
観音堂の前で般若心経を唱えていると、にわかに賑わしくなってきた。回向文の後振り返ると、ワゴン車での一団である。本堂へ降りると、先達らしき人が読経に入るところで、初めて、私と同じお経を聞いた。巡礼も、講により般若心経の唱え方が違うらしい。
納経所で、最寄りのバス停と時刻を聞く。起点と終点、それと海の上以外は乗り物に乗らないと、誓っていたのに歩く気力が無くなってきている。ところが、バスが、17時50分とか、歩いてもその時間には常滑駅に着いていますよ、ときた。
観念をして、歩くことにする。これも弘法様のお導き(?)と思って。参道を出るころには暗闇が迫ってきた。真っ直ぐに坂を下り、旧国道に出る。だんだんと注意力が無くなっているのが怖い。気がつくと、赤信号を渡っている。信号を待っていた自動車は黙って渡らしてくれた。ごめんなさい。
暗い町とはこれだけ心細いものか、今自分がどのあたりにいて、どのくらいで駅に着くか、まるで分からない。座りたい。座りたいと思った。たぶん、それで動けなくなるだろう、がんばれ、と自分を励ます。どれくらい歩いたころであろうか、見覚えのある交差点に来た。ここを曲がれば後数十メートルで、常滑駅だ、と分かったとたん、自分を取り戻していた。常滑駅到着 17時40分
63,64,65番は次回に繰り延べることとなった。内海駅から、常滑駅までの万歩計 44.730歩 歩行距離 28.8km。ちょっぴり悔しさをかみしめての帰宅。
62番札所 御嶽山洞雲寺
常滑市井戸田町2−37 西yま浄土宗 本尊・阿弥陀如来
往古”御嶽三百坊”と称した高讃寺の一院であったろうか、戦国時代、織田今川の戦がこの地にまで及び、さらには九鬼水軍の兵火略奪に遭うなどしてみる影も無くなった、とある。
本尊の阿弥陀如来は、御嶽の池の改修などにあたっていたところ、池の中から拾い出された、ともある。
段丘の観音堂には薬師如来、観音菩薩、弘法大師がまつってある。
ホームページが開設してあります。 URL
http://www.gld.mmtr.or.jp/~junk/index.htm
洞雲寺観音堂
洞雲寺境内
洞雲寺本堂

時間は16時20分。太陽は見えなくなっている。冬場の納経所は、7時から17時まで、と張り紙がある。後一つで時間切れとなりそうだ。計画ではまだ四つもある。
高讃寺から西に道をとり市街地へ向かう。しばらく下りが続いた後は再び登りになる。もう歩きたくない、と初めて思った。今までは、足がしびれてもそんな気持ちは起きなかった。最後の気力を振り絞って洞雲寺に到着。大師堂は、と見ると一段と高い丘の上にある。
万歩計 2241歩、1.5Km、所要時間 25分
高讃寺大師堂
大師像
高讃寺仁王門
高讃寺参道
高讃寺遠景
伊勢湾の夕景
61番札所 御嶽山・高讃寺
常滑市西阿野字阿野峪71 天台宗 本尊・聖観世音菩薩
白鳳12年、行基菩薩が天武天皇の勅願寺として開創された、と伝えられる天台宗の古刹である。十数段の階段を上がると、両脇を仁王様がかまえる山門がある。続く参道には傾きかけた夕日と相まって威厳を感じる。本尊の聖観音菩薩は厨子入り秘仏、檜材の寄せ木造り像高154cm、藤原時代の作、とある。

