(2001.7.22)
2001年第11戦イギリスGPでクルサードはクラーク以来の母国3連覇が成りませんでした。過去、母国GPで活躍できた選手、チームとそうでないものの状況を追って見ました。なお、イタリアにはサンマリノとペスカーラ、ドイツ・イギリス・スペインには自国内で行われたヨーロッパGP、日本にはパシフィックGPを含みます。
現役ドライバーで母国GPに勝ったのはM・シューマッハとクルサードしかいません。平均得点では、母国が悪い選手が多い中、バトンが良く、クルサードとアレジが愛国精神を発揮しています。母国で力が出せないのがバリチェロで普段の3割以下です。母国GPがないのはハッキネン、モントーヤ、フェルスタッペンです。
優勝回数
4 M・シューマッハ(独)
2 クルサード(英)
平均得点差異
2.3倍 バトン(英)
1.3倍 クルサード(英)
1.3倍 アレジ(仏)
1.1倍 M・シューマッハ(独)
ミハエル・シューマッハ(ドイツ)
ドイツはF1史上、母国人の優勝がありませんでしたが、1995年にM・シューマッハが初めて優勝を果たしました。シューマッハはニュルブルクリングで行われたヨーロッパGP(1995,2000,2001)にも勝っています。
歴代チャンピオンの中で、母国GPで最多優勝は、プロスト(フランス)の6勝です。連続優勝ではクラーク(イギリス)の4連覇(1962-65)。平均得点が母国で急上昇するのはフィッティパルディ(ブラジル)です。母国GPがなかったのはブラバム、ハルム、ロズベルグ、ハッキネンです。
最多優勝
6 プロスト(仏)
5 クラーク(英)
マンセル(英)
連続優勝
4 クラーク(英)
3 プロスト(仏)
平均得点差異
2.3倍 フィッティパルディ(ブラジル)
2.0倍 マンセル(英)
1.6倍 クラーク(英)
1.6倍 プロスト(仏)
アラン・プロスト(フランス)
母国GP最多の6勝を誇ります。1981,83,88,89,90,93年に優勝。セナもフランスGPはプロストに阻まれ、勝つことが出来ませんでした。
国別の母国人成績を見ると、イギリスが勝率36%と最も高くなっています。モス(2勝)、クラーク、スチュワート(2勝)、マンセル、クルサード(2勝)と綿々と連なるイギリス人ドライバーは、F1史上に残っています。これに続くのはブラジルの24%で、フィッティパルディ、ピケ、セナが2勝ずつ。フランスは8勝のうちプロストが6勝でひとり気を吐いています。イタリアは8%と低く、最近ではサンマリノGP(イタリア・イモラ)でパトレーゼが勝ったのが最後です。イタリアGPでは1966年スカルフィオッティ以来、勝者が出ていません。ドイツは1995年、43年目に初めてM・シューマッハが母国人優勝しました。
オーストリアはラウダが1984年、カナダはG・ビルヌーブが1978年に優勝。
ジム・クラーク(イギリス)
母国GP最多の4連覇を誇ります。1962,63,64,65,67年に優勝。クラークに阻まれたため、G・ヒル(イギリス)は母国GPを制することができませんでした。
国別の母国コンストラクター成績を見ると、イギリスが勝率71%と最も高くなっています。マクラーレン(13勝)、ウィリアムズ(11勝)、ロータス(8勝)と綿々と連なるイギリス人チームも、F1史上に残っています。イタリアを背負うフェラーリは、地元で23%の勝率。フランスはルノーが9勝(チーム4勝・エンジンのみ5勝)。ドイツはメルセデスが3勝(チーム1勝、エンジンのみ2勝)。アメリカはフォードがエンジンで20勝。日本はホンダがエンジンで2勝(88,91)。
ナイジェル・マンセル(イギリス)
クラークと並ぶ母国GP5勝を記録。1985年ヨーロッパ、1986,87,91,92年イギリスGP優勝。1987年はピケをオーバーテイクしたシーンが有名。チェッカー直後にガス欠という劇的な勝利でした。
国別の母国タイヤ成績を見ると、アメリカが勝率59%と最も高くなっています。グッドイヤー(22勝)、ファイアストン(4勝)。フランスはミシュランが80年代に5勝。イギリスはダンロップが60年代に8勝。ドイツは50年代にエングルベル2勝、コンチネンタル1勝。イタリアは50年代にピレリが7勝。日本はブリヂストンが98年以降3勝。
アイルトン・セナ(ブラジル)
デビュー以来7年間、母国で勝てなかったセナは、1991年ブラジルGPで初めて勝ちました。終盤、ギヤが6速だけになりながら、インテルラゴスの低速コーナー(80km/h)を周回するという信じられない運転をした上の勝利でした。