ナイツ・オン・ザ・プラネット
◆原題 Nights on earth
◆1991
◆製作 ジム・ジャームッシュ
◆監督 ジム・ジャームッシュ
◆主演 ジーナ=ローランズ、ウィノナ=ライ ダー etc
◆ビデオ・DVD情報:日本ビクター株式会社・ビクター音楽産業株式会社
今度仕事を変わるなら、タクシーの運転手になってみたい。
夜に飲み疲れてシートに倒れ込んだ時。あるいは仕事で遅くなって溜息をついてい
る時。ふっとそんな事を思う。ルームミラーごしに自分の生活が見えてる気がして、
なんだかバツが悪い。そのくせ自分もドライバーになって、乗客の人生の断片をかい
ま見てみたいと思う。もっとも実際は、そんなに悠長ではないのはわかっているんだ
けど。
これは友人から聞いた話。
「彼と別れて泣きながらタクシーに乗った時のことなんだけど。運転手さん、バツ
が悪かったみたいでね、天気予報の話とラジオから流れてくるナイターの話とかする
わけ。泣いてたんだけど、ちょっと笑っちゃったよ。だってそれって、中島みゆきの
(タクシードライバー)の歌詞とまったく一緒なんだもの」
そういうマニュアルがあるのかもしれないね、と笑ったけれど。ドライバーの懐の
深さが、心に染み込んだ。限られた時間の小さな箱の中に。予測できないドラマやか
けがえのない心の結びつきが生まれていくのもまた、タクシーの醍醐味だ。
映画は、世界五都市のタクシーを描いたオムニバス形式の作品。それも世界同時刻
という設定だ。もちろん時差があるから、アメリカの夕刻はヨーロッパ大陸では明け
方になる。各国のタクシーの数だけドライバーが存在する。個性的なドライバーも多
い。(これはどうやら各国共通)。
ロサンゼルスのタクシーは、ステーションワゴンの大きなアメ車。背の低い女の子
が運転手だ。前が見えないものだから、お尻に電話帳を引いている。仕種は乱暴だが
キュートだ。道が広いからそれなりに運転しやすそう。でも、世田ヶ谷だったら大変
だろうな。
ニューヨークのタクシーはお馴染みのイエローキャブ。ちょっと古めのフォードだ。
移民らしき運転手は、メーターの倒し方もギアの入れ方も知らない。
パリのタクシーには午前4時、盲目の娼婦が乗り込んでくる。この女優の存在感が
すごい。焦点の合わない白目、胸元を開いたドレス。美しいけれど、こわい。とらえ
どころのない凄みがある。
車中はおだやかではない。目が見えないと不便だろうと運転手は同情する。盲目の
女性は同情を寄せつけない。映画を見れば映画を感じ、セックスをすれば毛穴のひと
つひとつに愛を感じ、空気ですべてが感じられる、不自由なんてないと言う。
ドライバーと客が自分の人生を賭けている。そこには客商売のルールも何もない。
ただ、相手を超える存在でいたい、と思う二人の人間がいるだけだ。
同じ匂いのする人間の持つ磁力が、相手の思想をまる裸にしようとする。そんな本
能の瞬間に。わたしならば、どんな自分を曝けだすのだろうか。
ローマのタクシードライバーは、陽気なイタリア男だ。おしゃべりに夢中のドライ
バーは、発作を起こして乗客が死ぬのも気付かない。
そしてラストはヘルシンキ。タクシーはボルボ。乗客は、泥酔した失業者とその仲
間だ。最後のひとりがタクシーを降り、道ばたに立ちつくす。
白々と夜が明けてゆく。もう、帰らなければいけない時間だ。帰るべき家だってあ
る。それはわかっている。なのに、いつまでもこのまま戻りたくないと思う。
そんな夜明けが、かつて自分にもあった。
ドラマチックなラストシーンだけが映画の見どころではない。
観客のひとりひとりの目に、「見たことのある光景」が映し出されてゆく。
その既視感の背景にある出来事を知るのは、自分だけだ。それは、ずっと若い頃の
記憶かもしれないし、現在の自分の中に潜んでいる願望かもしれない。
自分の中にあるその光景を掘り起こされ、とまどいや深い感慨が広がるが。それは、
あくまで生きている自分がいるからこそ、感じられるものなのだ。
(日経のウェブマガジンC-STYLE。2001年3月4月掲載)
こがゆき