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短編フラッシュ23
(02年11月~12月)
終わりゆく恋のためのプロット
「そもそも恋とはどんな瞬間に落ちるものなのでしょうか?」
余所でこのような質問をしたら、とても素敵な答えをいただいた。
>「雷が落ちる瞬間や、階段から落ちる瞬間はあります。
> でも恋の場合は、私流の考えを申し上げれば、
> それはあたかも滑らかな斜面をすべってゆくがごとくです。
> 少しずつ少しずつ落ちてゆく、という感覚が恋にはあります。
> 気づいたときにはすでに途中まですべり落ちていて、
> つかまる手すりもない、止まれない、後戻りもできない、
> どうしようもなく、確実に、斜面の底へ落ちてゆく、
> 会うたびに、日に日に、落ちてゆく、その持続感が恋です。
> 落ちてゆく感覚は酔いに似ています。
> だから心地よく感じる人も、苦しむ人もいます。
> もし恋に、落ちる「瞬間」があれば、
> 人は落ちないように注意することも可能でしょう。
> でもそれはないのです。
> 落ちてゆく途中から恋はいつも始まります」
答えてくださったのは、憧れの佐藤正午氏であった。(勝手に転載すみません。)
わたしは、これまでにいくつもの緩やかな坂を転がってきた。
酔うがごとく自分を見失い、今振り返ると顔から火のでるような過ちを犯しながら。
そんな自分を省みる余裕もなく。
いくつもの坂を堕ちていった。
だけども、それには必ず、終わりというものがあった。
二人が同時に堕ちるのを止める、ということはない。
往々にして、転がり続けるわたしを横目で見ながら、男は、角を曲がるようにして別の道へと背を向けてゆく。
そのまま別の坂道に行って、そこをどんどんと堕ちてゆく男もいた。
それでは、転がるのを終わった瞬間に、何があるのか。
わたしは、それが知りたかった。
終わりゆく恋のためのプロット
精神的な被虐が好きだったりもする。
この、満たされない感覚が好き、というのが、わたしの被虐感の原点である。
たとえば、思春期の頃に誰にも理解されずに、存在する世界の理由のなさすらも受け入れられなかった絶望感。
若くて、セックスや恋愛に対して狩猟民族のように貪欲だった頃。一度手に入れたと思っていた者が、離れていってしまうことへの。何とも言えぬ、もの悲しさ。
そういったものが、わたしの根底にあって。
ああ。
その場所に戻ってきたんだ。という感覚は、妙な安心感を伴う。
だが。
その、原点とも言うべき、孤独感がけっして嫌いではない、と書くときの。
自分の詭弁に、すでに気づいている。
この被虐感が好き、というのは。
最たる自己防衛なのだ。
その状況が好き、と言えば、その状況に耐えられる。
言わなければ、耐えられない・・・
自己防衛であれなんであれ。
精神的被虐の方が、好き。
という自分は、たしかに存在する。
小説にならなかった、プロットのみの物語。
相討ち
思いっきり傷つけてやりたいと思った。
なんでそんなに残酷な気持ちになったのか、今もわからない。
きっとわたしの身体の中にそんな感情が潜んでいたのだろう。
わたしの望んだとおりに。
その人は、きっちり等身大に傷ついた。
憎みあいたくないから、これまでにしよう、と言われ。
負担になってた旨を正直に告げた。
カラダや、キーボードを打つ手が、おもむくままに動いて。
本人もあとでびっくりするくらい、淡々とした別れだったように思う。
車を運転しながら、涙が何度もでてきた。
「あの人と別れちゃったのよ」
と、ココロの底から話せる相手は、当の本人だけみたいな気がしてきている。
コイビトという名称は消えても、言語感覚の地平だけが、いつまでも続いているような感触。
この感触のまま。
わたしたちは、生きていることすら確認できない人になってしまうんだろうか。
修復という言葉が頭をよぎる。
だけども、二度と傷つけないって誓える自信もない。
電話はしないってメールしたくせに。
明日は電話してみようか、なんて逡巡している。
後かたづけ
紙袋に入れたままの本が、残った。
男が欲しがっていたやつで。
今度会ったときにプレゼントしようと思っていたものだ。
「予約されていたチケットが取れました」
と、旅行会社から電話がかかってきた。
二人で行くつもりで予約していたものだ。
