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ロードランナー日記・ 幸福日和 β-1 (2007年12月 盛田隆二「幸福日和」の二次小説) 


 ずっと昔、テレビのワイドショーで見たニュースをおぼろげながら覚えている。
 好きだった歌手が離婚して若い芸能人と再婚したニュースだった。無名の頃からそのロックシンガーを支えてきた妻は「糟糠の妻」という古い言葉で表現され、ちょっとセクシーなアイドルだった若い妻が略奪したような扱いだったと思う。
 そのときわたしは「糟糠の妻」に不思議な共感を感じた。いつかわたしはこんなふうに捨てられ、夫は若い女とどこか遠くに行ってしまうのではないだろうか。そのときわたしはこの「糟糠の妻」と同じようなことを感じるのではないだろうか。ただ漠然とそんな予感がしたのだ。

 当時の夫は出版社に入社して数年目で何の役職もなく忙しいばかりで、人はいいけれどモテるタイプではなかった。だから、その妄想はただの不安感に違いないと片づけた。
 わたしは結婚を期に仕事を辞めて妊娠したばかりだったし、いわゆるマタニティブルーのせいで、わけのわからない不安がときどき波のように襲ってきていたからだ。

 結果として夫は別の女と再婚することはなかった。
 夫は末期癌のすえに亡くなり、最期を看取ったのはわたしだったからだ。

 現役のサラリーマンから休職、そして入退院を繰り返し、薬の副作用に苦しみ、やせ細る夫を見るのは並大抵のつらさではなかった。最期はホスピスに入ったもののモルヒネだけですべてが収まるわけではない。もういい、こんなに苦しむなら楽にしてあげたい、そう思うことも幾度となくあった。
 だけども今になって思う。
 あの入院期間のあいだにわたしは、夫のゆるやかな死を少しずつ受け入れてきたのだと。
 もし、これが突然の死だったらもっと取り乱していただろう。だけども、少なくとも長い時間をかけてわたしは夫の死を受け入れてこられた。永遠に続くとも思えた長い闘病にも寄り添ってあげられた。
 娘の果菜がミュージカルをやっていたので、かけもちが大変な時期もあったが、それでもわたしは、夫というパートナーの死をただひとり全身で受け止めてあげられたと思っている。

 喪失感は今もなくならない。
 大切な人を失った生活は今もモノクロの世界にわたしをとどまらせている。

 それでもわたしには、最期まで夫に寄り添ってあげられたという自負だけがあった。
 それがこんなカタチで崩れるなんて思いもしなかった。

 * * *

「お子様が生まれたのはご主人がなくなる二日前でした。そのお子様の認知と遺産の分与をご主人が望まれています」

 何を言っているのだろうか、この弁護士は。
 誰かがわたしを騙そうと悪意で連れてきた偽者ではないのか?
 こんな唐突な話を信じられるわけがない。
 なのにその弁護士が携えてきたのは、紛れもなく夫の筆跡の長い手紙だった。

 手紙は詫び状と言っていいような内容だった。わたし以外にもう一人愛する女性がいて、彼女が子供を産むことになった。その子供を認知したいこと、ある程度の金銭を渡したいこと。そうして、生前に何度も言おうとして言えなかったこと、とても傷つけてすまないということ、それからわたしと果菜を変わりなく愛していることが綴られていた。

 亡くなる二日前に子供が生まれたってどういうことなんだろう。
 受胎の時期は、夫は入退院を繰り返していた頃だ。体調だってよくなかった。わたしは果菜に付き添う日を除いてはほとんど夫と一緒だったのだし、そういうタイミングがいつあったのだろうか?
 わたしのいない日を見計らったっていうこと? そうしてその日に...一体どこで...?
 いや、それ以前に、夫の子供だっていう証拠がどこにあるのだろうか?

