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短編フラッシュ34
(07年3月~08年4月)
プロット
人を好きになるとすごくあたたかい気持ちになるのに。
誰かを手にいれたいと思う気持ちはすごく暴力的だ。
いっかい人格を壊してみる。
きっとそこから始まれる。
人を好きになるとすごくあたたかい気持ちになるのに。
誰かを手にいれたいと思う気持ちはすごく暴力的だ。
それはすごく矛盾している。
この矛盾を言葉にしたくて、何度も何度も書いては消すのに。
それでもそれを言葉にできない。
君と話しているといつも、その世界だけがすべてだと思うのに。
手に入れたいと思うとき、その世界すらも壊してしまいそうになるのだ。
まるで意志とは関係なく、降りしきる、暴風雨みたいだ。
きっといくつもある人格だもの。
ここにある世界だって、わたしのココロの中の小さな部屋にすぎないのだし。
わたしはここから出て、またふつうの日常にだって戻れるのだから。
君の前にいるわたしのひとつくらい、人格が壊れてたってどうってことないって。
わたしは、とっさに自分に、そう言い聞かせるのだ。
ノーヒットノーラン
わたしは野球のことはよくわからないけれど、打率3割だったらけっこういい成績なんじゃないか。
人生とか生活において、ついつい10割打者を目指してしまうのが、わたしたちのいけないところだ。
たぶん、10割以下でもぜんぜん問題ないにちがいない。
バンプの「ノーヒットノーラン」を聞きながらふっとそう思った。
3割でも3割以下でもいい。
忙しさにかまけて、打席に立つことすら逃げているくせに。
誰にもわからない改心の一撃が空に白い弧を描くところを、そんな毎日の中でもずっと夢見ている。
プラスチックの空
毎日見上げる夜空がだんだんプラスチックのように見えてくるようになった。
そう。
つい最近まで、空はもっと深かった。
時空の果ての恐ろしさをたたえていて、それでいて優しくて、月は赤い毛糸のようにふんわり浮かんでいた。
それがいつのまにか深みのないプラスチックの箱の天井のようになってしまったんだ。
どうしよう、とか、助けて、とか言ってみたけれど、そういう問題じゃないことにすでに気づいていた。
word horic なんだ。
言葉に代えていかないと、空さえもプラスチックになってしまうんだ。
あなたの声も、喋っている内容も、石畳の坂道も、マクドナルドの朝マックも、毎朝自転車で走る道にこぼれて落ちる藪椿も。咲き始めた桜も。
みんな絵はがきのように平面に変わってしまう。
アクリル絵の具の景色。プラスチックの空。
そんなに働いて何になる。
そんなに時間を塗りつぶして何になる。
わたしは今日も働いている。
こぼれ落ちた言葉が砂のように床に散らばっている。
いつか、時間をかけて、この砂をぜんぶ拾っていこうと、わたしは大きく息を吐いた。
mortal
最近どお? と聞かれたら、コップの水ギリギリかなあって状態。
実はちょっと前からそうなんだけど、そういうことに気づくのはずっと後で、なんでこんなに仕事溜まってるんだろうとか、なんで送ろうと思っていたメールのことを忘れているんだろうとか、いつもそんなところから、ほつれがはじまってゆくんだ。
そんなときわたしは、ドーム型の天空の向こう側が透けてみえような気がする。
この向こう側には「生きていない世界」があって「生きていない時間」があって。とりあえずわたしは今ドームの中にいるんだけど、その向こう側が透けて見えてて、うざったくってしょうがないって感じ。
もちろんわたしは、向こう側に行ってみたいなんて思っていない。
だから必死になって「メメント・モリ」の反対は何だったっけって考えるんだ。
死を忘れよ、いつか死ぬことを忘れよ、大切な人が死ぬこと、大切なものを失うことを忘れよって。
夜空に向かって煙草の煙を吐きかけて。
犬のモモが、なにかを察するようにその様子をじっと見つめてくれている。
生きることは、その向こう側にあるはずの死を思うことじゃなくって。
彼女が必死に怒って真理を求めてることを羨ましくなって応援してみたり、いっぱいになってしまったコップの水がわたしの中から溢れてゆくのをじっと眺めていたり、意味のないくらいにただなんとなく、人を好きになってみたりしながら。
それがいつかは終わるものであることを、強い意志で忘れ続けてゆくことなんだと思う。
