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短編フラッシュ35
(09年12月~10年11月)
本のせかい
本の中にはたばこが好きでお話の上手なおじいさんもいるし
知らない人とセックスばかりしてるおねいさんもいるし
死ぬことばかり考えてるおにいさんもいるし
やさしそうな顔をしてるのにほんとはいじわるなことばかり考えてるおばさんもいます
ほんとはふつうの世界にももっとふくざつな人はいっぱいいるんだけど
そんな人たちはけっして自分のこころの中を語ろうとしない
ものがたりの中の人たちは、こどもにもおとなにも等しく、自分のこころの中をしょうじきにかたってくれるのです。
あなたのまわりに一元的な価値観しかなかったとしても
ものがたりの中には、不滅のたくさんの価値観があります
エロもグロもさつじんも、ものがたりは「やれ!」とはいいません
ただ、そこにあることを、ゆるしています
そこにあることが ものがたりの中でゆるされているからこそ
現実世界は、「見えないそれら」を包括したゆたかなものに向かえるのです
先生からの手紙
高校時代の恩師から年賀状が届いた。
去年は年賀状の返信もなかったので気にかかっていたのだった。
ご無沙汰していますがお元気ですか?
創作はしていますか?
わたしは地元の文化会を辞めてしまったので、住所がすっかりわからなくなってしまってました。
ちゃんと書いていますか?
わたしは一生懸命創作しています。
油絵の個展を手伝いに行ってから、年賀状のやりとりをするようになった。
私自身の活字になった本をプレゼントしたらとても喜んでくれて、それ以来、創作について話をしてくださるようになった。
時間の作り方とか、作品との向き合い方とか、そういう話だ。
自ら恩師という枠を取り外して、「創作仲間」という立場で、いろんなことを話してくれてたように思う。
町でばったり会うことも最近ではなくなっていて、もしかしたら、という悪い予感もしていたので、万年筆の走り書きの文章がとても嬉しかった。
数年前までは、自作の油絵を印刷した立派なお年賀だったのだけれど。
先生、お元気そうでなによりです。
どんなときでも、書くことは、ずっとわたしの支えになってくれています。
先生も、これからも素晴らしいものを描き続けてください。
あれから何度も先生の文章を読み返している。
短い文章の中で、わたしが書いているのかというくだりが二回も出てくる。
それはおそらく、「継続すること」のむつかしさを身にしみてご存知だからなのだろう。
今年も一年間。恩師の問いかけに嘘をつかずに答えられる自分でいたい。
年頭にあたってそう思った。
オレンジ
膝をついた格好で直立している。
膝と膝の間には男の胸板がほどよく収まっており、その身体をもっと足元の方まで辿ってゆくと、身体と身体が直角に近いカタチで繋がっている。
だけど、あたしの視界からはそういうふうには見えない。
目をつむっている男の顔が、あたしのゆるやかな振動を受けて、ピントのぼやけた画面のようにブレている感じ。
もっとも視力はすでに集中力を失っていて、意識は下腹部の奥の方の、小さな波が寄せては返すもどかしさ、もっと大きな波がまもなくやってくるであろう確信に満ちた予感の方に集まっている。
そうして予想通りの大波がやってきて、のみ込まれる。
きゅん、きゅん、きゅーんとした身体の震えに、意識が一箇所に集まって、力が抜ける。
あたしの外側は何ひとつなくなってしまう。
男の身体も、腰骨を支えている男の両腕も、ベッドのきしみも。
浮かびあがる球体が大きく膨らんで、それが粉々に分散して、波が引いていくのを待つだけの時間。
その一瞬、あたしの外側は何ひとつなくなってしまう。
つぎに気づいたときのあたしは、男の胸板に重なるように倒れ込んでいる。
息がまだ荒いあたしを、男の両腕が支えていてくれていた。
* * *
「もう、こういうことはしない方がいいと思っているんだ」
うん。しないにこしたことはないと思う。
でも、正確に言うとあたしにはその逡巡はわからない。
それなら最初から会わなければいいんだ。あたしに誘われるままにお酒を飲みすぎたりしてはいけないし、ホテルに誘われてもそのまま帰らなければいけない。
