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短編フラッシュ30
(04年4月~6月)
まぶたの裏の空
まぶたの裏に
もうひとつの 空があった
目を閉じて
目がしらを押さえると
暗い宇宙の微粒子が泳ぐ
桜は永遠に開かない
自分がいちばんわからない
星は遠くに瞬くのに
まぶたの裏の空は暗い
おだやかに微笑む君に 胸がとろけたとしても
次の一瞬には
また 別の渇望
まぶたの裏は 答えのない闇
真理の見つからない 宇宙
目を閉じると 迫り来る 生きてゆく意味
転がりながら ずっと答えを変えてゆき
いつかは これが ほんとうだと
思えるものがあるのかな?
つかのまでもいいから
これが ほんとうだと
いつかは 言えるものがあるのかな?
さあ もう いいから
目を 開けて
早咲きのさくらの
一瞬のほころびは
毎年 変わりなく きれいだよ
薄焼き卵ヂカラ
最近 薄焼き卵 焼くのが下手になった
きれいにくるりと 裏面に行けない
ひっくり返そうとすると グジャグジャになってしまう
わたしがいけないのか
フライパンがいけないのか
やる気がないのがいけないのか
あなたと会ってないのがいけないのか
そもそも世界は わたしを愛してないのか
薄焼き卵がうまく焼けなかった朝は
自分がすごく くだらない人間に思えるから
お願い 今日こそは きれいに焼かせてください
今はまだ白き足
今日のわたしの足は白い。
まるで、生まれてはじめて外出した深窓の姫みたいだ。
日差しの強さに、今年はじめて素足になった。
細いストラップのミュールに、白い足がキラキラ反射する。
だけど、夕刻にも、アスファルトの放熱を受けた足は真っ赤になるに違いない。
わたしは陽に焼けやすい体質なのだ。
昼休みの公園のベンチで、ケイタイ写真に撮ってみた。自然光のおかげで足は作り物の陶器のように白く映った。
その一枚を速攻、送信。
[今年初めての素足。この指の一本一本を口に含んで、ゆっくりと、私が溶けるまで味わって]
レディコミみたいなメールだ、陳腐だなーと思う。
ケイタイメールは上手に打てない、絵文字も入れれない。だからとてもヘン。だけど、そのはずし方が、自分ではとても気に入ってる。
すぐに返信のメール音が響いた。
その男も、退屈なランチタイムをもてあましていたのだろう。
「きれいな白い足。そのベンチの下に跪いて、小指から一本一本舐めているよ。感じてる?」
「感じてる・・・」
そう返信した瞬間、ちょっと現実を入り交じってしまい、思わず小さな吐息が漏れた。
現実では、カラダを合わせたことはおろか、顔を見たことすらない男なのに・・・
なんて楽しい水槽の中。
砂漠のように乾いた土埃の毎日を歩いていても、水をたたえた水槽が、わたしの中にはある。
知らない同士が飛び込んだ、偶然の水槽。ときに男はそこから現実にわたしを引き上げようとするけれど。わたしは、そこから出なくったっていいって思っ
てる。
ときおり男は、そのことに苛立つのだけど。
現実は、もう、これ以上、欲しくない。
知ってる? わたし、イク時に、足の指が痺れるんだよ。
きっとカラダの中で、足の指とわたしの芯が、繋がっているんだね。
どんどん、どんどん、言葉を濡らしたい。
現実世界でカラカラに乾いてしまった言葉を。
どこまでも、放り込んで、自分じゃないものに、変わるまで。
わたしの秘密の水槽の中で・・・
怪談・ドアを開けたかった
彼女がわたしの分身なのかどうか、わたしにはわからない。
けっきょく、わたしは彼女に会うことはなかったのだから。
旅先に行くと、特別な感覚がとぎすまされてくる。
それは、とても些細なことで、たとえば炭酸の入った飲み物を受けつけなくなったり、少しの食事で満腹感を感じてしまったり、わずかばかりの霊の気配を
感じてみたりだ。