今日はそんなふうに思いたい夜。
侮ることなく世間を渡れ
滞納の多い店子さんがいよいよ半年分も家賃をためてしまった。
そのつど請求はしているし、保証人にも電話してるのに口ばっかりだ。
簡易裁判か少額訴訟をしようと思って裁判所に行ったら、まずは「内容証明郵便」をと勧められた。ところがその内容証明を受け取らない。留守(または居留守)で不在通知も無視されて、とうとう我が家に返送されてしまった。
滞納者の人たちは、こういう場合の乗り切り方の知識はとても豊富なようだ。
この調子だと裁判にしても出廷しないのではないか、とかいろいろ考えて結局「取り立て屋」を雇うことにした。
仕事で取引のあるところに紹介してもらったが、「あくまでコンサルティングであって、強制的な取り立てはしない」という。
その物腰の柔らかさが逆に威圧的にさえ思えた。
一週間もたたぬうちに、家賃の精算と、月末退去を約束させた。
その早さにはびっくりだった。
家賃のトラブルは「退去までしてもらう」か「家賃の精算だけをのぞむ」かで対応が違う。
「それを一番にきめなければいけない」と言われれて困ってしまったが、今回は、もう退去してもらおうと決めていた。
先月の請求に「なんらかの返答がない場合は退去をお願いします」と書いていたのだ。
書いたことは実行する。
「私どもが今まで相手にしてきた方たちに比べれば、ずっと常識もあり、ちゃんとした方でした」と、取り立て屋は言った。「数日中に必ず払う、たぶん保証人の方が出すんですようが、そう約束してもらいました」
それから「退去だけは勘弁してもらえないだろうか」と何度も何度もお願いされたのだと言う。
しかし、そういう約束なので、出てもらわなければ困ると言ったら、「分かりました、こういう状態だったのに、長いこと居させていただいてありがとうございましたと伝えてください」と言われたのだそうだ。
生活が傾くまでは、とてもちゃんとした人だった。
よく共用部分の掃除をしてくれていた。お礼を言うと、「ずっときれいにしておけば誰もよごさないから」と言ってくれていた。
だから、少々苦しい時があっても、がんばって払ってくれると信じて待っていたい部分もあった。
ひとりの人間の生活の場を自分の判断で取り上げるということで、ほんとに昨晩はいろんなことを考えた。
たとえば、請求書に書いた番号に電話して、あやまってくれたらどうだったろう?
今月は1万円しか払えないからそれだけでも、とか言ってくれたらどうだったろう?
交差点で会ったときコートのフードで顔を隠して逃げなかったらどうだったろう?
今月中にはと言われて待っていて結局払わなかった月がなかったらどうだったろう?
「そういうこともあるんで、ほんとに払うのか、退去するのか最後まで気が抜けないんですよ」と取り立て屋は言った。
とりあえず、わたしはひとりの人の生活の場を取り上げたけれど、それはやはり、世間とかわたし自身を侮っていたのだから仕方ないことなのだと思いたい。
その人自身を恨む気持ちももうないし。
これからは「侮ることなく世間をわたっていってください」と思っている。
桜は上を向いている
下から見上げると、下を向いてにっこりと笑っているように見えるのに。
ちょっと離れてみると桜は上を向いてるんだな。
なんだか不思議だ。
八方美人とかそういうんじゃなくて、好き勝手にいろんなところ向いてたって、さまになってるって言うか、それはそれでいいんだって言うか。
わたしは。
いつから歩きだそうかと思いながらじっと立ち止まっている。
桜の木の下で足踏みしているみたいだ。
ああ、あったかい。
日差しってこんなにやわらかくってあったかいんだな。
いつから。
どこに歩きだそうか。
下から見上げると、下を向いてにっこりと笑っているように見えるのに。
ちょっと離れてみると桜は上を向いてるんだな。
なんだか不思議だ。
八方美人とかそういうんじゃなくて、好き勝手にいろんなところ向いてたって、さまになってるって言うか、それはそれでいいんだって言うか。
わたしは。
いつから歩きだそうかと思いながらじっと立ち止まっている。
桜の木の下で足踏みしているみたいだ。
ああ、あったかい。
日差しってこんなにやわらかくってあったかいんだな。
いつから。
どこに歩きだそうか。
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