.kogayuki. |
短編フラッシュ24
(03年2月)
みはるを探しに
「みはるのとこに行ってみない?」と、カナミさんが言った。
みはるは大好きな友だちだ。
彼女は大学時代もモスバーガーでバイトしてた頃も、内側までは寄せつけないような部分があり。幾人かの友人を除いては、親しくする人も多くなかった。
そうしてわたしたちは「みはるの親しい友だち」ではなかった。
それでもみはるに対し、わたしたちはどこか憧れにも似た好感を持っていたのだ。
みはるが失踪してずいぶんになる。
つきあっていた彼が探しているらしい、という噂を、人づてに聞いた。
失踪なんてみはるらしい、と思う反面、失踪する理由もわからなかった。
彼女はどっちかというとまっすぐな性格で、思ったことはとことんやる。だが、誰かから深刻に逃げ出すというのは、果たしてみはるらしい行動だったのだろうか?
もちろん、以前みはるが住んでいた場所に行ったからといって、みはるの気持ちがわかるはずもない。
そんなことはわかっているけれど。わかっているけれど、とにかく辿ってみたかったのだ。
京急蒲田の駅でカナミさんと待ち合わせた。小さくて、にこにこ笑っているカナミさん。こんなに穏やかな外見と裏腹の行動力にはいつも感心させられる。
「失踪したあと、どうなったかわからないから、もう住んでないかもしれないね」
でも、そのマンションならわかるはずだから、と、カナミさんは地図を持ってすたすたと歩きだした。
駅前の道幅の狭い商店街は、どこでも似たような感じだ。
かつてここを歩いたような既視感。
八百屋の野菜や総菜や金物屋の店先にうっすらと積もった埃の匂い。それから、サンダルをつっかけたぺたぺたという足音。
人形焼きの店を見つける
ひと袋200円の人形焼きは、みんなおんなじカタチをしていて、ビニル袋を触るとほんのり暖かかった。
「もしかして、出来たてですか」
「そうだよ」
そう言われて、買ってすぐにひとつ口に入れてみた。塩気の効いたこしあんが妙においしかった。
カナミさん、出来たてだよ、おいしいよ。そう言うと、カナミさんも同じようにそれを口にほおばった。
それからわたしたちは「サンクス」を見つけた。
みはるはここに「リンゴを買いに行く」と言って、そのままいなくなったのだと言う。
だけども「サンクス」にはリンゴは置いてなかった。リンゴの季節である今でさえもないのだから、あのときもリンゴはなかったのかもしれない。
「左に曲がるとね、小さな橋がかかっているはずよ」
地図を確かめながら、カナミさんの言葉通りに左折した。すると、ゆるやかな上り坂の上に橋がかかっていた。小さな川がゆったりと、くすんだ夕日を映して流れていた。
「その手前のマンションがみはるの家、5階に住んでいたはず」
見上げると5階のベランダには洗濯物が並んでいる。家族所帯のようである。もちろんそれは、みはるのものであるはずはなかった。
時間を確かめるために、ケイタイ電話を見てみた。
わたしは今、自宅から離れてカナミさんと蒲田の街を歩いている。
だが、これは失踪ではない。このケイタイの電源を切ったら、わたしは瞬間の失踪くらいはできるかもしれない。
ケイタイの、たったひとつの繋がりを断つことでさえもむつかしいのに。
すべての繋がりを断つなんてできるのだろうか。
移動販売のおでん屋がやってきた。
みはるのマンションの前から、川にかかる橋までのゆるやかな上り坂に差しかかる。すると、神社で遊んでいた3人の女の子が寄ってきて、その屋台を後ろから押していった。
ゆるやかそうに見えるが、重たい屋台を引っ張るのは重労働なのだろう。
そう思って眺めていると、女の子たちは手におでんを持って戻ってきた。串に3つの具がついている。三角、丸、そしていちばん下はソーセージだ。正統な、「チビ太のおでん」である。
淡い吐息のような湯気をたてているおでんに吸い寄せられて、カナミさんが尋ねる。
「ねえ、おいしそうねー、それ、いくら?」
しらなーい、しらなーい、女の子たちが口々にそう言う。
「いつもね、のぼるとこ手伝うとくれるの、だからいくらかは、わからないよ」
神社の境内に座って、わたしたちは人形焼きの続きを食べて、ペットボトルのお茶を飲んだ。
夕刻が迫っていた。
そろそろ夕飯のメニューを考えるくらいの時間だ。なのにわたしはカナミさんとふたりで、違う時間の流れの中にいる。
とりとめもなく、みはるのことを話した。ちょっと変わったところがあって、いつのまにか学校をやめてしまっていたみはる。好きな音楽の話とかには目を輝かせて加わるのに、誰にも入れない世界みたいなものを持っていて。それが逆に、わたしたちを磁石のように吸い寄せていたみはる。
そうして、彼女がいなくなった今でも。
わたしたちはこうして、彼女の記憶の断片を辿ってみたいと思っている。
もう一度みはるのマンションに戻って、郵便受けをぼんやりと眺めてみた。苗字だけしか書かれていない郵便受け。そこにも、もちろんみはるの名前はなかった。
ここに来て以来ずっと、わたしは違う時間の流れの中に身を置いてしまったような気分になっていた。
それは、いつもわたしが見る夢に似ている。
夢の中のわたしは、いつもどこかへ行く途中だ。
なのにともだちと会って話しこんでしまったりする。それから違う出来事に巻き込まれてしまっって、そこで立ち止まったり途方に暮れたりもする。けっして目的地には辿り着けない。
そうこうするうちに、時間だけがあっという間に通り過ぎ。
わたしは、行くべき場所にも行けず、戻るべき場所にも戻れない。
いつまでここにいるんだろう、と、感じさせる、身の置き場所があやふやな街が存在するように。
違う次元で流れている時間もこの世にはあるのかもしれない。
わたしにとって、橋を眺めながら座っているこの神社がそうであるように。
みはるもまた。そんな違う時間の流れの中で、いろんな出来事に巻き込まれながら生きているに違いない。
失踪とは。案外そんなふうに。
違った流れの時間に、ひょいと飛び移ることなのかもしれない。
ホームの横に並んでいる電車に乗り換えるように。
快速電車から、普通電車に移るように。
そうしてその電車が、分岐点を違う方向に曲がってゆくように。
そんなふうに思ってみて、それから、みはるは生きているに違いないと思った。
生きている。
別れたまま二度と会えない男たちと同じく。遠くの街に行ってしまったまま消息のわからない同級生たちと同じく。
わたしに見えない場所であっても。
生きるべき場所と、流れている時間は、人の数だけちゃんとあるはずなのだ。
*****
佐藤正午氏の「ジャンプ」という小説が、みはるのいる場所だ。
その後も、彼女は旅にも似た、流転を続けている。
違った時間の中で生きることで、彼女がどんな気持ちになったのかまでは、わたしは未だ思いやることができない。
だけど、どんな別の場所にいたって。わたしたちは、みはると友だちだ。
カナミさんとわたしが、何の根拠もなく友だちだと言い合って、こうして一緒にいるのと同じくらいに。
みはるは、わたしたちの大切なともだちだと。わたしは思っている。
(おわり)
|
| .kogayuki. |