このふたつの懸案だけが残った。
メールだけの別れも味気ないので、やはり電話することにした。
旅行はひとりで行くつもりだった。
会わなくてもいい、行きたいところはたくさんある。
「でも、行くと言えば自分も行きたくなる。キャンセルしてくれた方がありがたい」と言う。
晴天の空のように曇りのない、男の頭の中に。理不尽な暗雲を置いて去ることはやめよう、と思って。
その足で、旅行会社でキャンセルの手続きをした。
「本は、どうしようか?」
「それは、もう、いい。いらない」
それで、後かたづけはみんな終わった。
簡単なものだ。
冬の、いち早く暮れた空にしんと光る、三日月よりも細い月が好きだ。
これからは、あの月を見上げるのが好きなのと同じ感覚で。
男のことを、ときどき思い出すことにしよう。
separating high
なんて言葉が、あるはずもないのだろうが。別れてからみょうにハイになっているような気がする。
変に清々しくなったり。
突然、泣きたくなったり。
鍋をゴシゴシと洗ったり。
ときに奥歯を噛みしめる。
元に戻らないものが、無念になって。
奥歯でそれを噛みしめる。
右の頬がぎゅっと縮こまるくらいに。
わたしの細胞の中に染みこんだものが、突然消えてしまって。
カラダがそれを補おうとしているのだろう。
だけども、どれだけ活発に活動したって。
そんなもんで、すぐに再生されるわけではない。
また、新しい細胞が出来上がるまで。
ああ。時間が果てしなく長い。
いつでも会えたわけではなかった。
だが会うといつも、そこには瞬間の至福があった。
瞬間の至福は、ときに、離れていることの無情さを浮き立たせる。
わたしはそれに幾度となく押しつぶされた。
男は押しつぶされなかったのか。
押しつぶされなくとも、それなりの空虚感はあったのかもしれない。
今後、瞬間の至福は二度と訪れない。
だが。
ただの知り合いであった昔でさえ。
わたしたちは、お互いがそこに在るだけで幸せだと思っていた。
なんの杞憂もなく。
等身大の言葉を交えられる存在があることだけが、ヨロコビであったあの頃。
今はただ。
その頃に、やっと戻れたような気もしている。
汽車に乗る
風邪気味で、薬を飲んで寝たのだが、カラダがだるい。
仕事を半休にしようと思って電話したのが、意外にも一日休んでいいと言われた。ちょうど、繁忙期が一段落したのだ。
家でいちにち寝るつもりだった。
だが、煮詰まりそうで、どうもいけない。
それで、ふと、思いついて汽車に乗ることにした。
ケイタイを切って、汽車に乗った。
片道で一時間ちょっと。できれば、もう少し長い時間がほしかったが。急な思いつきだし、風邪気味でもあるので、このあたりにしてみた。
思えば、誰かと別れるたびに、ひとりで汽車に乗っているような気がする。
ひとりで車窓を眺めながら、ぼんやりと来し方を思い出す。それは、わたしにしてみれば、ひとつの儀式のようなものなのかもしれない。
車内販売のこくのあるコーヒーを飲みながら、冬枯れの田畑を眺めた。
もう元には戻らないのだ、という思いは日々確固なものになってゆく。
確固なものになってゆくが、受け入れ難い。
そんなとき、二人がけの座席の窓際は、部屋の中よりもずっと孤独で。
さみしさを噛みしめるには、うってつけの場所に思えた。
目的地に着いたが、行き先もなかったので、駅の本屋で買い物をした。
ひとりで、カレーとナンを食べ。
雑貨屋で、色のついた麻ひもを買った。
たいした買い物でもないし。
たいした旅でもない。
だけども、こんなふうにひとりに。
ただ、なってみたかったのだ。
汽車の窓の外はいつも、人生のように絶えず移動している。
長い長い、とても長い夢を見てた
今となっては、なんだかそんな気がしてる。
ずっと続いていた微熱が。
やっと下がったような気だるさ。
それでももう、その微熱に惑わされなくてすむ、晴れた感じ。
そのふたつが交錯している。
時間を見つけて電話しようと思わなくなったので、いちにちが心もち長くなったような気がした。
家でぼーっとしていると電話してしまいそうで。それで外出してる時間が増え。
おかげで仕事も集中できた。
言いあぐねていたが、仲のよい友人に報告した。
「それは、あなたにとって、どれくらいの痛手だったの?」
「かなり・・・」
そう答えたのに、不思議と涙は出なかった。
