ロードランナー日記・
私にしか見えないもの
人あたりがいいくせに、誰も信用していない。
その場にいない人間の無能さを、平気でなじることだってできる。
みんな、みんな、嫌いだよ、夕涼みに流れてゆくすじ雲を見上げて、そうつぶやい
ていた。
母親にはわたしが理解できなかった。伝わらない言葉のために、外部を激しく攻撃
するわたしは、いつまでたっても社会に順応できない子供だった。
わたしにしか見えないものがあった。
地球の内側をドクドクと走り、わたしと繋がり、確実に流れ続けるもの。
軽薄な言葉に薄められることのない、風のように軽いけれど、偽りの混じらないも
の。
わたしはそれを感じることはできても、言葉にすることはできなかった。
そして。
人がなぜ、それを感じることができず、あいまいな言葉の中にも伝わらないのか、
わたしには不思議だった。
わたしにしか見えないものを、人は誰も知らない。
それは絶対的な孤独だった。
あるいは、このような絶対的な孤独は、多かれ少なかれ誰もが持っている類いのも
のかもしれない。
あるいは、あなたにしか見えないものを、人は誰でも何かひとつくらいは持ってい
るのかもしれない。
それでもそれでもわたしは、絶対的に孤独だった。
大人になってゆくにつれて、怒りは哀れみに変わっていった。
わたしは、まわりの人間に対して苛立ったりはしなくなった。その人の身体の中に
は、その言葉は流れていないのだ。生まれつき持っていないことは、ただ、能力がな
いだけのことなのだ。
能力がないことを責めることなんてできない。
だからわたしは、人を哀れんだ。
わたしは、そんなふうな距離を作って、人と接してゆくことを覚えた。
「そういうわけで、わたしは人が嫌いなんです。けっして攻撃的なわけではないけ
れど。わたしはもともと人なんて信用していないんです」
誰にも言ったことのない真実。それを喋ると、その人はこう言った。
「いや、それは違う。あなたは人が嫌いなんじゃないんです。もっと、それよりも
複雑な、いろんな感情があるはずなのに。あなたは今、物事を簡単に片付けようとし
て、そう言っただけだ。あなたはけっして、人間が嫌いなんじゃない」
その人は、それ以上何も言わなかった。
直感だけで発せられた言葉を理由づけることなんてできない。だから、その話はそ
れで終わりだった。
隠していた真実は、そういうふうにして、ぽかりと宙に浮かんだ。
あなたにしか見えないものがある。
わたしにしか見えないものがある。
だからわたしたちは孤独から逃れられない。
わたしはひとりで歌う。空に自分を染み込ませるようにして、ひとりで歌を歌う。
言葉を尽くしてみる。
言葉を尽くして、わたしにしか見えないものを、鏡に移すように書き写してみる。
書くことは、無から何かを作りだすことではない。
流れてゆく心のあり様を、ひとつひとつ丹念に言葉に移してゆくことだ。
心を言葉に変えてゆく。
嘘が混じらぬように、丹念に気を遣いながら。
心を言葉に変えてゆく。
そうしてゆくうちに、わたしは気付く。
どこかの誰かに届きたいと、言葉は、熱烈に望んでいた。
誰かに届きたかったから、心は言葉に変わっていったのだ。
わたしにしか見えないものは。
激しく人を望んでいて、
誰かに伝わることを、望んでいた。
こがゆき