
47番は、内海駅の向こうである。駅へ向かう大通りを東に向かって歩く。懐かしい。やがて、名鉄の高架が見える。ここをくぐると持宝院が見える。20mすぎて、見るとお寺は、平地ではなくちょっと小高い山の中腹にある。そのとたん、足が進まなくなった。気力喪失である。足が勝手にUターンして、駅へ歩いている。
海水浴の時代から、内海へ来たら、”波まくら”である。駅の土産店で、「波まくら、ちょうだい」「波まくらは、となり!」。1軒の土産店と思っていたのが実は、2軒の店が並んでいたのだった。よく見ると、店の中では仕切られているがおもてには境が分からないほど土産物が並んでいる。海水浴の時は、製造元で買っていたっけ。
内海発16時15分の急行で帰る。新名古屋17時13分着。家には、18時8分にたどり着いた。
河和から、離島をお参りして、内海まで、これが私にとって一番の課題でした。一日では無理、そうすると行きと帰りに時間をとられる。2日では無理、3日かかる。これが好天にも恵まれ無事2日で達成できた。
昨日、今日の山越えは本当はしんどかった。終盤のころには集中力がなくなってきているのが自分でも分かる。でも、事故もなく巡礼できたのは、やっぱり”同行2人”のおかげかな、なんて今までは考えても見なかったことを思い、自分でも驚いています。
如意輪寺大師堂
如意輪寺本堂
如意輪寺山門
46番札所 井際山・如意輪寺
知多郡南知多町大字内海字中之郷12 真言宗豊山派 本尊・如意輪観世音菩薩
大木の影に隠れるように山門がある。山門をくぐると、本堂と大師堂が軒をつないで建っている。秘仏に、円空作の薬師如来像がある、とある。

46番は、名鉄内海線内海駅へ向かう途中にある。国道ではなく、町道を歩いていく。内海川を渡ると、すぐに分かる。南知多町役場内海支所の南だ。海のシーズンはにぎやかなこの町も秋の訪れとともに静かな町に戻る。
万歩計 1351歩、0.9Km、所要時間 15分
泉蔵寺別堂
泉蔵寺本堂
泉蔵寺参道
45番札所 尾風山・泉蔵院
知多郡南知多町大字内海字南側69 真言宗豊山派 本尊・阿弥陀如来、薬師如来
海岸を走る国道に付きだした小高い丘の中腹にある。創建は古く、神亀年間(724〜29)といわれる。天正年間(1573〜92)梅山和尚が再建して泉蔵寺となる。本堂に厨子入り秘仏・薬師如来、阿弥陀如来の2仏を安置。脇壇に不動明王と歓喜天を合祀。別堂に観音菩薩と弘法大師をまつる。

これで、今日の難所はとおりすぎた。45番は内海の海岸に突き出た丘の上にある。かって、子供が小学生のころ、毎年夏休みに3泊4日でこのお寺の近くの民宿に泊まり、朝の散歩でよく上がっていたところだ(申し訳ないが一度もお参りはしたことがない)。だんだんと緩くなる傾斜を下り、やがて平地になって内海に入る。国道247号線を南に向かう。相変わらず車はおおい。懐かしい町並みを歩いて、泉蔵院に到着。大垣から来たという一団が住職の奥さんと植木談義に花を咲かせている。疲れからか、考えるのが面倒になり、「弘法様はどちらのお堂ですか?」と聞いてしまった。
万歩計 3658歩、2.5Km、所要時間 35分
大宝寺
大宝寺
もくれん茶屋と木蓮
大宝寺もくれん観音像
紅葉の始まった大宝寺参道
44番札所 菅生山。大宝寺
知多郡南知多町大字内海字名切36 曹洞宗 本尊・釈迦無尼仏
通称「もくれん寺」と呼ばれるが、時期が遅く木蓮の香りはしなかった。弘法大師のお告げによって湧き出した霊泉のある地に、文化6年(1809)半田村小栗万蔵の二女好堅尼が開山した、とある。本四国44番と同じ山号、寺号。
お話によれば、巡礼者には、1泊2食付き5,000円での宿泊ができるとか、ただし”修行”ということでの宿泊になるそうで、おそらく朝のお勤めは必須と思われる。関心のある方は問い合わせてはいかが。
(Tel 0569(62)0355)

