F1ドライバー統計(1950-2000)

Aチャンピオンになれなかった者

1回だけチャンピオンになった者は、前回で14人と報告しました。一方、チャンピオン争いをしながら、惜しくもチャンピオンになれなかった者はどれくらいいたでしょうか。王座に就けないばかりか、多くの者が悲劇に会ったことを知らされます。

2001.7.23 Updated

通算優勝回数とチャンピオン

通算優勝回数が増えるに従い、チャンピオンになれる率が上がっていきます。

チャンピオンで最も少ない優勝回数はホーソン(1958)とP・ヒル(1961)の3勝です。逆に非チャンピオンで最も多い優勝回数はモスの16勝です。

モスより勝率の低いチャンピオンは27人中20人もいます。

スターリング・モス(イギリス)【優勝16回、選手権2位4回、3位3回】
1951年、21歳でデビュー。選手権は1955〜58年に4年連続2位。1959〜61年に3年連続3位。選手権3位以内が7回というのはプロスト(8回)に次ぎ、ファンジオと並びます。2000年1月、英国王室よりナイト(騎士)に叙せられました。

 

★グリップ走法とパワースライド走法
モスは、コーナリング中も徐々にブレーキングしてグリップを得、高いスピードを保つ走法を発見しました。これは現代でもシューマッハやクルサードに引き継がれています。これに対し、コーナー手前でブレーキングを完了し、コーナリング中はパワースライドする伝統的な走法はロズベルグからハッキネンに引き継がれています(F1倶楽部23号より)。

 

無冠の帝王モスの足跡

モスは、1955〜57年に2位になりましたが、王者ファンジオを打倒できませんでした。

モスが最も惜しかったのは、ファンジオが引退した1958年です。ホ−ソン1勝に対しモス4勝。しかしホ−ソンは2位5回、モスは2位1回でした。

1959〜1961年、モスはチーム体制、ケガ、マシン性能に泣きます。しかし不利な状況でモナコや雨のニュルなど、名レースを演じました。

モスは1962年、開幕前に頭部に重傷を負い、王座に就くことなく引退します。ファンジオ後は当代一と言われながら・・・。

 

ピーター・コリンズ(イギリス)【優勝3回、選手権3位1回】
1952年、20歳でデビュー。1956年最終戦、フェラーリでチャンピオンを目前にしながら、ピットに降り、ファンジオに車を譲りました。「僕はまだ若いし、チャンピオンはいつでもなれる。」と語っています。しかし1958年ドイツGPで事故死。

ウルフガング・フォン・トリップス(ドイツ)【優勝2回、選手権2位1回】
1958年、28歳でデビュー。1961年、ポイントリーダーで迎えたイタリアGPで事故死。フェラーリのチームメイト、P・ヒルが王座に就きました。

ブルース・マクラーレン(ニュージーランド)【優勝4回、選手権2位1回、3位2回】
1958年、20歳でデビュー。1959年、22歳で史上最年少優勝。1960年、選手権2位。1970年、テスト中に事故死。マクラーレン・チームの創設者。

ジャッキー・イクス(ベルギー)【優勝8回、選手権2位2回】
1966年、21歳でデビュー。1970年、ポイントリーダーのリントが事故死した後、逆転可能だったフェラーリの2位イクスは「死んだ人間からチャンピオンを取り上げるわけにはいかない」と発言。ルマンに6度優勝。2000年2月、強盗に襲われるも「私を殺せば君らは一生刑務所だ」と言って難を逃れました。

 

1回チャンピオン14人と、2回以上優勝の非チャンピオン32人を比べてみました。

優勝も2回以上経験すると、次はチャンピオンを目指すことになるでしょう。

完走率は大差ないものの、上位に行くほど差が出てきます。

ロニー・ペテルソン(スウェーデン)【優勝10回、選手権2位2回、3位1回】
1970年、26歳でデビュー。71年に選手権2位。ロータスで73〜74年に7勝。78年最速ウィングカーのロータスに復帰するもNo.1アンドレッティ優遇に泣きます。イタリアGPスタート直後に事故。医療ミスにより死亡。

 

