2001決勝成績(1)

ミヒャ独走のA級戦犯は?

2001.10.29

2001年のシーズンサマリー、決勝の1回目は、ポイント争いの経緯です。第4戦サンマリノ終了後にM・シューマッハとクルサードは同点、第6戦オーストリア終了後でも4点差でした。それが7戦後の第13戦でチャンピオンが決定してしまったのはなぜでしょうか。

 

7戦モナコ以降、息切れのデビ

M・シューマッハとクルサードのチャンピオン争いは、第4戦サンマリノ終了時点で同点、第6戦オーストリア終了時点でも4点差しかありませんでした。

ところが、第7戦モナコ以降、両者の差はあっという間に開いていき、第13戦ハンガリーでチャンピオン決定になってしまいました。

クルサードがM・シューマッハのハイペースについていけなかったのでしょうか。たしかに、M・シューマッハの123ポイントというのは史上最多でした。これはマクラーレンが自滅してM・シューマッハを楽に勝たせたからとも言えます。

モナコGPでPPから立ち往生のクルサード。結局、最後尾から5位2点。M・シューマッハ優勝10点に差をつけられる。クルサードは、予選・ウォームアップ・ファステストラップ、いずれもトップタイムで、優勝してもおかしくなかった。マクラーレンの信頼性のなさが足を引っ張った。

カナダGPで白煙を上げるクルサード。中高速サーキットでは、フェラーリはおろか、ウィリアムズにもついていけない状態になった。無理をすると壊れる。

 

大きかった7−9戦の差

17戦を3戦ごとにステージを分けてみました。

第一ステージ(1-3戦):欧州外の遠征戦
第ニステージ(4-6戦):欧州序盤戦
第三ステージ(7-9戦):欧州中盤戦
第四ステージ(10-12戦):伝統の仏英独戦
第五ステージ(13-15戦):欧州終盤戦
最終ステージ(16-17戦):米日遠征戦。

第三ステージでM・シューマッハが26点をたたき出したのに対し、クルサードはわずか6点でした。ここで24点差に開きました。

フランスでクルサードが痛恨のピットレーン速度違反。このレースでファステストラップを記録していただけに、ペナルティがなければ勝つチャンスもあった。悪くても2位になれたレースで4位に終わる。

イギリスではスタート1コーナーでトゥルーリと接触。結局リタイヤしている。これはいただけなかった。このレースのマクラーレンは戦闘力があり、ハッキネンが優勝している。チャンピオンシップを考えればいったん引くべきであった。

 

デビはしょせん花嫁の介添人、主役ミカの脱落が響いた

過去4年間の得点の推移です。チャンピオン争いは最低でも80点レベルの得点が必要です。しかしクルサードは60点前後をウロウロして進歩がありません。

むしろ、過去3年に80〜100点レベルだったハッキネンが、2001年にまったくの不振だったことの方が、大きかったと言えます。

それはハッキネンが悪いというよりも、マクラーレン車のパフォーマンスのせいでしょう。6月にチーフデザイナーであるニューウェイの離脱騒動がありました。ロン・デニスが組織と人にモチベーションを維持できなかったことでしょうか。

スペインでトップを走るハッキネンが、最終ラップに止まる。M・シューマッハが優勝。このレースではクルサードがスタートトラブル。

フランスではハッキネンがスタートできなかった。ハッキネンはブラジルとオーストリアに続き、3度こういうことがあった。オーストリアとフランスはウォームアップでトップタイムをマークしていただけに、悔やまれた。

ハッキネンは王座をあきらめた後半に2勝した。クルサードは後半に0勝。チームオーダーの心配はほとんどなかった。

「どーなってんだよ!」「うちのラウンチコントロールは他チームより高度なシステムで、改善したところ障害が別の所に現れたということだ。」「あーそう。で、アンタは何やってんの?」

判決、A級戦犯はロン・デニス。

 

 

 

つづく