 弁護士が帰ったあとも放心したままで涙すら出なかった。
 そもそも、癌で先のない人間を彼女はどうして愛そうと思ったのだろうか。なんの打算? なんの独占欲? あるいは同情心?
 夫の遺言書が法的効力があることを述べて、弁護士はすべてのことをとどこおりなくやってのけた。
 わたしがどれだけショックを受けようが泣きわめこうが、そういうことは自分の仕事にはまったく関係がないとでもいうように。

 そういうふうにして、身体がすでに消えてしまった夫の心を、わたしはもう一度失ってしまった。

 * * *

 覚悟はしていたけれど、夫のいない日は毎日がどんよりとした曇り空だった。
 誰かに声をかけられるのもイヤで外出もしなかった。早すぎる死を悼んでくれるのはわかるが、わたしの友人たちの夫はほぼ健在だ。そのことが否応なく押し寄せてくる瞬間がつらかった。
 果菜もミュージカルのレッスンを辞めてしまった。申し訳ないけれどそれもありがたかった。どんな慰めの言葉も届かなかったし、わたしはわたしの中の「夫とその女」との関係を自問するのにいっぱいいっぱいだったからだ。

 そのうち果菜は近所の女友だちを家に招くようになった。
 離婚していて父親がいないらしい。詳しい内容はわからないが
「あんなひどい言い合いする親をみないで済んだ分は、果菜ちゃんの方がいいかも」と、言ってるのが部屋のドア越しに聞こえた。
 どんなケンカをしても、死んでいなくなるよりもマシではないかとわたしは思うのだが、父親のいないさみしさを抱えているのが自分だけではないと思えただけでも果菜にとってはよかったようだ。
 どちらかというと口数の少ないおとなしい友だちと、果菜は部屋でふたりで話す日々が増えた。
 金曜日は夕食に招きたいと言いだして、それから毎週金曜日にウチで食事をするようになった。
 母親は恐縮して電話を入れてくれた。こちらも娘がふさぎ込んでいたのでありがたいと言ったら、「実はウチもそうだったんです」と言われた。
 悲しみは、誰かと分け合うことで、少しずつ薄められてゆく。少なくとも果菜は、そういう相手を見つけられた。

 わたしは。
 見つけられない。
 夫の死よりも受け入れがたい事実を、わたしは誰にも告白することができない。誰にも言えない分、わだかまりだけが真っ黒い毛糸のように胸の中で大きくなってゆくばかりだった。

 * * *

 どこにも行かない毎日に夫の遺品の整理ばかりをして過ごした。
 会社の方が持ってきてくれた夫の私物。それから、コートや手帳。そういうものをひとつひとつ眺めてはしまっていった。
 夫は病で倒れるまではかなり忙しい毎日だったのだろう。会議や人と会う時間が小刻みに手帳には記されていた。だけどもその女と会った日はどこにも証拠が残されていなかった。
 手帳には書けない関係だと自分でもわかっていたのだろうか。

 それから大事なものを忘れていたことに気づいた。夫の携帯電話だ。ずっと病室に持っていたので、退院の荷物の中に入っていたはずなのにすっかり失念していた。
 慌てて充電して画面が現れると、その待ち受け画面の中で果菜とわたしが笑っていた。
 仕事が不規則な夫が電話をかけてくることは少なかったし、わたしからかけることもなかったけれど、用事があるときはいつでも読めるようにメールに入れておくことが多かった。

 いつも電話口に出られないとしても、夫は必ずメールは読んでくれていた。その感覚は今でも変わらない。
 天国にでさえも、メールを送ればいつかは読んでくれるのではないだろうか?
 携帯ならばどこにいたっていつかは連絡がつく。わたしはそう思っているのに、夫は携帯の届かない場所に行ってしまった。
 携帯の届かない場所。
 今時そんな場所なんてあるのだろうか。

 そうだ。ここにならあるだろうか。その女との履歴が。
 夫の携帯を盗み見るなんて考えたこともなかったし、今だって罪悪感は変わらない。だけども、わたしはそれを知らなければどこへも行けない。
 そう思って着信発信履歴を見てみたがどれが誰なのかよくわからない。会社、取引先、サカモト、ああ、これは一度お見舞いに来てくださった方だ。会社の女性が一緒だった。
 彼女、なのだろうか?

 メールの送信リストもひとつひとつ眺めてみた。
 ( ^ ^ )
 このマークだけのメールが並んでいた。
 果菜が心配しないで学校に行けるように、そしてわたしが安心して朝目覚められるように。長いメールは無理だけど、これを毎朝送ります、と言って、夫は毎朝このメールを送ってくれていたのだった。

 しかし。それは我が家にだけではなかった。

 園田という宛先に、毎朝我が家と同時にこのメールが送られていた。
 園田。きっとそれが彼女の名前なのだろう。彼女にも安否を知らせるメールは届いていたのだ。
 わたしたちだけが夫に気遣われていたと思っていたのに。彼女にも......