ジーンズのベルトにあたしの手がかかろうと、けっして反応しないくらいの強い意志がれば、あたしだってそんなことはしない。
男は、あたしの強い欲望を待っている。
言い訳したり、自信がなかったり、覚悟がなかったりしながら、あたしがその場所へ連れていってくれるのを待っている。
あたしは連れていかないよ。
さっさとそう言ってしまいたいところだが、男の心の中にある、待ちの余白をあたしは見逃すことができない。
見逃すことのできないあたしの暴力的な欲望に、男もあたしもしがみついているのだ。
* * *
あたしたちが気の合う友達のままでいたら、何度も長電話したりいっしょにごはんを食べたり、もっと屈託なくできたに違いない。
気の合う友達という位置はいつだって最適だ。
そこにいるかぎり、けっして暴風雨が吹き荒れる日もこないし。
わけのわからないものに翻弄されることもない。
だから、最初にそう決めておくべきだったのだ。
結局あたしたちはコイビトになることはできなかった。
長い時間つきあってみて、それがわかった。
コイビトという言葉の持つゆらぎとか、引き受けるべきものは重すぎて、とっくに放り投げてしまっていたし、放り投げることによってある程度傷つけあうこともあたしたちは十分に味わっていた。
だけども、それで関係を断ってしまうほどの強さも持ち合わせていなかった。
おそらくそういうカップルは世界中に、掃いて捨てる場所がないくらいに、たくさんいるような気がする。
関係というのは、紙に書かれて定義されるような契約書のようにクリアじゃなくって、すごーくあいまいなものなのだと思う。
* * *
「ナオちゃんとはセックスしたんだよね?」
あたしは、男の上に重なったまま、話のついでのふりをして尋ねる。
「やってないよ」 男は目をつむる。「家も近いし、共通の友達も多いからね。飲みに行ったりカラオケに行ったりすることはあるから、チャンスがないわけでもないではないけれど。でもね、やってないんだ」
ウソかもしれない。ほんとかもしれない。
あたしは、注意深く、接合した部分に意識を集中する。男が動揺していれば、屹立したものはそこにはなくなっていくはずだ。
あたしのそういう集中を見透かした男は、やはり下半身に意識を集中する。
だから、結局はそれを見極められない。
あたしはことばを信じることにする。
本当でもウソでもいい。ことばというカタチを持つものは、男の気持ちだから。気持ちの部分だけでも信じることができればいいからだ。
* * *
朝まで飲んでいたという男が電話をしてきた。
もう、大丈夫、お酒は抜けたから。
お昼すぎにそうやって電話してきたのに、男は少し酔っている。
なんでわかるかっていうと。
彼は今、酔ってなければけしてできないような話をあたしにしているからだ。
「あのとき、ナオちゃんとやったかってどうして聞いたの? たしかにやったよ。でも、誰もそのことを知らないんだ。どうしてそう思ったんだ?」
直感みたいなものだ。
直感としか言いようがない。
その直感を導き出した細部ももちろんあるのだけど、それについては言わない。
その細部は何度もあたしに、わけのわからない感情をつきつけてきたのだから。
「ユウコと知り合う前の話だよ。ほんとに何度も何度もやったのは。今はもうしないんだ」
かつてコイビトを目指していたあたしたちは、それをうまくやり通すことができずに一時期疎遠になっていた。
ナオちゃんと飲みに行くようになったのはたぶんその頃だから、あたしと知り合う前というのは記憶ちがい、もしくはウソだ。
あたしたちには共通の友人も多いし、どのグループで飲みに行くことが多いのかなんて情報を、あたしは意外と間違わない。
「ほんとに。知り合いの誰も知らないことなんだ。なんでユウコにわかったのか。正直びっくりしたよ」
あたしと別れたからつきあったなんて都合のいいことは思わない。
男はほんとになおちゃんが好きなのだと思う。
だから、秘密にしておけなかったのだ。
誰かに言いたくてたまらなかったのだ。
そして同時に。
あたしに秘密にしておけなかったのだ。
何もかもあらいざらいにぶちまけてしまいたい衝動。
