(2001/07/25) ページを分割(重くなったので)+画像変更(隆之の店、佃島)
(2001/02/12) 画像変更(家の近く、ミラノにて)
(2000/07/23) 画像変更 (首都圏近郊のビーチ x2)
(2000/07/22) 画像変更 (香港空港 2000)
(2000/04/08) トップページの画像を変更しました(パリ ルーブル美術館近く 1994 -> Bank Sta. ロンドン 2000)
(2000/03/23) カウンタをつけてみました。

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ハッカ、ニッキ2001

このページは個人的な出来事を日記にしていくものです。
知っている人しか分からないネタ多いです。許せ。
掲示板はここ


2001年9月21日 (Friday 晴れ 熊本へ5日間の出張 東京への機上にて)
1週間が終わった。仕事が一段落したので、予約していた飛行機よりも早く帰ることにした。
今週末は忙しい。だからどうしても早く帰らなければならない。
今晩は丹羽さんと飲む。シドニーで家をシェアし、仕事も一緒にしていた、オーストラリアの恩人だ。今日本に出張しており、1年ぶりの再会になる。土曜日は2次会の幹事とのキックオフ飲み会+リング取りに行く 日曜日は婚姻届の証人にサインをもらい、またパースで世話になったミノルと飲み会。(お姉さんの結婚式で東京に来ることになっている。式がオークラとはさすが)
どちらもミツとユキコが参加することになっている。
昨晩、北熊というラーメン屋で夕食を食べた後、ぶらっと、熊本市街を散歩した。「甲府の10倍の規模」「市電が走っている」などの噂をどうしても確認したかったので。
ドイツのベルリンで乗ったような質実剛健なJR九州の列車(2両編成、車体は新しいが,関東では絶対見ないような列車だ)に揺られ熊本駅へ。切符の裏地が白かったり駅が無人だったり、電車なのに整理券を受け取ったりとなんだか昔は埼玉でもあり得たような事が、今は切符の裏は黒、自動改札、無人駅なんてないという、もはやあたりまえになってしまったことから比べるととてつもなく田舎に感じてしまった。(それはそれで、人と人とのふれあい、ぬくもりがもちろん感じられてよいのだが)
熊本駅は小さくて、駅の回りは余り栄えていなかった。お城がある街らしい。(ヨーロッパで街が教会を中心に発展しているのと変わらない)自分の街は城下町でも何でもないので、当然栄えるのは駅を拠点にしているが。
駅からトラムに乗り、辛島町という駅で降りた、すぐ近くに大きなアーケードがあったので、そこを歩く。とおりの名前は案外安易な名前で、遊郭があるところは「シャワー通り」ワシントンホテルがあるところは、「ワシントン通り」というようなあんばいだ。
とりたてて見るところもないので、電器屋に寄ったりした。あまりにきょろきょろしていると、ポン引きに声を掛けられるので、キョロキョロせずまっすぐ歩いていた。スターバックス、TSUTAYA、マツキヨと最近あたりまえにあるお店もなく、独自のお店が独自の発展を遂げていた。イギリスに留学していたころ、どの街に行っても、Marks&Sparks、Boots、Woolworth、Sainsbury、THE BODY SHOP
(TESCO、ASDA)があって閉口したが、今は東京も同じようになっていると思った。(⇒それが認知され、スターバックス、TSUTAYA、マツキヨがあると安心する自分がいるが)
オーストラリアは何があったっけ?Coles、KMart、Woolworth(VICでは、Safeway、TASではなんていったっけ?)、MYERS(SYDではGRACE BROSだっけ?)Liquor Land(聖地!)かなあ?。
熊本は程よく都会、ほどよく田舎で、パースを思い出した。水も美味しく、滞在していた水前寺には新しいマンションが一杯あって(ということは地元から出て行かない人が多いのかな?)見るもの(漢字が読めなかったり、聞くもの(ネイティブ熊本弁はかなりすごい)すべてが新鮮だった。ここは本州ではないと感じた。






2001年8月29日( Wednesday 晴れ 熊本から東京への機上)
忙しい一日が終わった。移動している時間のほうが長いと言うわけではないが、さすがにバテテしまった。初めての熊本にもかかわらず空港とお客さんの工場の往復のみ。帰りのタクシーで阿蘇山という特定の山はないことと、山の火口部分に2億年も水がたまっていてそれを神様が地上に流したら大きなナマズがいてそれが熊本を流れる蛇行が激しい川になったとか(ホンマかいな? しかも蛇行の激しい川がその巨大ナマズそのものだそうだ ますますあやしい)変な伝説だか狂言だか分からない話を聞いた。
この後羽田からモノレールに乗って新宿へ、で甲府に戻る。いやあ、もうエエわ。こんな出張。
阿蘇の水を2本とも飲んだが、これが結構美味しくて東京では買えないもんかと思った。そういえば、山梨も熊本も水が良いところだよな。水がいいところには工場ができるのかな。諏訪湖も精密機器メーカが多いし。


