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短編フラッシュ25
(03年4月)
カラダの階層
冷えて冷えて
いつまでも 温い眠気がやって来ぬのは
きっと カラダの階層が狂っているせいなのだ と 思い巡らし
懸案だった 修理を施すことにした
あおむけに カラダを開き
重たいドライバーを 右手に持つ
両脇を支えていたネジを ひとつずつ まわして
ネジが潰れてしまわぬように
弾力のある皮膚を 傷つけてしまわぬように
一本一本 ていねいに回していった
ネジはなくしたら おしまいなので
右の耳の横に 並べた
誰かに頼んだら 楽なのだろうが
この ひめやかな作業は
頼みようがない
不便なものだ
神経のいっぱい集まる あばら骨の中の
段階的な記憶ボード
その順番を 入れ替える
メモリー01のボードを メモリー07まで下げて
02から順番に 上に押し上げるのだ
ボードをいったん はずすとき
ドライバーの軋みで ワタシが少々痛かった
メモリーの01は あの人の記憶
取りだして 触ってみると
エッジがボロボロ 痛んでいた
メモリー02 家族とか 大切な人たち
メモリー03 シュミ ワタシの言葉など
メモリー04 仕事関係
みんな 少しずつ錆びついてた
年月のせいか
それとも 愛でることが 足りなかったせいだろうか
メモリー01には 痛みが たくさん含まれていて
もう 01に置いていては いけないものだと
わかっていたのだけれど
手で触ると
暖かい記憶も まだ ほんのり残ってて
ちょっと 惜しいような 気もした
でも 07くらいだと決めたからには
07に 置いて
そのまま ネジを締めなおす
みんな終わって
両脇を 最後に きゅっと ネジで締めた
さあ
これで カラダの階層が 変わった
これで ワタシも フリーズせずに
きちんと 流れてゆけるに ちがいない
すぐには 馴れぬかも しれないが
これが ワタシの 新しい階層だ
あばら骨の痛み
あばら骨の痛みってのは、けっこう好きな痛みだ。
きゅーん、と痛い。
抱かれてるときに、カラダの奥につき当たる感覚に、よく似た痛みだと思う。
どうも最近、風邪を引くとあばら骨が痛むようである。
湿布をしてみるが、あまり効かない。
左の一番下のあばら骨を触ると、そこだけボールのように痛い。
「あばら骨の中にね、こーう複雑に神経がたくさん通っていてね、それが痛むんだよ」
と、先生が言う。
ロッカン神経は、六感神経みたいに聞こえる。
第六感と直感だけで生きてきた女が、どっかで間違えてしまう。
こんなふうになるなんて、思いもしなかった。
なんて感じの痛みだ。
寝てるときに、きゅんと痛むから。
そのたびに寝返りを打って。
この僅かな痛みは、ココロの痛みにも似てるなあと思う。
5センチ浮遊して生きる人々 (東京オフ会雑感)
地べたにまとわりつく、汗や嫉妬や徒労が生きづらく、生きづらく。
そんなものに手を汚さずに、少しばかり浮遊していたいものだと思いながら。
どこかの誰かに、引き下ろされて、そのままズリズリと泥を纏い。
それでも、人生とはこんなものだ、なんて思うこともできず。
自分を憐れみ、ヒトを憎む。
だから、ヴァーチャルな世界で出会った人だけは違う、なんて期待は一切していないのだけど。
世の中には、5センチ浮遊して生きている人というのが確実にいるのだ。
そんな人ばかりと会ってきたように思う。
もちろん浮遊して生きる人はそれなりに、それにまつわる苦労もしているのだろうし。
あるいはわたしのような、挫折もしているのだろうが。
その話はとりあえず忘れて。
浮遊したまんまの状態で、わたしたちは混じりあえる。
その喜びは、毎回つかの間なのだけれど。
それを知るだけで、もう少し生き延びられるのだ。
マシン・ラヴ (短編)
パソコンの画面にあなたが映っている。
パソコン内蔵のカメラが、マシンの前に座るあなたを映し出しているのだ。
スピーカーを通して、あなたの声が聞こえる。
常時接続の音声チャットで。
わたしたちは、テレビ電話で会話しているような気分だ。
「ねえ」
わたしは頬杖をついて言う。
「わたしたち、昔はセックスとかしてたんだよね」
「若気の至りだった」
と、あなたが言う。
「あの頃は、みんなセックスしてたからなあ。でも、いつのまにか、子供が欲しいカップルしかしないようになってしまったねえ」
