Formula One History

王手一発で決めるか、逆転されるか

43%が一発決定、15%が逆転負け

(2001.8.30)

2001年はM・シューマッハが王手をかけた第13戦で一発決定しました。過去、ドライバーズタイトルに王手をかけたレースで、すんなり決まったか、最終戦にもつれこんだか、逆転されたか、について振り返ってみます。

 

初王手をかけた者の結果

初王手をかけた結果の割合です。一発で決まったのは43%、1戦遅れて決まったのが13%、最終戦までもつれこんでしまったのが29%ですが、初王手をかけた者は、85%がチャンピオンになりました。逆転され敗れた者は15%です。 

王手をかけながら敗れ、一度もチャンピオンになれなかった者は、1956年のコリンズ(1958年事故死)、1961年のトリップス(王手をかけたモンツァで事故死)、1974年のレガッツォーニ(1980年事故で半身不随)、1981年のロイテマン、以上4人です。

 

 

王手時の点差

初王手をかけた時の点差分布です。水色はチャンピオンになれた者、桃色はなれなかった者です。

1988年日本GP、セナはプロストに5点ビハインドでしたが、優勝してチャンピオンになりました。これは16戦中ベスト11戦という得点ルールの中、選手権2位が王手をかけた唯一の例です。

1〜3点差で王手をかけた者は延べ7人いますが、4人は逆転負けを喫しました。

10〜19点差で王手をかけた者19人のうち、3人が大逆転負けを食らいました。1976年ラウダ(第14戦でハントに17点差)、1983年プロスト(第13戦でピケに14点差)、1986年マンセル(第15戦でピケに10点差、プロストに11点差)です。

20点以上の差をつけての王手なら、100%チャンピオンになります。


 

 

王手と消化試合の関係

1950年から2001年まで、王手がかかっていないレース数(橙色)、王手がかかったが決まっていないレース数(茶色)、決定後の消化試合(薄黄色)数です。

最終戦までもつれこんだのは全体の42%です。消化試合が1レースは19%、2レースは27%です。

過去、もっとも消化試合が多かった年は1992年の5レース、次が2001年の4レースになります。

日本GPは最終戦かひとつ手前ですが、過去17回中、消化試合になった年が1977,87,92,93,95,2001の5回です。チャンピオン決定10回(1976,87,88,89,90,91,96,98,99,2000)と裏腹のGPになっています(TI英田のパシフィックGPは95が決定戦)。

 

早い時期に決まった年
月日 決定時期 GP チャンピオン
8月1日 1965 10戦中7戦目 ドイツ クラーク
8月3日 1952 8戦中6戦目 ドイツ アスカーリ
8月4日 1957 8戦中6戦目 ドイツ ファンジオ
8月14日 1960 10戦中8戦目 ポルトガル ブラバム
8月15日 1971 11戦中8戦目 オーストリア スチュワート
8月16日 1992 16戦中11戦目 ハンガリー マンセル
8月19日 2001 17戦中13戦目 ハンガリー シューマッハ

 

遅い時期に決まった年
月日 決定時期 GP チャンピオン
12月29日 1962 9戦中最終戦 南アフリカ G・ヒル
12月12日 1959 9戦中最終戦 アメリカ ブラバム
11月13日 1994 16戦中最終戦 オーストラリア シューマッハ
11月3日 1968 12戦中最終戦 メキシコ G・ヒル
11月1日 1998 16戦中最終戦 日本 ハッキネン
10月31日 1987 16戦中15戦目 日本 ピケ
10月31日 1999 16戦中最終戦 日本 ハッキネン