(2001.12.12)
(2001.12.13訂正)
2001年、M・シューマッハはチームメイトのバリチェロに対し、得点で2.2倍、67点差(123対56)をつけました。差が2倍を超えたのは6年ぶりです。歴代チャンピオンとチームメイトの得点はどうだったでしょうか。
年別に見ると、チャンピオンがチームメイトを圧倒した年の方が多いことが分かります。
もっとも大きな差と言えるは、1972年、ロータスのエマーソン・フィッティパルディ(61点)とデイブ・ウォーカー(0点)です。チャンピオンのチームメイトが0点だったのは、この年だけです。
もっとも小さな差は、1984年、マクラーレンのニキ・ラウダ(72点)とアラン・プロスト(71.5点)の0.5点差です。これは史上最小差チャンピオンとして有名な年でもあります。
なお、チームメイトが2人以上いる場合、最も多く得点した者か、最も多く出走した者を比較しました。
1950-2001の52年間で平均すると、チャンピオンは1年で63.0点、チームメイトは32.7点と、倍近い得点を上げています。これは年代に関わらず、全体的に同じ傾向です。
チャンピオンとチームメイトが3点差以内で争った年は、1950,61,67,71,84,88の6回しかありません。逆に倍以上の差になったのは、F1史で約半分の24回もあります。
ここからわかることは、チームはただ一人に精力を集中することが多いということです。
ジョイントナンバーワン体制のチームは、チーム内で無用の争いのあげく、他チームにタイトルをとられるケースが多いです。よほど他チームを圧倒する速さを持たない限り、難しいでしょう。
ロータスは伝統的にナンバーワン至上体制でしたが、この年はフィッティパルディでした。デイブ・ウォーカーという選手は、一度も入賞できず、終盤にはクビになりました。サポート役にもなれないナンバー2はだめでした。
ロータスといえば、創始者のコリン・チャップマンと、ジム・クラークのコンビが無敵でした。トレバー・テイラーはクラークより1歳下、26歳の若手でしたが、あまりの差に、翌年放出。
マクラーレンTAGポルシェが12勝と圧倒した年、老獪なラウダが、プロストを0.5点差で抑えました。マクラーレンはナンバーワン至上主義でなく、チームオーダーも出さないチームです。
この年のフェラーリは無敵で、チームの2人だけの争いになりました。トリップス33点、ヒル29点で迎えたイタリアGPでトリップスが事故死。優勝したヒルがチャンピオンになりました。フェラーリは伝統的にナンバーワン至上主義ではなく、競わせるのがエンツォ流でした。