「昔は、むつかしい病気もなかったし。けっこう普通にみんなやってた。でも。あんな恥ずかしいコト、よくやってたなあ、って思うな」
「直接そばにいると、余計なものまで見てしまうからね。マシンの方がいいってことが、やっとわかったんだ。僕も今の方がずっと楽しいよ。きちんと話せるし、何の過不足もない。パソコンもここまでできるようになると、便利なもんだね」
出会い系サイトでの事件が社会問題になってずいぶんになる。
「リアリティギャップ」という言葉が新聞を賑わせた。
マシンの中では何の問題もなかったカップルが、実際に会うと違った人間に見えて失望するのだ。
パソコンの中の人間と現実世界で会うという行為は、愚かで危険なものであり。
マシンの中でだけ別の世界を構築できる人間の方が、社会的にメジャーになりつつあった。
もちろん、わたしたちも。
そういう時流のままに、何の問題もなく今の関係を続けている。
あなたは、今日の仕事で起こったことなんかを、おもしろおかしく話し続けていた。
そのクチビルが。笑うように動くのをみつめながら。
その昔。わたしたちが二人でキスしたことを思い出した。
隣りに座っていたあなたが、おもむろにクチビルを合わせてきて。舌を絡めていくうちに、カラダがふにゃりと溶けていって。なんでこの人のキスは、こんなにわたしを柔らかくて熱くするのだろうって、思ったものだ。
そんなことを思い出しながら、ディスプレイの画面に映っている、喋っているあなたのクチビルを。指で、そっと触ってみた。
「だめだよ」
すると、あなたがそう言った。
「ディスプレイを指で拭くのは、ユキの悪い癖だよ。画面はちゃんとクロスで拭きなさい」
二重映しの世界
ここにある風景は
たぶん わたしが 見えるままじゃ ないんだろうな
他の人に見える風景は
たぶん わたしが 見ているものとは 違うんだろうな
わるいひとのことは もう かんがえないことにした
その人の 見える世界はきっと
色づけから ぜんぜん 違うだろうから
問題は いい人だ
いいひとの見える世界だって
わたしと きっと違うはず
花咲く日を待ちこがれる桜は
うす桃色の 吐息を吐いている
やわらかな初春の風は
もっと ざわめけよと
黄色い砂埃を たてる
その 声で
わたしは 少しずつ 歪んでいって
木々も 校舎の床のてかりも 体育館の冷ややかな響きも
ぜんぶ ぜんぶ ずれてゆく
きっと
違う人は
違う 声を聞くにちがいない
世界は わたしの見えるままじゃないに ちがいない
なのに 同じものを見てるように 錯覚して
みんなみんな おんなじ場所を見てるような気にもなれるんだ
ほんとは ほんとは
二重映しの 少しずつ ぶれた世界にしか
わたしたちは いないはずなのに
泥のような睡魔
今年は暖かくなったり寒くなったりで、もくれんは、ゆったりと順番に開いてゆく。
だから、「もくれん花粉症」が、例年よりも長かった。
「アレグラ」の量を増やすよりか、薬を変えた方が効果的だろう、という事なんで。しばらくのあいだ、「アゼプチン」を飲むことにした。
これが、わたしの天敵薬である。
「眠たくなる」という副作用は周知のとおりだが、睡魔がとほうもない。
昨日なんか、12時間近く寝たのに、今日もまた眠たい。
疲れて力が入らないせいか、やる気もなくて、どこか鬱っぽい。
まあ、いい。
眠るのは大好きだ。
自分のベッドは、孤独でいい。
いくらでも夢が見れる。
あいかわらず、時間に遅れてしまう夢だ。
花が次々と咲いてゆく。
生まれるものの代償として、わたしは痛みを受ける。
死にゆくものの代償としても。
わたしは痛みを受けるのだが。
この世に生まれること。
この世から消えること。
そして、この世に在り続けることは。
すべて痛みを伴っている。
それほどまでに。
存在と、不在のあいだには、きっちりとした垣根があるのだろう。
そうして、その痛みの向こう側にあるものを知る由もなく。
わたしは、ただ、在り続けたいと、思い続けているのだ。
さくらさく
街路の景色が薄桃色に一変するくらいの勢いで、桜が開いた。
車椅子の老人たちが、目を細めて空を見上げていた。
子供たちは、ペットボトルとサンドイッチで、一日中桜の元で遊んでいた。
今日ばかりは、喜べよ、と。
花びらが自信ありげに風に揺れた。
この世で、いちばんわからぬものは、わたし自身なのです。
おだやかな思いが、なぜにせつなさへと変貌するのか。
そのせつなさを抱えこむこともできずにクチビルを噛む不穏さが。
どこから沸き上がるのか。
