短編フラッシュ1
一人染める頬
その指が触れる瞬間 頬染まる
いたずらに指にからむ指に 耳たぶに火がともる。
ただの冗談であれ ただの偶然であれ
この先にゆけば 椿は もう咲かぬ
あなたとのあいだが いつもある
あいだがあれば 続けられる
季節がひとめぐりする
わたしは 力をこめて 立ち続ける
ぐっと近づいて晒してゆけば
時は 終わりに向かって 刻みつづける
ならば もう
けっして 近づくまい けっして終わるまい
力をこめて 立ち続ける
一人染めるこの頬に 気づかぬうちにと 手を払い
何もなかったように いたずらにも気づかぬように
夕空に浮かぶ 三日月のように
変われるわたしも 変わるまい
この先にゆけば 椿は もう咲かぬ
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明日いなくなる者へ
それが 誰なのか わたしは 知らない
あなた かも しれないし
わたし かも しれない
新月の薄闇は それを怖れるものを 嘲笑う
わたしたちは 最後の一枚を引き当てるまで
繰り返し くじ引きを 引き続けてゆく
どこまで 行けて
何を するのか
思い続けても けっして わからない
新月の薄闇は それを怖れるものを 嘲笑う
月が太り 月が痩せるのを 繰り返すように
うたかたの 永遠を信じながら
わたしは 歌い続けてゆく
新月の薄闇は それを怖れるものを 嘲笑う
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振り向いて 追って あなたと
地下鉄の ベルが 鳴った
心臓が 太鼓みたいにどんどん 鳴った
飛び乗って それから あなたを 探した
車両から車両へ 犯人を追いつめる 刑事みたいにして
あなたを 探した
あなたが切符を買ったところで 別れて
そこまでが わたしの知る わたしたちだった
わたしは62番のバスに乗るつもりで 階段を上がったんだけど
何かの間違いで 振り向いたときに
決められた バランスが壊れたみたいで
もう 距離なんて いらない
わたしたちの決めた 距離の中で
わたしたちは うまくやってたつもりなんだけど
もう いいや そんなもの 壊してしまえって
履いてたブーツの靴底で 水槽たたき割って
そこから 水が どくどく流れでて
それで すっかりすぶぬれで
地下鉄の車両で わたしは
あなたを 追いつづけた
運転席の真後ろに あなたは立っていた
どうして ここにいるんだって 驚いた顔 してた
わたしたちの 現実は ここにはないよ
みんな わたしが 壊してきた
ここは わたしの夢の中で
わたしは おりこうで 分別のある こがゆきじゃない
現実をなぞらえるだけじゃ
わたしたちは わたしたちになれない
怒るんだったら 怒ってよ
これでいいんだったら 抱き締めて
現実はみんな 壊してきた
夢の中でだけ やれることを
わたしたちだけで やっていこう
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さよならの風景
何も覚えちゃいない
中島みゆきの喫茶店って呼んでた店で食べた
チキンの夕飯はどんな味 だったのか
空腹の夜にふたりで食べた スベンスカのパンには何が入っていたのか
待ち合わせた 大橋の駅で
いいジャケット着てるねって言われて
わたしは何を着てたのか
何も覚えちゃいない
とつぜん 別れようって 電話があったとき
わたしのへやは どんなふうにしてたのか
それは まっくらなまっくらな 夜の闇で
夜中にとつぜん たたきおこされたから
頭をハンマーで殴られただけのことで
わたしは 何も覚えちゃいない
もしそのときが 雨の美術館だったら
わたしは二度と美術館にはいかなかっただろう
もしそのときが 桜の咲き誇る並木道だったら
わたしは二度と 桜を見まい
さよならの風景がどこにもない
さょならの風景は 闇の中だけ
そうして何も覚えさせてくれなかったのが
もしか あなたのやさしさだったのか
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夢に来た人
電車でとなりに座ってた
電車のゆれに肩が揺れて わずかにピリリ
そのまま抱きあった
逢いにきたんだね わたしに
逢いたかったの?
ただ 来てくれたの?
心配してくれたの?
髪をなぜて唇を寄せた
電車は どこか知らぬ永遠の町に 向かった
その感触を 目覚めたあとに 抱き締めた
夜を超え わたしに触れる逢瀬は
実体なく
でも 捨てた女を 抱きしめてはいけない
この世界を作るのは
あなたの 意識?
わたしの のぞみ?
消息の聞こえない遠い場所であなたは
どんなふうに わたしを 思い出す
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因果律の外にある偶然
みんなで地下街で待ち合わせしたときに
ふざけて撮った
あなたと わたしの ツーショット
偶然があるなんて思いもしなかったから
写真は 引き出しの中に紛れていった
それから 偶然は気紛れに からみ合い
わたしたちは つかの間 求め合って
その時 写真のふたりは
象徴のように 笑っていた
その写真は あなたに あげた
偶然がからみ合う以前にも
わたしたちは 二人で笑っていたんだって
宝物を 分け与えるみたいに
因果律の外にある偶然は
ほんとは ただの偶然で
それはつかの間で 終わってしまい
あなたは 因果律のとおりの
相手を見つけて 去っていった
あなたの家の引き出しに
あの写真は 今も ほこりかぶっているか
それとも 引っ越しの荷物に紛れ
どこかに消えてしまったか
あるいは因果律を生きていくために
あなたは 「偶然」を 憎み 捨てたか
ねえ、もし、まだ、写真があるのなら
一度、聞いてみたかった
わたしが因果律を憎み
「偶然」に失望してたとしても
わたしはまだ 写真の中で 笑っているか
あの笑顔は もう 存在しなくてもよかったのに
それでも わたしは 笑っているのか
わたしは けっして あなたとは会わないだろうに
わたしの 写真だけは あなたを見つめ
今も 変わらず 笑っているか
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父の夢
父の夢を見た。
白髪だらけになった父が、足を引きずりながら、
壊れたロボットが動いてるみたいにして、わたしに逢いに来た。
「おい、鮨を喰いに行こう」
父はいつもわたしを鮨に誘う。
父が座ると、板前は何も言わず、刺身のいいとこを黙々と切って出す。
トロ。ヒラメ。ハマチ。タイ。
「どうだ、最近は」
「うーん、ぼちぼちかなあ」
「まったく。おまえは、いつまでたっても極楽トンボやなあ」
極楽トンボは、定職を持たないので、いつも貧乏である。
鮨屋に連れていくのはわたしだが、勘定など払ったことはない。
逆にこづかいを貰ったりもする。
昨夜、ひさしぶりに父は、わたしを鮨屋に誘った。
焼き場で焼かれ、骨だけになり、
喉仏とか頭蓋骨とかを拾って、たしかに父は墓に納められたはずなのに。
父の夢の中では、
父はまだおんぼろの身体を持っている。
そうしてわたしの夢に現われては、
また、鮨を喰いに行こうと、わたしを誘うのだ。
こがゆき