50年間で平均速度がどれだけ上昇したか、それを抑える動きがどうだったか、全レースの平均と、伝統的な3つのサーキットについて見ていきましょう。
平均速度の年別変遷です。通常、ポールポジション速度、ファステストラップ速度、優勝者平均速度の順になります。優勝者の平均速度は、1950年代-155km/h、1960年代-166km/h、1970年代-177km/h、1980年代-180km/h、1990年代-187km/hと上昇しています。
1950年代後半にミッドシップ化でコーナリング速度が上昇。これに対し1961年に排気量が3リットルから1.5リットルに半減。
1970年代後半のウィングカーの高速コーナリングに対し、1980年代前半にフラットボトム規制で抑えられます。
1980年代前半のターボパワーは、1980年代後半に過給圧制限で抑えられ、1989年にターボそのものが禁止されます。
1990年代前半はアクティブサスペンション、トラクションコントロールなどのハイテクでコーナリング速度が向上しましたが、1994年に禁止されます。
それでも急上昇する速度を減らすために、1998年から溝付タイヤ、車体全幅制限がはかられ、一応、抑えられています。
グラフで特徴的なのは、1972年、1984年、1997年の3回の優勝速度が落ち込んでいます。これは大雨のレースです。特に有名なのが1984年で、プロストが優勝したのですが、レースが途中で打ち切られなければ、新人セナが優勝していたと言われました。
ここは1950年当初の150km/h台という速度から、1985年にPPで258km/hという最高記録が出るまでになりました。
エンジンパワーがものをいうサーキットとなったため、1991年以降、改修が行われました。中速コーナーが増えた結果、平均速度は抑えられています。ですがハンガーストレートはそのままで、豪快なイメージは残されています。
シケインがなかった時代のモンツァは、スタートから集団状態のままレースが進み、スリップストリーム合戦でリーダーが毎周変わる展開が見られました。
1971年に251km/hを記録しましたが、相次いでシケインが作られ、平均速度が抑えられました。
その後、1991年に257km/hにまで上昇しましたが、高速コーナーのレズモなどが改修され、やや抑えられています。