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『絶滅女類図鑑』 橋本 治
面白うて、やがて腹立つというか、腹立ちて、やがて面白うというか、ともかくオモシロイが腹も立つ。なかなかに刺激的な本ではある。
なにが腹立つといって、男の出版社(文藝春秋社)発行の初の女性誌という触れ込みの雑誌で、男の著者が、「団塊の世代の女というのは、実のところ、“青春幻想に生きるオールドミス”なのである」とか、「“女のオタク”というのは、自分はあんまし美しくないくせに美しいものが好きな、不思議な生き物だ」とか、「本ばっかり読んでいる女は、やっぱり、妄想の塊だろう」とか、「なにしろ今や、『文章を書く女』というのはとんでもなく一杯いる … 女はなにを書いてもいい。そしてたいしたことを書かなくてもいい」とか、「はっきり言って、恋愛以外に女の人間関係はあまりない」とか、「女には“自分”しかない」等々、 まあ、好き勝手に「女は」とのたまった連載を元にした本なわけで、(団塊の世代で本ばっかり読んでいて女友だちが大事で自分に関心があり文章を書く)女であるわたしとしては腹立つことこの上ない。いい加減にしろよ、マッタク … 大体、本読む女がいなければアナタのこの本、誰が読むわけっ …
なのになぜわたしが途中で放り出すこともせず、あまつさえ本欄で紹介しているのかというと、これらが著者一流のレトリックを駆使した、女性の読者へのかなり本気な挑発で、オモシロイからだ。
「男は、じゃあ、どうなのよ」というところをきちんと踏まえているので、女の言動がいかに男社会の現状とダメさを暴いているか、著者は明確に承知している。 著者自身が「難しい言葉しか知らなくて、しかもとんでもなく幼児性が強い」「嫌われている団塊の男達」のひとりであり、「男のオタクというのは、結局のところ、いかに男というものが社会から甘やかされているかということの証明でしかないけれど、女のオタクというのは、いかに女の子が世の中から無残に傷つけられているかの結果」で、女と違い、「日本の男の社会には“自分”という思想が存在しない」ということをわかっている。
つまり、「今までの“女であること”“男であること”」は終わった、絶滅した、だから「『終わってしまった“女”というものの存在を前提にしている旧い社会の矛盾と、サシで戦わなければならない分が増えた』というだけだ。女にとっても、男にとっても」と著者は女性の方をしかと向いて本音を呟いているのだ(と思う)。
ところで『絶滅女類図鑑』なるタイトルで、表紙絵は女のヌードであるこの本は、女性と男性、どちらが手を伸ばすのだろう。
(信濃毎日新聞)
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