Formula One History

シューマッハはまだプロストを超えていない

強力なライバルが多かったプロスト、孤独なシューマッハ

(2001.10.5)

2001年ベルギーでM・シューマッハが52勝を達成してプロストの最多勝を破りました。これでシューマッハは本当にプロストを超えたと言えるでしょうか。プロストの時代には、セナ、マンセル、ラウダ、ピケといった強豪がひしめいていました。一方、シューマッハの時代はライバルに見劣りがします。つまり、プロストの方が記録に重みがありそうです。シューマッハが1〜2勝上回ったくらいでは、プロストを超えたとは言えないかもしれません。

 

 

プロスト51勝の方が重みがある

 

 

 

 

 

 

 

プロストとシューマッハが勝ったレースで、2位だった選手の内訳です。グレー系は非チャンピオンで、色がついているのはチャンピオンです。一見して、プロストの方は多くのチャンピオンたちを従えた優勝が多かったことがわかります。プロストの場合は8人、30回で、シューマッハは5人、18回です。(ただし、シューマッハの方は、非チャンピオンの中に、未来のチャンピオンになる選手がいる可能性はあります。)

 

 

プロストの方が強い敵が多かった

 

 

 

 

 

 

 

今度は逆に、プロストとシューマッハが2位だったレースで、優勝した選手の内訳です。グレー系は非チャンピオンで、色がついているのはチャンピオンです。プロストの方が多くのチャンピオンたちに勝利を阻まれたことが多かったことがわかります。プロストの場合は7人、30回で、シューマッハは5人、18回です。(ただし、シューマッハの方は、非チャンピオンの中に、未来のチャンピオンになる選手がいる可能性はあります。)

 

 

セナはプロストに立ちふさがり、シューマッハの前からは消えた

 

 

 

 

 

 

 

 

プロストとシューマッハが出走したレースでの、勝者を回数順に左から並べました。比べて分かるのは、プロストに大きく立ちふさがったセナの存在です。プロストはセナに37回の優勝をさらわれました。セナは全盛期をプロストと戦いました。セナはシューマッハが伸びた時期に姿を消しました。そして、それ以降、シューマッハにセナほどの強敵は現れていません。(ハッキネンは20勝だが、シューマッハ欠場時の1勝を除外)

 

 

プロストの敵は長く、シューマッハの敵は短い

プロストが出走した1980〜1993年と、シューマッハが出走している1991年以降、ともに走ったチャンピオンたちです。

プロストの時代にはラウダとロズベルグの後期、同年代はピケ、マンセル、セナと言えます。

シューマッハの時代には、マンセルとセナが少し重なりますが、同年代と言えるのはハッキネン、ヒル、ビルヌーブです。


それらを勝利数で示しました。プロストは1980年代前半にライバルより多く勝ちましたが、後半になるとマンセル、セナに多くの勝利を奪われます。プロストの敵はひとりではありませんでした。

シューマッハは、ヒル、ハッキネンとの死闘を戦いました。ただ、プロストに比べると長続きするライバルがいなかったと言えます。

 

 

プロストの時代はドングリの背比べで、シューマッハの時代の方がレベルが高いのではないかという意見もあります。しかし、プロストがヒルに予選で14勝2敗(1993年ウィリアムズ)、セナがハッキネンに2勝1敗(1993年マクラーレン)、ヒルに3勝0敗(1994年ウィリアムズ)だったことは、その考えが誤りであることを示します。

 

 

 

プロストはチームメイトと戦い、シューマッハは戦っていない

 

 

 

 

 

 

 

 

プロストとシューマッハの年別の優勝回数です。これにはチームメイトの優勝回数を並べ、さらにコンストラクターの順位も示しました。プロストはチームメイトと3回も争いました。1984年のラウダ、1988,89年のセナです。一方、シューマッハはデビュー年と重傷事故の1999年を除くと、ひとり勝ちになっています。チームの全精力がシューマッハに注がれました。

ふたりの所属したコンストラクターの順位は、似たようなものです。つまりマシンとチーム力でどちらかが有利だったとは言えないようです。

 

 

 

 

シューマッハが真にプロストを超えるのは、表彰台回数を上回ったとき

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、ふたりの入賞順位ごとの回数を並べました。右は順位ごとの回数で、左は累計です。シューマッハは、優勝回数ではプロストを抜きました。しかし、2位以下の回数ではプロストを下回っています。プロストが強いライバルたちと戦ってきたということは、その分、優勝回数が少なくなり、2位や3位の数が多くなることになります。逆に、シューマッハはライバルが少ないからプロストより楽に優勝でき、2位以下は少ないと言えます。

ライバルが少ないのはシューマッハ自身のせいではありません。ですが、記録としてプロストを真に上回るためには、右図の累計の折れ線で、プロストを抜く必要があります。それは、2位や3位を重ねろということではなく、1位で突出してもかまいません。優勝回数だけでなく、優勝争いの回数で上回れば、プロストを文句なく超えたと言えます。優勝争いの回数は定義が難しいですが、表彰台回数をひとつの指標とするなら、プロストの108回が最多になります。シューマッハは2001年アメリカGP時点で、96回です。

 

 

 

(参考:F1全史)