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.kogayuki.  短編フラッシュ31 (04年7月~10月)


透明寒天


言葉にならないほど 部屋を片づけて
言葉にならないほど 料理に手間をかけて
言葉にならないほど 外を出歩いて
言葉にならないほど 仕事して
言葉にならないほど 人と交わり
言葉にならないほど 疲れきってしまう

ああ 今日も わたしのまわりには 何の言葉もなかった
けど まわりの言葉なんて あってもなくてもいいようなもので
言葉のない孤独に 最近は不思議なくらい馴れてきた

闇のひとつ前に横たわる 群青色の静寂
その場所で 今日を過ごした掌を見つめると
中に 透明な寒天のようなもの ぽわんと浮かびあがる

ぷるんぷるんと それを揺らし
くしゃり とろんとろんに 潰して
口に入れてみて 味を確かめる
わずかな甘みも わずかな苦みも あるけれど
それも また言葉ではない

言葉にならない 日常に背を向けて
蛍光灯も まだ点けず
丸い木椅子に 座り込み
わたしは
透明寒天を 見つめてる

掌の中で
それが 言葉に代わるのを待つけれど
化学反応の法則を どうしても思い出せない

毎夕毎夕 言葉にならない寒天を握り潰して
椅子のまわりには

もう 何日分もの 透明寒天が 転がっている



水音


ぽとり ぽとり
栓のゆるんだ蛇口から 滴り落ちる水
子守歌のように リズムを刻む
このまま 眠りの底に落ちてゆけるだろうか
すべてのわたしの水が 枯れないうちに

ぽとん ぽとん
血管に横たわる 銀色に光る針
黄色い点滴液が カラダに入ってゆく
命を吹き込んでゆく 音は
頑ななものを 溶かしてゆく音
溶かされていった 黒い塊
これって けっこう好き なんだけどな

いつかなくなる 砂時計の砂
どこまで 落ち続けていられるのか
なんて 誰も 知りはしない
神様は 落ちてしまった砂時計を
こともなげに ひっくり返してくれるのかな

カラダの中に染みこむ 水音
カラダからこぼれ落ちる 水音

溶かされ 再生され そしてまた 溶かされる

あなたという水音は いつだって異音
なのに
それすらも カラダの一部となって
新しいリズムを刻んで 流れてゆくのかも



存在を知らしめる猫のように


 地下鉄の階段を上ると、ちょうど祭りをやっていたらしい。境内まで長い参道が屋台でいっぱいだ。何種類もの食べ物の匂いが混じりあっている。そこを歩いてゆくうちに雑貨を並べた店に差し掛かる。
 玉虫を封じ込めたキーホルダーがある。手に取ってみると、髭をはやした丸顔の店主がわたしに値段を言った。
「珍しいやろ」
 珍しいけれど、心は動かない。他の小物などひとつ手に取ると、そのつど店主は店の奥から話しかける。
 妙なことに、店主はわたしにだけ話しかけてくる。店内には10人ほどの客がいるのにだ。

 チェーンのブレスレットを見つける。
「シルバーよ。銀貨を潰して作ってある。鈴がついとるやろ  これがお守り。いい音がする」
 銀貨を潰してブレスレットを作ることなんてできるのか ともあれ小さな鈴はカラコロと、とても小さないい音色を出していた。

 言われたままの金額を払い、帰りの地下鉄の中で、そのブレスレットをつける。
 手を揺らしてみると、地下鉄の音に消されてしまうくらいの、とても小さな鈴の音がした。

 お守りと言われて、望んでいたことが頭に浮かんだ。
 望みはとてもシンプル。男の気を惹きたかったのである。
 小さなブレスひとつで、気を惹けるはずもないのだが、手に取ったとき男に抱かれて揺れている自分のカタチが見えた。揺れながらその鈴が呼応してコロコロと鳴っている。それが叶うというのだろうか。