なんて言うと、特別な霊感があるのかと思われるのかもしれないが、ああ、なんとなくいるな、と感じるくらいのものだ。
世の中にはいろんな気配を感じる人がいる。
わたしの夫は生理中の女性が傍にいると、匂いでそれがわかるという。
この前会った友人のダンナは、癌の人の気配がわかるそうだ。家を訪問すると、癌らしき匂いを感じる。なんて思っているとまもなく当人が入院したりする
そうだ。「ね、それで、わたし、癌の匂いなんてする?」と試しに聞いてみたら、しませんよーと言って笑い返された。
それに比べたら、霊の気配なんて罪のないもんだと思う。いたずらされるわけでもないし、恐怖を感じるほどでもない。朝、ホテルの窓を開けると、隣に古
めかしい病院があったり、由緒ありそうな神社があったり、大体それで終わりである。
出張の多い仕事をしていた。チームを組んでいろんな街に行くのである。遠い街になると「前ノリ」になる。だいたい夜に到着して、軽い宴会をして熟睡す
る。
その日はスポンサーの方にすき焼きをごちそうしていただいた。明日はよろしくお願いします、と言われ、わたしたちは宿泊する部屋に帰った。
泊まったのは、その会社の社員研修用の宿泊所だった。男性スタッフは3人布団を並べられ、女性はわたしひとりなので、大部屋にひとりだった。
旅先でもよく眠れるのが、わたしの自慢だ。その日も満腹とほどよい疲労で、すぐに眠りについた。男性たちはまだ部屋で飲んでいるらしい。隣室からの笑
い声が聞こえた。
まどろみ半分で、ふっと、目覚める。
すると、時計の音が頭の上で聞こえた。
カチカチカチカチ。頭の30センチほど上で時計の音がしている。
おかしい・・・この部屋には時計はないはずだ。時計がないので、わたしは腕時計をしたまま寝たのだから間違いない。
手を布団から出して、時計の音を振り払おうとするが、カチカチは止まらない。
それは壁にかかっているとかいうものではない。空中に浮遊した時計が鳴っているのだ。
いくらなんでもおかしい・・・
隣の部屋に行こう、と起き上がる。
そうして、隣の部屋のドアまで歩き、そこを開けようとするが・・・開けたとこまでで逆戻り、またわたしは布団に寝ているのだ。
なんども力を込めて起き上がる。
廊下を歩いて、隣の部屋のドアを開ける。
だけどもわたしは、布団に引き戻されている。
時計のカチカチは止まらない。
それからすごい恐怖を感じた。
わたしはどこにいるんだろう。メビウスの輪に閉じこめられたように、同じところをグルグル回っている。時間が元のところに戻るのだとすれば、わたし
は、ずっとここから出られないのだろうか・・・
日常では計り知れない、時間のねじれ。
そんな話は、SF小説にならあるのかもしれない。
だけども現実に、そんなことがあるなんて・・・
20回ほど、それを繰り返しただろうか。
あきらめた頃に、浮遊していた意識が、わたしのところに戻ってきて、それで覚醒した。
ああ・・・とんでもない・・・でも、とりあえず、隣の部屋に行かなければ・・・
そう思って、廊下を踏みしめ、やっと隣の部屋にたどり着いた。
「あれ、ゆきさん、どうしたんですか?」
酒を飲んでいた3人の男がこっちを振り向いた。
「よかったー。やっと、来れたよ・・」
そう言って、わたしはこれまでのことを説明する。すると、寝ぼけてたんだろうという顔をしている他の二人を余所に、中川の顔が青ざめていった。
「おれ、何度も見たよ・・・ゆきさんが、ドア開けて、それで消えちゃうんだ。おかしいなー、とずっと思ってて・・そういうことだったんですねー」
ああ! 中川、おまえそれでさっきからずっとドアのとこ見てたのか!
そう言って、今度は二人が青ざめていった。
たしかにわたしはドアを開けては、布団に戻っている。
だけど、消えるわたしは、ほんとうにわたしだったのか?