 やはり裏切られたような悲しい気持。選ばれていたと思っていた自分が選ばれてなかったという気持。わたしよりも愛されていた人がいたのだという気持がこみあげた。
 長く夫婦をやっていると愛情は薄れるものなのだろうか。わたしは果菜の稽古事にかまけすぎて夫をおろそかにしている所があったのかもしれない。だけども、いつ帰ってくるとも知れない不規則な夫を二人で待つことなんてできない。夫は夫の、わたしたちはわたしたちのやるべきことをしていて、それでもわたしたちは夫婦だったはずだ。

 全部で200通の送信が記録されていて、わたしはそのひとつひとつを読んでいった。
 最初の頃には会社への業務の連絡や休業の手続きの依頼などもあった。取引相手へのエクスキューズもあった。園田という女性へ近況を知らせるメールもあった。そして。だんだんと( ^ ^ )だけになってゆく。

 その数をひとつひとつ数えてゆく。
 洗濯物や欲しい本のことなどわたしに書いたメールが全部で87通。園田さんへも87通だった。
 87勝87敗。引き分け。

 なんてフェアな人なんだ。
 どちらが大切かなんて絶対に決めさせない。完璧なフェアプレイ。これが夫だ。
 ずるい、ずるすぎる。両天秤の答えを天国まで持っていってしまうなんて。
 するすぎるフェアプレイだ。

 * * *

「分骨の件、承知していただいたと解釈してよろしいんですね」
 夫の雇った弁護士は、同情も何も覗かせないクールなところが苦手だったが、よく考えてみたら、こういう案件だからこそ、そういう対応が一番いいのだろう。
 実際に覚悟を決めて弁護士事務所を訪れたわたしには、その事務的な物言いに少しばかりの安堵すら覚えた。

「奥様が了解してくださるのなら、園田花織さんに白石さんの遺骨を分けてほしいという内容でしたね。こちらでお預かりするというカタチでよろしいでしょうか? 」

 弁護士は上着を脱いで白地にペンシルストライプのシャツだけだ。彼に委託するのが本来のやり方なのだろうか。だけど、わたしはそのときは心を決めていた。
「いえ。大事なものなので、できれば直接園田さんにお渡しするつもりです」

 弁護士はしばらく考えた。片肘をついて、手を耳にあてて何かを考えている。しばらく考えてから、彼は言った。
「それではそういうことでお願いします。遺言書にはそのことに関する詳しい希望もなかったし。ただ......」
「ただ?」
「園田さんは、当初、遺産の分与をのぞんでおられませんでした。自分で決めたことで白石さんの家族に迷惑かけたくないということでした。認知も、戸籍に記載されることを心配されていました。なんていうか.......奥様にも忸怩としたものがあるのはご理解できますが......」
「わたしが、園田さんを責めるのではないかと心配されてるのですね」
「白石さんはそれを望んでおられません」
「わたしもそれは同じです。彼女を責めても、もう、絶対にわからないことを置いて彼は逝ってしまったんです。責めてどうなるわけでもない。正直そのことは、今でもわたしを苦しめています。でも、もう一生わからないことなんです。夫にとって園田さんは大切な人だったのでしょう。そういう意味では一度お会いしてみたいとは思っています。だけども彼は家族も同様に愛していたと信じたい。そのことを素直に認めて謝った白石の意志を尊重したいだけです」

「わかりました。それではこの件は奥様にお任せします。まだ、おさみしいことも多いと思いますが。ご健闘をお祈りします」

 弁護士に頭を下げて事務所を出た。
 さわやかでも憂鬱でもなかった。
 わたしが言った言葉は嘘だらけだった。だけども、ほんとうの気持ちもほんとうの言葉も、わたしにはわからなかった。

 * * *

 園田花織は外出中だった。しばらく考えたすえに管理人さんに待たせてもらうことにした。「ご健闘をお祈りします」という弁護士の言葉が今更ながらに身にしみた。認めたくない人に会うのはなんと勇気のいることだろう。