常滑市の丘陵部を走る国道247号線バイパスを進む。歩道があるのはありがたいがだんだんと歩くのがつらくなる。
突然、左側の視界が開けたきた。夕日に輝く伊勢湾がきれいだ。やはり、空港の工事船が数え切れないほど、沖合に停泊する。対岸は三重県の四日市あたりか、そちらの空にもやがかかっているように見える。中央高速道を使って、多治見へよく行く。帰り道、名古屋の上空をもやのドームが覆っているのを見かけることがある。都市と、田舎の空気の違いを見るように思われる。
国道のバイパスは、上り下りが繰り返す。自動車で走っていても分かるから歩いていては結構きつい。いくつかの峠を越えると、紅葉に包まれた。高讃寺が見える。
万歩計 3114歩、2.0Km、所要時間 30分
安楽寺大師堂
安楽寺本堂
安楽寺参道
安楽寺と伊勢湾
60番札所 大光山・安楽寺
常滑市苅屋字深田101 曹洞宗 本尊・阿弥陀如来
安楽寺は苅谷城趾と対峙して堂宇がある、とあるが苅谷城趾がどこにあるかは分からない。完成して間もない階段と庫裡がまぶしい。

時間は15時。今日の計画を達成するには、時間が厳しくなってきた。2時間近く足りない。玉泉寺の納経所で、そんな話から、徒歩巡礼の人のほとんどが、野間から大谷までバスに乗るとか聞く。「いや、それは巡礼のために歩く人で、私は、歩くために巡礼をしてるの」の話が通じたかどうか。もしそうしていれば、休憩の時間を入れて2時間省略できたことになる。ここで、お接待として、ミカンをいただく。
しばらく、国道を北上して、南陵中学校を右折、丘陵部に入る。このころから、足の裏に異変を感じ始める。右の薬指の裏と、親指の根本の肉丘がが痛くなってきた。消防署を左へとる。区画整理でできた農道を行く。下りにかかると、左手前方に安楽寺が見えた。見下ろす斜面の向こうには伊勢湾が低くなってきた太陽に映える。ここで休息、先ほどのミカンを食べる。見てくれは良くないが甘くてみずみずしい。
万歩計 2605歩、1.7Km、所要時間 35分
玉泉寺観音堂
玉泉寺本堂・大師堂
玉泉寺山門
59番札所 萬年山・玉泉寺
常滑市大谷浜条5 曹洞宗 本尊・延命寺蔵菩薩
本尊に安置する延命地蔵尊は、説に聖徳太子作、厨子入り秘仏で12年に1度ご開帳が行われる、とある。境内には蘇鉄の大木が茂る。

来応寺から国道を200m足らず、斜めに入る路地の奥に、玉泉寺がある。路地の奥には常滑名産である土管と大瓶に弘法様が祀ってあった。
万歩計 362歩、0.2Km、所要時間 5分
来応寺境内
来応寺大師堂
来応寺本堂
58番札所 金光山・来応寺
常滑市大谷奥条27 曹洞宗 本尊・如意輪観世音菩薩
国道沿いの白い土塀に囲まれて立つ。前にはには蘇鉄が茂る。別堂に薬師如来と十二神将がある。本堂と棟続きに大師堂がある。蘇鉄の根本にある銅像は吉房嘉市翁と千代夫妻を顕彰し、称して”命ながし”という、とある。

58番来応寺はここから北へ100mの国道沿いである。鼻歌も始められずに到着。
万歩計 144歩、0.1Km、所要時間 3分
曹源寺大師堂
曹源寺全景
番外9番札所 金鈴山・曹源寺
常滑市大谷屋上155 曹洞宗 本尊・阿弥陀如来
創建は天文3年(1534)前後、江戸時代以降、隣接する八幡社の別当を兼ねていたことから、宮寺とも称して俗に”厄よけ大師”という、とある。また、往古は天台宗であった、ともある。仏教のことはなにも知らない。しかし、天台宗と言えば、東大出の作家から出家して話題の瀬戸内寂聴さんもそうだと記憶している。せんだって書店で見つけた”痛快!寂聴仏教塾”には、出家の動機がおもしろく書いてある。曰く、「もし観世音菩薩の名を唱えていれば大火事に遭遇しても、その難を逃れることができる。””まさに襲われて被害を受ける寸前にでも、観世音菩薩の名を唱えれば、敵の持っている刀などの武器が壊れてしまい、危機を脱することができる。”など、まるで現代のスーパーマンであるようなことが書いてある観音経を信じているわけではないが・・・」で始まる一説が興味を引いた。



