ロードランナー日記・
一年がたった
一年くらい、すぐにたってしまう。
毎年毎年別人みたいに変われるほど、子供じゃないんだから。
昨日のわたしと今日のわたしが変わらないみたいに。
一年前のわたしは、今とそんなに大きくは変わらない。
だけど、何か変わったんだろうか、そう思うと不安になったりもする。
一年ぶりに三加和町にやってきた。
国道から、細い横道にそれ、カーブの多い山道を下ってゆくと、そこにある小さい
町。郊外スーパーが建てられるほどの立地条件もなく。町民体育館と温泉だけが目立
つ町。
かつて、日本マラソンの父とよばれた金栗四三の生まれた土地であり、マラソン熱
が高く、住民は道路脇に椅子を持ち出して、ロードレースの応援に興じる。
気軽に声をかけて応援される雰囲気が好きで、ここでのロードレースも今年で三年
めとなった。
一年前に、ここで10キロ走った。
その時の無理がたたってか、たちの悪い風邪を引いてしまい、前シーズンは残りの
レースはひとつも出られなかった。喘息もずいぶん悪化した。そのうえ、レース寸前
に風邪をひいて、スタート待ちのあいだも空咳きが続いた。
走れるんだろうか。
走れなかったら、とちゅうで辞めればいい。
そう思いながら走ったが、一キロもしないうちに呼吸は不穏に乱れた。
何度も歩いた。給水の水が喉に入らない。直線の下り坂が、たまらなく遠い。
「今日は暑かけんね、ゆっくり行かんねよ」
後ろから追いこしてゆく老人が、すまなそうに声をかけてゆく。
次、車が来たら、手をあげて乗せてもらおう。そう思うのだが、そういう時にかぎ
って、沿道の声援がやまない。
だが、それが苦痛というわけではない。それがあるから何とか走ってしまえるので
ある。
呼吸はたまらなく苦しかったが、足だけは疲れが出ず、それで何とかゴールでき
た。
ほとんどの人がゴールしたあとの、まばらな状態でのゴールだった。
帰りそびれた幾人かがまばらな拍手をした。
敗北して同情される感触は、どこか甘美だった。
あまり格好のよくない自分を曝しだし、それを包んでくれる者たちを受け入れるの
は、悪いものではなかった。
見よ。
これがわたしの一年である。
あるいは得たものもあるかもしれないが、多くのものを失った一年である。
病に伏した父を失い、何人かの友人の行方を失い、やっと手に入れたばかりの距離
を失った。
そのたびに無力は、絶対的に立ちはだかった。
がんばれば何とかなるものよりも、がんばってもどうにもならないものばかりが、
そこにあった。
何ひとつ変わらない一年なんてない。
だが、何もかもを押し込められる無敵の若さも、もうすでにここにはなかった。
老いるという言葉は遠すぎた。
その中間の、ゆるやかなカーブの途上で、わたしは、得るものと失うものを入れ混
じりながら、失うということの意味が、少しずつ重たくなってゆくのを、感じてい
た。
夜、布団に入ると、身体に小さな穴が、いくつかぽっかりと開いてるのがわかる。
今、ここにいるわたしに何の不安がなくとも。
過去、失ってきたもの、あるいは失いたくなくてジタバタしたものは、小さな穴を
残して、わたしの身体からすでに欠けている。
そういうものについて、わたしは書くのだろう。
失っても、失った痕は、消えない。
書いても消えないその痕を。
わたしは、消したいと思い、あるいは消したくないと思って、
これから書いてゆくのだろう。
こがゆき