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 2004JPN

日本GP ラップタイム分析

Oct.18, 2004

ベルギーでドライバーズサーキットに勝てないM・シューマッハと言ったが、最後の鈴鹿で勝った。しかも、ドライでのフリー走行なしで、かなりドライバーの比重が高くなった状況でだ。これには恐れ入った。レース自体は単調で、まさにシューマッハらしい、特に感動もない展開だったが、それも彼らしい。とにかくこれで7度目の王座に箔をつけたことは間違いない。

佐藤は、いかなる理由があろうとも、望まれた結果を出せなかったことに変わりはない。今のままでは、中堅ドライバーの道を歩んでしまう。復帰1年目は勉強の年として課題は多い。M・シューマッハというドライバーが何をしているのか、学ぶ必要がある。
 
上位ドライバー全ラップタイム (9/27)
 
速いのに後方に沈んだ者がいた予選
大雨の金曜で速かったのが、M・シューマッハとフィジケラだった。ジョーダン勢も上位に来るなど、ブリヂストンが優位だった。そんな中、ライコネンがミシュラン勢でただひとり奮闘した。

日曜朝の予選は次第に乾いていったため、最初の出走順が最後まで影響した。第一予選は、前戦1位のバリチェロが8番手、2位のバトンが10番手、3位のライコネンが11番手。一方、前戦不出走のトゥルーリが1番手、12位のM・シューマッハが2番手、リタイヤのR・シューマッハが3番手になった。最終予選の出走順が、さらに乾いていく状況で大きかった。

最終予選では、バトンが5番手につけたが、ライコネンは12番手、バリチェロはシケインでオーバーランして15番手に沈んだ。M・シューマッハは最終予選でPPを獲得。R・シューマッハと兄弟でフロントローを分け合ったのは2003年サンマリノ以来。ウェバーは第一予選4番手から、最終予選も3番手と健闘。ウェバーは11周分で軽タンというわけではなかった。佐藤はシケインでスピンしそうになるもこらえて4番手。

抜きにくい鈴鹿で予選順位は大きな影響を与えた。バリチェロ、ライコネン、モントーヤはレースで前車にふさがれて自分のペースで走れないことになる。フェラーリ、ウィリアムズ、マクラーレンはいずれも鈴鹿で速さのポテンシャルを示していただけに、予選が致命的だった。
ミヒャエル勝因のS字
セクター1は鈴鹿の特徴的なS字があるところで、M・シューマッハが他に大きな差をつけた。M・シューマッハは、雨・チョイ濡れ・ドライのいずれのコンディションも関係なかった。
セクター2はデグナー・ヘアピン・スプーンなどの立ち上がり加速がポイントになる。ここではフェラーリが優位を持っていない。
セクター3は130Rとシケインがあるが、タイム差があまり出にくい。佐藤は最終予選のシケインでミスしたため、ウェバーの後ろになった。

バリチェロの誤算
3ストップが14人で、2ストップが6人だった(マクラーレン2台、ルノー2台、バトン、クリエン)。2ストップは着実に順位を上げるには良かったが、勝つための作戦ではなかった。

M・シューマッハは53周をちょうど4等分した。バリチェロは第2スティントがやや長めだった。これでなかなか抜けなかったモントーヤの前に出ることが出来たが、次はライコネンに詰まってしまった。バリチェロの誤算は予選順位だけでなく、有力ドライバーも中団にいたことだった。

佐藤とバトンの第1スティントは2周しか違わなかった。佐藤が1回目のストップで2ストップに切り替えることも考えられなかっただろうか。
 

バトンはピットロスで2位を失っていた
2ストップ策の場合はピット時間が長くなるが、バトンの場合は長すぎた。バトンは同じ2ストップのマクラーレンやルノーよりも1回で3〜4秒も遅かった。39周目にR・シューマッハがピットアウトしたとき、バトンは4.5秒後方だった。もしバトンがルノー並のピット時間だったら、R・シューマッハの前に出られたはずだった。
 
BARは3.4位で上出来
レースペースにおいて、BARはウィリアムズやマクラーレンより遅かっただけでなく、ザウバーやルノーにも迫られていた。BARが3,4位になったのは、予選のたまものだった。BARは1,2位を追うどころではなかったのだ。
 
ミヒャエル最終スティントはクルーズ
各スティントごとの平均タイムでは、M・シューマッハが第3スティントまでで勝負を決め、最終スティントはクルージングしたことがわかる。BARは特にどのスティントが悪かったわけではない。バリチェロ・ライコネン・モントーヤらは前半の渋滞から後半はペースアップしている。ザウバーも後半に強い。ただマッサはファステストラップで4番手を記録するなど一発の速さはあったが、ロングランの安定性に欠けた。ルノーとトヨタは二人のドライバーにラップ1秒の大きな差があった。
 
R・シューマッハ痛かったピットアウト後
M・シューマッハは記者会見で、序盤に弟がついて離れなかったと言ったが、ラップタイムではその通りでなっている。だが、両者1回目のストップが終わった14周目で、差は15秒に広がってしまった。ここで早くも勝負の大勢がついた。M・シューマッハがピット前後に速いタイムをマークしたのに比べて、R・シューマッハはまったくペースアップできなかったからだ。特にピットアウト直後にアロンソに詰まったのが痛かった。

2回目のピット後には、二人の差は24秒に広がった。R・シューマッハが今度はクルサードに詰まってしまった。余裕のM・シューマッハは、バリチェロに奪われたファステストラップの座を奪い返そうとしたが、それはならなかった。弟も最後は追ってこなかったため、兄もクルージングに入れた。