「わたしにはにはそういうつきあい方はわからない。そもそも人が、何を持って別れたというのか、よく解らないのよ。わたしの想像する別れは。たとえば、死によって分断されるような、二度と会えないような別れなのだけど・・・」
ひとりが長い友人は、こういう時、クールでいい。
なんだか少しだけ、痛みを冷やされたような気がした。
そう。
別れることによって人は、生きているのに死んでしまったような感覚を植えつけられる。
わたしたちは、もう修復はできないのだろうけれど。
ココロの中でお互いを殺さない。
それだけで、わたしは、どこかで死にゆくこともなく生きてゆけるのだ。
わたしはそれを望んだ。望んで男に伝えた。
「わかった」と言った男が、何をわかったのか判断つかぬけど。
その一言で、もう、いいや、と思った。
「感想を言わせてもらえれば」
友人は言った。
「あなたたちは、別れたのではない。離れただけなのよ。とても近づきすぎたから。ただ、離れていっただけなのよ」
長い長い、とても長い夢の中にいた。
ほんとうに、そこは、心地の良い夢の中のようだった。
男が夢から覚める。
わたしもまた、夢から覚める。
少しばかりクリアになった、現実の中でわたしは生きてゆく。
そして、男もまた。
そんなふうにして生きてゆくのだろう。
大丈夫。
わたしたちは、お互いを殺しはしなかった。
わたしを殺さずに別れてくれた男に。
わたしは。
詭弁でも言い訳でもなく。
本当に、感謝していた。
A-side/ Z-side (クリスマス短編)
クリスマス前に男と別れた。
わたしはいつもこんな感じだ。
一番傍にいて欲しい時に、その人がいない。
新しいピアスが欲しかった。ちっちゃいやつでいい。いつも耳元でわたしを守ってくれるような、そんなお守りが欲しかった。
ひとりでデパートをうろついていると、幸せのオーラをカラダいっぱいに出してるカップルばっかりで。
神様、お願いですから時間を戻してください、ってお願いしてみた。
元々、わたしのわがままから、別れてしまったんだもの。
わがままを言う前に戻れたら、今度はうまくやるから・・・。
そんなこと考えながら、ショーウィンドウを見ていると。
「やあ・・・」
って片手を上げながら、男がやってきた。
見間違いではない。
見慣れた黒の皮のコートだ。
「お待たせ、さあ、行こうか」
あれ?
前にクリスマスの約束したまんまだ。
神様、お願い聞いてくれた?
まあ、なんでもいいや。
あの人がいてくれるんだったら。
そう思ったのもつかの間。
男は急にしゅるしゅると、小さな黒猫に変わってしまって。
わたしのショートブーツをぺろぺろと舐めだした。
ああ、やっぱりうまくはいかないものなのなんだね・・・
でも、いいや、会いたかった男の声も聞けたんだし。
二度と会えないって思っていたから、会えただけでもよかった。
わたし、あやまりたかったんだよ・・・
猫になってでも来てくれて嬉しかったよ。そう思いながら、猫を抱き上げた。
黒猫は、頬ずりするように、わたしのほっぺをぺろぺろ舐めた。
ずっと前に男が、酔っぱらって、ベッドでわたしのほっぺに何度もキスしてくれたのを思い出して。
なんだかとっても嬉しかった。
生きてるんだねえ。
こんなにリアルな声が聞こえたんだもの。
見えない場所ででも、ちゃんと生きてるんだねえ。
生きてるかぎり、こんな風に思い出したり、愛しく思ったりできるんだねえ。
最高のクリスマスプレゼントだ。
わたしは黒猫をぎゅっと抱きしめる。
抱きしめると猫は、嬉しそうに、まるで再会を喜んでいるかのように、頬ずりした。
それからわたしは、猫を抱っこしたまま、もう一度、デパートのショーウィンドウを眺めた。
ふわふわのスエードコートを着たマネキンのおねえさんの耳たぶには。ダイヤの飾りのついた、ぶらさがりのピアス。
ああ。
でも、猫はピアスは買ってくれないよねえ。
せっかく、下見までしてたのに・・・
そう思った瞬間。
黒猫は、わたしの耳たぶをガブッと咬んで。
そのままぱたりと消えてしまった。
わたしはいつも、大切なことを間違えてしまう。
生きていることだけをヨロコビあえればそれでよかったのに。
いつも、大切なことを、間違えてしまうんだ。
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