序盤3戦から2001シーズンを読む

ウィリアムズ復活で史上初の3強時代に突入

2001.4.8

2001年も序盤3戦を終えて、第4戦からヨーロッパラウンドに突入します。フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズの3強時代になったのでしょうか。

ウィリアムズが追突されやすい理由


開幕戦ビルヌーブがラルフに追突

第2戦バリチェロがラルフにヒット

第3戦バリチェロがラルフに追突

第3戦フェルスタッペンがモントーヤに追突

3戦して4度も追突されたウィリアムズ。その原因は何でしょうか。

ブラジルGP決勝の最高速度において、コントロールラインと1コーナー手前175mの地点での変化です。

コントロールラインで最高速が速いBAR(パニス、ビルヌーブ)、ウィリアムズ(R・シューマッハ、モントーヤ)は、1コーナー手前175m地点では減速幅が大きく、フェラーリ(M・シューマッハ)やマクラーレン(クルサード)より遅くなります。

エンジンパワーとレスダウンフォースセッティングで最高速を伸ばしたチームは、ブレーキの制動距離が長く、コーナリング速度も遅くなるのです。

BARはさらにその傾向が激しく、シャシー性能の悪さがわかります。ビルヌーブの顕著な低下は、セッティングバランスのポイントを見つけられなかったことを示します。

ウィリアムズは開幕から追突されてばかりいます。ドライバーミスやレーシングアクシデントと言うには、あまりに多すぎます。追突した方はすべてブリヂストンタイヤ装着でした。BMWエンジンが伸びるのとは逆に、ミシュランタイヤの制動距離が長いから、ドライバーは早めにブレーキングしているといえます。


ブリヂストンとミシュランの差は縮まっていく

序盤3戦でのブリヂストンとミシュランを履くチームの予選の平均です。PPタイムとの比率で表しています。

この3サーキットでミシュランはまったく走行経験がありませんでした。また、ブリヂストンはフェラーリとマクラーレンを抱えています。明らかにハンディがありますが、その差は縮まる傾向を示しています。

サーキット 経験度 テスト経験 サーキット別のミシュランの経験度を表します。
第4戦からはミシュランがテストを行っている
サーキットを迎えます。差はさらに縮まるでしょう。
特に第5戦スペインは十分にテストした場所。
ブリヂストンとの勝負が白熱しそうです。
東京・小平(西武鉄道小川駅下車)の
工場もフル稼働でしょう。

ミシュランによると、1984年の参戦当時は、
今のタイヤと比べると堅く、「木」でできている
ようなもの。予算も今の4〜5分の1。
まるで比較にならないそうです。

(GPX誌より)

メルボルン × なし
セパン × なし
インテルラゴス × なし
イモラ 1999年型マシン
カタロニア 2001年型マシン
A1リング 1999年型マシン
モンテカルロ市街 × なし
モントリオール × なし
ニュルブルクリング 1999年型マシン
マニクール 2001年型マシン
シルバーストーン 2001年型マシン
ホッケンハイム 1999年型マシン
ハンガロリング 1999年型マシン
スパフランコルシャン 1999年型マシン
モンツァ 2001年型マシン
インディアナポリス × なし
鈴鹿 × なし


 

3強時代の到来が見える予選結果

開幕から3戦すべてPPのM・シューマッハがトップですが、バリチェロが第3戦でウィリアムズとマクラーレンに飲み込まれたように、フェラーリの優位性はそれほどありません。

第4戦以降は、ポール争いが3強の6人で行われ、し烈になっていくでしょう。

3強に取り残される傾向のあるのがジョーダン、BARのホンダ勢。躍進著しいザウバーにあおられています。

ジャガーをクビになるかと思われたブルティが、予選でアーバインのタイムに接近してきました。

低迷ベネトンは、ミナルディの新人アロンソに迫られています。


フェラーリの車の素性と底力

金曜朝から土曜午後の予選にかけて、どれだけタイムアップしているかを表します(序盤3戦の平均)。

金曜朝のフリー走行1ではフェラーリがトップ。セットアップの初期段階で速いということは、マシンの素性が良いことをあらわします。この段階でウィリアムズは試行錯誤しています。ビルヌーブは苦しんでいます。

金曜午後から土曜午前にかけて、マクラーレンが速さを示します。フェラーリはそれほど無理せず、相手の出方をうかがっているようです。ウィリアムズは次第に調子を上げてきます。ジョーダンもここまでは速い。

そして予選本番。フェラーリは本当の速さをここで見せつけます。マクラーレンとジョーダンには余力がありません。ビルヌーブは終始パニスの後塵を拝しながら、予選一発の速さを見せます。セットアップはパニスが煮詰めていました。

 

ウィリアムズが速さを発揮し始めてきた

セッション別トップ

GP フリー走行1 フリー走行1・2 フリー走行3・4 予選 ウォームアップ ファステストラップ セッション別のトップでは、
フェラーリが最も多いのですが、
第3戦でウィリアムズ勢が
速さを見せ始めました。
オーストラリア バリチェロ バリチェロ クルサード M・シューマッハ クルサード M・シューマッハ
マレーシア バリチェロ トゥルーリ バリチェロ M・シューマッハ バリチェロ ハッキネン
ブラジル M・シューマッハ クルサード モントーヤ M・シューマッハ M・シューマッハ R・シューマッハ