2001年8月28日( Tuesday 晴れ 山梨から東京に戻る途中)
明日は熊本に日帰り出張。だから山梨から東京に戻っている。明日は朝一の飛行機で熊本に向かう。その夜には甲府入り。それは辛い。体が持つかどうか。プロジェクトも来年9月終了予定が2003年春まで延びることになった。お客さんも予算の関係上これ以上人を増員しないで2社に対してインプリするというのだから所詮無理がある。そういった意味でも体が持つかどうか。
週末は兄貴の結婚式だった。まあ、2回目だからとくに感動もない。1回目はしかも式すらやっていないし。せっかくの日曜日を丸一日潰されてしまった。2次会も出席せず、買える途中に成田が日本に帰国していると聞き、浦和で寿司を食べる。あ、その前の日も寿司食ったっけ。
8月27日も忙しかった。朝から市ヶ谷に行き打ち合わせ。昼は東京駅にあるうず潮でくるくると寿司を食べる。その後、ポケモンセンターに行き、ゲームボーイアドバンスの限定バージョンを買う。大丸でSANDALFORDのワインを偶然見つけ衝動買いし、明日の結婚式用に白いネクタイを買う。家に帰り掃除とアイロンをかけ、新宿3丁目でミツとその友達らと飲む。23時ごろ帰宅。

2001年8月22日 (Wednesday 台風11号上陸 山梨のホテル)
山梨の客先が「台風11号による警報が解除されない場合は、安全上の見地から自宅待機」ということだったので、
ホテルで待機している。しかし台風というよりは長めの雨という感じで、行こうと思えば行けるのに。。。という状況。
ホテルでじっとしていても、部屋の清掃はされないので、着替えて近くのガストで昼食がてらに時間をつぶそうとするが、
ガストも台風の影響で店を閉めていたため、その対面のジョナサンにする。メールチェックやら、ネットで情報を入手やらしながら
ランチを食べて今にいたる。中央線の特急が今日一日運休ということで、他会社のひとも山梨入りできないので困っているんじゃ
ないのかな。
日曜日は兄の結婚式に出ないといけない。うーん、厄介だ。幾ら包めばよいのだろう??
そうこうしているうちに、空がかなり明るくなってきた。まだ雨も少し降っているが外を歩く分には支障ないぐらいだ。

先週のダイジェスト

19日、昼間は浜離宮庭園に行く。夕方、ゆういちろうとのみに行く。しかし、日曜日の五反田の夜はお店がやっていない。仕方なく、ピッチャーが一杯900円の素材屋というお店で閉店まで粘る。その後、24時間営業(!)の居酒屋で飲む。べろべろ
18日:朝から江戸東京博物館に自転車で行く。特別展示のポンペイ展は午前中にもかかわらずかなりの賑わいで、5分も経たずに
出てしまった。その後2時間かけて、常設展示をみる。佃島って、摂津の国の漁師が作った島だったと知る。あと新川が江戸時代に埋め立て
られた土地だと分かる。午後デパートめぐり。夜に実家に戻る
17日:家に帰る途中、銀座にHMVに寄ってCDを買いあさる。DVDでSTINGという映画を買って夜観る。かなり面白かった。
16日:早くオフィスを出たがその後の記憶なし。あれれ。
15日は昼間、ラーメンを食べ江東区の東京現代美術館に行って絵画を見る。常設展示の意味不明な現代絵画
よりも特別展示の隅田川の東の今昔の展示会のほうがよっぽど面白かった。カネボウ、ライオン、花王、アサヒビールなど
の歴史が見れて満足。その後、木場公園で昼寝。久しぶりの贅沢な休日。
夜は太郎と久しぶりの飲み会。原宿に出向き、オーストラリアのワインを出すレストラン、アジアンキッチンのようなお店、301号室
に行ってゴージャスに飲む。
14日:自転車で中央区役所、文京区役所に言って所用を済ます。秋葉原を見て、自転車の空気を入れ、家に戻る。
いい天気だったので、隅田川でのんびり過ごす。ビール飲んで日焼け。
13日:千と千尋の神隠し見に行く。すごい混み様。その前にドコモに行って携帯を新しいものに変えてもらう。
12日:水天宮から半蔵門線で三軒茶屋に行き東急世田谷線に乗る。が、昔の車両はもうなかった。下高井戸で井の頭線に乗り換え
井の頭公園に行く。吉祥寺を散歩する。ブーツ発見。8月19日で閉店でやんの。すべて半額セール。銀座のブーツにも行って買いあさる。
勝ち組、負け組の差がはっきりしてきたな。なんだか。富士山は結局行かずに夜、実家に帰る。桃とキハチのケーキを持って。桃うまし。 11日:式場めぐり。中野-市ヶ谷-麹町と3件もまわる。そして決める。中野サンプラザで久しぶりにワーホリセンターに行く。アンケート用紙もらう。
もうぐったり。夜は東京湾の花火大会を近くの隅田川テラスで鑑賞。すごい人。普段はほとんど居ないのに。。。
10日:会社の社長交代&Q4のミーティング。途中でブッチして、家の近くで飲み。