 そういう意味では園田花織にとってのわたしも認めたくない人だったのかもしれない。
 なぜだかもっと目鼻立ちのはきりした大柄な女性を想像していたのに、彼女はもっと平凡で恐縮のあまりに縮こまってしまいそうな顔をしていた。とても迷惑をかけたことを詫び、家の中が散らかっていることを詫び、赤ん坊がむずかって泣くたびに席を立つことを恐縮した。
 彼女はわたしのイメージの中の園田花織とはかけ離れていた。もっと押しの強く意志のはっきりした女性を想像していた。なのに誠実すぎて迷惑をかけた自分を責めるようなところさえ見せる。
 だから。だから夫が惹かれたのかもしれないし。だから夫に惹かれたのかもしれない。
「ほんとうに奥様にはご迷惑をかけてしまって」と下を向く、わたしよりもずっと若く肌のつややかな女性。なのに、愛する人を失った悲しさのせいか、その肌はあふれるような若さを消し去って何も主張しなくなっていた。

 そうか。
 白石を失った悲しみを彼女も抱えているんだ。
 わたしと同じ悲しみ。
 自分と同じように愛されていた人がもうひとり目の前にいるという、複雑な空虚さ。
 わたしが、誰とも分かち合えないと思っていた悲しみ。

 赤ん坊が泣いていた。
 寝むずがっている子供を前に、園田花織は恐縮した。手足が意に反して動いてなかなか眠れないのだろう。そういうものなのよ、と言って手を握ると、子供はすやすやと寝息をたてはじめた。
 夫の血を引いた子供だが、夫に似ているようには思えない。園田花織の方によく似ているような気がした。だけども成長していくうちに子供の顔はどんどん変わってゆく。もう少し大きくなったら、この子は夫と同じような笑い方をするようになるのだろうか?
 それでもこの子は.......わたしの子供ではないのだ。

 彼女は、わたしが果菜に夫のおもかげを求めるように、この子を忘れ形見として育てていくのだろう。
 わたしには関われない場所で。わたしと同じ人を失った悲しみを抱えながら。
 「もう、どうでもよくなりました」
 そういうのが精一杯でわたしは涙があふれそうになって、それからこの場所を一刻も早く去ろうと席を立った。

 園田花織と手を取り合って、大切な人を失った悲しみに抱き合って号泣したい衝動に駆られていた。
 ふたりで白石を思いながら、わたしたちにしかわからない喪失感にふたりで泣きわめきたかった。
 だけど、そうしてどうなる。
 それと引き換えにわたしは、その悲しみが自分だけのものではないことに、このあと何年も苦しむにちがいないのだ。

 それだけでいい。誰にもわからないと思っていた悲しみを、わたしは園田花織とふたりで抱えていることを知り得た。
 それだけでいい。あとは、何も考えてはいけない。
 それだけでいい。園田花織親子は、そのままわたしの知らない場所で生きるべきだ。
 わたしはそれ以上のことに関わってはいけないのだ。

 そう決めたのがわたしなのか、それとも、死後もずっと息づいている夫の意志なのかわたしにはわからない。わたしはそれ以上のことを何も求めてはいけないと強く感じて、彼女のマンションから走り去った。

 * * *

 歩道を歩きながら、どんどんどんどん涙がとめどなく溢れていた。
 夫は誠実な人だった。
 だけど生きているかぎり、誰かを好きになる日もあるのだろう。
 その理由なんて、今となってはなにもわからないし。これから先、どんなに考えてもわからないにちがいない。

 もう、本当にどうでもいい。
 わからないことはわからない。
 わかることはひとつだけ、園田花織の中に、わたしが誰とも分かち合えなかった同質のものがあったということ、ただ、それだけだ。
 一生わからないことを抱えて、わたしは生きていくだけだ。
 一生わからないことを抱えていたって、きっと、生きていけるはずだ。

 もう一生会わないだろうけど、狭い東京の空の下で、わたしと園田花織はいつか出会うのかもしれない。
 そのとき、あの男の子の成長した姿を見て、もう一度手を握ってみたいけれど、そんな日もいつかはあるんだろうか。

 遠い未来のその日のことを想像してみた。
 見上げると涙にかすんだ狭い東京の空が、どこまでも高く青く澄んでいるように見えた。


こがゆき    
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