 

予選セクタータイム別トップ

GP セクター1 セクター2 セクター3 ベストセクター計 予選ではM・シューマッハがPPを独占していますが、
ウィリアムズ勢がセクタータイムでトップを取ってきており、
第3戦では3分の2はウィリアムズ勢でした。
オーストラリア バリチェロ R・シューマッハ M・シューマッハ M・シューマッハ
マレーシア R・シューマッハ M・シューマッハ バリチェロ M・シューマッハ
ブラジル R・シューマッハ M・シューマッハ モントーヤ M・シューマッハ

 

ファステストラップ・セクタータイム別トップ

GP セクター1 セクター2 セクター3 ベストセクター計 レースのファステストラップでは、3強が分け合いました。
第3戦ではレースをあきらめたラルフが、速さは誇示しました。
オーストラリア M・シューマッハ M・シューマッハ M・シューマッハ M・シューマッハ
マレーシア R・シューマッハ M・シューマッハ ハッキネン ハッキネン
ブラジル R・シューマッハ R・シューマッハ パニス R・シューマッハ

 

 

BMW最高、ホンダ平凡、ルノー低迷

予選での最高速度指標のGPごと変遷です。3グループに分けられ、1歩抜きん出たBMWと、第2集団、後方集団です。

BMWは高速域・中速域・低速域でまんべんなく速く、一度前に出ると容易に抜けません。

第2集団には、フェラーリ、メルセデス、ジャガー、ホンダと、エイサーやアジアテックの型落ち勢もいます。ホンダはパワーを売り物にしたいのですが、BARとジョーダンがシャシーが今ひとつで生かしきれていません。

後方集団には、ペトロナス、ヨーロピアンに混じって、大物のルノーがいます。V型のバンク角を110度に広げたルノーは、低速域で悪くないのですが、高速域の伸びを失っています。

 

レースでの1位、2位、3位 各周回数のシェア

1位周回数のシェアでは、M・シューマッハが過半数を占めています。クルサードも3戦すべてトップを走り、続きます。新人モントーヤがブラジルの快走で名乗りをあげました。ハッキネンはまだトップを走っていません。バリチェロも同様。
2位になると、フェラーリの2人に、マクラーレンの2人が続き、2強で93%の寡占状態となります。ウィリアムズはここにはほとんどいません。
3位ではクルサードが最多で、表彰台圏内を安定して走っています。ジョーダンも健闘していますが、完走での表彰台はありません。ウィリアムズはここにもほとんどいません。

 

クルサードの見違える安定ぶり、ウィリアムズはスタートに課題

レースの各時点別のドライバー別平均順位です。オープニングラップでは、スタートでジャンプアップしたか出遅れたかがわかります。全ラップでは、レースを通じてどの辺にいたかがわかります。チェッカーでは、最終的にどこまで上がったかがわかります。

スタートでは、M・シューマッハがポールから安定して1位を保っているのに対し、バリチェロはマクラーレンやジョーダンとの混戦に巻き込まれていることがわかります。ウィリアムズの2台は、大きく順位を落とすことが多く、スタートが課題になっています。下位ではフェルスタッペンがジャンプアップを生かし、アーバインが転落を取り戻せない状態です。

全ラップ平均では、クルサードが着実にポジションアップして、M・シューマッハをおびやかしています。ハッキネンは冴えません。ウィリアムズではモントーヤが急上昇。ラルフは依然としてドタバタです。

チェッカーでは、ラルフが地力を見せ、ザウバー勢も信頼性が高く、浮上します。ジョーダンはしりすぼみです。

 

10年前の再現か、ウィリアムズの復活

2001年は、10年前の1991年と似たパターンのような気がします。1991年、マクラーレンホンダのセナが開幕から好調に飛ばし、独走したかに見えました。ところが、序盤にリタイヤを連発したウィリアムズルノーが、中盤戦に実力を発揮、マンセルがフランス・イギリス・ドイツと3連勝してしまうのです。セナは後半戦を必死に戦い、腕で王座を守りました。チームメイトのベルガーは頼りになりませんでした。

これを2001年にあてはめると、セナがM・シューマッハで、マンセルとパトレーゼはR・シューマッハとモントーヤです。ベルガーはBMW側にいます。

状況が違うのは3強時代で勝てるドライバーが6人もいるということ。M・シューマッハは混戦になれば有利でしょう。
ウィリアムズが3年の雌伏のあと、復活するパターンも似ています。ウィリアムズは1987年にドライバー/コンストラクターの両タイトルを取りますが、その後3年間はタイトル争いに参加できませんでした。1991年はエイドリアン・ニューウェイをデザイナーに据えて復活し、その後1997年まで最速の位置に居続けます。
1997年を制したウィリアムズは、ニューウェイがマクラーレンに移り、3年間不調に悩まされます。この間はマクラーレンとフェラーリの2強時代になりました。しかし2001年、BMWエンジンの進化と若手デザイナー陣の成長、すぐれた2人のドライバーにより、新しいウィリアムズが復活しました。

1980年代以降のF1は、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズの3チームが覇権を奪い合ってきました。これまではどこかが強すぎたり、どこかが弱すぎたりしていましたが、2001年は3強が互角の戦いをする初めての年になりそうです。

ホンダ、トヨタがこれらの牙城に届くまでは、かなりの月日がかかりそうです。