2001年8月3日 (Saturday 晴れ 岐阜の友人宅)
金曜日夜に中央線で東京方面とは逆の電車に乗って塩尻へ。その後、電車を乗り換え一路名古屋に。名古屋から東海道線の大垣方面にのり岐阜駅に。はじめとゆういちろうとの再会。3人で金津園のあたりを車で流す。その後はじめの家で飲み会。ビール4缶飲んで寝る。
土曜日は8時半起床。朝食とシャワーの後、近くの酒屋に酒を買いに行く。
お昼頃からBBQ、よっぱらって寝る。花火みる。


2001年7月30日 (Monday 晴れ また真夏日 山梨への あずさ号にて)
HP更新後、さまざまな人から早速反応があって、うれしかった。みんな見ていてくれてるんだね。
今週末は岐阜の友達の家に行きます。富士山は8月18日ごろに登る予定。御来光が見えるかな。
電車は指定席満席のため喫煙の自由席へ。けむくて仕方ない。長野に向かういい季節だね。仕事じゃなければ最高なんだけどな。

先週のことダイジェスト。
7月26日 は会社の同僚のお葬式だった。36歳とは。妻子を置いての他界はさぞかし無念だったと思う。
告別式の行われたときわ台は自分の祖母が住んでいるところだ。駅から会場までの道にちいさな神社を発見。まだ小さなころお祭りで金魚すくいをしたところだと判明。自分の過去の記憶と今の風景が一致した。
朝、オフィスの近くの増上寺で数珠を買おうとしたけど、お寺が広すぎて結局時間がなかったため買えなかった。
夜、ミツと定例飲み会。新橋の餃子屋とアイリッシュ・パブでうまい餃子を食べとキルケニーを飲む。新潟のお土産サンクス。元祖柿の種はうれしい。缶というのもよいし。
7月27日 特に忙しくもない一日。オフィスで静かに仕事する。6時にオフィスを出て、由紀子と一路舞浜のシェラトンへ。ブライダルフェアだそうだ。同日開業したミッキーのつり革と窓をあしらったお伽話的なモノレールに乗る。下車後はこれまたミッキーのバスに乗る。
時間の制約上、食事もできず、説明だけ聞いてすぐに戻った。
7月28日 両家で食事会。今日は隅田川花火だったけど、仕方ない。地元で懐石を食べる。
7月29日 散髪後、祖母の家に。その後、家に戻り、洗濯と掃除とアイロンを済ませ、選挙に行く。自転車で新橋に行ってユウイチロウと来週の岐阜行き計画を立てる。(結局現地集合ということになったが) 由紀子も合流し再び餃子屋でとことん飲む。NATIONAL AZABUで買ってきてくれたVBを新橋の路地で2人で空ける。

2001年7月25日 (Wednesday 晴れ 大気不安定 山梨からの帰路 あずさ号)
まずは、連絡遅れましたが、結婚します。日取りは12月1日を予定しています。

900を超えいよいよプレッシャーがかかり更新。
山梨での出張ノマド生活も3ヶ月になった。これで来年9月まで続くというのだから結構辛い。
山梨とは?と考えた末に思いついたのが、

武田信玄
金丸信
中田ヒデ

ぐらいだ。これだけで山梨を語るに十分なぐらいのネタになる。
山梨の人は見栄っ張りだそうだ。(塩山とか、塩川とか塩なんて取れないくせに
塩の名前をつけているのはいい例かも。)
そういう人には会ったことないけどなんとなく納得する。
土が悪く、ワインとかしか育たない、盆地でとても暑い甲府。(冬は八ヶ岳おろしが強烈に吹くそうな)
リニアモーターカー、大月にあるそうだ。是非見てみたい。国鉄時代の遺産を。

昨日甲府の駅ビルで飲んだ穂坂地区収穫のカベルネワインはとても美味しかった。
飲み屋に行っても若いアンチャン2人がボトルワインを飲んでいるところが山梨らしいと思った。これが福岡ならきっと焼酎かな?>ミノル、どう思う?

