蘆 丸 の 曲

 

 國學院図書館に在り

 

 

 

蘆丸の曲は、ワカルパ翁が全部聴く前に古老が亡くなり

 ※古老というのは itakratuk

途中までしか残っていないものです。

  それにKutune shirika を伝えた

これが非常に重要な意味も持っていることでも有ります

 サンゲレキ翁の兄 chikupshiri

原典に忠実に継承されるべきユーカラの特徴

 

それをしっかり守っていた盲目の天才詩人ワカルパ

 では、本伝 蘆丸の曲を

金田一博士が本伝としている所以

 お楽しみ下さい m(_ _)m

 

 

最後の結末まで残っている平村コタンビラの蘆丸の曲は

 

 知里幸恵の日記には

6月2日に既に書いていると記されていて
金田一博士の間違いだとされており
謎の部分でもあります。

金田一博士は、敢えてこれを残されたと
考えられます。

Shupne-shirika 平村コタンピラ 口述

 

大正十一年七月 森川町 金田一宅に於いて
アイヌ同勢七人と共に同座して。

金田一速記にもとづき知里幸恵 一週間ほどかかりて筆録す
但し実演なくし故 早くして金田一の筆記は片仮名にて
語頭ぐらいづつかきつけ得たる全然不完全なもの。
幸恵は一度ききて すっかり知悉し、金田一の手記を座右に
おきて思い出しつつ完全に全部をここに再現す。
 ※ 尚、蘆丸の曲については
  大正6年にコポアヌ媼を通じて
  平賀ヤヤシ翁から終章を筆録
  確認されております。