
ここから知多半田駅まで200m。帰りはちょっと張り込んで、名鉄特急”μなんとか”に乗る。名古屋までに3つしか停車しない。全席指定で座席番号がわからず車掌に聞く。鉄道などあまり乗ったことのない我が身に心地よい睡魔が襲う。なんとか乗り越しは免れたが。
帰宅後、データー整理をするが万歩計を歩幅50cmで計算すると、地図上の距離にあわない。ずいぶんと少なくなる。歩幅が大きくなったようだ。65cmで計算することにする。
本日の走破距離16.9Km。
次回は、21番常楽寺から、26番弥勒寺、半田市から美浜町河和までを目指します。
龍台院大師堂
龍台院本堂
龍台院外観
20番札所 萬松山・龍台院
半田市前崎東町35 曹洞宗 本尊・十一面観音菩薩
石塀の中は別世界のように緑が多い。立木と生け垣、植え込みの中に本堂と大師堂がある。俗に”手足弘法”とかいわれているという。本四国20番札所にちなみ鶴の朱印を押してくれる。

時計を見ると15時20分。最悪でも18番まで、と家を出てきたが上々のできである。足も痛くはない。しかし、重い。自分の足ではないような感じ。20番札所は名鉄知多半田駅の近くにある。市街地の中の一般の邸宅かと思う石塀で囲まれた龍台院に到着。
万歩計 287歩、0.2Km、所要時間 15分
光照院庫裡
光照院大師堂
光照院本堂
光照院山門
19番札所 前明山・光照院
半田市東本町2−16 西山浄土宗 本尊・阿弥陀如来
「酒の文化館」の近くにある。山門を構えた境内は正面に本堂と庫裡、左に2層の大師堂がある。

半田大橋を渡ると市街地にはいる。半田は醸造が古くからつづいている。蔵が立ち並び、醤油、みその香りがする。そんな町の中にあるのが19番札所である。工事中の市道を誘導員の指示で反対側を歩く。
万歩計 2270歩、1.5Km、所要時間 25分
光照寺鐘楼
光照寺観音堂
光照寺山門
18番札所 開運山・光照寺
半田市乙川高良町120 時宗 本尊・阿弥陀如来
山門、鐘楼、観音堂が2層になった立派な構え。鐘楼の左に、次郎長地蔵尊を祀る。安政5年(1858)清水の次郎長が”ほげたの九六”との出入りの前に祈ったとかいう。

古い町並みを引き返す。今は国道が海岸沿いにあるので大型車は通らないが車は多い。歩道のない道を建物にへばりつくように歩く。やがて、2層の鐘楼が見えた。
万歩計 1355歩、0.9Km、所要時間 25分
この松は枝が囲いの上まで伸びている
海蔵寺薬師堂
海蔵寺本堂
番外2番札所 清涼山・海蔵寺
半田市乙川若宮町25 曹洞宗 本尊・釈迦牟尼仏
本堂は折衷様とある。和様建築に禅宗様の手法を細部に取り入れた建物、とあるがよくはわからない。別棟の薬師堂に薬師如来、千手観音、如意輪観音、弘法大師を祀る。

これで阿久比盆地は終わり。再び衣浦湾沿いの半田市乙川(地元の人は”おっかわ”と発音)を目指す。名鉄河和線をくぐる農道を通り阿久比川を渡る。阿久比川は、このあたりから海の気配が漂う。水が逆流をしている。近道をするつもりで、イラスト地図にない道へ入る。小さな祠で小休止と一服。18番札所のある旧街道に出る。困った、右か左かわからない。迷った時には左、と進む。やがて、弘法様の幟を見つけ路地を入る。広い境内のお寺である。弘法様をお参りして、納経所へはいる。なんか今までの札所と違うが応対してくれた若い奥さんが納経帳を開いて初めて気がついた。18番ではなく番外の2番・海蔵寺である。納経帳にもページがあり、朱印を押してくれた。
万歩計 4144歩、2.7Km、所要時間 55分
17番札所 樫木山・観音寺
知多郡阿久比町大字矢高三の山高15 浄土宗 本尊・十一面観世音菩薩
ここは「知多西国三十三観音霊場」の結願所とある。観音堂の片隅に大師様がある。
階段から半田市街地を望む
境内にならぶ石仏
ここにも蘇鉄が
観音寺観音堂

