
ここから、河和駅までは200mたらず。駅員に聞く。「この次にでる急行と、その後の特急ではどちらが早く名古屋へ着くの」「急行だよ」というわけで急行で帰名。
本日の歩行距離 20.3Km、所要時間 5時間41分。計画より30分ほど早く到着できたことに気をよくする。
ここから先は鉄道がない。知多半島の先端を廻り、日間賀島、篠島の離島にも札所があり、伊勢湾側の鉄道駅内海まではどう計算しても2日はかかる。いっそ、篠島あたりで一泊をとも考えています。
河和口海水浴場から碧南、一色方面を望む(この写真は大きくなりません)

これで武豊町を抜け、美浜町河和の26番をめざす。地図表示では7.6Kmの長丁場だ。再び、国道247号線に出る。そして無心に歩く、といえば格好いいが本当は眠い。時間は13時20分をまわったところ。年とともに、眠りが浅くなり、3〜4時には目が覚めてしまう。早く寝るようにはしているが、それでも昼食後はいつも眠い。会社でも”ハイテクじいさん”のニックネームが”居眠りじいさん”になりかねないほどである。目はあけているが70%は 眠っている。居眠り運転は許されないが、居眠り歩行も、やはり許されないか。
美浜町は、知多半島を横断して、伊勢湾と三河湾を有する。51番札所野間大坊は伊勢湾側である。やがて、名鉄河和線河和口駅入り口にかかる。ここがほぼ中間点になる。河和口海水浴場から先は海岸沿いに国道が走る。
河和口海水浴場にて休息をとる。残り少なくなったデジカメを向け、スマートメディアを取り替えようとしたが、もってでたはずの予備が見あたらない。やむなく26番の写真は、次回スタートに回すことにする。
海を見ながら歩く。今日は見通しがよく、対岸の三河一色、佐久島、渥美町の中部電力火力発電所などがよく見える。
河和の手前の小高い山の上に、時志観音がある。急な階段を息を切らしてあがる。ここにもワゴン車の一団がいる。お参りをする様子でもないところから観光とみえる。
ここを過ぎると、「戸塚ヨットスクール」の建物が見える。今日の終着まで後わずか。何年前であったろうか、世間をわかせたリンチ事件は。ホテルを買い取って、といわれる建物は4階建てであろうか。壁面のグラフィックも看板もすべて当時のままになっている。この前を国道から離れて町に入るとすぐに弥勒寺がある。(弥勒寺情報と写真は次回掲載)
万歩計 9860歩、6.4Km、所要時間 1時間55分
円観寺大師堂
円観寺護摩堂
円観寺護摩堂
円観寺山門
25番札所 法輪山・円観寺
知多郡武豊町大字富貴字郷北97 天台宗 本尊・阿弥陀如来
円観寺は富貴城趾に堂宇を構える。創建は室町時代、文政年間(1818〜30)本堂を再建、とある。大師堂の前に設けた踏み石に「四国八十八カ所霊場」を刻む。本四国巡礼と同じ御利益をという、本四国巡礼にいけなかった庶民の願いか。

今日の行程はほとんど平地ばかりである。札所も平地にあり数段の階段をあがればすむ。朝方の北風もおさまり、絶好のウオーキング日和になった。万歩計が2万歩を越えるあたりから、足が楽になった。”かかとで着地、親指で蹴る”の、基本を意識して歩いていたがいつの間にか気にしなくてもそのように歩いている。第一の関門を越えたようだ。
先日の”火薬爆発事故”の大日本油脂の工場も武豊町にあるがもっと半島中央よりの丘陵地にある。仕事で来ているときは脇を何度も通り、1度仕事でいった記憶もある。
「富貴駅」の表示から国道をはずれる。富貴駅を過ぎると見えるはずの円観寺が見えない。区画整理と、その後の建築で住宅と事業所が点在する。半田から武豊は知多半島では少ない平野が広がる。
万歩計 4051歩、2.6Km、所要時間 45分
徳正寺大師堂
徳正寺本堂
徳正寺山門
24番札所 慶亀山・徳正寺
知多郡武豊町字里中92 曹洞宗 本尊・大通智勝仏
”本尊の大通智勝仏は、法華経のの創始者ともいわれた諸仏の師、数十劫という長い間、結跏趺坐して成仏した。仏に成る以前、すでに16人の子供がいて、釈尊は末っ子であった。”とある。
ここはハゼ釣りの名所でもある。9月の日曜日には竿を振る間もないほど釣り人で埋まる。

