マキリ -07 アイヌ・マキリの自作(三)

「昔は若者が一生懸命メノコ・マキリを彫って、意中の娘さんに送ってプロポーズした」という話を読んだ事があります。
手にとって、腰に着けてくれたらOKだというんですがね。
手間隙を懸けた熱意と、意匠のセンス、細工の緻密さ等で、一生を共に暮らす夫とするに足りるかどうかを判断したんでしょうなぁ。
果たしてそれが本当かどうかは知りませんが、若しもそうなら私等お嫁さん貰われへんかったかも。
イラチで粗雑なんがたちどころにバレてしまうがな・・・。
そういう風習が残ってのうて良かったと思いますわ。
中には細工の上手な人に頼んで作って貰うような、ズルをする奴も居ったかもしれんねぇ。
しかし、そんなんは直ぐにバレたでしょうなぁ。

裏表が無いとはいえ、まったく同じ花では面白うない、と身の程知らずな考えを起こしたんが大きな間違い。
平面に鉛筆で描くのと、木に彫った時の違いに往生しました。
何とか花らしい?凸凹を彫りつけて、セーマンとドーマンを鞘の端っこの裏表に彫りこんで、一応は出来上がり。
海洋民の呪符のセーマン、ドーマンをアイヌが知ってたかどうかは判りませんが、堪忍して。
堪忍してもらう事が多すぎますなぁ・・・。

画像クリックで大きな画像が表示されます。
   

どうも、間が抜けてると思ったら、地模様を彫ってないんですねぇ。
実はもうこの辺で少々飽きてきましてん。
老眼で細かい仕事が辛いと言うのは言い訳。
根気が無いんですわ、こういう長い時間を掛けての緻密な作業は、性格的に向いてませんなぁ。
これではアイヌの花婿は完璧に失格ですねぇ。
地模様は適当に笊目風の手抜きで誤魔化してしもた。

画像クリックで大きな画像が表示されます。
こうなりゃ誤魔化しついで、鞘口や要所要所をカバか桜の皮で補強する代わりに、銅線をギリギリ巻いて、根付には手近な有り物の桃の種などを、これ又そこいらに有った化繊の紐で仮に付けて出来上がり。
木の色が変やねぇ・・、まぁ、ええか。
彫りに使ったから柄が手擦れして色が濃くなってますなぁ。
使っているうちに、鞘ももう少し茶色っぽくなると思います。

なるほど、やってみてよう判りました。
アイヌは刃まではは自分で作らんとはいえ、幾ら昔でも、それなりに生きてゆくための仕事は有ったやろうし、満足な照明の無い時代に、これは大仕事でっせ。
粗雑なインチキ物を作るのにさえ、延べにしたら結構時間が掛かりました。
しかし、私がピリカメノコなら、出来、不出来がどうなんか言わんよ。
手間隙かけて、頭を悩ましながら作ってくれただけで充分やんか。
言わばエンゲージリングやねんから、それは大事にしたんでしょうなぁ。

もう一つ判ったのは、奇妙に見えた柄が実は刃を下に向けた場合は、意外に握りやすいんですね。
短刀、ナイフではマキリ、メノコ・マキリに多い上方向にそった柄というのは少数派やと思うんです。
特に武器としての性格が強い物の中では、殆ど見た記憶が有りません。
世界中の刃物に精通しているのではないので、あくまで私が見た狭い範囲での事なんですがね。

「イヌイット(エスキモー)は、人間相手の戦いの為に特化された武器を持たない、希有な民族だ」という文をアラスカがロシアからアメリカに売却された当時の、イヌイットの紹介に出ていたのを読んだ事が有るんです。
アイヌも紛争の解決手段として論争(チャランケ)を第一としたそうです。
第二次ヤマトと思われる大陸からの侵略者は戦に慣れ、最初から人殺し道具として作られた武器を持った集団ではなかったんでしょうか。
はるかな昔に黒潮に乗ってやって来た海洋民の末裔達や、列島が大陸の一部であった頃から居たのかもしれないクマソ、エミシ等の先住の民は、蹴散らされ、呑み込まれていったと思うのは考え過ぎかなぁ?

太刀、サーベル、偃月刀等、振り回して斬切する為の刃渡りの長い武器は、刃と同じ方向の反りが柄にも付いている事が多いんですが、短刀等の短い刃物では突刺する武器としての使用が効果的。
この場合の柄は、真っ直ぐか、鉈と同じように下へ反った形が一般的です。
グルカのククリは下向きの柄が付いています。
元々ククリは多目的な用途に使う為の刃物で、武器としての使用を第一目的に作られたものでは無いようです。
どちらかと言えば鉈の系統で叩き斬るにはこの柄の角度が刃の形状とあいまって抜群の使いやすさです。

東南アジアでは極端に短い柄にピストルのような柄頭が付いているナイフが多く見られます。
インドネシア、マレーなどのクリスやクタの系統は100%そうと言えます。
クリスやクタはその形状から日常的な道具というよりも、当初は突刺する武器であったようです。
近世では礼装用の装身具、霊力を持った宝物としての性格が強いので、使い勝手の方は余り問題いにならんのでしょうかね?
しかし、ボルネオのダヤックなどでは武器としての刀のほとんどがこの片手握りの柄です。
この連中は俗に言う首狩りを二十世紀初頭までやっていたから、実用上使いやすいんでしょうなぁ。

大きな枠で言えば中国系であろうビルマ、タイにはピストルグリップは無いようです。
逆に長大な柄がついた両手握りの柄が主流みたいです。
インドネシア、マレー系と思われる台湾原住民では部族によって両方があるようですね。
台灣の友人が土産に持ってきてくれた、タイヤル族のものと称する蛮刀は、タイの刀に良く似た形でした。
現物を見たことがないのですが、タロコ族のも似た形だそうです。
この辺りの形状の分布や系譜は、古タイ族が揚子江付近からインドシナ半島まで移動したように、民族の移動があり、交易などで隣接したお互いの文化が影響しあっているので簡単には整理出来無いでしょうね。
インドネシアのクリスが所謂ダマスカス・スティール(ウーツ鋼=インド産) であるように、ヒンズー、イスラム等の宗教と共に、刃物の文化の交流が行われた節も見られるようです。
しかしながら、時間をかけてホジホジと掘り繰り返して調べたら面白そうですなぁ。

まがい物のメノコ・マキリとはいえ、作る過程を結構楽しめましたし、漫然と眺めるだけで無く「自分が作るための参考に」という目で見ると、同じ画像でも、今まで気付かなかったところが見えるもんですねぇ。
現役を退いたら趣味の鍛治屋をやるのも面白そうですなぁ。

2004/05/15

マキリ-08 アイヌ・マキリの自作(完)