そんな波はなにかの機会に、音もなくやってくるものだ。
よくわかる。
あたしはよくその衝動を感じていた。
このまま、夫に洗いざらいぶちまけて、泣きながら許しを乞いたい衝動。
* * *
それからあたしは夢を見る。
男となおちゃんが腕を組んで歩いている夢。
何度も何度も同じ夢を見る。
* * *
本気で誰かを所有したい人間は恋愛なんてしちゃいけない。
だから、そういう人間になるまい、男の前ではそういう人間ではいまい、と思いながらも、あたしは、自分のそういう部分に目を閉じることができない。
バカだなあと思う。
あたしはあと何度か、あの嫌な夢を見るのだろう。
なおちゃんは、長い髪をなびかせて、それじゃあねって、あたしに言って、それから男と腕を組んで帰ってゆく。
そんな感じの夢だ。
「ごはんだよ」
子供の声が電話口の向こうで男にそう告げていた。
そうして男は電話を切る。
ほら。
あたしたちはたくさんの現実を持っているじゃないか。
いつまでも、モラトリアムの大学生じゃないんだから。
あたしも夕飯を作ろう。
窓の外には大きなオレンジ色の夕日の球体。
落ちるまぎわの夕日がエクスタシーの瞬間の色に見えた。
カーテンを閉めよう。
夕飯はなににしよう。
言葉が散乱していって戻ってこない
元気ですか?
こちらはひとつの言葉が浮かんでは、「あ、これ」と思い、思っているうちにいつのまにか消えてしまうような毎日です。
そのときはたしかだと思うのに、案外そうではないようにも思えてくるのです。
つまりは元気でもあるし、元気ではないのかもしれない。
どちらがほんとうかわからないから、どちらもありなのでしょうが。
色とりどりの紙吹雪のように掌から風に飛んでいってしまうような感じでもあります。
この時期になると家の窓から見えていた白い山茶花の木がなくなりました。
かわりに新しい大きな建物の工事がはじまっています。
それから小菊がたくさん玄関に咲きました。
何年も咲いてなかったけれど、菊は辛抱強くそこにあったらしいのです。
まるで遠くの世界から誰かがいたずらをしてるような気分です。
そうそう。
最初に書こうと思ったタイトルはそういえば「世界は暗示に満ちている」でした。
少しずつなにかが変わっていく空気は、そういえば「世界は暗示に満ちている」という感じでもありました。
ところが何の暗示かもわからないうちに違う言葉がやってきました。
つぎの言葉は「奥歯をくいしばれ」でした。
サザンオールスターズの歌の名前です。別れた彼女に「嫌われ女になるからよせよ」っていう歌です。
作者は彼女と別れて悔しくて奥歯をくいしばっているのです。
悲しいと悔しいは、少し似ているけれど違います。後悔も似ているけれど違います。
そうこう思っているうちにその言葉も風に吹かれて飛んでいってしまいました。
人を傷つけた感触と、人とつながった感触はどちらが深く心にのこるのでしょうか?
度合いにも状況にもよるので、どちらとも言えないから愚問だと思います。
この問いもしばらく心に残っていたのだけれど、そして愚問という言葉に片付けられ、今はなくなってしまいました。
さきほども車を運転しながら、なにかの言葉がやってきて、激しくわたしを包んだのだけど、その言葉に至ってはどういう言葉なのかさえも思い出せません。
そういうわけで、今日も言葉をつかみ損ねました。
つかみ損ねたままに毎日が過ぎていきます。
言葉にならない怒りや喜びは、それでも世界中でやりとりされているような気がします。
遠い世界の戦争の話も、今すれちがった小さな子どものほほえみも。
明確な意志を持たずにそれは、大気の中を流れています。
それに感化されるのがわたしたちで、意志はすべてが意志というわけではないのかもしれません。
とりとめもなくなってしまいました。
何度もつかみそこねたすえに、いいわけじみた言葉を並べ立ててしまいました。
いつかまた、会える日があるとしたら。
その日までわたしは「つながる言葉」を探し続けていたいと思っています。
今度は言葉をつかみそこねないように。しっかりと。
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