Formula One History

重大アクシデント集 1995〜2000

1995年から2000年までの重大なアクシデントを振り返って見ます。

1995

ハンガリー(ハンガロリング)での珍事。井上隆智穂がマーシャルカーにはね飛ばされる。消火器を持ってマシンの出火を消しに行こうとしたところだった。

井上はモナコの予選でもマーシャルカーに追突されるなど、妙なところで目立った。

イタリア(モンツァ)でチャンピオンを争うシューマッハとヒルがからむ。周回遅れの井上がよけたところを、ヒルがシューマッハに追突したものだった。

イギリスでも両者は接触リタイヤしており、シューマッハはたびかさなるヒルのミスに怒った。

シューマッハは95年ベストマシンはウィリアムズと語る。しかしヒルはブラジル、ドイツ、ヨーロッパと幾度もスピンし、生かせなかった。

ポルトガル(エストリル)のスタートで片山右京がクラッシュ。他車と接触後、10回転した。1戦休養。

オーストラリア(アデレイド)の予選。ハッキネンがクラッシュ。頭をステアリングに強く打ち重傷。

1996

オーストラリア(メルボルン)。ブランドル(JOR)が行き場を失い、接触して宙を舞う。激しいクラッシュとなったが、この年からドライバーを守るプロテクターなど強化されており、無事だった。

アルゼンチン(ブエノスアイレス)。ディニス(LIG)が燃料漏れで猛火に包まれるが、脱出して軽い火傷で済む。

ベルギー(スパ)予選。シューマッハがスピン、クラッシュ。打撲程度で済む。レースでは優勝。

ポルトガル(エストリル)。ハッキネンとクルサードの同士討ち。このころのマクラーレンはまだ勝つ力がない。ニューウェイは翌年にウィリアムズから移籍する。

日本(鈴鹿)。チャンピオン争いをしていたビルヌーブの後輪が脱落。スタンドに飛び込む。

1997

カナダ(モントリオール)。R・シューマッハがタイヤバリアに激突。無事。

同じカナダで、パニスの事故は両足骨折の重傷を負う。F1マシンはフロントの衝撃に弱い。このことは2年後に次の大事故を呼ぶことになる。

イタリア(モンツァ)。ハーバートはR・シューマッハと接触し、スピンして後ろからタイヤバリアに激突。無事。F1マシンは後ろからの衝撃には安全。

オーストリア(A1リング)。アレジ(BEN)がアーバイン(FER)に乗り上げ、宙を飛ぶ。

ルクセンブルグ(ニュルブルクリング)。シュー兄弟同士の接触。ラルフがフィジケラとジョーダン同士の相討ちとなり、兄を巻き込んでしまう。

最終戦ヨーロッパ(ヘレス)。チャンピオンを賭けたバトル。シューマッハはビルヌーブの追い越しに体当たりするが、敗れる。

1998

カナダ(モントリオール)。スタートでブルツが大立ち回り。数台と接触し、横転。赤旗。

カナダの再スタートはまたもアクシデント。トゥルーリがアレジの上に乗っかってしまう。

ベルギー(スパ)。スタート直後の多重クラッシュ。12台が巻き込まれる。発端はクルサードのスピン。水煙の中、誰もが避けられずにぶつかってしまう。

同じベルギー。トップのシューマッハが周回遅れのクルサードに追突。右前輪を失う。

リタイヤしたシューマッハはマクラーレンのピットに行き、クルサードに猛然と怒りをぶつける。

ライバルチームのNo.2との事故、雨の中の追突。シューマッハはセナの1989年と同じ経験をした。ともにチャンピオンにはなれなかった。

日本(鈴鹿)。シューマッハはPPをエンストでフイにする。最下位から猛然と追い上げるが、タイヤバーストで王座の夢は霧散する。

シケインで高木とトゥエロがおこした事故の影響と見られる。直後に通過した2位アーバインでなく、3位シューマッハが破片を拾ったことに運命を感じる。

1999

カナダ(モントリオール)。フレンツェンがブレーキトラブルでコースアウト。足を痛める。

イギリス(シルバーストーン)。シューマッハが骨折の重傷を負う。ブレーキトラブル。F1マシンはフロントから突っ込むと惨事になる。

ドイツ(ホッケンハイム)。ハッキネンが突然タイヤ剥離でスピン。タイヤバリヤに突っ込む。シューマッハのときより速度は落ちていた。シューの事故の後、タイヤバリヤのタイヤが増えた。

ベルギー(スパ)予選。オー・ルージュでビルヌーブがスピンしてタイヤバリヤに激突。この年はゾンタ、ディニスもここでクラッシュしている。ドライでも恐いスパ。

ヨーロッパ(ニュルブルクリング)。スタート直後にディニスが接触事故。横転し、ロールバーが破損。ディニスは無事。

2000

スペイン(バルセロナ)。シューマッハのピットアウトで右リヤタイヤ担当が接触、重傷を負う。

モナコ(モンテカルロ)。スタート後のロウズヘアピンでデ・ラ・ロサとバトンが接触。7台が行き場を失う。再スタート。

オーストリア(A1リング)。スタート直後の1コーナーで多重事故。フェラーリ2台にゾンタとトゥルーリが追突。後方ではディニスに追突されたフィジケラがスピン。ソンタとディニスにペナルティが下る。

ドイツ(ホッケンハイム)。再スタート後の密集バトル中の事故。アレジがディニスと接触。時速300kmでクラッシュ。アレジは手をハンドルから離して指がつぶれないようにしたと言う。

イタリア(モンツァ)。スタート後の多重クラッシュ。フレンツェンがバリチェロに追突。クルサードとトゥルーリが巻き添えを食らう。ここにデ・ラ・ロサがハーバートと接触して横転、突っ込む。

フレンツェンのホイールが当たって、コースマーシャルが死亡。

※こうしてみると、スタート直後というのがもっとも危険ということがわかります。また、事故の起きやすいサーキットも集中しているようです。

FIAは年々、安全基準を強化していますが、まだまだ事故は恐ろしいですね。シューマッハは以前、ホイールが飛ぶと観客が危険だと言っていましたが、モンツァの事故はマーシャルが被害を受けてしまいました。対策は常に取り続けなければなりません。

このシリーズは今後、80年代前半、70年代とさかのぼる予定です。