クレイ・レガッツォーニ(スイス)【優勝5回、選手権2位1回、3位1回】
1970年、30歳でフェラーリからデビューし、初優勝、選手権3位。1974年に選手権2位。1980年ロングビーチの事故で下半身不随。

 

カルロス・ロイテマン(アルゼンチン)【優勝12回、選手権2位1回、3位3回】
1972年、29歳でデビュー。非チャンピオンではモスに次ぐ優勝回数。ポイントリーダーは1977,78,81年に記録。1981年は第2戦から第14戦までリードしながら、最終戦でピケに逆転されます。フェラーリやウィリアムズなどでチーム内の確執が発生。1982年にはフォークランド紛争の影響でウィリアムズから去り引退。15戦連続入賞の最多記録保持。

1回チャンピオンと非チャンピオン(優勝2回以上)で、PPとFLは差が出ませんでした。1周の速さに違いはないようです。

しかしリーダーラップを記録したGPの率では、倍の差が出ました。とにかくレースをリードすること、そうすれば勝率が上がり、チャンピオンの道が出てくるようです。

リカルド・パトレーゼ(イタリア)【優勝6回、選手権2位1回、3位2回】
1977年、24歳でデビュー。16年目の1992年に選手権2位。1993年引退。通算256回出走は歴代1位。鉄道模型が趣味の渋い鉄人。

ジル・ビルヌーブ(カナダ)【優勝6回、選手権2位1回】
1977年、27歳でデビュー。1979年にフェラーリで選手権2位。1982年ベルギーGP予選で、確執のあったチームメイト、ピローニのタイムを上回ろうとして事故死。G・ビルヌーブを有名にしたのは1979年オランダGPの3輪カウンターステア走行。不利なマシンでも全力を尽くす精神は伝説になっています。

 

ディディエ・ピローニ(フランス)【優勝3回、選手権2位1回】
1978年、25歳でデビュー。1982年サンマリノGPにて、フェラーリのチームメイト、G・ビルヌーブをチームオーダー無視で抜き、確執発生。続くベルギーGP予選でビルヌーブが事故死。ポイントリーダーになったピローニはドイツGP予選で両足複雑骨折し、引退。1987年、パワーボート世界選手権で事故死。

ルネ・アルヌー(フランス)【優勝7回、選手権3位1回】
1978年、29歳でデビュー。1980年にポイントリーダー。4年連続最多PPを記録。1983年、フェラーリで選手権3位。チーム内で女性問題を起こし、解雇されました。1989年引退。パリで速度違反で捕まった時、「俺はF1ドライバーだ」と言ったとか。

 


1回チャンピオンと非チャンピオン(優勝2回以上)の平均年齢です。

初出場年齢では、非チャンピオンがやや若いのですが、初優勝では1回チャンピオンが先になっています。

1回チャンピオンがデビューしてから2年で優勝するのに比べ、非チャンピオンは3年半かかっていることになります。


ミケーレ・アルボレート(イタリア)【優勝5回、選手権2位1回】
1981年、24歳でデビュー。1985年、フェラーリで2勝し、第11戦でプロストに逆転されるまでポイントリーダー。1994年引退。

ゲルハルト・ベルガー(オーストリア)【優勝10回、選手権3位3回】
1984年、24歳でデビュー。ポイントリーダー経験なし。1987年と92年に年間2勝。フェラーリに5年、マクラーレンに3年在籍しましたが、在籍時期のタイミングが悪かったと言えます。セナ事故死の5年前に同じイモラのタンブレロ・コーナーで大事故をおこしていました。

 

 

現役(まだチャンピオンのチャンスあり)

デビッド・クルサード(イギリス)【優勝11回、選手権3位3回】
1994年、23歳でデビュー。1995,1998,2000年に選手権3位。ポイントリーダー経験は2001年に1GP分だけM・シューマッハに並ぶ。ウィリアムズ、マクラーレンと車に恵まれているが、優勝回数が少なく、No.1ドライバーに勝てないでいます。

エディ・アーバイン(イギリス)【優勝4回、選手権2位1回】
1993年、27歳でデビュー。1999年開幕戦に初優勝すると、フェラーリのNo.1シューマッハの事故もあり、チャンピオン争いに頭角を表します。ポイントリーダーに立つも最終戦に敗れて2位。