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短編フラッシュ29
(03年12月(終わるもの) 04年1月(そのときわたしが見たものは) 2月(しあわせなこと) ダンボールネットmomo館「特集の広場」より)
あした せかいがおわる なら
あした せかいはおわります ってニュースで言ってた
わたしは それを聞きながら 2杯目のコーヒーを飲んだ
今日は しごと 休もうね と
わたしは コイビトの布団に もぐりこんだ
それから コイビトは 朝マックを買いに行って
わたしは その前のコイビトに 電話した
明日までだって もう 会えないね
でも 会えて よかったよ とお礼を言った
マックも閉まってたよ って コイビトが帰ってきたんで
近所を ふらふら ふたりで歩いた
車も 閑散としてて 空だけ みょうに蒼かった
何か やり残したことなんてある?
ううん ないねえ・・・
生きてたら まだ いろんなことするんだろうけど
こんなふうに あなたと きょう 歩いたから
もう いいよ もう・・・
冷凍庫のありあわせと
開けてなかった ワインをあけて
生きてたことに 感謝した
あした せかいは おわるんだね
でも
せかいは おわっても
わたしたちのカラダが おわっても
生きてた記憶は おわらないよね
きっと
たぶん
それから みんなの記憶が
せかいに ぽかぽかと 浮遊してゆくとこを想像しながら
わたしたちは いつものように ねむりについた
青い鳥
どうしてあんなに、喉が乾いていたんだろう?
どうしてあんなに、求めてたんだろう?
風が吹くたび、心の枝葉は、折れんばかりに揺れた。
枯れ落ちたツバキは、終焉の象徴のように見えた。
七曲がりのカーブを越え、
裸足の足を血だらけにして歩いた。
柔らかな藁の家が、燃え落ちて、
戻る場所がなくなる日のことを思った。
わたしは、未知の場所に行きたかった。
君は、その、道連れにすぎなかった。
道連れはイヤだと、君は言った。
ここに留まる勇気とは言わなかった。
勇気などなくても、留まりたい場所が、君にはあったから。
小さなボストンバッグ一緒に、
朽ち果てたプラットホームにひとり残される、夢を見る。
予知夢のように、何度も何度も、その夢を見る。
あらかじめ、定められた結末のように・・
わたしは、そこから、どこへも行けない。
まだ。
続きが、ある。
まだまだ続いてゆくのだろう。
一夜で途切れる夢とは違い。
夜が明けても、わたしは続く。
いつか、行けなかった場所を、甘い痛みとともに思い出したとしても。
君がそうであったように。
はじめから、その場所にいるはずの。
青い鳥の鳴き声を聞きながら、
わたしが、わたしを、奏でる日々が。
黄金色の虫になって
繰り返し続く時間を ぶち切って
繋がる地平を 飛び越えて
ここまで 瞬間移動してきたんだ
皮膚に張りついた 自分というヤツを
ぺらりと剥がして
名前のない 黄金色の小さな虫になって
わたしは ここに来たんだ
さあ おまえも 虫になれよ
って 言ったら
ノリのいい あの娘も
パッと おんなじ黄金色の虫に変わって
わたしたちは 縦横無尽に
電車の中を 飛び回り
ブンブンブンブン がなりたてた
誰にも 聞こえない言葉で
誰にも わからない 些細な戯言を
ブンブンブンブン がなりたてた
電車の床には 色とりどりの 小石が
ビー玉のように 転がってて
言葉に変わるまえの
石ころを
みんな こんなとこに 落としてゆくんだね
ケイタイメールに夢中な乗客や
いねむりしてる人たちの前を 横切って
わたしたちは
人々が落としていった 小石の上に乗っかって
石の記憶を 聞いてみた
小石は 揺れる電車の中を転がって
角がとれて丸くなって
コロコロコロコロ
それは 言葉に変わるよりも もっと
切ない 複雑さを 持っていて
わたしたちは それを すべて言葉にするなんて
そんな だいそれたこと なんて出来やしないだろうけど
黄金色の虫になった わたしたちは ただ
その 石の記憶を
いくつも いくつも 聞いてきたのさ
推論 与謝野晶子は酔ってたのだと思う
「清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」
ひとりで祇園を歩こうと思っていたら、新大阪を過ぎたあたりで、友人から携帯が入る。
「今、四条にいるが、会えないだろうか」と。
あまりのタイミングの良さに泣きそうになった。
まもなく京都に着くという時間で、八坂神社で待ち合わせをして、タクシーに乗り込んだ。
「えーっと、帽子にダウンジャケットね」
タクシーの中から携帯で彼女のいでたちを確認してると、運転手さんが笑う。
「会ったこともない人に会うんですか?」
ネットの友人と会うというのは、市井の人には奇異なものなのだろう。
奇跡的な偶然により、彼女は今日は仕事がなかったのだという。
10日恵比寿でにぎわう八坂神社から、清水寺までの曲がりくねった道を、雑貨屋を覗きながら往復した。
人力車のお兄ちゃんが客引きをしていた。
キムタクを野暮ったくしたようなお兄ちゃんが食い下がる。うーん、大阪の戎橋同様、男に口説かれるのは商売でも気分がいいもんだ。
清水ではゴマ団子、それからカギゼンの葛きり、喫茶店のトーストをつまみ、それから怪しげなトルコ料理を食す。
京都は甘いもの好きにはたまらない。ここにいるだけで太りそうだ。
桜月夜ではなかったが、満月が美しかった
今宵会う人がみな美しく見えるまで、祇園を歩きたかった。
なんだかむしょうに酒が飲みたくなり、連れにビールを注文させて分けてもらう。ほとんど飲めやしないくせに。
だんだんいい気分になり、笑いながら歩いた。
週末の祇園、着物を着こなした女性たち、10日恵比寿の笹を下げた人々。だれもが、幸せそうに見えた。
だけど、それは、幸せな自分の心象風景を、すべての人に照らすものであることにも、同時に気づいた。
そうだ。与謝野晶子は、静かに冷静に、美しく見える人々を眺めていたのではない。
彼女自身のエネルギーが、祇園の人々の顔を明るく照らしたのだ。
一番美しく輝いていたのは、与謝野晶子自身であったに違いない。
愛する人を一途に思い、生活も夫も捨てて略奪する。
欲しいものを、激しく望むことで、輝ける人だったのだろう。
わたしは、小さな大切が多すぎて、何ひとつ捨てられないけれど。
ここに来るまでの憧憬の中で、その破片を掴んだような気がした。
微量のビールが身体中をかけめぐる。
自然と顔から笑みが零れ、地面が揺れ、人々が笑う。
今宵会う人は、みな、美しい。
与謝野晶子はその頂点にいた。
その強烈なエネルギーを祇園一帯に振りまき。
時を経た今でも、祇園の満月の光の中で。
一番、力強く、笑い続けていた。
コップの水
なんとか、このまま、いっぱいになった水をこぼさぬように歩いていこうと思っているのに。
朝、ちょっとした出来事から、水が零れる。
そうなると、いちにち中、移動するたびに、あっちこっちに、水を振りまいている状態である。
わたしがこぼした水なんて、初春の日差しと強めの春風で、あっというまに乾いてしまい。
まわりの誰も、そこに水が零れていたことなんて、気づかない。
そうして、夕日が煌めいて、水は跡形もなくなって、いちにちが終わる。
わたしだけが覚えている。
今日、こぼしてしまった水のこと。
たいせつにしていたものが、どんどんすり減っていく感触。
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