17番札所は国道をはさんですぐ近くにある。長くはないが急な階段を上がると境内だ。写真ではそんなに急勾配に見えないが息がきれた。道路地図には乗っからない小さなお寺であるが、白衣がある。イラスト地図と併せて購入する。背中に「南無大師遍照金剛・同行二人」と大きくある。「同行二人」とは、弘法様が一緒に歩いてくださるとかいうことだそうです。
万歩計 733歩、0.5Km、所要時間 15分
平泉寺鐘楼
平泉寺大師堂
平泉寺本堂
16番札所 鳳凰山・平泉寺
知多郡阿久比町大字椋岡字唐松29 天台宗 本尊・不動明王
天長7年(830)淳和天皇が知多の地に鳳凰が舞い降りる霊夢を蒙り、自覚大師円仁が創建したと伝えられる。本尊に不動明王を安置、通称”尾張不動”と呼ばれる。山門、客殿、本堂、大師堂のほかに”オカラス大明神”のほこらがある。

国道505号線を南へ進む。これからは大した坂道はないはずだ。この街道は名古屋から半田、河和、師崎へとつづくメイン道路である。さすがに車は多い。10年前と比べ、田圃がなくなっている。両側に商店がならび、阿久比町役場も気をつけないと見逃してしまうほどだ。そうした中の1軒の喫茶店で昼食をとる。不愛想を絵に描いたような応対の店員。しかし嫌みがない。35分の休息。16番札所は街道沿いにある。南側に廻って山門を見る。
万歩計 2611歩、1.7Km、所要時間 30分
洞雲院大師堂
洞雲院本堂
洞雲院山門
15番札所 龍渓山・洞雲院
知多郡阿久比町大字卯坂字英比67 曹洞宗 本尊・如意輪観世音菩薩
段上に朱塗りの山門を構えた境内には大銀杏に守られて本堂、棟続きに大師堂、別棟に観音堂と大日堂がある。この裏側には、家康の生母・於大の方の法号 伝通院殿の墓があるという。

福山川に沿って下るとすぐに阿久比川に合流する。堤防沿いの町道を歩き橋を渡る。名鉄河和線坂部駅で小休止。新四国八十八カ所を歩くと計画をしたときに一つだけ誓いをたてた。それは、「歩きたばこをしない」ことです。1日に50本近くすうヘビースモーカーにとってはつらいことだが、ウオーキングの守るべき最低のマナーであると考えるからだ。たばこを吸うときは、休息所で携帯灰皿を使用すると。今のところ守っている、というよりはたばこを吸うゆとりを作れずにいるといった方が正解かも。
15番札所は、国道505号線を走っていたときに、入り口の看板を見た記憶があり、迷うことなく到着。
万歩計 2303歩、1.5Km、所要時間 35分
興昌寺大師堂
興昌寺本堂
興昌寺山門
14番札所 円通山・興昌寺
知多郡阿久比町大字福住字東脇10 曹洞宗 本尊・華厳釈迦牟尼仏
知多半島で唯一海に面していないのが阿久比町である。中央の山を走る知多半島道路(有料)の阿久比インターチェンジの近くには、スポーツ科学研究所がある。中日ドラゴンズの選手が身体のメンテナンスをよくするところだ。
「知多四国八十八カ所遍路」(富永航平・著)によれば、永禄3年(1560)今川方の家臣・岡戸祢宜左右衛門が桶狭間の戦いに敗れた後福住に移り住み亨隠慶泉大和尚を拝請して開山したとある。境内には銀杏の大木が天をつく。銀杏の木は火勢にあうと水分を吹き出すという習性があるとか。

WEB(
http://kukaikenkyu.com/hotoke/index.html)からダウンロードしたMP3で覚えた般若心経、1番札所では口の中でもぐもぐ唱えていたのが、いつの間にか大きな声になっている。札所で出会った巡礼の人たちとはずいぶんと違うお経に聞こえる。でも、これしか唱えられない。弘法様許して。新しいお堂、特に鉄筋でできたものは響きがない。古いお堂で唱えると適度なエコーがかかり、これでもお経らしく聞こえるから不思議だ。何番かの札所で般若心経に入ったところで、後ろに人の気配。後から来た参拝者であろう、般若心経がつづく間気配がある。”わたしの般若心経もお経に聞こえているのか、ありがたや、ありがたや”、と回向文を終えて振り返ると誰もいない。???。
14番は近くである。納経所で奥さんが、歩きなら県道に出ず川の堤防を歩くとすぐに前に出ますよ、と教えてくれる。
万歩計 1229歩、0.8Km、所要時間 10分
安楽寺鐘楼堂
安楽寺本堂
安楽寺弘法堂
安楽寺山門
13番札所 板嶺山・安楽寺
知多郡阿久比町大字板山字川向21 曹洞宗 本尊・無量寿如来
文禄2年(1593)創建。本尊は説に比叡山の高僧・恵心僧都作とか。昭和46年弘法堂、51年鐘楼堂、57年本堂と庫裡を再建とある。

