2001.6.4
2001年は第7戦モナコGPが終了しました。モナコは全戦で最も低速で、ガードレールに囲まれた特殊なサーキットです。ここを得意をする者もいれば、苦手とする者もいます。各ドライバーは、サーキットによってどこが得手、どこが不得手でしょうか。参戦の長い選手順に見ていきましょう。ドライバーごとに年別の成績と、サーキット別の成績を、予選平均順位と決勝平均得点でグラフに表しました。3年目以上の選手に限ります。
ジャン・アレジ(フランス、36歳)は、最年長ドライバーとなりました。成績は年々下降線で、引退もささやかれています。しかし2001年モナコで2年ぶりに入賞を果たし、存在感を見せました。
フェラーリの5年間で1勝に終わり、チャンピオン争いにも無縁でしたが、雨のレースなど、幾度も活躍しました。アレジは優勝1回に対し、2位16回、3位15回もあるのが特筆です。
アレジが予選で最も得意な所は、モンツァです。ティフォシの前で燃えるのでしょうか。通算2度のPPはモンツァで記録しました(94,97)。地元マニクールとモンテカルロも得意です。
アレジが決勝で最も得意な所は、唯一の優勝を飾ったモントリオールです。表彰台5回は自身最多サーキットです。モンツァとシルバーストーンではともに2位3回を記録しています。惜しかったですね。
アレジが苦手としているのは、メルボルン(6戦すべてリタイヤ)、A1(5戦すべてリタイヤ)です。
1991年にデビューしたミカ・ハッキネン(フィンランド、32歳)も10年選手となりました。ロータスで予選落ち間際を争い、マクラーレンでは当初控えでした。95年最終戦で重傷を負うなど、ハッキネンは艱難辛苦の日々が続きます。しかし98年、ついに最速マシンに乗ってチャンピオンになります。
2001年は7戦して表彰台にすら上れない不運が続きます。ですが、ミハエルに対抗する力を持つのはこの男しかいないでしょう。
通算26PPのハッキネンがPPを取っていないサーキットは、鈴鹿、モントリオール、セパン、インディアナポリスです。といっても苦手というほどではありません。それ以外はすべてPPをゲット。とりわけ、メルボルン、インテルラゴス、スパは3年連続PPを記録しました。
ハッキネンが決勝で得意な所は、A1リング、鈴鹿、バルセロナ、ブダペストです。中でもバルセロナは3連勝したところです。2001年もあと1周で4連勝するところでした。
ハッキネンが長年未勝利な所は、イタリアのイモラとモンツァ、それにマニクール、シルバーストーンです。
ミハエル・シューマッハ(ドイツ、32歳)もハッキネン同様、10年選手です。フェラーリに2004年(35歳)まで乗ることが決まり、そこで引退ではないとまで言っています。若手が伸びてきましたが、自分を脅かすほどではないと見ています。
2001年は過去最高のペースでポイントを重ねています。4度目王座なれば、次はファンジオの5度にチャレンジです。
M・シューマッハがPPを取ったことがないのは、シルバーストーン、ホッケンハイム、スパです。
決勝で唯一未勝利はA1リング。また、99年に重傷を負ったシルバーストーンは、9回走って5回リタイヤと、相性の悪い場所と言えます。
M・シューマッハは鈴鹿とセパンで3年連続PPを記録中です。特に鈴鹿は、ドライバーの腕がものを言うサーキットであり、実力No.1を証明していると言えます。
M・シューマッハがよく勝っているのはモンテカルロ(5勝)、モントリオール(4勝)、マニクール(4勝)、スパ(4勝)です。
ルーベンス・バリチェロ(ブラジル、28歳)は、1993年に20歳の若さでデビューしました。長らく足踏みし、チームメイトのアーバインが先にフェラーリ入りします。バリチェロは1999年に速さを取り戻し、アーバインに代わってフェラーリ入りします。
しかし、圧倒的なNo.1の前に、No.2生活を余儀なくされることになりました。予選でNo.1に2勝22敗では仕方ありません。
バリチェロが予選で得意なのはA1で、スチュワート時代から5回すべて5位以内に入っています。しかし2001年はA1でNo.1に敗れ、7戦全敗中です。
通算3度のPP、1度の優勝はすべて雨がらみ。モンテカルロは2位3回と得意な方。
バリチェロが情けないのは、地元インテルラゴスで9回走って入賞わずかに1回ということです。また、ドライバーズサーキットのスパで入賞1回、鈴鹿で入賞2回も少ないと言えます。適度に速いが強くないというイメージ。
エディ・アーバイン(イギリス、34歳)は、気が付けばアレジに次ぐ年齢になりました。ヨーロッパで落伍し、辺境の日本で活躍した所を拾われて、フェラーリに乗るまで登りつめ、ついにはチャンピオンまであと一歩まで行きました。2001年はモナコで表彰台に上がるなど、仕事師ぶりを見せます。
この選手は1999年のみ4勝を上げ、PPは0です。
予選で得意なのはブダペストと鈴鹿。苦手はインテルラゴスとモンツァ。
決勝で得意なのは8年間で6回入賞の鈴鹿、5年連続入賞のモンテカルロです。嫌っているのは、バンピーなインテルラゴスが8年間で5位1回のみ、天候不順のスパが7年間で4位1回のみです。
デビッド・クルサード(イギリス、29歳)は、恵まれたF1人生です。ウィリアムズ、マクラーレンという超一流チームのみ在籍です。その割には実績がついてきていないというのがこれまでの評価でした。過去に何度も失態を演じました。
2001年は生まれ変わったように慎重かつクレバーな走りを見せるようになりました。
予選で得意なのは、モンテカルロ、イモラ、ニュル。苦手はA1,鈴鹿、インテルラゴス。
