ロードランナー日記・
うそつき
わたしはすごい嘘つきだ。
絶対に許せないと思っている人を、許したふりだってできる。
ほんとは軽蔑してるのに、天気の挨拶をしたり、仲良く笑ったりすることだって平気だ。
仕事をしてる時なんか、すごく誠実でいい人だ。不愉快なお客が何を言おうとも、プロ
の鉄仮面になってニコニコ笑っていられる。ちっぽけな嘘や言い訳がばれそうになって、
上手に筋道たてて平気でシラを切ることだってできる。
わたしは毎日あんまりいっぱい嘘をつくものだから、嘘をついてるのが普通になってし
まった。今では「ほんとう」を捜すことの方がむつかしいくらいだ。
そもそもあなたと始めて会ったとき、わたしがどこまで本気だったかなんて、今でもわ
からない。
わたしはひとりぼっちで貧乏だったし。水道代払えなくって、集金人を見つけたら、家
の中に隠れてたくらいだから。ちゃんとした男の人と一緒だったら、きっともっと楽なん
だろうなって、いつも本気で思ってた。
だから、あなたと一緒に暮らすようになって。
でも、その時はたしかに、わたしは嬉しかった。
なのに暫くすると、わたしは別の人を好きになってしまった。
それはどうした理由だろう。
わたしは、人にのぞまれるのが好きだった。その人の心の中には、わたしのよく知らな
いわたしがいて。そのわたしは実物よりもずっと誠実に生きていた。その人の心の中にい
るわたしに近づきたくって。わたしは少しずつ嘘を重ねていった。
嘘をたくさん重ねると、違う世界が浮かびあがる。わたしは違う自分になっていける。
人格がゆらゆら揺れてるのは、水の中にいるみたいで、なんだかとても心地よかった。
嘘つきのあなたも、わたしに負けないくらいにいろんな嘘をついていた。
携帯電話がかかってくると仕事みたいな口ぶりになるのに、その隙間には女の影が見え
た。偶然会った男友だちとそのまま飲みに行った話は、わたしが偽りのお城を作り上げる
ときみたいに、精巧で実感がなかった。
言葉は天気予報のようにくるくると変わる。だけどもそれとてたいした問題じゃない。
わたしたちはいつも、一時的な言葉しか知らない。一時的な言葉に身を任せて、ただそれ
を生きるだけだ。
だけど。たぶんあなたの言葉の向こうには、変わらない世界があるのだと思う。わたし
はそれを知っているような気がしている。
でもわたしの中に変わらない世界があるかなんて、それはわたしにはわからない。
昨日、掃除をしていて、あなたの大切なフィギュアを壊してしまった。
本棚のガラスの向こう側に立っていた綾波レイが、ハンディモップに足をすくわれて落
下して、片足をぱきんと折ってしまった。
わたしは、フィギュア用の接着剤を捜しだして、夢中でその脚を繋げた。
きちんとあやまれば許してくれるってわかっているのに、あなたがわたしに落胆する瞬
間を見るのが嫌で、ただただその場だけを取り繕ってしまう。
いつかあなたは、フィギュアを飾ったガラスの扉を開くだろう。
奇妙に繋げられた綾波の脚は誰のせいなのか、あなたはすぐに悟るだろう。
それなら今にあやまっておけばいいのに、些細ないざかいを先伸ばしにして。あなたと
凪を過ごしたくて、わたしは今日も嘘を重ねてゆく。
わたしたちは、黙ってふたりでテレビを見る。
嘘つき同士は話を作り上げてしまうので、黙っている方がずっと誠実なのかもしれない。
だけどそんな時間の空白にもわたしは、何もかもを話してみたいような衝動にかられる。
何もかもとは、フィギュアの足を壊したことだったり、他の人と過ごした夜のことだっ
たりだ。
あなたのことを好きなのは変わらないのに、その人の前に出ると、違うわたしになって
あなた以上にその人のことを愛してしまうこととか。その人と別の場所で生活することを
何度も想像して、そのたびに歪んだ心を磨くように鍋を磨きあげたこととか、あなたが出
張するのを待ってその人に電話をかけたこととか、もしも、もしもあなたがいつか死んで
しまったら、わたしはその人の元に行くのだろうと、そんな場面を想像してしまって眠れ
なくなった夜のこととか。
そんなことを全部さらけ出す自分を想像すると、なんだかすっごく甘美な気持ちになれ
た。
「ほら、始まったよ、おまえの好きなドラマ」
そう言いながら煙草の煙りを吐き出した。
「まったく。年も考えないで若い男の出る話ばっかり好きなんだよなあ」
あなたはそう言って笑った。
他愛もない真実のまわり、邪悪な嘘が転がっている。
いま、全部吐き出して、赦しを乞えたらどうだろう。
唇を半分ひらく。
すうっと、息をすいこむ。
全部全部喋って嘘を消してしまいたい。
軽蔑されて、絶望されて、怒りをあらわにされて、それから、一番さいごに、ほんの少
しだけの、変わらないほんとうで繋がりたい。
そんな、むしのいいばかりの、甘美な想像を。
手の平に転がすばかりで、わたしは今日も、ほんとうが言えない。
想像の世界はいつも甘美だ。
だけど、嘘をつくことで広がってゆく、つかの間のほんとうも、わたしは手放したくは
ないのかもしれない。
たぶん、わたしはいつまでも。このまま嘘を重ねてゆくのだろう
こがゆき