ちょっと辛辣に山梨のことを書いてしまったが、きらいなわけでもない。ただ旅行するには中途半端な気がする。地方に来た気が余りしない。

先週末のことをダイジェストで。
2001/7/22
新宿のJOYJOY経由で椿山荘に行く。なかなかイメージどおりにいかないのかな。
これから精力的に回らねば。と思う。

2001/7/21
まなぶとあみちゃん(通称)とこんさんで水天宮で焼肉る。
一日PCと格闘していたのでなんか無駄に過ごしてしまった。
でもみんなと会えて美味しいものを食べられたのでそれはうれしかった。
こんさん、BABYおめでとう。残念ながら?太郎の子供(小太郎 or 又太郎)とタメになるけど、そこは気にしなさんな。

2001/7/20
なんか高校時代の仲間を集め浅草の魚菜(うおさい)で飲み会。たろうが暴れまくりで楽しい飲み会だった。たろう、BABYおめでとう。

2001/7/19
帰国1年だな、と感じる。一年なんてあっという間。まもなく今の会社で働いて1年になる。
よく1年もったなと思ってしまった。いつまで持つことやら。

2001/7/13/14/15
長野からパース友達上京。とにかく遊びまくる。ゆういちろうも強引に誘ってのみまくる。
ミートパイ、フィッシュ&チップス、Crowns Lager、VBを堪能。
ミツからもらったELEMENTSもついに抜栓。

2001/6/30/ 7/1
はじめ上京。アデレード以来(はじめとは偶然にも渋谷で会っていたが) はじめ、ゆういちろう、そしておいらでの再会。
ほぼ1年ぶり。お互いにお互いのこと何もしらないのに、なぜか連絡取り合っていたのが本当に不思議。
3人が3人ともオーストラリアの異なった場所で異なった生活していたのに、たまたまアデレードのバッパーでの出会いをきっかけにここまで関係が続くとは思っても見なかった。
ゆういちろうはイースター島やら果てはインド、ネパールまで足を伸ばし3月に帰国。
はじめも10月に帰国。たった2日だけしか実質時間を共にしてないのに”酒”つながりでここまで持つのうれしかった。お互いがお互いを尊敬しあっているからだと思う。
やっぱりこの2日でもお互いを知ることができなかった(笑)が、VBを都内で、オーストラリアワインを、オーストラリアをよーく知っている友達と飲めたのは本当にうれしかった。

2001/6/16
大阪から来たまことに会いに銚子へ。元気を与えられたかどうかわからないけどずいぶん弱っていた。でも自分も仕事のことで
いっぱいいっぱいなので、何もできない自分がいた。
隆之とも会う。犬吠崎に行く。イギリス人が立てた灯台を見て思いをはせる。

2001/6/9
由紀子とこんさんで夕食を食べに銚子の隆之の店に。
うまかったっす。お店もよかったっす。
佃島の佃煮はうまかったねえ。意外?にも。

<書き溜めた日記を以下に載せる。一応1ヶ月に一回でも書いているので
自分でもびっくりした>

2001年7月8日(Sunday 晴れ 東京 新川 隅田川テラス)
梅雨の長い中休み。湿度も低くて天気もよい。まだ午前なのでテラスには人もまばらだ。多くは散歩やジョギングのひとが多く、おいらみたいに、本を読んだりひなたぼっこをしている人は少ない。
来る前に買ったVittelのボトルはすでに暖かくなってしまった。とはいえ渇いた喉を癒やすにはよい水分だ。

昨日は堀崎が遊びにきて短い間だが語りを入れた。朝早く彼は出ていったのでもう一眠りしようかと思ったが、せっかくの天気だし、日向ぼっこでもしないともったいないということで、パームと本とたばこをもってきているというわけである。川の近くなのか、そよ風が灼けつつある肌に心地いい。

先週のこと、アデレードでたった2日だけバッパーで会った友達と再会した。一人は岐阜の人、もう一人は品川の人だ。本当に3つの線がただアデレードで交差しただけなのに、なぜか意気投合してしまったのが不思議だ。3人してとことん飲んで、「次は東京で飲もう!」と宣言していたのが実行された格好である。皆気さくで、旅と酒と出会いを大切にする仲間だ。駆け引きとか、しがらみとかなんてない。だってお互いのこと今までなにも知らなかったんだから。
ゆういちろうはアデレードのあと、ブロークンヒルに向かい、その後旅を重ね、インド、ネパールまで足を運び、帰ってきたのは今年3月だった。
しかも釜山から船で。日本ではヒッチハイクだった。
一方のはじめは去年の10月頃帰国。11月頃に偶然おいらとはじめは渋谷でばったりと会っている。(そのときはお互いが似ている人がいるという感じで意識しあっていただけで、はなすことはなかったが、その後はじめがおいらの実家に電話してくれたことによって判明した)
今回の出会いはオーストラリアでの楽しかったことを再認識しただけでなく、本当に行って良かった、みんなにあえて良かったと思った。
今週末は恵美が東京に来る。まさきとつぐみとやよいと、できればちわこにもあいたい。自分のオーストラリアの原点であるパースの仲間にあえるのがとても楽しみである。


