Formula One History

シャシー&エンジン、フル参戦の歴代有力コンストラクター

 

2001.12.20

2002年、トヨタがシャシー・エンジンともに作って新たに参戦します。F1の歴史でフル参戦したチームの系譜を見てみましょう。そうそうたるコンストラクターが名を連ねます。

 

イタリア

 

フェラーリ

1952を皮切りに11度ドライバーズ/コンストラクターズチャンピオン

1950年、エンツォ・フェラーリが打倒アルファロメオを目指して参戦。1951年イギリスGPでアルファロメオに初勝利。1952〜53年に2年連続チャンピオン。以後、2001年まで11度のドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンを獲得しています。1988年エンツォの死後、フィアットグループの傘下に入りました。

他のコンストラクターが参戦と撤退が相次ぐ中、継続しつづけるフェラーリ。イタリア国民が支えるだけでなく、F1=フェラーリといってもいいでしょう。

 

アルファロメオ 

1950,51ドライバーズチャンピオン

アルファロメオは1920〜30年代に活躍したイタリアの伝統チーム。名車ティーポ158はエンツォ・フェラーリの発案で1938年に登場。戦後、1946年から48年にかけて、イタリアをはじめとする多数のグランプリを制覇しました。1950年、F1世界選手権が始まるや、レースを席巻。2年連続チャンピオンに輝きます。しかし、1951年イギリスGPで新興のフェラーリに敗れ、資金不足もあり撤退しました。

その後、アルファロメオは60年代と80年代に参戦しますが、優勝は出来ませんでした。

 

マセラーティ 

1957ドライバーズチャンピオン

1926年設立のイタリアの老舗マセラーティ。1930年代前半が全盛期。1950年F1参戦。1953年初優勝。1957年ドライバーズチャンピオン獲得。しかし経営状態が苦しくなり、その年にワークス活動は中止されました。

2001年、フェラーリがマセラーティの名でモータースポーツ復帰を画策中。

 

 

ドイツ

メルセデスベンツ 

1954,55ドライバーズチャンピオン

メルセデスは1903年ゴードン・ベネット杯という当時の大レースに優勝。1930年代後半は最強を誇り、ヒットラーの支援も受けました。

F1には1954年に参戦。いきなり勝ちまくりました。しかし1955年ルマンで80名の犠牲者を出すモータースポーツ最大の事故後、撤退。

1993年イタリアGPより、支援していたイルモア(イギリス)にメルセデスの冠をつける形で復帰。これは真のメルセデスではありません。ただ、ドイツのモータースポーツの雄という自負はあります。

 

ポルシェ 

1957年にF2部門で参戦。このときは2シーターのスポーツカーで走っていました。1961年よりフル参戦。1962年フランスGPで唯一の勝利を上げますが、すぐに撤退。

1984年、マクラーレンTAGにエンジン供給し、3年連続ドライバーズチャンピオン。1991年、フットワークにエンジン供給するも、失敗。

ポルシェはF1にはあまり力が入らず、スポーツカー部門で活躍しました。なお、BMWはF1フル参戦はしていません(50年代にF2ではフル参戦)。

 

 

イギリス

 

BRM 

1962ドライバーズ/コンストラクターズチャンピオン

1947年、イギリス工業界から資金援助を受け、設立。F1には1956年に本格参戦。1962年、ドライバーズとコンストラクターズ両王座を獲得。1972年までに17勝。1977年撤退。イギリス期待の星でしたが、大成功したとは言えませんでした。しかしシャシー製作者の種はまかれました。ロータスが後を継ぎ、ウィリアムズとマクラーレンが現代のF1を支えるイギリス・コンストラクターの頂点にいます。

 

バンウォール 

1958コンストラクターズチャンピオン

1954年BRMを離脱したトニー・バンダーベルが設立。1956年コリン・チャップマン設計。1957年初優勝。スターリング・モスが乗った1958年、初代コンストラクターズチャンピオンとなり、イギリス製マシンでフェラーリを破って世界制覇を成し遂げるという所期の目標を達成。バンダーベルは自らの健康上を理由にこの年限りで撤退。

 

 

フランス

 

ルノー 

1906年フランスグランプリに優勝など、自動車レース黎明期から活動していたルノー。フランス自動車界の柱です。

1977年、国営企業としてF1フル参戦。非過給3リットルに対し、誰も手をつけなかった過給1.5リットル規定にターボで挑戦。トラブル続きながらも、1979年初勝利。1985年に撤退するまで、ついにチャンピオンにつくことはありませんでした。ターボでは後発のフェラーリ、TAGポルシェ、ホンダに王座を奪われました。

1989年、ウィリアムズにエンジン供給で参戦。1992年から4度のドライバーズチャンピオン、5度のコンストラクターズチャンピオン。

3年休止の後、2001年ベネトンにエンジン供給、2002年に16年ぶりにフル参戦を再開し、独力で王座を目指します。革新技術で挑戦することがルノーの旗です。

 

 

日本

 

ホンダ 

1964年、2輪では実績のある本田技研が、4輪の市販車もないのにF1へいきなり挑戦。しかもシャシー・エンジンすべて自製。2年目の1965年に初優勝。1967年2勝目。1968年に死亡事故をおこし、第一期の活動休止。

第二期(1983〜1992)は大成功しますが、エンジン供給のみ。2000年にフル参戦をとりやめ、エンジン供給とシャシー協力で復帰。フル参戦でなく勝てない状態では、中途半端な参戦の感がぬぐえません。

 

トヨタ 

2002年、日本のNo.1、世界第3位の自動車メーカー、トヨタがF1初参戦。母体はラリーを制覇したことのあるTMG。

21世紀、自動車メーカーは車を作って売るだけではアイデンティティーがなくなりました。環境問題はもっとも大きなテーマですが、夢を売るという意味では、モータースポーツで活躍することに向けられます。その頂点にあるF1は最大の挑戦目標になりました。

 

参考:

生産台数上位メーカー
1位 GM(アメリカ)
2位 フォード(アメリカ)
3位 トヨタ(日本)
4位 ルノー(フランス)
5位 フォルクスワーゲン(ドイツ)

販売台数上位国
1位 アメリカ
2位 日本
3位 ドイツ
4位 イギリス
5位 イタリア
6位 フランス