(2000.5.14 updated)
2000年は第5戦が終わって、ポールポジションが1度も優勝できない事態になっています。1999年第10戦から10レース連続してPPが勝てません。F1の歴史で、ポールポジションが勝つ率はどれくらいだったのでしょうか。
ポールポジションが勝つ率は、50年間で平均すると36.7%です。
年毎に見ると、左図のように年によって大きなばらつきがあります。
最高は1959年と1991年の75.0%、最低は1982年の12.5%です。
50%以上になった年は14回しかありません。
PP勝率が史上最高の年、1991年を見てみましょう。赤字はポールトゥウィン。この年はPPの完走率が94%と高く、それが記録につながっています。マクラーレンとウィリアムズの互角の戦いで、両者の抜きつ抜かれつはありました。ただ、序盤はウィリアムズに信頼性がなく、中盤はウィリアムズが圧倒、後半にマクラーレンが巻き返すという図式で、PPはレースでも1位を保って勝つケースが多かったのでした。
セナ(BRA)、マンセル(GBR)、パトレーゼ(ITA)、ベルガー(AUT)
GP | ポールポジション | 優勝 | トピック | |||||
ドライバー | チーム | 決勝結果 | ドライバー | 予選順位 | ||||
1 | アメリカ | セナ | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | セナ | マクラーレン・ホンダ | PP | |
2 | ブラジル | セナ | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | セナ | マクラーレン・ホンダ | PP | セナ6速のみで母国初優勝 |
3 | サンマリノ | セナ | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | セナ | マクラーレン・ホンダ | PP | |
4 | モナコ | セナ | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | セナ | マクラーレン・ホンダ | PP | 開幕4連勝は当時の新記録 |
5 | カナダ | パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | 3位 | ピケ | ベネトン・フォード | 8位 | 1位マンセル最終ラップでポカミス |
6 | メキシコ | パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | 優勝 | パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | PP | |
7 | フランス | パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | 5位 | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 4位 | |
8 | イギリス | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 優勝 | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | PP | |
9 | ドイツ | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 優勝 | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | PP | |
10 | ハンガリー | セナ | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | セナ | マクラーレン・ホンダ | PP | 本田宗一郎への喪章つけ優勝 |
11 | ベルギー | セナ | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | セナ | マクラーレン・ホンダ | PP | |
12 | イタリア | セナ | マクラーレン・ホンダ | 2位 | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 2位 | |
13 | ポルトガル | パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | 優勝 | パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | PP | マンセル、ピット外作業で失格 |
14 | スペイン | ベルガー | マクラーレン・ホンダ | リタイヤ | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 2位 | |
15 | 日本 | ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | ベルガー | マクラーレン・ホンダ | PP | 最終ラップ最終コーナでセナ譲る |
16 | オーストラリア | セナ | マクラーレン・ホンダ | 優勝 | セナ | マクラーレン・ホンダ | PP | 豪雨のため14周で終了 |