2001年6月3日(Sunday 晴れ 東京 新川 隅田川テラスにて)
怒濤の週末を終え、月島への買い物を終えて帰る途中、隅田川のテラスでこれを書いている。梅雨の前の天気で、風も穏やかだ。4時頃新川に着いてシャワーを浴びた。隅田川には夜を待ち望んだ屋形船が通っていく。隅田川水上バスも走ってくる。やっと静かな週末を過ごしている。テラスにはそれぞれの週末を過ごしそぞろ歩きをしている人でいっぱいだ。
素足になって河原でぼけっと過ごすのはなかなか楽しい。夏はゆっくり日焼けでもできるのかな?と思う。平日は仕事の関係で山梨にいるのでそれができないのがちょっと悲しい。それはそれで仕方ないか。パームと本をリュックに詰め込んで自転車でサイクリングして、疲れたら河原で休むなりスタバでカフェするなりできるのはとても贅沢だ。まもなくまた一つ歳を取る、一年前の誕生日はシドニーで迎えた。初めての海外での誕生日。両親からの電話から始まり、丹羽さんにノースシドニーの高級焼き肉に連れていってくれたりとなんだかうれしかった。それからまもなく一年。そしてオーストラリアから帰国して一年。なにかあっという間だった。

2001年5月26日(土曜日 くもり 有楽町献血ルーム)
帰国後初の献血を試みる。しかし不合格。
理由は英国滞在6ヶ月以上だから。らしい。ぢゃあ5ヶ月と29日ならいいのか?なんて文句も言ってしまう。狂牛病?口てい病?なんか納得いかない気がする。昔HIVウィルスの件があったから厚生労働省も神経質になっているのだろう。だが、善意で来た結果がこれだとちょっと寂しさと偏見がある。昔は衛生上問題のある地域(主にアジアで伝染病がよくある地域)だと対象だったのに、おそるべし英国。

前、神田の吉野家で牛丼を食べに行った。隣は年金?生活者のおじさん、なけなしのお金でゆっくりと並牛丼を食べている。右隣は女性の会社員。ビールも飲んでいる。なんか5年も前は考えられなかった光景だ。デフレの波も女性OLまで来ているのだなと感じた。
私の元にも牛丼と玉子がきて、3人がそれぞれ黙々と牛丼を食べていると、突然、レジ担当の店員が、調理?(担当)の女性に「%$#@*!?<>」と話しかけた。3人とも顔を見合わせ店員に目をやった。やっぱりと感じていたが、店員は中国の人だった。
大門のローソンでも、渋谷のラーメン道場でも、新川のなか卯でもアジア(台湾か、香港か、本土の中国人か、それとも韓国人、在日韓国人)
の人がやたらと多い。秋葉原の裏ショップでは香港人とみられる人が怪しいソフトを売っていたり、黒人の男性がクレープを売っていたり、秋葉原には昔よりもさらに外国人の数が増えている。気がついたら多国籍化している日本があった。
インド系のちょっと浅黒い男性と腕を組む女性も家の近くを歩いていたし。確実に変わっているんだと最近感じた。

2001年5月7日(Monday 山梨 晴れ 暑い)
ホテルにて。疲れた。仕事でのヤマ場があったため。いやあ、肝の小さい、気が弱い自分を認識しました。
これからもこんな機会があると思うとゾッとするけど、まあ今日は暫しの休息をしよう。
夜は寿司屋(山梨で寿司屋っていうのもねえ)で茶そばの夕食を食べ、夜はホテルの温泉(温泉宿という感じではなく、どちらかというと健康ランド)
でゆっくりと体を癒やす。

ゴールデンウィークは9連休だった。特に特別に人と会うわけでもなく、かといってどこかに行くわけでもなく過ごした。クラブも毎週土曜のいつもの予定を行い、ストレス発散した。
天使の涙のDVDを買ったり、マグノリアのDVDみたり、MI:2を買おうかどうか考えたり、WorkPadc3が格安だった(19800円)ので買ったりした。
モバイル製品はたくさん買ったけど、最近はホテルに帰ってまでメールをチェックしたりする気もおきないことが判明した。だからパームとパームのキーボード、あとはモバイルで楽しい!ゲームボーイカラーを持ってきているだけだ。でもそれで十分というのもある。こんな感じで日記が書けるし。

WorkPadc3はなかなか良い。持つ前は「ただ薄いだけじゃん」なんて思っていたが大間違いで、今までのパームは鞄の中に放り込んでいたのが、今回のはスーツの内ポケットに入れていても存在が気にならない薄さだ。PalmIII系のデバイスが使えるようにアダプターも買い、モバイル用のACアダプターも買った。なんかPSIONいらないぢゃん。サイオンはとても好きだけどやっぱりATOKが入ったパームはキーボードと合わせると本当に価値のあるコンピュータになると思う。