次の44番大宝寺へは、今来た道を、山海小学校の近くまで戻ることになる。同じ道を戻るのはおそらくここだけと思う。実りのない稲が残る田圃の中を左へ曲がる。やがて険しい山道にかかる。山道といっても自動車がすれ違うことのできる舗装道路であるが、曲がりくねって、長く続く。知多半島の山は、高いところでも標高200mたらずであるが、きつい。「今度曲がったら、下りになるからね」と自分に言い聞かせて登る。「違ってたね、今度は本当だからね」、と何度繰り返したことか。やっと下りになった。こちらの傾斜は今来た登りより激しいようだ。膝への衝撃を少なくするために小幅を意識する。傾斜が緩くなり、三叉路を右へとって大宝寺を見た。この坂を越えないと2倍ほど長い距離になる。
納経所では尼さんが応対してくれた。話によると、天龍寺、岩屋寺の集落から内海まで通う中学生のために作られた道路で、それまでは本当の山道が巡礼道だったとか。また、近々本四国巡礼に出かけられるとか、うれしそうにお話をされていました(歩いてみたいんだけど、それだけの日程がとれないから、とも)。
万歩計 7306歩、4.8Km、所要時間 1時間20分
奥の院参道
多宝塔内部
奥の院多宝塔
奥の院参道
番外8番札所 岩屋山・奥之院
知多郡南知多町大字山海字城洲62−2 尾張高野山宗 本尊・聖観音菩薩
岩屋寺からさらに山奥へ1分、深い杉の木立の中にある。参道には、石仏がならび、寄進者なのか、名前が添えられている。
時に、弘法大師は大同3年(808)この地を訪ね岩窟を穿ち、百日間の護摩を厳修、その灰で一寸八分の千手観音像を造り、戦死・行基菩薩、聖観音像の胎内に奉安されたと言う。多宝塔の1階はうちぬきになっており、奥の岩盤には今も泉水がわき出る。祭壇状にうがかれた岩には無数の仏様が安置されていた。
岩屋寺多宝塔
岩屋寺鐘楼
岩屋寺大師堂
岩屋寺三宮殿
岩屋寺境内
43番札所 大慈山・岩屋寺
知多郡南知多町大字山海字間草109 尾張高野山宗 本尊・千手観音菩薩
尾張高野山宗総本山岩屋寺と称する独立本山であり、知多半島屈指の名刹。境内は広く須弥檀の上には三宮殿があり、本尊の千手観音は厨子入り秘仏、左右に聖観音と弘法大師を祀る。ほかに、阿弥陀堂、大師堂、多宝塔がある。圧倒されそうな威厳がある。納経所では、この奥に位置する、番外8番岩屋山(奥の院)の朱印もあわせて押してくれる。
縁石に上がると水がでるようになっていました

天龍寺の参道のところから、勾配がはげしくなる。数十メートルを蛇行して登ると、次の集落が見える。岩屋寺は、この集落の一番奥にある。緩いカーブを描いた道路を下りててゆく。前述(巡礼録5)の”つくだに街道”への分岐を越えると、石垣の上に立派なお堂が見えてきた。
万歩計 2676歩、1.7Km、所要時間 30分
天龍寺薬師堂
天龍寺本堂
天龍寺全景
42番札所 瑞岸山・天龍寺
知多郡南知多町大字山海字小山100 曹洞宗 本尊・阿弥陀如来
永禄9年(1566)創建、当初は「延寿山瑞岸寺」と号していたが、寛政9年(1797)9世大伝和尚の代に改称。本堂は寄棟造り、本尊は光背に五智如来を刻むまれな阿弥陀如来像である、説に快慶の作と伝えられる、とある。本堂と軒続きに大師堂、別棟に薬師堂がある。
峠の麓の集落の中に42番天龍寺はある。山懐に抱かれてたたずむ。一歩遅れて、20才ぐらいの若者が境内に入ってきた。学生であろうか、お経は聞こえなかったが薬師堂で長い間手を合わせてから、納経所をのぞいて去っていった。40数ヶ寺を廻るうちでの初めての光景でした。
万歩計 1989歩、1.3Km、所要時間 15分
山海の田圃