動くことのできないわたしに代わって、そこまで行ったわたしは・・・いったいどんなわたしだったのだろうか・・・
その日は男性用の大部屋に寝かせてもらった。
何度も出張したが、男共と雑魚寝したのは、このときかぎりであった。
翌日は打ち合わせに忙しく、前の夜のことなど話す暇もなかった。
そうして、わたしは、その仕事を辞め、今に至っている。
あの夜の恐怖は未だに忘れられない。
わたしを怯えさせたのは、正体のわからないわたしがいたということだ。それは、わたしの中にいるわたしなのかもしれない。それとも、分身というやつな
のか・・・
中川は音楽に詳しい青年で、まもなくしてCDショップの店長を任された。それ以来、一度も会っていない。
もし、偶然にも中川に会うことがあったら、そのときは聞いてみたいと今も思っている。
もうひとりのわたしは、どんなわたしだったのか。
恐怖に怯えたわたしだったのか、不幸せそうなわたしだったのか。
それとも、仕事は充実していたものの、恋人との関係に疲れ切っていたわたし自身よりも。
もうひとりのわたしの方が自信に溢れ、幸せそうにしていたのか。
檸檬
川本サクラの小説は、本屋で見つけるたびに必ず買う。
だけど、それほど売れてないのかもしれない。大きな本屋の隅にひっそりと数冊並んでいるだけで、新聞広告も書評も目にしたことはない。
サクラさんの小説はほどよく切なくて、わたしのザラついた内側を撫でつけられたような気持ちになれる。
だけど、ベストセラーになるような派手さはなかった。
わたしは、みんなが読んで大騒ぎをするような本じゃなくって、見えない糸で作者と繋がっているような本が好きだったから。誰にも知られず、サクラの本
を一冊ずつ集めていくのが、ひそやかな楽しみだった。
そのうちに、新刊が発売されることになった。
新聞の下の欄の「今月の新刊」で見つけた。はじめての長編小説だと言う。事故で記憶をなくした主人公が自分の日記を頼りに、十年という時間をかけて恋
人を捜すというストーリーだった。
川本サクラが主人公の気持ちを描くと、バイオリンの弦のように心が何度も震える。同調しながら、一緒に恋人を捜し、あっというまに結末がやってきた。
サクラさん、やっぱり、すごい・・・ 読み終えると、心の内側に溜まったものがぽろぽろと剥がれていくような心地よさに襲われた。
新刊の本はあっというまに本屋から消えた。
重版がかかったことをネットで調べて知った。だが、地方の小書店にはなかなか入らない。自分はもう買っているくせに、何度も棚をたしかめるようになっ
た。
三版、四版と、出版されているという。だが、すぐに入荷するわけではない。
そうこうするうちに、六版めが出て、やっと、高く平積みにされた本を見つけた。
この書店では、ていねいな手書きのポップがいろんな本につけられている。なのに、川本サクラはノーマークだった。それを見ると、まるで自分のことのよ
うにさみしくなってしまった。
日曜の夜には決行しよう、そう決めた。
週末はこの書店の営業時間は長い。だけど、土曜に比べ日曜の夜は客が少ないのだ。
書店のポップと同じサイズの紙を見つけて、自分なりの感動を書いてみた。だけど、すぐにイヤになってしまった。わたしは文章は感情的すぎて、何が言い
たいのか全然わからないのだ。
ヤケになって文具店でその3倍の厚紙を買った。表紙をスキャナして貼り付けて「今、売れてます」と大きくマジックで書いた。あとは、簡単なあらすじ
と、サクラの文章の良さを書く。相変わらずワケわからない文章。でも、派手な色づかいのおかげで何とかカタチになった。
梶井基次郎は、どうして本屋の本の上に黄色い檸檬を置いたのだろう。
理由もわからず、いつか真似してみたかったのかもしれない。
もっともわたしの場合、全然文学的な行為には思えないけれど。
閉店間際の書店に行って、本を探すふりしてじっと立ってみる。
まわりに人がいなくなるのを見計らう。
レジに素早く目を走らせ、書店員が計算に熱中しているのを確かめて。
紙袋からポップを取り出し、川本サクラの本の後ろに立てかけた。
誰かに見られただろうか・・・少なくとも、まわりに人はいなかった。
心臓がばくばくして、確かめる余裕もなく、早足で書店をあとにした。
毎日毎日本屋に通っては、サクラの部数を確かめている。
幸い、毎日少しずつ平積みは低くなってゆく、そして、ある日また、どーんと高くなる。高くなるのは多分、新しく入荷した日なのだろう。
そのうちベストセラーのランキングに、川本サクラの本の名前が登場するようになった。
さて。わたしの書いた大きな手書きポップだが。
どういうわけか、今もお店の真正面の川本サクラのコーナーにあって。しかも動かないように棚の後ろで、きっちりとガムテープで固定されている。
レモンイエローの縁取りが鮮やかな。わたしの作った手書きのポップ。
帰ろう
どの道を帰ろう
どんなふうに帰ろう
そういえば わたし
どこに 帰るんだろうか?
夜空を見上げれば その星が
あなたを思えば 厚い胸板が
ネオンの映る 川沿いのベンチに座れば 朽ちたベンチが
わたしの帰る場所のように 思えるのだけど
いったいどこに戻れば わたしは深く眠れるのか
どの言葉に帰ろう
どんな思いに 身を沈めよう
わたしを包み込む場所に 帰りたい でも 帰れない
白い猫が わたしの前を
ピンと しっぽをたてて歩いた
帰る場所なんて ほんとにあるの?
どこに戻ったって あなた 満たされないじゃない?
ほんとは どこにも戻りたくないんじゃない?
夜が深くなる
白くあたたかい明かりのついた 木の香りのする家が
わたしの帰りを待っている
帰れる場所は いつだって あるはずなのに
永遠に 帰れない その場所に
思い
焦がれて
このまま 風の上で 眠ってしまいたい 夜
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