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短編フラッシュ18
(02年2月 ダンボールネット「特集の広場」で---テーマ『花』、その他雑文)
瞬間の死
見かけないと思っていた、隣りのセンターの掃除のおばちゃんに久し振りに会った。
しばらく見なかったので、理由を尋ねると、心筋梗塞で死にかけた、と言う。
仕事を辞めたとばかり思っていたので、わたしは死ぬほど驚いた。
大晦日のことだった。
仕事おさめに、ワックスをかけて疲れたので、いつもより長く風呂に入った。
風呂から出たら、気分が悪かったので、横になって、目が覚めたら失禁していたという。
息子が帰ってくると恥ずかしいから、と、下着を替えに行こうとすると、今度は大便がぽとぽと落ちた。
どうしたことか、わからない。
これはいけない、片づけなければ、と、そればかり考えるが、それでも大便がぽとぽと落ちる。
あ、これは、脳に酸素が行ってないんだ、と、おばちゃんは思った。
いそいで電話を取る。嫁に行った娘にかけたら、あいにく留守だった。
そのうち、手の感覚がなくなって、電話を持てなくなってきた。
これはいけない、と思い、119に電話して、
「**町の吉山です、助けて」
そう叫ぶのが、やっとだった。
町の病院に着いたときは、瞳孔が開いていた。
「もう、だめやろう、でも、呼吸はしとるし……」
そんな声が聞こえる。
「だったら救命救急センターに連れて行きましょう。自分がつきそいます」
と若い医師らしい声も聞こえた。
そして、救命救急でやっと、意識が回復したのだという。
「おばちゃん、よかったね、それって、普通だったら死んでるよー」
と、わたしが言うと、
「先生にもそう言われたよ、よっぽど生きていたかったんやろうね」
と言っておばちゃんは、笑った。
瞬間の死は、道ばたにも、空の雲と片隅にも転がっているのかもしれない。
全身麻酔だって、睡眠だって、ある意味では、瞬間の死、なのかもしれない。
喘息で喘いだ夜から、わたしは部屋の電気を消して眠れない。
それくらい、死を恐れているのに。
それほどまでに、死は傍らにいるのに。
わたしは明日も目覚めると信じている。
あなただって、あなただって、明日は続いてゆくだろう。
おばちゃんもまた。
瞬間の死を越えて、また、明日も目覚め続けてゆくのだろう。
明日が続くというのは、案外すごいことなのかもしれない。
泥のように、身体と地球と混ざりあいたい
やることが多すぎると思う。
わたしは、こんなにたくさん、やれない。
でも、みんな、ちゃんとやっている。
仕事だって。料理だって。後かたづけだって。
わたしは、やるにはやるけれど。
なかなか取りかかれない。
もう少し、もう少しって。
ぐずぐずしてて、思った半分もやれない。
もともと、そういうことが嫌いなのかもしれない。
わたしが好きなのは、大の字に転がって、力を抜くこと。
何をするでもなく、考え事をすること。
そのまま、泥のように沈み込んで、地表と一体化して。
マグマの流れる声を聞き、星の輝く永遠の距離を思い。
わけのわからぬ不安を胸に抱き。
その不安の傷みを、ひそやかに感じること。
そんなことばかりしてるし。
眠ってばかりいるから。
いつもわたしは、他の人のようにはできない。
偉いな、とは思うけれど。
他の人にはなれない。
わたしは泥の子供だ。
変形させ、ねじ曲げて、いくつもの思いを、掌にのせる。
そんな時間がないと。
ウルトラマンみたいにエネルギーが切れてしまうんだ。
だから、
ふつうの人よりも、ふつうのことをしている時間が短い。
そうは思うのだけど。
もう、それはそれでいいや。
ある朝、目覚めたら
世界は完璧だって、ふっとそう思った。
あなたはあなたというものを過不足なくわたしに与えてくれるし。
わたしはわたしというものを過不足なく受け取ってもらっている。
何の不満もない。
そう思ったら、それが悲しくて、ポロポロポロポロと涙が零れた。
もう、わたしは、苦しいほどに、求めることができないのかもしれない。
心地よい傷みを、いつまでも、胸に抱え続けることもできないのかもしれない。
朝の光は、カーテンごしに、
キラキラと光っていた。
ラジオから聞こえてくるように
声が心地よい、
と、男は言った。
わたしはきっと、完璧になるためにラジオになったんだろうと思った。
バランスの崩れた戯言も、
不条理な要求も、
ラジオの声はしない。
世界は完璧だ。
わたしは、ラジオのように囁くために、
たぶん、いろんなものを捨ててきたけれど。
それが、どんなものなのかなんて、捨ててしまって、忘れていたから。
あの頃の未来
スガシカオの言う、「あの頃の未来」に今、わたしはいるんだな、と思った。
あの頃、わたしは若くて。まっすぐに人を求めては、まっすぐに傷ついた。
海の見えない町に引っ越してからは、地面の続くことすら、息苦しく思えた。
この狭い町で死に絶えるまでに。わたしは、何人の人と心を通じ会えるのだろう。