西方寺から海岸を離れて半島中央部に向かう。44番までは丘陵地にある。西方寺の裏手の山海小学校をすぎると、田圃が広がる。知多半島ではめずらしい風景に見える。道路は、この田圃の縁を廻るように進みうねった峠にかかる。ここに、やせた季節はずれの山桜が一本、まばらな花を咲かせている。あらためて、周辺の田圃を見ると、いまだ稲が刈り取られていない。よく見ると、どの株もまばらで背の丈30cmあまり、稲穂も付いてはいるが垂れてはいない。中には稲穂のない株もある。見渡しても同じような光景に、異様なものを感じる。今年は冷夏ではなかったはずなのに。
西方寺庫裡
西方寺大師堂
西方寺本堂
西方寺山門
十一屋旅館
山海海岸
41番札所 松原山・西方寺
知多郡南知多町大字山海字屋敷51 西山浄土宗 本尊・阿弥陀如来
国道247号線を挟んで海が広がる景勝地にある。本堂は工事中で足場が築かれていた。別堂に十一面観音と弘法大師を祀る。山門は明治22年(1889)台風で境内に打ち上げられた材木の引き取り手がなく、その用材で建立したと言う。潮風と、排気ガスに犯されて気の毒に見える。この時間帯になると国道も自動車の往来が激しく、横断をしての山門全景撮影は断念した。

中州漁港をすぎると、再び海を見ながらの道中になる。小佐からここいらまでの海岸には帯状の岩があばら骨のようにならんでいる。膝まで潮に浸かって釣りをしている人がいる。これからの季節、根魚を探っての釣りになる。干潮時には干上がるほどの深さのため大物にはなかなかお目にかかれないが、小さめの竿にくる”あたり”はなかなか楽しいものがある(霊場巡りの中で殺生の話はひんしゅくを買うかもしれませんがお許しください)。
山海は、白砂の海岸が広がる古くからの海水浴場である。私も、40数年前の海浜学校で来た記憶がある。浜辺から、川沿いにあがって、橋のたもとの旅館で雑魚寝した記憶があるが、仕事で来たときに探しても分からなかった。しかし、バス停の名前にもある”十一屋”は木造3階建ての旅館で今でも営業をしている。
41番西方寺は、この十一屋から数十メートル先のホテル”中村屋”の隣である。
万歩計 4027歩、2.2Km、所要時間 45分
子安観音立像
子安観音山門

影向寺には子安観音、子安弘法が祀られており、特に女性行者は必ず詣でる、という。大師堂の脇に、山門があり、奥へはいる。
影向寺大師堂
影向寺本堂
影向寺手水場
影向寺遠景
40番札所 普門山・影向寺
知多郡南知多町大字豊浜字中之浦84 曹洞宗 本尊・十一面観音
「知多西国観音霊場記」に夜と、永禄年間(1558〜70)創立の明鏡山浄心寺を中心に明治初年、影向寺・興福寺の二ヶ寺を合併して普門山影向寺と改称した、とある。
浄土寺大亀像
浄土寺大師堂

ここは、釣り仲間から、”スサ”と呼ぶ、と聞いた記憶がある。知多半島は歴史が古いせいか、漢字どおりの読みではいかないところが多いようだ。小佐漁港には県の水産試験場があり、小さいが突堤もある。冬の季節風(伊吹おろし)に対して風裏になるため、冬の季節風が強いときでも釣りができる。その代わり、堤防付近は浅く、海草が茂っていたりであまり釣れない。40〜60mほど沖へ投げて、36cmのアイナメを釣ったことがある。この突堤は二人で満員となる。国道沿いの釣り餌屋ではボートも出してくれる。
小佐から、山海までは海岸を離れて町中を国道が走る。豊浜にかかったころ、後ろから声をかけられる。「お参りかねー」「観音様?弘法様?」「亀さんお参りしてきた?」。自転車のおばちゃんが降りてのことだ。そして、「40番まではまだまだあるよ、歩いては大変だよ。そこからバスにのりなよ」 ときた。私の歩きがそんなに,頼りないのかな?
”魚広場”のある豊浜漁港を横目に、豊浜の町を通過、中州漁港から路地を入ると40番影向寺がある。
万歩計 5407歩、3.5Km、所要時間 55分
国道を占領した小エビの大群
番外7番札所 青泰山・浄土寺
知多郡南知多町大字豊浜字小佐郷1 曹洞宗 本尊・薬師如来
地元では「亀さん」と呼ばれて親しまれている。この後何度も「亀さん、
お参りしてきた?」聞かれることになるほどだ。境内に石像のウミガメが
いる(写真には頭が入っていなかった)。明治42年(1909)付近の
海岸に大亀が漂着、その背中に「奉大海龍大神」と書き伊賀上野に住む拾余人の名が記してあった。そこで、この人たちに連絡を取り、大亀にまつわる霊験談を聞くに及び、亀霊を「龍亀大菩薩」とあがめて安置した、とある。この話は、44番札所・大宝寺の納経所で応対の尼さんからも聞いた。
大亀像の隣の別道には、千手観音、龍亀大菩薩、弘法大師が祀られている。