2001年5月4日(金曜日 早朝? 曇りだと思う)
静かな夜。夕方のうたた寝でこんな時間までだらだらと過ごしてしまっている。

2001年4月8日(日曜日 晴れ 暖かい)
金曜の夜からずっと忙しい週末を迎えやっとゆっくりできる時間ができた。でもそれは明日の仕事場である山梨に向かう特急の中だ。
とにかく忙しい週末だった。金曜日はときわの人と浅草で飲み、夜は洗濯にいそしみ、土曜の朝は中野の歯医者と東大宮の内科の医者のハシゴ。由紀子と池袋で会って門前仲町でお買い物。その後表参道に達郎の結婚式パーティ&クラブ。早々に帰り、家で明日の準備。そうこう言ううちに寝てしまい、朝に。皿洗いとアイロンと掃除とシャワーを終えて、デービットの新居がある新宿5丁目に向かう。ゆっくりしている暇もなく今度は天王洲アイルで村さんの結婚式パーティ。そのまま飲んでいたい気持ちを抑え、新宿に戻りロッカーに預けていた荷物を手にやっとゆっくりとこのパームに向かって文書が書ける。三鷹を越え、列車は夜を越え走っていく。ザ・ブームの中央線とい歌を思い出す。走り出せ、中央線。夜を越えて、僕を越えて。

甲府で電車を乗り換えて、竜王と言う場所に宿を取ってもらったのでいくが、何せ行ったことのない場所なので心配は心配である。

指定席で禁煙車を取ったが好調である。喫煙車は誰かが常にたばこを吸っているのですこぶる健康に悪い。
さっきは飲み損ねたビールを買って飲んでいる。

2001年4月3日(火曜日 曇り)
品川での仕事2日目。とは言ってもお勉強なので精神的には楽。いや、楽でもなくてそれなりに緊張感を持ってやっている。今はとにかく勉強しないといけないのでそれはそれで大変だ。週末は結婚式のパーティやら出張やらで忙しくなりそうだ。新人の女の子がついて作業をしているが、それはそれでなんだか気晴らしにもなるし、それでいて邪魔な気もする。しかし今年で就職6年目だから下を教育するのも仕方ない気がする。
今年は桜がもう満開なのに週末天気が悪く、しかもタイミング悪く雨が多いため桜を愛でる時間がとれない。
冷たい雨も多く、先週末は桜の満開の後に雪が降るのは26年ぶりらしい。
静岡で地震があった、震度5強らしい。そろそろ富士山も噴火か?

2001年3月29日(Thursday 雨 寒い花冷え)
昨日値段が下がったPalmIIIcを衝動買いしてしまった。ふと京王線で思って一路新宿ソフマップへ。
ちょうど価格も改訂され手に入れやすい価格になったし、しかも次にでるモデルが薄いタイプで今持っているキーボード類が使えないので、ディスコンになる前に入手しておこうと思ったわけである。といっても衝動買いなことには変わりないが。夜はバックライトがなくても文字が打てるのはなかなかよいね。
ただし充電というところが気になる。乾電池じゃやっぱり動かないのかな?確かにゲームボーイアドバンスも壱拾時間ぐらいしか持たないっていうし。
暗い中でも文字が書けるのはやっぱり便利かもしれない。充電が必要なのでクレードルに載せながら日記が書けるニュートンのキーボードはかなり効果的かもしれない。
2001年4月1日(日曜日 晴れ)
みんなでお花見。

2001年2月12日 (Monday 曇り 寒い いつの間にやら21世紀に)

このページも700を超えたので、プレッシャーにかられて更新。
日記も書き溜めたので以下に。途中で文章が終わっているのはご勘弁。
以下のページを切り貼りしているとイタリアの日々を思い出す。なかなか楽しかったのだ。なんだかんだで。
ミラノに居るときはチューリッヒのソフィー(オーストラリア、パースで知り合ったスイス人の友達)に連絡とったりして
それはそれでうれしかった。元気な声が聞けて。
最近皆さんとも会っていないけど私は元気です。2月3日に引越しをはじめ、今はやっと落ち着き始めています。
住所は追って連絡します。


2001年1月27日 (Saturday ミラノ 雨)
出発の朝。なぜか7時前に目が覚めてしまった。ミラノは結局雨にたたられてしまった。昨日は地元のトラットリアを予約して行ったがとてもおいしいイタリアの料理を食べることができた。オーマンジャートベーネ(ごちそうさま)とお店のおやじさんにいうととても嬉しそうにしてくれた。
ミラノは何もかも問題なく事が進んでよかった。大きなトラブルもなくどうにか安全に東京まで帰ることができそうだ。
あとはヒースローでたばこ(B&H、シガー、PSIONもの)を買わないとかな。
今回はいっぱいお金を使った。
一番使ったのは食事代。まあそれが今回の旅の目的なのだから問題ない。
あとは自分のお土産はフェラガモの靴とカンペールの靴。どちらもセールだったので安く買うことができた。
あとはトラサルディのベルト。これもリバーシブルのもので安かった。あとはセーターとシャツ。香水。