そう思うと、若くて華やかな時代とともに、すべてのものが去っていったような気がした。
あの頃、どんな未来を想像してたかさえ、思い出せない。
未来は、少しずつ艶をなくし乾いてゆく花のようだった。
ところが、未来は、それほど悲観的ではなかった。
コンピュータで、文章を書き、人と触れ、知り合い、話す。
そんな未来がやってきた。
子供の頃、漠然と思っていたものが、すべてリアルになっていった。
違うのは、ひとつひとつのステップを踏んで、経験できたことだ。
はじめて、パソコンで文章を発表したとき、緊張しておなかを壊した。
不特定多数の人に、わたしの書いたものを読んでもらえるなんて。信じられないほどすごいことだった。
ルールも規律もなかった掲示板では、幾つものいさかいが起こった。討論し、静まり、そしてまた新たな争いが起こり、それから新しいルールができあがっていった。
知らない人と知り合うことを覚えた。
わたしは、せまい町で、うち解けられない人に囲まれて過ごしているわけではなかった。
言葉だけで、わかり会える人に、たくさん出会った。
会いたい人に会うために、旅をすることも覚えた。
パソコンの向こう側にいる友人たちが、実体を持って、手を触れてよろこびあった。
あの頃の未来にたどりつくまで、生きていてよかったと本当に思う。
もっともっと、すごい未来がこれから、わたしの手に触れてくるに違いない。
もちろん人類は、愚かな戦いやテロも繰り返すのだけれど。
もっともっと人に触れたい。
そんな、まっすぐな欲望が。
マシンを作り上げ。
わたしたちの未来を作り上げているんだと思うと。
生きているわたしたちの目指す方向も。
まんざら悪いものではないな、と思えてきた。
ココロの花
ココロの中に咲く花を、ぎゅっとこの手で握り潰しているような気がしてる。
いつからだろうか。
花そのものに目をそむけ、パラパラと掌から落としてしまうような、感触を抱くようになったのは。
それは、いつも電話を切ったあとだ。
あなたからの電話を。
切ったあと。
なんでだろう。
くしゃり。
小さな旅
各駅停車の風景は、なぜ、こんなに低く見えるんだろうか。
地面を這うようにゆっくりと、車窓が動く。
ブラマンクの絵のように立体的な雲が、天空をゆっくりとまわる。
初春の田圃は、うす茶色の冬をひきずっている。
菜の花だけが。
単調な地表を彩る。
小さな旅。
小さな別れ。
日常から、わたしを切り離せ。
昨日、死者の声を聞いた。
父から聞き書きしたメモが、ふとしたことから見つかったのだ。
末期癌だった父は。このあと、一月半の入院ののち、異界に旅立った。
台所で、お皿を洗いながら、少し泣いた。
おとうさん。
生きていると、たいへんなことも、いろいろあるよ。
なるようになるよ、と、いつもみたいにおとうさんに言ってほしかった。
日常が好きな分。
ときどき、嫌いにもなりたくなる。
小さな旅。
小さな別れ。
いつも、傍らにいる人がいるから、わたしは、ひとりになりたくなるんだろう。
いつか、みんなが、わたしを置いて、異界へ行ってしまったら。
わたしは、ひとりで列車に乗りたくなることなんて、なくなるんだろうか。
淫夢
男がゆっくりと髪を撫でる。
知っている男だ。金髪で長い髪の男。
だけども、そんな関係ではない、挨拶をする程度の知り合いだ。
普段のわたしは、髪を触られるのが嫌いだ。
後ろから触られると、背筋がぞくっとする。
ところが、この男は、それを知ってか知らずか、とても用心深く、後ろから指で梳きほぐしていった。
男の恋人の顔も知っている。
親しい人だ。
最初は三人で寝転がって話してたのに、彼女が席をはずしてから、男とわたしの間にただならぬ雰囲気が漂っていった。
わたしは、後ろから触れてくる男の手を取り、自分の乳房に重ねた。
男の指がおどろく。その意外なほどのとまどいに、わたしも羞恥し、なぜか羞恥するほどに、欲望が高まっていった。
そして、男は了解して、じっと乳房を抱き寄せ……そこから……はじまるはずが……
そこで、目が覚めた。
好きでもなんでもない、ちょっと見栄えのよいだけの男に。夢の中だと、わたしは身を委ねられる。
好きな男は、夢の中では、わたしの指の中でイッた。
べったりとした精液がとても生々しくて、好きな男という符号と、なかなか一致しなかった。
のぞんでいることと、のぞんでないことと、ほんとは、のぞんでいること。それと裏返し
のこと。
淫夢は、いつも中途半端で完成していない。きっと中途半端なのは、わたしの欲望の方なのだろう。
だけど、どうせ欲望があるのなら、もっとまっすぐな淫夢を見てみたいものだ、と思った。
未知のさくら
月夜の晩に、年老いた男たちが、公園に集まった。
3本のさくらの苗と、シャベルを手にして、
男たちは、おのおの土を掘り返し、黙々とさくらの苗を植えていった。
わたしは犬の散歩をかねて、公園を歩いていた。身体を突き刺すような冬の冷気はそこにはなかった。昼間の放熱をほんのりと冷やす心地
よさだけが。ふんわり身体にまとわりついた。
こんばんわ
顔見知りの男がそう声をかけた。
何をしてるんですか?
