ロードランナー日記・
その人を知っている
数年ぶりにドームでのコンサートチケットを手に入れた。
昔から好きなアーティストだった。だが、このところ何度も見にゆく機会を逸してい
た。
ここ数年、ただ普通に生きているだけなのに雑事に煩わされるようにして、タイミン
グを失っていた。なぜだろう。以前はあるべき場所にあった時間が、どこか別の場所に
行ってしまったみたいだった。
それが今回めずらしく行く気になった。何の用事も入らなかった。ラッキーだった。
時間よりもずいぶん早く天神に着いた。
ドーム行きのバスはまだガラガラで、バスに乗り込んで出発の時間を待った。
出発間近になってひとりの男がバスに乗りこんで来た。
チェックのシャツを着て、デイパックを肩にかけたその人は、わたしよりいくつか若
いくらいの男だった。
窓の外を眺める横顔を見ていると、わたしはその人の来し方を知っているような気が
した。
彼は若い頃、もっとたくさんの時間を持っていた。時間は道路に敷きつめられたレン
ガのように当り前に転がっていた。
就職してこの町の会社の寮に入ったが、恋人は郷里に帰って役所に勤めた。寮の電話
は話しづらく、電話のかかる間隔がだんだん長くなっていって、どちらかが言わなけれ
ばならなかった言葉を絞りだすようにして彼女が別れを告げた。
去っていった恋人はこの世のどこかで生活していた。生きているのにけっして会えな
いことは、夜の月に手が届かないように完全に無力だった。
だが、新しい環境と覚えなければならない仕事と毎日を一緒に過ごす仲間との中で、
無力は、眠りにつく頃に静かに現われては消えるだけのものになっていった。
仕事で人に欺かれることも知った。いい成績をあげると妬まれることも知った。そう
ならないために保身することも覚えた。それがずるい事だとは思えなかった。生きてい
くために覚えることはたくさんあって。それをひとつずつ丹念に消化していくだけだっ
た。
それからしばらくして、可愛がってくれた伯父さんを亡くした。年齢があがるつれ
て、年長者はもっと年老いていった。はじめて買った葬式用のネクタイはたてつづけに
活躍した。いつのまにか弔問の言葉を淀みなく言えるようになっていった。いつも飲み
に連れていってくれた上司がバイクの事故で亡くなった頃から、死はすでに遠い彼方の
ものではなくなった。自分のすぐ向こう側の、塀をひょいと越えたところに確実に存在
しているものだと思うようになった。
いつまでか自分は、こちら側に留まるのだろう。だがそれはもう、当たり前ではなか
った。生きて今こちら側にいることは奇跡である。出会うことも、去っていくことも、
偶然が限られた時間の中で擦り合うこと。奇跡という現象の中で、ただ自分の生は過ぎ
ていくだけなのだ。
だがそれに気づいたとしても、日常には生きる糧のための雑事が山のように溢れてい
て、それを手のひらに転がす余裕もなく、一日一日は過ぎ去っていった。
北天神ランプから都市高速に乗って、バスは海を渡る。魚市場、西公園、そして福岡
ドーム。開け放した窓から、海を渡る風がそよいだ。
特別な場所に向かうバスはまるで、天国に向かっているみたいにおだやかで。問わず
語りの人生が、空気のようにバスの中で振動した。
「まもなく、ドーム前」
運転手がそう告げる。
ドームの大階段を、明るい服を着た人の波が上ってゆくのが見える。
その人が力を込めて椅子から立ち上がる。
まぶしい人込みの中にその人は、駆け上がるようにして紛れていった。
わたしはその人を知っていた。
わたしたちは数年前、同じコンサートのチケットを入手するために、長い夜に毛布に
くるまって星を見上げていた。わたしはまだ大学を卒業したばかりで、その人は今ちょ
うどその大学に在学しているんだと言った。卒業したらどうなるんだろうって思ってた
けど、きっと、変わらないだろう。何年たってもこんなふうにして同じような歌を聞い
てるんだろうなと、その人は笑って言った。
今日、コンサート会場へ向かうバスの中に見かけたその人は。もう、当り前の世界も
溢れる時間も持っていなかった。すべてが存在すると信じていた力強さが身体から消え
去り、消え去った後には、昔愛した歌が、遠い永遠のように流れていた。
わたしは、その人がなくしたものを知っていた。
わたしもまた、それをなくしてから、ここに来たのだから。
こがゆき