それさえもわからずに。
わからずに、ふらふらと走ってゆく。
視野を思いっきり狭くして、目の前だけを見ていれば。
きっと、戦争にも平和にも惑わされずにいられるはずなにのに。
わかりあえぬモノたちと一緒に生きることに、もう、何の腹立ちも持つまいと思ったのに。
自分だけが、自分の心にあるものだけが、どうにもこうにも説明つかぬものなのです。
なによ、ふふっ。
と、桜は笑う。
花びら一枚一枚が、何を思うのかなんて、知ったこっちゃないわ。
桜の枝は、花を咲かせようなんて、思ってないもの。
ただ、ただ、季節のめぐりにカラダが動くだけ。
思うこともバラバラなままで。
それでも、わたしは、桜なだけ。
わたしは、そんなふうに、カラダの思うことを、わからぬままに受け入れようにも。
好き勝手に、ざわめく自身を。
受け入れ難く。受け入れ難く。
今年もまた。
桜に。
あんたもあいかわらずなのね、
と、笑われてしまった。
燃えるさくら
行為にしろ
会話にしろ
そのあとに けっして 平安は訪れない
あなたという 存在自体が 不穏であるからだ
その不穏を 知りながら 常習者の常として
自分に負けながら 後悔しながら
吸い寄せられて
瞬間の 平安のあとに
今日もまた 乱れたままの 衣服に
どうして こうなっちまうのかと
重なりあえないものに また 吐息
夜桜が
薄桃色に燃えている
イラクの戦火のように 遠くで
憎むほどに
燃えて いる
燃えるさくらは
遠目に その おどろしさを感じよ
けっして 近づいては いけない
とびこんで 得た 一瞬の平安は
妖しげに これぞ楽園と 魅了もするが
見よ
薄桃色に燃える さくらを
あれは 瞬間の あやかしで
それがいかなる 平安に 思えようとも
わたしは けっして そこに 留まることは できない
平安と、言葉の埃
女たちがやってきて、わたしに言った。
「バザーをやりましょう、たくさんのお金を集めれば、神様に捧げものができるわ」
わたしは神様がお金とか捧げものを欲しがっているようにはどうしても思えなかったし、日々の生活に追われて、とてもバザーに参加しようと言う気にはなれなかった。
だけども、そんなことを言ったら、純粋無垢な彼女たちを傷つけるのは必至だった。
「よきこと」をみんなで力を合わせてやることが、彼女たちの喜びなのだから。
その日はちょうど用事が入っているのでわたしは参加できない、と、答えをごまかした。
「どうして? 神様のためなのに、どうして別の用事を優先させなきゃならないの? あなたが参加してくれないととても寂しいわ」
あなたが参加しないとさみしい、という言葉は、一見甘言のように聞こえるのだが。
いつも、この言葉が一番わたしを傷つけるのだ。
わたしは、ひとつの輪の中に組み込まれている。
そこで、わたしの役割が与えられ、わたしは、その役割を演じることを要求される。
その期待に応えられないわたしは。
とても、すまないような気持ちになってしまう。
応えられない後ろめたさは、いつもわたし自身を傷つける。
曇りのない善意は。
いつもいつも、わたし自身をとてつもなく傷つけるのだ。
わたしは、そんなものに傷つけられる自分がイヤでイヤでたまらないので、攻撃する。
じっと黙っていたり、あいまいにごまかしたりしたら、それが自分の中に埃のようにたまっていくのがイヤで。
わたしは機関銃のように攻撃する。
やりたいなら、あなたたちがやればいい。
わたしの神様は、わたしの捧げものを望んではいない。
神様は嫌いではないけれど、捧げものはしない。
わたしと、わたしの神様は。
そもそも、そんな関係ではないのだから。
女たちは、失望して帰ってゆく。
私という人間に失望して帰ってゆく。
私は、失望された方がマシなので、少しばかり安堵する。
自分の中に、望んでいない言葉が溜まってゆくことを容認できるくらいに強い人間ならば、わたしは、すべてをあいまいにして、誰とでもうまくやれるだろう。
だけどもわたしは弱い。
うっすらと積もった、他者の言葉という埃が。
少しずつ、溜まっていって、それが、わたしをダメにしてしまう。
それくらいに、無意識の言葉でさえも、受け入れられないほどに。
わたしは弱いのだ。
弱い自分を守るために。
攻撃を繰り返す。
嘘、と、言葉の埃を、ため込まないために。
平安を追い求めて、わたしは攻撃を続けるのだ。
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