決勝ではなぜかA1が最も得意で、4年連続2位のあと優勝しました。地元シルバーストーンも2連勝中です。
決勝で成績を残していないのは、モントリオールです。97年から4年連続ノーポイントです。また、鈴鹿ではスピンやクラッシュが目立ち、ミハエルやミカについていけない感じでした。
ハインツ・ハラルド・フレンツェン(ドイツ、33歳)も、ヨーロッパ落伍組で、日本から這い上がってきました。1999年にチャンピオン争いに加わり、ヨーロッパ有力誌の最優秀選手に選ばれました。だが最近は不振で、チームメイトに負ける一方となり、評価を落としています。
マシンが良ければ好調、マシンがダメならまるで力を出せない。開発やセッティングでミハエルと差があります。
フレンツェンが勝ったことがあるのは、イモラ、マニクール、モンツァといった高速コース。予選ではメルボルンと鈴鹿も得意です。
予選で苦手なのはセパン、モンテカルロ、ホッケンハイム、バルセロナ。セッティングが苦手で、決まらないと遅い傾向が見られます。
決勝ではモントリオールが7年間で4位1回、ホッケンハイムが3位1回のみです。
オリビエ・パニス(フランス、34歳)と言えば、1997年モントリオールの事故が記憶にあります。この年一番乗っていたパニスが、奈落の底に叩き落されました。以後は下降線。2000年はマクラーレンのテストドライバーをして、2001年に復活してきました。
年齢が結構来ているので、先は長くないと言えます。もともと、一発の速さはなく、レースでジワジワ上がって行くタイプです。ハーバートと同様、ケガの後は玄人受けする地味ないぶし銀ドライバー路線です。
予選では地元マニクールと、高速モンツァが得意。シルバーストーンとモンテカルロは苦手です。
ところが、唯一の優勝はモンテカルロと、レースでのしぶとさが出ています。ただ、イモラ、モンツァなどエンジンに負荷のかかるサーキットで、最後まで持たせられない傾向もあります。
ヨス・フェルスタッペン(オランダ、29歳)は、デビュー時にM・シューマッハのチームメイトになり、比べられて悪い評価を下されました。その後はシムテック、フットワーク、ティレル、スチュワートを転々とします。潤沢なスポンサーのおかげで、シートは確保できることが多い。1999年はホンダフル参戦予定時のテストドライバーも担当。
2001年はセパンとA1で目立ちました。といっても予選は遅く、後半に向けて明るい材料はありません。
予選そのものが苦手で、チームメイトに敗れることしばしば。だがレースに強く、スタートのうまさと、最高速重視でオーバーテイクシーンを良く見せます。
ドライバーズサーキットのモンテカルロと鈴鹿でダメです。
ジャック・ビルヌーブ(カナダ、29歳)は、伝説の父とは、まったくタイプが異なります。一周の速さを求めた父とは違って、レース、チャンピオンシップを組み立てるクレバーさを持ちます。しかし、インディ譲りの豪快なオーバーテイクシーンも魅力です。
2年目にチャンピオンになり、3年目以降は下降線でした。実力ではミハエル、ミカと争えるという評価があります。
予選ではモンツァ、シルバーストーン、スパが得意。
決勝では、ブダペストやニュルのようなツイスティな中速コースを得意とします。一方、低速モンテカルロは予選・決勝とも苦手です。
スパが好きで、オールージュをものともせず全開で駆け抜けますが、大クラッシュも多く、勝った事はありません。
ジャンカルロ・フィジケラ(イタリア、28歳)は、未勝利者の2位5回が史上最多です。明日を担う若手と言われつづけながら、頭打ち。
ボチボチしてると、もっと若いドライバーが台頭し、フィジケラもベテランの領域に入ってしまいます。
フィジケラと言えば、モンテカルロとモントリオールで4年連続入賞です。ここは得意。予選ではホッケンハイムとニュルが得意で、イモラとシルバーストーンが苦手。
シーズン後半のサーキットで目立った活躍をしないのは、体力的な問題があるのでしょうか。鈴鹿ではいつもいいところがありません。
ラルフ・シューマッハ(ドイツ、25歳)は、兄同様、開発とセッティング能力にすぐれたドライバーです。ジョーダン時代の無限スタッフが絶賛していました。2001年、BMWウィリアムズで初優勝し、才能が開花しました。
予選では地元に近いニュルとスパが得意。ブダペストとモンテカルロの低速コースは苦手です。
決勝ではモンテカルロが5回すべてリタイヤという鬼門になってしまいました。
ヤルノ・トゥルーリ(イタリア、26歳)も期待の若手のまま、くすぶっています。2000年はモンテカルロとスパで予選2位となり驚かせました。安定感が出たのと、チームメイトを凌駕するようになりました。
表彰台はプロスト時代にニュルで一回のみ。ジョーダンでは4位3回。マシンの戦闘力が上がればトップを争う力を秘めています。
予選ではA1、マニクール、モンテカルロが得意。97年A1ではプロストで予選3位からトップを快走しました。
決勝では得意の3コースでポイントを上げられません。一方、予選で良くないインテルラゴスは2年連続入賞しています。
ペドロ・デ・ラ・ロサ(スペイン、30歳)は、フォーミュラニッポンで2年連続王者になり、F1へ進出。アロウズで高木よりレースでのコンスタントぶりが評価されました。スポンサーマネーとともに追われ、ジャガーに乗りますが、悪戦苦闘しており、評価を下げています。
予選では2000年ホッケンハイムで5位、モントリオールで9位。決勝でも活躍しました。
地元バルセロナが最も苦手となってしまいました。
※バトンは1年目が良かったが2年目が悪く、ハイドフェルドはその逆です。2年間をフルに戦わないと傾向はわからないので省略しました。