PP勝率が史上最悪の年、1982年を見てみましょう。赤字はポールトゥウィン。この年、PP10回で最速のルノーは、完走率43%という低い信頼性でレースを落としました。それが最大の原因です。また、事故が多かったこの年、ピローニは2回のPPで、カナダはスタートできずパレッティが追突事故死。ドイツは予選走行中にプロストに追突し、両足切断となりました。ルノーとフェラーリの大陸系2強は速さを生かせず、伏兵ロズベルグが王座をさらいました。優勝者11名という顔ぶれが混戦を物語っています。
ロズベルグ(FIN)、ピローニ(FRA)、プロスト(FRA)、アルヌー(FRA)
GP | ポールポジション | 優勝 | トピック | |||||
ドライバー | チーム | 決勝結果 | ドライバー | 予選順位 | ||||
1 | 南アフリカ | アルヌー | ルノー | 3位 | プロスト | ルノー | 5位 | |
2 | ブラジル | プロスト | ルノー | 優勝 | プロスト | ルノー | PP | 1,2位失格で繰り上げ優勝 |
3 | アメリカ西 | チェザリス | アルファロメオ | リタイヤ | ラウダ | マクラーレン・フォード | 2位 | 3位G・ビルヌーブが失格 |
4 | サンマリノ | アルヌー | ルノー | リタイヤ | ピローニ | フェラーリ | 4位 | ピローニとビルヌーブの確執 |
5 | ベルギー | プロスト | ルノー | リタイヤ | ワトソン | マクラーレン・フォード | 10位 | ビルヌーブが予選で事故死 |
6 | モナコ | アルヌー | ルノー | リタイヤ | パトレーゼ | ブラバム・フォード | 2位 | 3位ラウダが失格 |
7 | デトロイト | プロスト | ルノー | 非完走 | ワトソン | マクラーレン・フォード | 17位 | 7周目に赤旗中断 |
8 | カナダ | ピローニ | フェラーリ | 9位 | ピケ | ブラバム・フォード | 4位 | パレッティが事故死 |
9 | オランダ | アルヌー | ルノー | リタイヤ | ピローニ | フェラーリ | 4位 | |
10 | イギリス | ロズベルグ | ウィリアムズ・フォード | リタイヤ | ラウダ | マクラーレン・フォード | 5位 | |
11 | フランス | アルヌー | ルノー | 優勝 | アルヌー | ルノー | PP | |
12 | ドイツ | ピローニ | フェラーリ | 非出走 | タンベイ | フェラーリ | 5位 | ピローニが予選で重傷引退 |
13 | オーストリア | ピケ | ブラバム・フォード | リタイヤ | アンジェリス | ロータス・フォード | 7位 | 優勝と2位が0.05秒差 |
14 | スイス | プロスト | ルノー | 2位 | ロズベルグ | ウィリアムズ・フォード | 8位 | |
15 | イタリア | アンドレッティ | フェラーリ | 3位 | アルヌー | ルノー | 6位 | |
16 | ラスベガス | プロスト | ルノー | 4位 | アルボレート | ティレル・フォード | 3位 | ロズベルグわずか1勝で王座 |
10年ごとの年代別にまとめると、左図のようになります。
年代ごとにPP勝率が低下していきましたが、1990年代になって再びはね上がりました。
PP勝率が高いということは、速いマシンがレースを支配するということです。1960〜1970年代はチーム間の格差が少ないものでした。1980年代はターボ時代で、予選で速いがレースでもたないケースが多かったものと見られます。
1990年代は最速マシンがレースを牛耳る傾向が強くなっています。これはアルファロメオ、フェラーリ、メルセデスらの黄金期があった1950年代と似ているのです。
予選順位別に、優勝者のシェアを表しました(1950R1-2000R5)。
PPは勝率が高くないのですが、それでも全グリッドから優勝する率は最も高いです。グリッドが下がるにつれて率が下がります。
優勝者ワーストグリッド史上1,2をワトソンが占めています。1983年アメリカ西GPは、予選22位(ワトソン)・23位(ラウダ)のマクラーレンが、レースで予選より2秒速いタイムで追い上げ、優勝しました。赤字はその年のチャンピオン。桃字はその年以外のチャンピオン。
ワトソン(GBR)
予選 | 年 | GP | ドライバー | チーム |
22位 | 1983 | アメリカ西 | ワトソン | マクラーレン・フォード |
17位 | 1982 | デトロイト | ワトソン | マクラーレン・フォード |
16位 | 1973 | 南アフリカ | スチュワート | ティレル・フォード |
16位 | 1995 | ベルギー | M・シューマッハ | ベネトン・ルノー |
14位 | 1977 | オーストリア | ジョーンズ | シャドウ・フォード |
14位 | 1996 | モナコ | パニス | リジェ無限ホンダ |
14位 | 1999 | ヨーロッパ | ハーバート | スチュワート・フォード |
13位 | 1963 | アルゼンチン | マクラーレン | クーパー・クライマックス |
13位 | 1990 | メキシコ | プロスト | フェラーリ |
12位 | 1961 | フランス | バゲッティ | フェラーリ |
12位 | 1962 | ベルギー | クラーク | ロータス・クライマックス |
12位 | 1978 | 南アフリカ | ペテルソン | ロータス・フォード |
12位 | 1989 | ハンガリー | マンセル | フェラーリ |
