(2001.12.6)
2002年、ジョーダン佐藤琢磨のチームメイト、ジャンカルロ・フィジケラ。28歳のイタリア人は、かなり手強いドライバーです。96年デビュー以来、6年間ですべてのチームメイトに勝ってきました。その中には、ラルフ・シューマッハも含まれています。
フィジケラは91レースに出走し、ポールポジション1回、フロントロー2回です。チームメイトとの予選対決では、64勝27敗、勝率70%という強さを誇ります。これはチャンピオン級です。
6年間すべて予選でチームメイトに勝ち越しました。
2年目の1997年、新人R・シューマッハがチームメイトになりました。この年が最も強敵と組んだのかもしれません。そしてフィジケラが10勝7敗と勝ち越しています。2人がF1初コースだったのは、9GPあり、フィジケラの6勝3敗です。
バトンは、2000年にR・シューマッハとチームメイトになり6勝11敗、2001年にフィジケラとチームメイトになり、4勝13敗でした。バトンを通しても、フィジケラがR・シューマッハより速かったと言えます。
フィジケラの決勝の得点では、ミナルディの初年度0点を除いた5年間では、4年チームメイトを上回っています。R・シューマッハには決勝でも勝ちました。
98年のみブルツを下回りました。しかし、この年のブルツは最高位が4位(5回)でしたが、フィジケラは最高位で2位(2回)を記録しています。
99年以降は、チームメイトに圧勝しています。トータルでは、フィジケラ自身が75点、チームメイトは半分の37点です。直近3年間で見ると、39対7とチームメイトの5.5倍の得点を上げています。
フィジケラの予選と決勝の順位の回数です。フィジケラは、F1史上No.1記録をひとつ持っています。それは、未勝利者の最多2位回数、5回です。これまで優勝にあと一歩で届かないでいるドライバーです。
予選平均順位は10.9位、決勝平均順位は7.7位。中団からじわじわ上がっていくタイプです。コンスタントに入賞圏内を走るところから、レースでしぶといことがわかります。
フィジケラがもっとも優勝に近づいたレースと言えば、1999年ヨーロッパGPでしょうか。雨で波乱となったレース。45周目にトップに立ったフィジケラは、49周目に無念のスピンアウト。金網にもたれ泣きます。以後2001年まで、フィジケラが1位を走る場面はありません。
以上のように、フィジケラは手強いドライバーです。しかし、勝てないドライバーでもあります。佐藤が優勝、そしてチャンピオンをめざすならば、フィジケラを倒さないとかなわぬ夢となるでしょう。