JR武豊線の踏切を渡り、国道247号線にでる。ここから先は歩道がない。数十センチを区別する白線のみである。可能な限り右側を歩く。後方からの風圧にすくむことがないからだ。もっとも、白衣を着てからは、自動車は大型を含めてスピードを落とし1mほどの距離を置いて過ぎていく。恐怖を感じることが少なくなった。さすが霊験あらたかというべきか。
もう、24番についていなければいけない距離を歩いたつもりが、いっこうに目印がない。時計を見ると11時30分。ちょっと早いが喫茶を見つけて昼食とする。地図を見ると、やはり行き過ぎている。40分の休息の後引き返す。今度は上の方に注意を払う。自動車を運転するときとは目線が違う、しかも、遠近両用の眼鏡をかけていることからうつむき加減で歩く。そうしないと足下がぼけるからであるがそれで目印を見逃したようだと気がついたからである。あんのじょう、数百メートル引き返したところで電柱に標識を見る。なんと、工事で車両を止め歩行者も国道にふくらんで通るように車止めを並べてあるところである。足下と、対向車に気を取られていたようだ。
「知多四国八十八カ所遍路」(富永航平・著)には、”境内は前が海・・・”とあるが埋め立て地があり海の気配すら感じられない。半田から武豊にかけては太平洋戦争後に衣浦湾の埋め立てが進み、旭硝子や中部電力火力発電所などが建ちならんでいる。
万歩計 4194歩、2.7Km、所要時間 45分
23番札所 意龍山・蓮花院
知多郡武豊町字ヒジリ田27 西山浄土宗 本尊・阿弥陀三尊
昭和41年(1966)不慮の火災で炎上、本堂、庫裡、弘法堂、観音堂を消失。昭和45年弘法堂、53年に庫裡、62年に本堂・客殿を再建とある。
蓮花院弘法堂
蓮花院本殿・客殿
蓮花院山門

22番と23番とは直線距離で200mたらず。山門を入ると、周辺の古い民家とは 異質のコンクリートのお堂が目に付く。立派ではあるが山門との対比は異様にさえ感じる。
万歩計 296歩、0.2Km、所要時間 5分
大日寺大師堂
大日寺菩薩像
大日寺本堂
大日寺山門
22番札所 御嶽山・大日寺
知多郡武豊町字エケ屋敷69 西山浄土宗 本尊・大日如来
「知多四国八十八カ所遍路」(富永航平・著)によれば、「南無阿弥陀仏」と唱える浄土宗に大日如来のご本尊は違和感がある、とある。そしてこうなったいきさつが述べられ、”大日如来は宇宙の象徴、阿弥陀如来はその応身仏とすれば、本尊に安置するのもいっこうに差し支えないか。”とある。