これで、美浜町はおわり、次は常滑市です。地図での計算距離は8.0km、2時間の行程です。
報恩寺を出るときに数人の学生らしき人と出会う。後を歩く。やはり、一生懸命に歩いても距離が縮まらない。
やがて国道247号線に出る。このあたりも、シーズンにはラッシュが繰り返されるところであるが今日は静かだ。時刻は、12時50分。コンビニを見つけて、おにぎりを買う。ここいらも周囲が田圃であったところですが今はほとんど見えない。店やアパートがならぶ。先ほどからの学生が一人、また一人と路地へ消えていく。
国道は、せり出した山をさけるようにカーブを切って上野間の交差点にかかる。直進が常滑・武豊、右折が知多半島有料道路美浜インターになる。シーズンには右折車が2〜3台しか通過できないことからここがネックとなり渋滞となる。何年か前、灯台ラーメンあたりからここを抜けるのに2時間近くかかったことを思い出す。
ここから国道を離れて左折、海岸をめざす。この先緩い登りが続く国道をさけ海岸を歩くためです。狭い路地を抜けて海岸に出る。奥田の海岸である。ここいらのの海岸は大潮になると200〜300メートルも砂浜が現れる。息子が高校に入るまでは、毎年2〜3回は会社の同僚を誘い潮干狩りにきていたものだ。よちよち歩きの子供でも安心できる。
浜へ降りる階段に腰をかけ、おにぎりを食べる。今日は足下まで、潮がある。沖には、空港の工事であろうか工事船が何隻も浮かんでいる。
常滑市へ入る。浜は、坂井の海岸という。潮干狩りでお世話になった休憩所をすぎる。誰もいない。その近くの藪の中に弘法様が祀ってある。潮干狩りの時には気がつかなかった。休息をかねて、”般若心経”を唱える。
小鈴谷漁港が見えて、盛田酒造の工場が見えると後わずかで国道に戻る。”小鈴谷”の字を見せて、なんと読むか?の問いに答えた人は私の周りではいない。しかし、このパソコンATOK13で、”こすがや”と打って変換キーを押したら”小鈴谷”と出た。驚きである。
盛田酒造(正式には盛田株式会社)は、日本が誇るあのSONYの創業者で、前会長である盛田さんの実家である。また、”敷島パンも盛田さんの弟の会社であることは以外に知られていない。
国道に戻る。坂にかかると市街地である。下りにかかりカーブをすぎると、番外9番曹源寺である。
万歩計 10,533歩、6.8Km、所要時間 1時間40分
報恩寺観音堂
報恩寺本堂
報恩寺参道
名鉄内海線ガードガード下に立つ石柱
57番札所 乳竇山・報恩寺
知多郡美浜町大字奥田字会下前39 曹洞宗 本尊・西方如来
一段と高くなった段丘に、白い塀に囲まれて真新しい伽藍がある。朝、電車のなからよく見えたお寺だ。西方如来は、阿弥陀如来の別号とある。山門、本堂、観音堂、裏手に秋葉堂がある。観音堂は中尊に弘法大師、左右に”位置や彫観音”と‘梅花観音”を併せ持つという。ほとんどのお寺が、本堂はもとより、大師堂の扉を閉じている。猫、とか泥棒とか聞くが、中にはロックがしてあるのか開かないところや、わずかな隙間からかろうじて賽銭を投じるのみ、というところさえあり、何とも寂しい限り。
切り株から成長