あと、収穫だったのは、パームと折り畳みキーボードとATOKのコンビネーション。タイプするのに十分なキーピッチだし、辞書も変換も賢い。
あとはパームの調子が余り良くないので買い換える必要があることぐらいか?
19800円で8Mメモリ付きで買えたと思ったのでそれを買うことにしよう。叩かないと動かなかったり、液晶が見えなくなったりするのは不便極まりない。
現在は東京行きの飛行機にいる。約1時間ほど遅れての出発だ。エコノミーの最前列に近い足の伸ばせる席を取ったが調子が悪いのか電気も付かないのでこの入力もちょっと見えづらい。
BA007便は行きの機体よりもちょっと新しいらしく、各席にモニタが付いている。
お客への対応はなかなか良いが、行きの機体ではリクライニングができなかったり、エンジン不調でデンマークにたどり着き、ヒースローで一泊し、ローマでは荷物も届かない有り様でちょっと不満が残っている。その上帰りもこんな感じでなにも見えないのはいただけない。
次はBAを使うのはちょっと考えものである。
昨日の夜からふっと現実感が自分の中に押し寄せている。月曜日から仕事が始まる。何通のメールが来ているか、考えただけでも恐ろしい。
あとは今後の道を考える必要がある。このままヘッドストロングで仕事を続けるのか?竹尾さんの会社でお世話になるのか?リスクも考えないといけないのは明白である。
竹尾さんのところに行く場合はそれなりの給料を要求しないと今後を考えた上ではかなりデメリットになる。毎月50万円、ボーナスなし。社宅補助が最低でもないとやっていけない。
引っ越しもいい加減に終わらせないといけない。
帰国後身を削る思いでやってきたプロジェクトがやっと終わって、一息つきたかったのに人をやめさせてその後のしりぬぐいをやって、かといって次に来る人には断られ、その対応が後ろ手に回っている。そのような体制で、結局つけはすべて自分に回ってきた。
そんな中でちゃんと仕事ができるわけないし、今後同じようなことが起こったり、同じような立場になったりすることもあり得る。
いろいろと考えるとブルーになることが多い。急に現実感が襲ったのもはやりこのような要因がそうさせたのだと思う。

現在は席を移動して明かりも映画もある状態だ。映画はAutumn In New York のみが観たいと思っていたので
あとでみることにしようと思う。


日本時間では日曜日の朝8時を回ったところだ。
Autumn In New Yorkはホームビデオ方式では放送していないようだ。だから食後はずっと眠っていた。喉が乾いたので起きて、水を補給したり、軽食を食べたりしていた。
堀崎が体調を崩して吐いてしまった、で今は機内の最後部の非常用シートで眠っている。先ほど声を掛けたが今は大丈夫なようだ。

行程マップを観るとすっかりウランバートルも越えて、ヤクーツク


2001年1月25日(Thursday 曇り フィレンツィエからミラノへ)
ミラノへ向かう電車の中である。
電車は混んでいて暑くて息苦しい。日本人観光客が多い車両だ。
フィレンツィエの宿はかなり汚く、最悪だった。一日目は簡単に観光をした。市場へ行き、堀崎は7000円以上もするバルサミコを買い、おいらは1995年のモンタルチーノを買った。その後ショッピング街に行き、フィレンツィエが本店のサルバトーレ・フェラガモに行きスーツ用の靴を購入した。価格は約33万リラ、やすい。その靴を履いて、夜はサバティーニという銀座にもある高級レストランで食事をした。2人ともスーツを着込み歩いて3分ほどの場所に向かった。
1万1千円のコースをオーダーし、ワインはトスカーナ地方が産地の高級ワイン、モンタルチーノを頼んだ。合計1万6千円ぐらい?量が多くてとても食べ切れる量ではなかったが、とてもおいしかった。
2日目は朝から市場へ向かい、野菜をみて回った。蜜柑を食べたりして楽しむ。お昼は食堂という感じのトラットリアでミネストローネとスパゲッティを食べる。急いで駅に向かい、ピサヘ行く。斜塔をみて帰った。帰りの電車が途中で人身事故を起こしてしまい。本当は50分の列車の旅も2時間以上かかってしまった。夜はずっと行けなかったアクア・アル・ディユエというレストランに行ったが、予約でいっぱいと言われてしまい結局その近くの日本人観光客御用達?のリストランテで食事をした。トリュフのスパとポルチーニの肉を食べた。帰りの途中は明日のミラノでのレストランを予約した。ソフィーに電話をしてみたが上手く繋がらなかった。

今までの食事リスト;
機内食
ルネッサンスホテルのディナー
ローマのトラットリアで釜焼きピザとリゾット、ペンネ
ローマの夜は疲れはててパス
ホテルの朝食
バールでパンを2つ
サバティーニで豪華な夕食
トラットリアで昼食
リストランテでの夕食
ホテルの朝食(コーヒーまずし)