アロンソは例によって走らぬルノーをむち打ったが、各スティントの序盤にペースが上がらなかったため、佐藤を落とすことは出来なかった。

最終スティントにがんばったのはライコネン。アロンソとの13秒差を最後は1.6秒差にまで詰めたが、逆転はならなかった。ライコネンは第一スティントこそ詰まっていたが、前が空いていた第二スティントにペースが上がらなかったのが響いた。

クルサードとバリチェロは琢磨を抜けなかっただろう
クルサードとバリチェロが接触事故を起こさなかったら、佐藤は6位だったという説がある。クルサードは2ストップだから、佐藤は3回目ストップで逆転されたという見方だ。しかし、クルサードは最後に20周分という重タンで1:35秒台に落ちており、佐藤の1:34秒台とは差が開きつつあった。バリチェロと接触しなかったとしても、バトルでさらにペースを落としていただろう。だからクルサードは佐藤を逆転できなかっただろう。バリチェロはどうか。彼はもう1回のストップが必要だった。クルサードと接触しなかったとしても、クルサードを抜きあぐんでいただろう。クルサードを抜けたとしても、バトンが立ちふさがったはずだ。バリチェロが佐藤を逆転することは無理だった。

また、この図からバリチェロは周回のほとんどを前車にふさがれて自分のペースで走れなかったことがわかる。鈴鹿は抜きぬくいコースとして欠点を持つ。同様のことが序盤のライコネンと中盤のクルサードにも言えた。今ひとつ冴えないように見えたマクラーレンだが、ポテンシャルは高く、予選で後方にいたことが敗因だった。途中クルサードはバトンをあおっていたくらいだった。そのことはTV観戦ではわかりにくい。サーキットの定点観測ならわかる。
 
佐藤は"いっぱいいっぱい"なのか
佐藤はレース前、大きな期待が持たれていた。TVの実況は地上波もCSもそうだったし、サーキットの観客も同じだった。結果の評価は分かれるが、私はがっかりした。チェッカーで過去2年のようなスタンドの盛り上がりはなかった。佐藤自身は頑張ったのだろう。だが、あえて厳しい見方をせざるをえない。

スタートの1コーナー手前で佐藤はバトンに半車身リードを許した。ブレーキングが得意な佐藤は1コーナーで並んだが、ギリギリのところで佐藤は引いた。まずここで佐藤に前半戦のようなアグレッシブさ(悪く言うと無謀さ)がなくなっていることがわかる。BARはルノーとの2位争いがかかっており、後半戦に佐藤が慎重な走りに徹しているのは、ポイントの意識が強いことがあるのだと思われた。

佐藤は7周目の逆バンクでバトンを抜いた。また、1回目のストップ直後の13周目にビルヌーブをシケインで抜いた。佐藤らしさが見えたのはそこまでだった。第二スティントで佐藤はラルフとの差を広げられ、バトンは離せない。第三スティント中盤には1:35秒台にペースダウンした。このとき首の痛みが影響していたのかもしれない。ドリンクも故障していた。そのことを知らない観客のわれわれは、歯がゆさと遠のく表彰台に気落ちする一方だった。

首の痛みは佐藤ファンには表彰台を逃した理由として、また、よく耐えて頑張ったということになる。だが、年18日しかない重要な日に、望まれた結果を出せなかったことも事実だ。もし佐藤が激しい戦いでいっぱいいっぱいになっているとしたら、それが彼の限界なのかとも思ってしまう。それに来年BARがトップグループにいる保証もない。

そもそも、表彰台を目指すという目標自体が中途半端である。3位と4位の違いは大したことではない。むしろそのレベルでとどまっていては、弱肉強食のF1では生きていけない。優勝そしてチャンピオンを目指すレベル(ライコネンやアロンソ)にならないと、ブランドル(1984-96、表彰台9回、優勝なし)あたりの中堅レベルで終わってしまう。

佐藤にはまだ課題がある。2ストップなどの重タン作戦や問題があるときペースが上がらない。チームメイトに予選で勝ってもレースで後ろになる。アロンソはマシン以上のものを引き出す。佐藤にとって、2004年は復帰年であり、勉強の年でもあった。来年はそれを生かさなければならない。中国では重くてもいいペースで改善が見られた。マシンが不調なら成績もそれなりでは、かつての日本人ドライバーと同じ道をたどるだろう。

今の時代には、M・シューマッハというお手本が存在する。彼のすべてを真似することは出来ないが、彼の原動力や、何を考え、どう行動しているかは学ぶ必要がある。

コンストラクターズ2位はほぼ決まった。最終戦ブラジルは前半戦のような一か八かの走りをしてリタイヤしてもいいのではないか。スパのライコネンのように光る走りを見せられるか、アロンソのようにスピンアウトしてしまうか、どちらでもいい。インテルラゴスの最終高速左コーナーはGがかかって首がつらそうだ。それをはねのけて来季につながる走りをしてもらいたいものである。
 
オーバーテイクした者に厳しい結果
モントーヤは、8周目にライコネンをパスしたが、22周目にトゥルーリを抜こうとしてシケインでオーバーランし、バリチェロに抜かれただけでなく、直後の第一コーナーでもフィジケラに抜かれた。モントーヤがフィジケラの前でフィニッシュできたのは、ピット時間の差だった。フィジケラは16周目にスプーンでコースアウトしたが、これもモントーヤに先行を許す原因になった。バージボードを飛ばしてもあまりタイムに関係なかったようだ。

今回、最もオーバーテイクしたのはマッサだった。ブルーニ、グロック、クリエン(2回)、ハイドフェルド、パニス(2回)、ビルヌーブ(2回)、トゥルーリの計10回を記録した。だが彼は9位に終わった。相変わらずラップタイムの波が激しすぎるのが課題となっている。

オーバーテイクで派手なドライバーは、結果順位に結びつかないことになってしまった。表彰台はオーバーテイクする必要がなかった者で占められた。
 

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