次は57番である。本来は、ここ野間にあるはずの54番が、どういう訳か半田市の亀崎にある。初めて巡礼に出られる方は気をつけて下さい。
報恩寺は福祉大学の入り口に位置をする。右手奥に山を見ながら、田圃の中の道を行く。前回、不思議に感じた稲の状況を注意深く観察をする。これは、どうも刈り取った跡の株から成長した稲が穂をつけているようだ。それだけ、今年の秋が暑かった、ということのようだ。
野間駅から、学生風の女性が降り、前を歩いている。一生懸命歩いているつもりだがいっこうに距離が縮まらない。やはり、歩行速度が落ちているようだ。
突然後ろで声が聞こえる。振り返ると30mほど跡をやはり学生風の男性が携帯電話を耳にあて、歩いている。前の女性たちの跡を追うように報恩寺へ到着。
万歩計 3434歩、2.2Km、所要時間 35分
55番札所 曇崋山・法山寺
知多郡美浜町大字野間字田上50 臨済宗天龍寺派 本尊・薬師如来
通称「お湯殿薬師」と呼ばれるという。平時2年(1160)源義朝が長田父子に忙殺されたところで、薬師堂の右奥に”湯殿跡”義朝像を建立。
法山寺お湯殿薬師
法山寺鐘楼
法山寺参道

これで野間の町をはずれる。河和への街道を歩く。田圃が山あいに切れ込むころ、名鉄内海線の高架をくぐる。野間駅である。山が迫ってきたころに法山寺がある。急な坂道の参道を上がると境内である。この手前にある小川にかかる橋には、源義朝暗殺の陰謀を察知した家臣が駆けつけ、激戦となった由の掲示板がある。
万歩計 3672歩、2.4Km、所要時間 20分
お砂踏み霊場
本堂襖絵
野間大坊本堂
野間大坊阿弥陀堂
野間大坊参道
野間大坊天野邪気
51番札所 鶴林山・野間大坊
知多郡美浜町大字野間字東畠55 真言宗豊山派 本尊・開運延命寺蔵菩薩
参道入り口では天の邪鬼が迎えてくれる。参道が杭で三つに区切られてお百度参りでもするところのように見える。山門は、通行止めになっているので、脇から入ると、”本四国お砂踏み霊場”を抱えた本堂が建つ。寺宝に「源義朝最後の絵解き」があり、国の重要文化財に指定されている、という。
濡れ縁には、お札、お守り、巡礼グッズなどが所狭しとならんでいた。
夫婦和合縁結びの弁天様との説明がある
源義朝の墓
首を洗った池
大御堂寺山門
大御堂寺本堂
50番札所 鶴林山・大御堂寺
知多郡美浜町大字野間字東畠55 真言宗豊山派 本尊・阿弥陀如来
広い境内に、山門と反対側に本堂が建つ。野間大坊と併せて広い森に包まれた公園になっている。本堂は1mほどの高床になっていて、小学校の修学旅行で見た鎌倉のお寺の雰囲気がある。
源義朝が憤死したところとして、”首を洗った池””我に木刀一本なりとあらば・・”と悔やんだ故事にちなんだという木刀に願いを書いて山積みになっている墓などがある。日長一日、のんびりするのも悪くないところとおもう。
案養院大師堂
案養院本堂
案養院全景
53番札所 鶴林山・安養院
知多郡美浜町大字野間字東畠90 真言宗豊山派 本尊・阿弥陀如来
祥歴難関(1077〜1081)白河天皇の勅により創建、宝暦年間(1751〜1764)安要因と改称とある。
建久年間(1190〜1199)源頼朝が父・義朝追善のため再建。天正11年(1419)織田信孝当院で自刃したと去れ、自刃の担当、時世句、臓腑を投げつけた血染めの掛け軸、自刃の部屋などが残るが非公開となっている、という。

密蔵院の駐車場を出て真っ直ぐに西へ歩くと家並みのはずれに安養院がある。こちらは、生け垣で囲まれてほっとする緑がある。
万歩計 297歩、0.3Km、所要時間 5分

