怪談・
首
私がお話をする番ですね。
それにしても、今夜こうして皆さんにお会いすることになったのは、やはり何かの
因縁なのでしょう。もしも昨日だったら、二十年前のこの出来事を、私は思い出すこ
ともなかったのですから。
◇ ◇ ◇
写真学校を出て五年目の夏、私は雑誌『伝統と芸能』の写真取材のために、東北の
各地を旅行していた。
『水無の首人形』のことを知ったのは、仙台で人形芝居の取材をしていたときだっ
た。芝居小屋の掃除をしている老人が、自分の田舎に首だけの古い浄瑠璃人形がある
という話を洩らした。私は興味を覚えた。水無は仙台に近く、帰り道ということもあ
り、さっそく老人に紹介を頼んだ。
首人形の持ち主は、代々村の肝煎りを勤めていたという名家だった。村役人の地位
にふさわしく、深い屋敷林に囲まれた敷地に、広い母屋と土蔵が並んでいる。
「こんな田舎に、わざわざおいでくださって」
前夜に取材依頼の電話をしただけというのに、その老当主は、新米のカメラマンを
快く迎えてくれた。七十を越えたばかりという年齢だろうか。
「とても雑誌に載せるような、立派なものではありませんよ」
そう言って早々に案内された土蔵は、古く、格式の高いものだった。赤く錆びた大
きな閂錠をはずし、重いきしみを鳴らして扉を開いた。かび臭い空気があふれ出た。
棚や箱が雑然と並べられた中を進むと、一番奥に一メートル余りの細長い桐の箱が
収めてある。
「ここじゃ暗いでしょう」
当主は箱を脇に抱え、外に出て埃を払うと、そのまま母屋の縁側に運んだ。私もあ
とに続いた。
蝉の声がかしましい、蒸し暑い七月の午後だった。
「私も、これを見るのは、何十年ぶりでしょうか」
ゆっくりと箱の二カ所の紐を解き、蓋を開けた。
私の目に赤い色彩が飛び込んできた。
子供のものらしい着物だった。赤い襟の中に小さな人形のかしらが埋もれている。
首の部分には五十センチ程の細い棒が差し込まれ、それをくるむように赤い着物が着
せかけてある。
少女の顔を作ったらしいそれには、額から右頬にかけて物に打ちつけたような生々
しい傷があり、下の木地が剥き出しになっている。さらに見る者を重い気持ちにさせ
るのは、半ば抜け落ちた髪の毛だ。
当主と私は、しばらく言葉もなくその人形のかしらを見ていた。
「写真を撮らせていただいて、いいでしょうか」
先に私が口を開いた。
当主は、ええ、どうぞ、といいながら赤ん坊でも抱きかかえるような手つきで人形
を箱から取り出し、縁側に横たえた。
私はカメラを持って立ち上がり、ファインダーの中から人形の顔を見下ろした。真
夏の直射日光に晒されながら、黒い眼が私を見上げている。
シャッターを押した。
聞き慣れた機械の音が、私の背筋を脅かした。
人形の顔が一瞬歪み、身もがいたように見えた。私は思わずカメラから顔を外し、
横に座った当主を振り返った。照り返しを受けた顔が、虚ろに白い。
「一枚でいいですか」
呟くような当主の問いに、私は黙ってうなづいた。
当主は再び、子供の亡きがらを抱くようにして、人形を桐箱にもどすと蓋を閉めた。
その晩、この肝煎りの屋敷に一泊することになったのは、全く予定外のことだった。
「息子夫婦が孫たちを連れて、嫁の実家に出ておりまして」
二年前に妻に先立たれたと言う当主は、孤独な一夜の無聊を訴え、私に泊まってい
くよう熱心に勧めた。私も長い取材旅行にいささか疲れていたので、その言葉に甘え
ることにした。
風呂のあと、出前の寿司と地元の酒をふるまわれた。
「どこまでが事実なのかわかりません。こういう話はいくらでも尾ひれが付くもので」
当主は、私と自分の茶碗に酒を注いだ。
「あれは二百年以上前、一族の遠縁の佐治郎という人形師が、この屋敷で彫ったもの
だそうです。
佐治郎は、まだ三十幾歳という若さにもかかわらず、江戸でかなり名の通った人形
師でした。それが遠い親戚をたよって、妻娘とともにこの水無に移り住んだ理由はは
っきりしませんが、人形芝居の興行にからむ役人の汚職に関わって、江戸を追われた
とも言われています。
急激な風土の変化に耐えかねてか、一年後の秋に妻が病死しました。