いよいよ阿久比(”あくび”ではなく”あぐい”と発音する)盆地への峠越えである。自動車では何度も通った道であるが、ゆるい登りが長くつづく。幸いなことにこの十年の間に歩道ができている。あまり手入れがされていないのか所々雑草が占拠している。半田方向の車線には渋滞の車がならんでいる。かなりの長さだ。時間は9時ちょっと過ぎ。
峠の頂上あたりで、歩道が切れた。髪の毛が巻き込まれそうな風圧を感じて思わずすくむ。大型ダンプが追い越していった。怖い。下りにかかれば後わずかで13番札所だ。休耕田だろうか、雑草の中にコスモスが乱れている。コスモスは若い頃の思いでの花だ。
福山川の向こうに安楽寺がある。橋を渡って山門を入る。
万歩計 4133歩、2.7Km、所要時間 1時間40分
福住寺鐘楼
福住寺千体地蔵堂
福住寺本堂大師堂
福住寺山門
12番札所 徳応山・福住寺
半田市有脇町6−18 曹洞宗 本尊・無量寿如来
山門は薬医門造り本堂と棟続きに大師堂がある。また、脇に千体地蔵堂がある。ここにも蘇鉄がある(写真には写らなかった)。

再び国道366号線にもどり南へ向かう。集落がとぎれたところで右手前方の丘の中腹にお寺さんの屋根を見る。これを目指して、国道を離れて田舎道に入る。集落に入ると屋根が見えなくなった。何かを配達中のおじさんに聞く。”福住寺はどっちですか?”、”ずーっとむこうだよ!”。???。幸いなことに、少し進んだところで小さな手作りの表示板があった。それに従って進む。軽自動車がやっと通れるかといった登り道が曲がって枝分かれしている。表示板がなければ迷ってしまう。住職の手作りか。
足は大丈夫だ。かなりの勾配を上っても太股は痛くない。ふくらはぎの緊張感はあるが大丈夫だ。福住寺へ到着。有脇小学校の敷地の中にあるように見える。本当は福住寺の脇まで有脇小学校が進出した結果だろうが。
灯明、線香をあげ般若心経を唱える。納経所のチャイムをならすが返事がない。銀行の外交員らしい人が来た。二人でしばらく待つが人の気配がない。銀行員が帰ってしばらくして隣接する民家から若い女将さんが出てきた。「すみませーん」と朱印を押してくれた。
万歩計 2432歩、1.6Km、所要時間 25分
安徳寺鐘楼
安徳寺大師堂
安徳寺本堂
11番札所 光明山・安徳寺
知多郡東浦町大字藤江字西宮82 曹洞宗 本尊 釈迦牟尼仏
「知多四国八十八カ所遍路」(富永航平・著)によれば天保19年(1550)開山。火災消失により享保8年(1723)現地に再建と寺伝にあるという。本堂と棟続きに大師堂がある。本堂両脇の蘇鉄は古来より海運が開けていた証か。時代の流れか、このお寺の西側は宅地開発が進んでいた。
今日の起点・JR東浦駅

出かける前のテレビでは、傘のマークがなかったのにJR大府駅をすぎる頃より雨が降ってきた。激しい雨ではないが用意の3段式折り畳み傘を開く。8時25分出発。
駅前から国道366号線を南へ歩く。やがて、弘法様の幟から路地へ入る。つづくよつ辻には表示がなく第6感から左へ曲がる。須賀川より北側にあるとの認識で川に沿って上る。
見あたらない。周りを見回す。北側の小高い丘の上にお寺さんらしき屋根を見る。ところがそこへの道がない。ずいぶんとおおまわりの上、民家の庭先を抜けてやっとたどり着く。
帰りにわかったのだが、最初に左へ曲がったところで、右に回れば10mほどで表示がある。
万歩計 3516歩、2.3Km、所要時間 40分

11月10日、今月最初の連休をとらえ新四国八十八カ所歩行巡礼を続けます。起点が前回より乗り継ぎのうえ3駅先になることから朝6時30分出発。8時20分JR武豊線東浦駅着。
新四国八十八カ所巡礼録 3

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