22番札所からは武豊町にある。武豊騎手が連勝記録を伸ばしていた頃、彼を招いてのイベントを開いたとかの知多郡武豊町である。国道247号線は常楽寺の南の信号で旧街道にもどるが、武豊町のかかりまでのびているバイパスを歩く。不思議なことに多々ある信号がすべて青信号で進めた。砂川橋南の交差点から石川沿いに歩く。両側に新しい団地が広がる。名古屋圏のベットタウンとして人気の場所の一つだ。名鉄上ゲ駅の踏切を越えると22番札所まで後わずか、古い町並みに入る。
万歩計 5053歩、3.3Km、所要時間 50分
対岸は碧南市
常楽寺大師堂
常楽寺本堂
常楽寺山門
国道247号線に面した常楽寺
21番札所 天龍山・常楽寺
半田市東郷町2−41 西山浄土宗 本尊・阿弥陀如来
常楽寺は文明16年(1484)空観栄覚上人が建立した称名念仏の道場で由緒ある名刹です。ことに、八世・典空上人は徳川家康の従兄弟にあたり家康はたびたび立ち寄った、とある。昭和15年(1940)再建された本堂には国指定重要文化財の本尊・阿弥陀如来立像が安置されている。
この一角を囲む塀の中には、超世院、遣浄院、真如院、来迎院が建つ。

JR亀崎駅から再びJR東成岩駅(「ひがし・ならわ」と仮名表示がある)へ移動する。9時5分着。
ここから今日の巡礼の始まり。半田市の西南に位置する21番常楽寺をめざす。半田市の地理はひととおり知っているつもりの我が身、イラスト地図をろくに見るでもなく歩く。が、いっこうにお寺が見えてこない。しばらく歩くうちに名鉄河和線を越えていないことに気がついた。一本東の大通りを歩いていたのだった。ずいぶんと大回りをしたものだ。
国道247号線に出て南へ向かう。常楽寺は大きなお寺(実は3つの寺院が同じ敷地にある)で、すぐにわかる。土曜日ということもあり参拝の一団が入れ替わるように駐車場に来た。数人の家族連れがワーッと降り、賽銭を投じサーッと去っていった。
万歩計 3585歩、2.3Km、所要時間 35分
海潮院前からの亀崎港
海潮院本堂(朝日の反射で大師様は写らなかった)
海潮院大師堂
54番札所 亀嶺山・海潮院
半田市亀崎町1−130 曹洞宗 本尊・釈迦牟尼仏
「知多四国八十八カ所遍路」(富永航平・著)によれば知多四国霊場開創の折りは、大御堂寺の山内六坊の一つ「龍松院」が54番札所であったが、明治維新後の廃仏毀釈に際して安養院に合併、その後諸般の事情を経て明治34年1月当院に奉安された、とある。
大正元年2月21日午前、東春日井郡水野村(現春日井市にあたると思う)の加藤哲治郎氏は、眼病で両眼が失明したため、当霊場に妻とともに巡拝祈願した。そのとき、54番大師尊前にて突然両眼が元のように開眼したという。そのときに使用していた杖が当山に奉納されている(有名なお話です)。

札所は、巡礼順にならんでいるとばかり思っていたのに、54番札所がなぜか半田市にある。しかも11,12番から2〜3Kmの位置に。それに気づかず、とばしているのに昨夜気がついた。今日を逃すと徒歩での巡礼は難しくなる。と、いうことで先に巡礼することにした。しかし、次の21番までは18Kmもある。やむなく最寄りのJR武豊線亀崎駅で降り亀崎駅までもどることにする。亀崎駅7時55分着。
20〜30m上るとそこからは下りになる。通勤、通学の人も少なく広い歩道を大手を振って歩く。坂を下りきったところで左折、しばらくして衣浦湾の護岸堤と神社が見えてくる。54番海潮院はこの県社の隣である。
大師堂は工事中で大師様は本堂に安置されていた。
亀崎駅-海潮院 万歩計 1550歩、1.0Km、所要時間 16分

11月11日 朝5時起床、昨日の巡礼にもかかわらずすっきりとした目覚め。足も痛くない。気をよくして巡礼に出かける。家を6時に出るが名古屋市営バスが土日運行になっており、昨日のバスと同じになる。昨日は名古屋駅で先に停車していた浜松行きの普通列車に乗っていたら、向かいのプラットホームに豊橋行きの快速が入り先に行ってしまったことをふまえて今日はそれに乗る。
新四国八十八カ所巡礼録 4

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