ロードランナー日記・
さよなら神様
制服のスカートは生地が厚くて、重たすぎた。
だから、脱ぎたくて脱ぎたくて仕方なかった。
バスから降りて、駅の待ち合いで、ああ、重たい重たいなんて言いながら
スカートをまくりあげて、下着をぺちゃりと床につけてしゃがみこんだらひ
んやりして気持ちよかったんだろうけど、残念ながらわたしはそんなことか
できる生徒ではなかった。
カトリックの女子高の生徒たちは大方ふるまいがいい。躾も行き届いてい
て、悪く言う人もそういない。
だけど、躾される方にとっては、窮屈なことが多すぎて。
わたしが知っている神様はいつも、小さな小さな理屈をたくさんわたしに
喋り続ける人でしかなかった。
それは倫理観であり、具体的に言ってしまえば貞操であり、けっして結婚
するまでセックスをしちゃいけないとか、堕胎はいけないこととか、そうい
うことだった。
卒業する日の朝、わたしとマユミは進路指導室にいた。
ここから解放される歓びを分かちたくって。嬉しくって、嬉しくって、資
料のぎっしり詰まったダンボールを放りなげて、中身をばらばらに蹴散らし
た。
教室の半分もない、進路指導のための小部屋に、散乱した資料が死体のよ
うに転がったのを見て、さよなら神様、と、わたしはつぶやいた。
大学に入った年に、クラブの先輩とセックスをした。
嫌いじゃないけど、すごく好きというほどの相手でもなくって、それでも
壊れものを扱うみたいにしてわたしを抱いたから、それでセックスをした。
男がシャワーを浴びているあいだ、ホテルの鏡に自分の裸体を映した。
まだわたしの胸はまだ、固く空に向かって尖っているだけだった。
わたしは、さよなら神様と、小さくつぶやいた。
はじめての人と結婚などするわけもなく、わたしは二人めの男とセックス
して、三人めは誰だかもう覚えてないけれど、たぶんそれはなりゆきみたい
なセックスで、それから不倫の相手の子供を身ごもって、堕したりもした。
そんなことをするたびにわたしは、さよなら神様、とつぶやいた。
神様、あなたとの約束をわたしはたくさん破りました。
世間はあなたの思うようなところではなかったし。
わたしはあなたが思うような人間じゃなかった。
神様、でも、わたしたちはいつまでもは神の国に住んでるわけにはいかな
いんです。
ジャンクと悪意に押し流される雑踏を、わたしは泳いでゆくしかないんで
す。
「このまま俺と逃げよう」
男にそう言われた。わたしは荷物も何も持っていなかったのに、そのまま
男についていってしまった。
狂気のような愛に十分に答えられるほど、わたしは狂っていたのかもしれ
ない。
夫はどれくらい失望するだろう。
まだ歩きはじめたばかりの子供はどうなるだろう。
考えなければならないことを考える勇気もないまま、幾重にもカーブする
山道をひとえふたえと逃げていった。
さよなら神様、さよなら神様。今度こそあなたは、ほんとうにわたしを見
捨てるでしょう。でもそれでも構わない。望んでこうしたわけじゃないけれ
ど、わたしはこうしか生きられなかった。
今度こそ、ほんとうに、さよなら、神様。
後悔の多い静かな毎日。
狂った男と狂った女は、窓辺の月を毎日眺めていた。
何もかも捨ててきたから、月だけがついてきてくれたんだと思った。
いちにちいちにち肥えてゆく月を見ると、置いてきた子供を思いだした。
あんなふうに、どこか遠くで。あの子は大きくなるのだろか。
どこでどうやってわかったのか。夫から、ハンコを押した離婚届けが送ら
れてきた。
再婚する相手がいるので、離婚届けにハンコを押してほしいとのこと。子
供は二人で育てるので心配するなかれ。何もわかってやれなかったのが残
念、とだけ、短く書かれていた。
憎しみも後悔もやり場のない怒りも、行間を塗りつぶすように、消し去っ
ていた手紙を読んで。
傍らの男のごつごつした手を握りしめて、震えながらわたしは泣いた。
さよなら神様、さよなら。
何度、裏切ったって、それでも神様の名前を呼んでしまう。
人の世は、複雑にわたしを生き延びさせてくれて。
神様、神様。
あなたから一番遠い場所に行ったはずなのに。
神様。
わたしは、今もあなたの名前を呼んでいる。
こがゆき