安養院から西へ数十歩あるいて突き当たりを右へ曲がると、大きな公園が見えてくる。野間大坊と、大御堂寺はこの中にある。
大御堂寺は無住とみえ、納経帳の朱印は大坊で押してくれる。どちらかと言えば、観光化されているが人の絶えないにぎわしさがいつもある。
万歩計 550歩、0.4Km、所要時間 5分
密蔵院大師堂
密蔵院本堂
密蔵院山門
密蔵院全景
52番札所 鶴林山・密蔵院
知多郡美浜町大字野間字松下105 真言宗豊山派 本尊・不動明王
白い塀にあいた赤門は紅葉の始まった周囲の山にも負けない鮮やかさがある。白川天皇堂宇を建立。祥歴年間(1077〜86)創立、明応9年(1500)密蔵院と改称、とある。
野間は、歴史の古い町で、しかも海上交通路の中継地として栄えたためか歴史にまつわる物が多くある。特に、源義朝暗殺にまつわる生臭い話がこの後に参拝する野間大坊を中心に残る。
ここ、密蔵院も近くに、義朝を埋めて墓標代わりとしたと伝えられる老松がある。本堂、大師堂は平成10年(1998)新築した、という。

52番光蔵院は瑞境寺とは直線距離で100mたらず。家並みを抜けたときに同時に眼に飛び込んでくる。近づいてみると、まるで、映画に出てくる砦のような印象を受けた。
万歩計 438歩、0.3Km、所要時間 5分
瑞境寺大師堂
瑞境寺本堂
瑞境寺山門
瑞境寺参道
56番札所 祥雲山・瑞境寺
知多郡美浜町大字野間字松下85 曹洞宗 本尊・白衣観世音菩薩
静かな山懐に立派な山門を構える。白衣観世音菩薩は聖観音の化身の一つであり、息災除病の本尊として信仰が厚い、とある。境内には名工片岡静観師の手になる観音立像が立つ。大師堂のバックに入れたつもりがあまりはっきりとは写っていない。

56番瑞境寺はイラスト地図で見ると、吉祥寺の裏山を隔てた北にある。しかし、道路がない。国道近くまで戻り、町道を行く。浜辺の町ということであろうか、あまり高い造りの家並みはない。地図にある”看板”を見落とさないように進む。今までの例から、歩いていても見落としてしまうような小さなものが多いからだ。
看板から、右折をする。まもなく人家がとぎれ低い山の懐に瑞境寺を見た。
万歩計 2272歩、1.5Km、所要時間 15分
吉祥寺大師堂
吉祥寺毘沙門堂
吉祥寺本堂
吉祥寺山門
49番札所 護國山・吉祥寺
知多郡美浜町大字野間字桑名前24 曹洞宗 本尊・釈迦牟尼仏
小さな川を挟んだ里の”お寺”さん、といった感じ。わずかに赤くなった山を背に朝日に映える。漆喰の塀に開く山門をくぐると緑いっぱいの境内に本堂、毘沙門堂、大師堂がならぶ。本堂には金色の「夢観音」が輝く。法隆寺の尊蔵を仏像彫刻家の岸田陸像師が復刻、とある。悪い夢をよい夢に取り替えてくれる観音様という。
野間の灯台