ああ、さくらの苗を植えているのだよ。
さくらはね。花が終わった時期に植え替えをするんだ。
今宵は、ちょうど、その晩だ。満月が光っていて。植え替えにはちょうどいい。
さくらは、2メートル半ほどの丈だろうか。
幹もまだ細く、米粒ほどの若葉が、エメラルドのように、月下に輝いていた。
来年になると、この公園にもさくらが咲く。
花見だって、ここでできる。
そうして、何十年も立てば、立派な桜が生い茂るようになるだろう。
それが、わたしたちの長年の夢だったんだよ。
初老の男たちは、そう言って、おのおのに笑った。
その夜から、3年がたった。
顔見知りの男は、その後体調を崩して小さな店をたたみ、今ではまったく見かけなくなった。
他の老人たちも、あれから二度と見かけない。
生きているのやら。死んでしまったのやら。
どっちみち男たちは、公園まで出向く足腰を失ってしまったのかもしれない。
2メートル半ほどのさくらは、すこし成長して、早咲きのものが花をつけはじめた。
蕾のさくらは、薄桃色の大気を漂わせていた。
その下で、やっと、歩けるようになった子供が、母親とたわむれていた。
花見ができるほどの立派なさくらになるのは、その子が成長したあとかもしれない。
初老の男たちは、けっして、その光景を見ることなどできないであろう。
そんなことは、とうに、わかっているさ。
でもな、このさくらは、自分たちが逝ってしまったあとも、この場所で、ずっと生き続けていけて。
自分らの見られないものを、見てゆけるのさ。
今夜も月の光が、さくらに降り注ぐ。
ときを越えられるものと。越えられないものたちが。
そんな夜には、入り交じり、さくらの上空を、飛び交うのだろう。
柔らかな雨の降る日に
何人かの人を殺してきました。
わたしの中で、
見切りをつけて、ひっそり殺してしまうのです。
春のやわらかな、絹の糸のような雨の降ったから。
死体を埋めにいきました。
スコップに足をかけ、大きく土を掘り返し、大きな穴を掘っていって。
わたしは、わたしは、その人を。
土をかぶせて埋めました。
もちろん、わたしも濡れました。
少しあたたかく、まとわりつく微力な雨でも。
濡れると身体が冷えました。
それでも、
服を替え、風呂に入れば、わたしは、また、あたたかくなれました。
その人に、斬りつけられた、傷さえも。
手首を押さえれば、消えました。
それでも。
わたしが殺した人は。
わたしが死ぬまで、ずっと、死んだままなのです。
でも、だれか、他の人の中では
わたしもまた、死んでいる人間なのかもしれません。
それはそれでいいのです。
また別のだれかの中では、わたしは、命を吹き込む者なのかもしれないし。
わたしは、いろんな人に命を吹き込まれてきたからです。
天上の神様から見れば。
殺しただの、生かしただの。
ほんとの命ほどのものではないのでしょうが。
わたしは、そんな愚かなことをずーっと繰り返しながら、自分を泳いでいるのです。
季節に追い越される
わたしはまだ、こたつの中で、本を読んでいたいのに。
さくらの花が、わたしを追い立ててゆく。
まだ、冬の毛布にくるまっていたいのに。
大人になんか、なったつもりは、なかったのに。
時間が、季節が、わたしを追い越していった。
30すぎの人間なんて、信用してない人間が30をすぎた。
だから、まわりに、信用できる大人を、なかなか作れない。
公園でギターを弾いてる近所の少年となら、ふつうに話せるのに。
わたしは、ココロにナイフを隠していないと、大人と話すのが、こわくて仕方ないんだ。
学校なんか大嫌いだったのに、子供が学校に通う年齢になった。
一生懸命やってくださる、先生には感謝してるけど。
先生、やっぱり、わたしは学校が苦手です。
春になんかならなくていい。
これ以上、成長なんかしなくていい。
みんな、わたしを、こえてゆけ。
わたしは、冬のこたつで、本を読んでいるから。
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