日間賀島東港から師崎港に渡る。この渡船(名鉄)は篠島-師崎、日間賀島-篠島の切符で途中寄港の港で下船しても新たに切符を購入しなくてよく助かった。ちなみに渡船料は460円。
師崎港を9時ちょうどに出発。これから番外7番浄土寺のある小佐漁港までは伊勢湾沿いに国道247号線が走る。天気は良い。風もなく絶好のウオーキング日和になった。所々に、小魚などが干してある。車で走ると平地に見えるこの道も、歩くとわずかな上り下りがあるのがわかる。新しい発見だ。この海岸は南西に対している。海の先には水平線が見えるのみ。知多半島ではこのあたりだけと思う。国道247号線の伊勢湾側はどちらかといえば観光道路、大型といえばたまにとおる定期バスぐらいだ。時間が早いせいもあるが。
イラスト地図では、2.3Kmとある。しかし、今日はなぜか長く感じる。4Km近く歩いたと思ったころに浄土寺に着いた。万歩計は2.5Kmを表示していた。
万歩計 3867歩、2.5Km、所要時間 30分
大光院本堂
37番札所 魚養山・大光院
知多郡南知多町大字日間賀島字小戸地59 真言宗豊山派 本尊・対日如来
孤島のため無住職の時が長く続いていたが、現住の若山剛生師が不惜身命にして復興した、とある。昭和48年(1963)の伊勢湾台風で大被害を受け再び再興を決意。島民や、参拝者から浄財を募り、地元青年団の奉仕もあって昭和50年10月念願の本堂を落慶した。本堂に大日如来像を安置、客仏に薬師如来、不動明王、金比羅大権現に弘法大師を合祀する、と「知多四国八十八カ所遍路」(富永航平・著)にある。
大光院参道
日間賀島南海岸

師崎港行きの高速船は日間賀島西港による。東港に寄港する便を待つより西港から歩いた方が早そうだ。8時ちょうどに西港着。東港まで1Kmちょっと。海岸沿いに歩く。護岸の上が1mほどの歩道のようになっているのでそこを海を見ながら歩く。
東港で切符売り場に立ち寄る。案の定、数珠が保管したあった。取りにもどる人は少ないとか、お礼を述べてついでに弘法様を聞く。本当に3分の位置にある。
万歩計 2175歩、1.4Km、所要時間 20分
浜から見た医徳院
岬への道(篠島)

11月25日 今日は、ここ篠島から名鉄内海駅までのウオーキング。年寄りの性、4時に目が覚めてしまった。家ではこの時間から1時間あまり、パソコンに向かうのだが、あいにく持ってきていない。ぼーっとテレビを見て過ごす。
6時過ぎになって、散歩にでる。昨日は行かなかった南の岬をめざす。狭い道路の両側に高い軒が続く。いつかテレビで見た記憶がよみがえる。岬では多くの人が釣りをしている。しばらく見ているがなかなか魚はあがらない。あけまずめのいい時間帯のはずだが、と竿を持つ手になっている。
宿に帰ると朝食の準備ができていた。朝食、身支度をして、お世話になった女将さんと旦那さんにお礼の上、出発。「港まで送りますよ」の声に、「修行にならないから」と柄にもないことを言って失礼をする。昨日の土産店にも立ち寄り、土産を買う。ここでも「港まで送りますよ」。
朝の潮風も気持ちがいい。港まで10分程で着く。
新四国八十八カ所巡礼録 6

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