11位 | 1971 | イタリア | ゲシン | BRM |
11位 | 1975 | スペイン | マス | マクラーレン・フォード |
11位 | 1977 | アルゼンチン | シェクター | ウルフ・フォード |
2000年に開催されるGP別にポールポジション勝率を見ます。
最高はドイツGPの53%、
最低はヨーロッパGPの10%。
ドイツはこの12年間でPPが10回も勝っており、順当なGPです。
一方、イタリアは12年間でPPが2回しか勝っておらず、波乱のGPです。
今度はサーキットごと(1990年以降)のPP勝率です。
最高はホッケンハイム(ドイツ)の80%、
最低はニュルブルクリング(ドイツ)の0%。
ドイツの2サーキットで両極端な差が出ました。
スパフランコルシャン(ベルギー)は1992年から8年連続でPPが勝っていません。
鈴鹿(日本)はこの8年でPPが1回しか勝っておらず、残り7回はすべて予選2位が勝つというジンクスがあります。
PPが有利なサーキットというのは、抜きにくいという意味ではなく、予選とレースで車のセッティングに差が少ないものと思われます。
ポールトゥウィンの連続はそんなに長くありません。下の記録はマンセルのたまものですが、1992年モナコでセナに止められました。
年 | 戦 | GP | ポールトゥウィン | |
ドライバー | チーム | |||
1991 | 15 | 日本 | ベルガー | マクラーレン・ホンダ |
16 | オーストラリア | セナ | マクラーレン・ホンダ | |
1992 | 1 | 南アフリカ | マンセル | ウィリアムズ・ルノー |
2 | メキシコ | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | |
3 | ブラジル | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | |
4 | スペイン | マンセル | ウィリアムズ・ルノー | |
5 | サンマリノ | マンセル | ウィリアムズ・ルノー |
1986年後半は予選で遅れたウィリアムズ・ホンダがレースで圧倒。1987年序盤は予選で速かったウィリアムズ・ホンダがレースで信頼性不足という原因がありました。1987年フランスでマンセルがポールトゥウィンを飾り、連敗は止まりました。
年 | 戦 | GP | ポールポジション | 優勝 | ||||
ドライバー | チーム | 決勝結果 | ドライバー | チーム | 予選順位 | |||
1986 | 8 | フランス | セナ | ロータス・ルノー | リタイヤ | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 2位 |
9 | イギリス | ピケ | ウィリアムズ・ホンダ | 2位 | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 2位 | |
10 | ドイツ | ロズベルグ | マクラーレン・TAG | 5位 | ピケ | ウィリアムズ・ホンダ | 5位 | |
11 | ハンガリー | セナ | ロータス・ルノー | 2位 | ピケ | ウィリアムズ・ホンダ | 2位 | |
12 | オーストリア | ファビ | ベネトン・BMW | リタイヤ | プロスト | マクラーレン・TAG | 5位 | |
13 | イタリア | ファビ | ベネトン・BMW | リタイヤ | ピケ | ウィリアムズ・ホンダ | 6位 | |
14 | ポルトガル | セナ | ロータス・ルノー | 4位 | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 2位 | |
15 | メキシコ | セナ | ロータス・ルノー | 3位 | ベルガー | ベネトン・BMW | 4位 | |
16 | オーストラリア | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | リタイヤ | プロスト | マクラーレン・TAG | 4位 | |
1987 | 1 | ブラジル | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 6位 | プロスト | マクラーレン・TAG | 5位 |
2 | サンマリノ | セナ | ロータス・ホンダ | 2位 | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 2位 | |
3 | ベルギー | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | リタイヤ | プロスト | マクラーレン・TAG | 6位 | |
4 | モナコ | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | リタイヤ | セナ | ロータス・ホンダ | 2位 | |
5 | デトロイト | マンセル | ウィリアムズ・ホンダ | 5位 | セナ | ロータス・ホンダ | 2位 |
PPを10回以上獲得したドライバーは23人。ポールトゥウィン達成回数順に並べました。
勝率だと、最高は50年代アスカーリの71%、最低はアルヌーの11%です。
回数のトップ3、セナは45%、プロスト55%、マンセル50%です。
現役では、M・シューマッハ38%、ハッキネン33%、J・ビルヌーブ42%です。