることはいうまでもない。
 ところが、こちらでは、「コーヒー」とオーダーすれば、コーヒーだけでてくる。名古屋地区ではおなじみのおつまみもない。
スカイラインから豊後水道方向を見る
 スカイラインからは場所によって、土佐湾が見えたり、豊後水道が見えたりする。今日は海と空の境が判らない。上の写真、船が2隻写っているのがおわかりになるかどうか。
 市街地から峠を越えトンネルを二つ抜けると、昨日足摺岬に向かった道に戻る。三原へ向かう分岐点までに最後の民宿・久百々に着いたのは2時半だった。今日の泊まりは私を含めて3人。明日は山越え26kmほどの行程です。
(26番・金剛頂寺〜27番・神峰寺 -2- )
(27番・神峰寺〜28番・大日寺)
(28番・大日寺〜30番・善楽寺)
(30番・善楽寺〜33番・雪蹊寺)
(33番・雪蹊寺〜36番・青龍寺)
(36番・青龍寺〜37番・岩本寺 -1- )
(36番・青龍寺〜37番・岩本寺 -2- )
(37番・岩本寺〜38番・金剛福寺 -1- )
(37番・岩本寺〜38番・金剛福寺 -2- )
(37番・岩本寺〜38番・金剛福寺 -3- )
(37番・岩本寺〜38番・金剛福寺 -4- )
(38番・金剛福寺〜39番・延光寺 -1- )