良参寺の境内へ入って、軽いめまいに見回れた。今日の予定が32.4Kmと計算でき、かなりの早足(私にとって)になっていたようだ。参拝を済ませて、納経所を訪れると、先ほど聞いた犬の声が中からする。のぞくと、犬を散歩に連れ出していた奥さんであった。きっと、巡礼姿の私を見て散歩が中断することを予見してほえていたのであろうか。
国道に出ると、海が見える。小野浦海岸である。道路脇まで白砂が迫る、内海よりきれいな浜で私の好きなポイントであったのが、護岸のために、その景観が無くなっている。惜しいことだ。やがて、灯台が目に映る。”野間の灯台”である。岐阜県の山あいで育った、私が小学生のころ、教科書にあった灯台が見たい、と父親にせがんだとき”そのうちに野間の灯台を見に連れて行ってやる”との約束が記憶に残る(結局果たされなかったが)。自動車を運転できるようになって、来たときには、少年時代の描いたそれとは 比べものにならない小さな灯台(失礼)にがっかりしたものである。今は、周辺が公園として整備され、ドライブのレストポイントとして最適である。灯台に続く野間漁港で小休止をとる。粉末茶にポットのお湯を注ぎ、寺宝院で接待としていただいたあられをかじる。ここでも、何人かの太公望が海をにらんでいる。
国道は大きくカーブをえがいて野間の町に入る。ここで国道に別れを告げ山あいをめざすと、49番吉祥寺に至る。
万歩計 3089歩、2.0Km、所要時間 40分
亀石
良参寺大師堂
良参寺本堂
良参寺山門
48番札所 禅林山・良参寺
知多郡南知多町大字小野浦字清水18 曹洞宗 本尊・聖観世音菩薩
立派な構えの山門は薬医門造り、鐘楼と併せて堂々としたもの。境内を入ると、大きな柏に抱かれた本堂が見える。昭和58年、根本に生木の”子抱き観音像”現れたという。子授け、安産にも霊験があるとか。丸い石を背負った亀石は、自然石。海の香りがする。弘法様は、”お助け大師”と称して信仰が篤い。ここにも、眼の見えるようになった少女の喜びを表す奉納額があるという。
お吉ヶ浜

階段を降り、内海中学、内海駅をすぎて、国道247号線に出る。海水浴のシーズンには、車と、人と、駐車場への呼び込みの声でにぎやかなこの通りも、今は静かだ。ところ、どころの駐車場の垣根に、大根が干してある。内海の浜は”千鳥が浜”とか、白い砂がきれいな浜辺が続くが、国道からは見えない。
やがて、浜までせり出した尾根を削った堀切を抜けると、再び、海を見ながらの歩みとなる。”お吉ケ浜”海岸である。明治の世、”唐人お吉”と今も話題のお吉さんにちなんでのことか。幼児期をこの内海の浜で過ごしたという。
岬をまわると、国道の両側には人家がならぶ。小野浦である。両側の旅館も今の季節は静か。火の見櫓を東に入る。家並みが切れて田圃に変わるころ、良参寺を見る。山門のあたりを2匹の犬の散歩に出ている若い奥さんが近づく。うちの1匹がこちらを見てほえている。近づくとなにがしか下がって、またこちらを見てほえる。
万歩計 7729歩、3.7Km、所要時間 50分
寺宝院大師堂
参道の途中で
寺宝院弁天池
寺宝院全景
47番札所 井際山・持宝院
知多郡南知多町大字内海字林之峯66 真言宗豊山派 本尊・如意輪観世音菩薩
”山寺観音”としたしまれ、山桜で有名、とある。緑に囲まれた静かなお寺である。本堂の鰐口には応永22年(1415)年の銘がある。また、弁天池の畔には、その昔弘法大師が留錫のみ切り加持に使用したという”とどろきの井”があるという。

前回、見るだけで帰った寺宝院は、紅葉の始まった山の中腹に待っている。駅を出て右へ曲がると内海中学の正門の前を通る。学校の先生であろうか、正門に立っている人と”おはようございます”。学校をすぎると、寺宝院の参道だ。石柱を入ると左手に池がある。深い木立に赤いれんがの眼鏡橋が映る。そこから、数十段の階段を上がって境内になる。
万歩計 2011歩、0.5Km、所要時間 10分
名鉄内海駅

12月8日 今日は内海の47番寺宝院から、名鉄常滑駅まで、地図上での距離32.4Kmへの挑戦です。
新名古屋発6:52の特急に乗るために、近くの地下鉄駅まで車でゆく。1日中、駐車ができるとっておきの場所を見つけてある。地下鉄入り口まで20m。昼間は先客がいっぱいでまず止められないが6時前なら大丈夫。座席指定の”μ特急”にのり、余裕の列車旅。知多半島に入ると畑や草むらに白い霜が見える。結構冷え込んでいるようだ。7:45到着。身支度を整えて7:50出発。
新四国八十八カ所巡礼録7

このページの写真はクリックすると大きくなります。