マキリ -04 アイヌのマキリ

さて、いよいよマキリも一旦最終回。

亜流、傍流のマキリの話ばっかりで、本家本元のアイヌのマキリを素通りしては申し訳ない。
ところが、これらのマキリは外装は意匠を凝らした手作り、刀身は別注の一品物、または別の刃物の改造とあって千差万別、同じ形のものは一つも無いといって良いんですなぁ。
まして本物を持っても居ない素人の私なんぞが、聞き齧りの生半可な知識で全てを網羅して、系統立てて解説のできる代物では到底有りません。
ですが、極々簡単に私の勝手な感想などを。
有り難い事にアイヌのマキリを見るのに北海道まで行かなくても、千里の民族学博物館に多種多様の展示が有るんです。
自宅から歩いても約9Kmの近さですねん。

そもそもマキリというのは小型の刃物の総称らしく、ざっと主な種類を並べても、
マキリ=小刀
レウケマキリ=曲がった小刀、
リマキリ=皮はぎ用小刀
メノコマキリ=女用小刀
イナウケマキリ=イナウを作る小刀
とマキリ名が付く刃物は多種多様。

そこへもって、本来は
タシロ=山刀
エムシ=刀
ピコロ=刀
に分類されるべきでないか?と思うようなのもマキリと呼ばれている事があるみたいです。

民族学博物館には、展示用に最近作られたらしいのも含めて、沢山のメノコマキリが有ります。
少ないながらもタシロ、エムシ、ピコロも有ります。
残念ながら、外装の形状、模様の種類、材質、蒐集地などの説明はあるんですが、肝心の刃に付いてはほとんど情報が有りません。
それどころか、鞘から抜いた状態で展示されている物が少ないくて、多分に工芸品的な扱いになってるんです。
刃についても専門に研究されてる方はきっと居られると思うんですが、どうなんでしょうね・・・。

さて、以後は私が今までに見ることが出来たメノコマキリに限っての話です。
先ず刃の断面形状ですが、大まかに別けると、刀身の片側にだけ刃がある片刃造り(この中に鎬(シノギ、図中の*印の部分)が有るものと無い物が有ります)。
次に、鎬(シノギ)を通して両側に刃が有り左右対称の剣造り、非対称の諸刃造りが有ります。
その中でさらに
刃を両側から砥いである両砥(両刃)、
片側から砥いである片砥(片刃)、または切刃に別れます。
そして又、
刃の面が凸状に僅かに丸みを持った、いわゆる蛤刃、
平面に研ぎ上げた平刃、
他に、刃の研ぎ方の種類としては、日本剃刀のような、刃の面が凹状に僅かにすかれたスキ刃が有ります。
スキ刃にとがれたマキリは見たことが無いのですが、鋭い切れ味を要求されるものではこの研ぎ方が存在する可能性が有ります。

反りの比較的少ない北海道型の中で諸刃作りの物を見た事が有ります。(下の物)
切っ先から2/3ぐらいが諸刃になっていたんですが、単にデザイン上の好みなのか、用途に合わせた形状なのかは不明です。
大きく反った樺太型と呼ばれるものは片刃造りでした。
この他に大陸型と言うのがあるらしいのですが、見た事が有りません。
どんな特徴があるんでしょうか?
諸刃の短剣型なんでしょうか?
気になってるんですがねぇ。
実はこの分類も便宜的なもので、夫々に中間的な形状のものが存在し、北海道、樺太で必ずしも画然と別れているのではないようです。

和人が持ち込む交易品には、余り良質の刃物は無かったようです。
現地で鍛冶屋が作ったものも、腕もさることながら、使う地金と鋼の良し悪しによって相当差があったようです。
残念ながら博物館に展示されているのは、刃は蒐集した状態のままで、砥ぎ上げられていない物が多く、刃の良し悪しは錆び具合などから推測するしか有りません。
それが幾ら眺めていても、どの程度の切れ味なのかがよう判りませんねん。
よう判らんながらも、どれも刃の質はどうもあまり良く無さそうなんです。

刃の質に較べて、外装の余りにも手間の掛かった、繊細で緻密な作りが哀しいですなぁ。
刃物としては決して良質といえないようなものでも、アイヌの人々にとっては、やっと手に入れた貴重な刃物やったんでしょうなぁ。
大事にして、外装を作り変え、作り変えして代々使い続けたんでしょうねぇ。

康正二年(1456)から長禄元年(1457)の「コシャマインの戦い」の発端となったと言われる「マキリ」。
蠣崎(松前藩の始祖)に寄寓していた武田信広の姦計で大酋長コシャマインが謀殺され、天文十九年(1550)の停戦で以後大きな争いはおさまった物の、慶長二年(1597年)の松前藩の成立の契機に成ったとも言われています。
約百年後、寛文九年(1666)和人の差別と迫害に対して戦いを始めた大酋長シャクシャインも、松前藩に「和議の話し合い」と騙され誘き出されて謀殺されます。
この後も小競り合いは有ったらしいのですが、以後アイヌの人々は数百年にわたる差別と搾取を受ける事になります。
間宮林蔵の樺太踏査に従った二人のアイヌは「マキリをくれるならば」とマキリ欲しさに同行を承諾した、と伝えられているほど貴重な道具だったんですね。

マキリについて書く気になったのは、実はコスモポリタン美術館館長のキムタコさんに「お父さんが刳小刀をマキリと呼んでいた」と教えてもらったのが切っ掛けなんです。
へぇ〜!と思って調べると、市立函館博物館のマキリについて書かれている資料によれば、木を薄く削った祭具のイナウを作るイナウケマキリの刃は細身の切り出し小刀のような刃だそうです。
イナウケマキリの現物を見たことはないのですが、欄間職人が使う刳小刀に大変良く似ているようですね。
両方とも木に繊細な加工をする仕事に使うので、自然に似た形になったのか、刳小刀に独特の外装を施したのか?
幾らでも謎解きの問題が出て来るんですなぁ。

アイヌの人々と同じように自然を相手に、本州の海や山で生計を立てていた人々の間で「マキリ」と言う言葉が生き残っていたというのは、何か考えさせられる物がありますねぇ。

マキリ(完) ・・・と思いきや・・・そこがそれ・・・maidoさんのヤタケタ本領発揮・・・次に続く→

2004/04/16