 それから数日間、そのブレスレットを片時も離さなかった。
 朝目覚めては鈴を鳴らし、仕事の手を休めては腕を揺らし、食事をするときも意識して音を聞いてみる。
 そのたびに、幻影は浮かんだ。いつも同じシーンだ。男の腕の中でわたしが揺れていた。
 だけどもだんだんと、まとわりついてくる音が鬱陶しくもなってきた。
 鈴音はまわりに不快なほどの音量ではない。だけど目覚めているあいだ中、わたしはその音と共にいるのだ。
 音を聞くたびに現れる光景は変わらない。いつもわたしは男と繋がって揺れている。
 会議中だろうが食事中だろうが、おかまいなしに抱き合っている。
 そもそもわたしは男とセックスしたかっただけなのかその男と長い時間話したり、一緒にコーヒーとかワインとかを飲んでみたり、魂の深いところで共通のものがあることを噛みしめたり、そういうことを何もかもを含めて、男を手に入れたかったはずなのだ。

 最初に手に取った瞬間に思い浮かべたものが、そのまま鈴に宿ったというのか
 一番に、抱かれることを思った自分の愚かさにあきれ果てた。もっと抽象的なことだって、光景どころか言葉にすらならないことだって何だってよかったはずなのだ。
 それとも店主は、わたしの一番さもしい所を見抜いて魔法をかけたのか

 結局1週間目に、鈴音がイヤになってしまい、仕事から帰るとすぐにペンチを探した。
 鈴を繋いでいる金具をねじ曲げた。金具も頑丈なシルバーでなかなか外れない。力まかせにねじ曲げると、パチンと音をたてて鈴が飛んだ。

 それからブレスレットは驚くほど平凡なものに変わってしまった。
 シンプルで地味で、もうどんな光景も見せはしない。
 愛着も薄れたが、それでもわたしの腕にそのまま飾られている。
 部屋に転がった鈴を見て、もう一度つけてみたいとも思う。だが金具がないのでそういうわけにも行かない。

 もう、いい。快感の伴わないセックスに長いこと熱中してしまった。
 しばらくは、邪心を持つこともないだろう。

 今度男と会ったときはきっと、清々しいくらいにまっすぐに、その男とつまらないことをたくさん話せることだろう。



右手の日常 左手の闇


 右手で奏でるメロディ
 夕暮れの斜光を浴びながら
 今日という日を鍵盤に

 交わした言葉の数々 ときにはフォルテ
 あわただしく過ぎる時間も なめらかにスラー
 家路に着く家族 そこからはじまるモデラート

 泣きたいほどの変調 頭痛い低気圧 傷だらけになる言葉たち
 重くるしくもあるものも
 ひとつの音に 溶け合って
 わたしという音楽は 変わらず流れ続けてる

 何も変わらず ここにあるではないか
 突然降り始めた 雨にも
 戻れる場所は あるではないか

     なのに左手はつたなく
     別の音楽を奏でようとするのだ

     異音
     けっして奏でられないくせに
     ふりほどけない メロディ

 右手の日常が お皿を洗っている
 磨き上げたコップが キラキラ光ってゆく
 確立された 和音が響く

     左手のピアニッシモは
     もう ずっと 叶えられないまま

     いつ消えてもいいくらいの
     小さく 解体された音 なのに


 それは 主旋律に混じることもなく
 いつまでも 小さな闇の中に
 不完全なピアニッシモを 奏でているのだ



何億という偶然の果て


 世界の流れが どうも 自分の流れと違うのではないかと
 ふと 立ち止まる 交差点の午後
 まあ いいさ 深く 考えぬことにしよう
 そもそも ここに在ることさえ 何億という偶然の果て

 流れる川の水と 合流するように
 誰かと心通わせる日を 夢見る
 だが 叶ったことなど 一度たりともない
 わたしは水ではないのだし カタチを変えて他のものにはなれない

 誰かの心が 流れる
 どこかの魂が 浮遊する
 顔の見えない気持ちが なにかを求める

 そういうものたちが 空気中の塵となって 入り混じる世界
 触れては 悦び
 触れては 傷つき 消耗し
 わたしでない個体が わたしでない場所を彷徨っている

 わたしが わたしという場所を 彷徨っているのと同じように

 その人の世界を 想像する
 わたしという個体が 視界の中に 浮遊している
 ときに わたしたちは 触れ合う
 それもまた 何億という 偶然の果て

 叶う・叶わない
 遠いおとぎ話のような記号に
 答えを求めたくなる夜も
 もちろん あるけれど

 移動し続け 感じ続け いろんなものを求め続けている わたしたちの魂が
 束の間 触れ合うことだけが

 何億という 偶然の果て

.kogayuki.

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