ユキの Shinotcha (歌)

 

 

 

 kani anakne

 私ならば

 アイヌの人達は、文字を持っていなかったので、

 motoho wano

 もとから

 心の内を歌にして持っていました。身内に披露する

 taan tuima moshiri

 此処の遠い土地に

 場合もあり、優れたものは受け継がれたものもある。

 omoto nep

 生まれたのでは

 

 somo kune katu

 無い私です

 大正十一年の秋、恐らくコポアヌ媼から聞いて・・・、

 ene okahi :---

 こういうことです

 小樽から大阪に行くネフスキーにアイヌ語を教えて

 kuyai kotanoro

 私自身の村を

やってくれと云うので、行った経緯をShinotcha で云って いたのを

ope ope chiki 

 申しますこと

 翌年の春に博士が 筆録されたものだと思われますが・・・

 kukoro kuyupo

 我が兄

 

 nuwa enkore yan !

 聞いて下さい

 私の知りたかった貴重な資料の一つだと考えて

 kani anakne

 私と云うのは

 ここに転記して訳してみたいと思います。

 kukotanu rekoro katu

 我が村名付けて

 

 shumunkot kotan

 紫雲古津村で

 2015/01/13

 kotan upsoro

 村の懐で

 

 omoto korope

 生まれた

 

 kune ruwe ne

 私であります

 

 kupon hine anakne

 幼いときには

 

 onaka kukoro

 父も居て

 

 unu ka kukoro

 母も居た

 

 ki a koroka

 けれど

 

 oripak urara

 畏れる雲(風邪)が

 

 utumkush kusu

 重なったから

 

 chikoetaye

 引っ張られ(死)て

 

 aenekarakara

 しまって

 

 shinenne patek

 独りだけに

 

 kan ruwe ne

 なったのです

 

 hemanta shino

 何か本当に

 

 

 

  

 

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