ビッフィ・スカーラ


2001年1月23日(Tuesday ローマ 曇り)
フィレンツィエへ向かう電車の中である。曇っているが寒くはない。たった一日だけのローマ滞在は駆け足だったがなかなか充実したものだった。
スペイン広場、ヴァチカン市国、トレヴィの泉、スーパーマーケットなど行った。スーツケースがやっぱり、というか案の定届かなかった。21時頃やっと届いたが2人ともに疲れはてて結局夕食を食べないまま眠りについてしまった。12時間眠りについた後、シャワーを浴びて、朝食をとって。ローマテルミニ駅へ。
電話が掛かってきた。日本からだ。
特に重要な用事ではなかったみたいだが、あとで電話をかけてみようと思う。
7年ぶりに行くフィレンツィエ。前回両親と行ったときはいけなかった。

2001年1月22日(Monday ロンドン 細かい霧雨)
再び機上の人に。ヒースロー近くのルネッサンスホテルに宿泊した。現在はローマに向かう機内にいて朝食を待っている。
コペンハーゲンのフライトは17時45分でロンドンが濃霧だったため、45分遅れの離陸だった。しかも、ヒースロー周辺の濃霧が晴れなかったため30分も上空を旋回し、自動操縦で着陸したそうだ。私は爆睡していたため気がついたのは着陸の衝撃だった。すでに午後8時20分。ローマ行きのフライトは午後6時30分。さすがに当日んものローマインは不可能だった。ターミナル4から本来の乗り継ぎであるターミナル1へ行き、BAのカウンター事情を説明すると相手もわかっていたらしく、ホテルと明日の朝一のフライトを取ってくれた。預けた荷物を聞くと預かったままだというので、「歯ブラシないやないけ!」と文句を言うとお泊まりセットを渡してくれた。それが結構豪華なセットだった。以下に紹介する。シャンプー、リンス、歯ブラシ、髭そり、髭そりフォーム、ハンドタオル、クシ、綿棒と綿、ボディローション、石鹸と特製Tシャツとパンツ(!)まで。たぶんファーストクラス用なのだろうか?

朝食も終わり今は落ち着いている。


2001年1月21日(晴れ 雪のあと 寒い)BA008便 NRTーLHRーFCO、またまた機上の人に。
今回のディスティネーションはロンドンではなく、ローマだ。しかし、BAでの初めてのフライトでロンドン経由でローマに向かう。イタリア。3度目になるが、とても楽しみである。今回はテーマがある。食事だ。いつもは一人の旅行が多いけど今日は仲間がいる。中学の同級生だ。彼が約9年間ホテルでシェフとして働いてきた。遂に仕事をやめ、東京のイタリアンレストランに2月から働き始める。せっかくの休暇だからイタリアにでも行こうと誘ったところ乗ってくれた。
で、21世紀初の海外旅行はイタリアに決まった。
BAの機体はあまり新しくないが、新聞が英国の新聞だったり、機内のアナウンスがスノッブな英語だったり、ニュースがBBSだったりしてなんだかとても落ち着く。QANTASとは違った雰囲気でまたいい感じだ。
昨年の2月にロンドンに行ったときはPalmもあまり一般的でなかったが、今回はPalm+PalmPortable keyboradで快適だ。しかもATOKが最高に変換効率がよいので、快適に文字を打つことが可能だ。
今回は仕事の関係上携帯を持参している。ノキアのとてもファショナブルな小さいものだ。今回の旅行ではイタリアで、洋服、イギリスでたばこと財布とか携帯とか、あとPSIONの付属品とかを密かに狙っている。

ロンドンまであと3時間ちょっと。映画は3本だった。キッド、パーフェクトストーム、60セカンズ。12時間のフライトだからって3本やったっけ?
ビール、ワイン、ジントニックですっかり酔っぱらって4時間ほど眠りについて、まもなくくる軽食を待っている。
一人旅の時は喋る人もなく、ただ、ひたすら文章を打ち続けていた覚えがある。今回の旅行は比較的退屈しないで過ごすことができる。

みつが小腹が減ったというので、スナックを頼んでみた。カップ麺とパンを運んでくれた。まもなくカレーが(というか2人でチキンカレーを狙っている)来るのがわかっているのにである。

トラブル発生。現在コペンハーゲンにいる。BA008便のエンジンが一つ故障していたため、3機のエンジンで動いていた。そのため燃料を多く使い過ぎたためロンドンまで到達できなかったのだ。現在は振り替え輸送の機内で離陸を待っているが、ヒースローが雲がたちこめているため、45分後の離陸だそうだ。現在18時20分。日本は月曜日の深夜2時20分だ。
7年ぶりのデンマーク。前回は列車で来たので空港は初めてだ。


ハッカ、ニッキ2000

ハッカ、ニッキ1999