その直後、佐治郎は物に憑かれたようにこの人形の首を彫りました。人形の髪の毛
は死んだ妻のものと言います」
縁側でシャッターを切ったときに、背筋を走り抜けた感覚を思い出した。
「顔に傷があったでしょう」
ええ、と私はうなづいた。
「十歳になる佐治郎の娘が、不意に仕上げたばかりの人形の首をつかんで、そこの縁
側から庭に投げ捨てたのです。額と右頬の塗りが剥げ、傷が付きました。幼い娘とし
ては、人形のために故郷を追われ、母親を奪われたという鬱積した思いがあったので
しょう」
「佐治郎はなぜ、傷を修理しなかったのですか」
「死んだのです。その翌朝、初雪の降り敷いた庭を赤く染めて、息絶えた娘が倒れ伏
していました。その額から頬にかけて深い傷が残されていたと言います。母屋の脇の
納屋では、首を吊った佐治郎が見つかりました」
「いったい何があったのです」
私は息を飲んだ。
「わかりません。その夜のことは、何も。当時の者たちは、祟りを恐れたのでしょう。
桐箱を作らせ、首だけでは無惨と思い、娘の赤い着物を共に収めて土蔵の奥に封じま
した」
当主は私の顔をのぞいて、微笑んだ。
「恐かったですか」
きっと怯え顔に見えたのだろう。
「いえ、まあ」
私は苦笑いをした。
「私が子供の時分、土蔵で遊ぶと首の祟りがあるぞ、と年寄りにおどかされたもので
す」
そう言って、当主は私に何杯目かの茶碗酒を勧めた。
「それなのに、悪さをすると、土蔵に閉じこめられたりするんですから、いい加減な
話です」
「恐かったですか」
酔いもあって、私の声は笑っていた。しかし、昼間の撮影のあとずっと続いていた、
理由の判らない胸のわだかまりは消えていなかった。
「そりゃ恐いですよ。今にもあの箱の蓋が開いて、首が迫って来そうで。佐治郎父娘
が死んだあと、人形の顔の傷がきれいに治っていたというんです。いかにも子供を恐
がらせるような話でしょう」
茶碗を口に運びながら、笑う。
「でも、さっき見たときには傷がありました。髪も抜けかかっていたし」
「月日がたつと、元にもどるのです。だから、また生け贄を求めるというわけです」
「また、と言うと」
「私の祖父が裏山の崖から落ちて死んだときも、首の祟りだと噂されたそうです」
「事故ではなかったのですか」
「そのあと、人形の傷が消えたというのです。私は小さかったので覚えてはいません
が」
それなら、今は危ないかもしれませんね、と言いかけて止めた。
「もう、誰もそんな話をするものはおりません。古い怪談話ですよ。私の息子たちは
あれを見たこともないかもしれません」
首人形の話はそれきりになり、あとは私の仕事のことなどに話題が移っていった。
十一時過ぎに床に就いた。
どれほど眠っていたのだろうか。闇の中、私は激しい喉の渇きで目を覚ました。
枕元のスタンドを灯し、水差しの水を飲んでいると、外の庭で「からから」という
何かを引きずるような音が聞こえた。音は、私の部屋の前を左から右へ通り過ぎてゆ
く。
時計は二時を回っている。私は蚊帳をくぐり、縁側に出て深夜の庭を見渡した。
母屋の端にある納屋の前で、月明かりの中に浮かぶように影が揺れた。影はすぐ納
屋の裏に消え、その方角からまた「からから」という音が聞こえた。
縁側の靴脱ぎの上に、古い下駄がある。それをひっかけて庭に降りかけた私は、危
うく前のめりに倒れそうになった。鼻緒が切れていたのだ。
音はもう聞こえなかった。私は床にもどり、明かりを消した。今の揺れる影と、昼
間見た赤い着物の関連を考え、何度も寝返りを打った。
翌朝、蚊帳越しに差し込む光で眼を覚ますと、私はすぐに縁側の下をのぞいて、靴
脱ぎの石の上に何もないことを確かめた。やはり夢だった。私は声を出さずにひとり
で笑った。
朝食のあと、私は当主に深く礼を述べて、玄関を出た。
「わざわざ遠くから来ていただいたのに、申し訳ないのですが」
と、見送りの当主は口ごもった。
「あの写真は、どうか雑誌には使わないで頂きたい」
その気持ちは良く分かった。祟りなどと言うことではなく、あのような姿を晒す人
形をを哀れに思ったのだ。
「わかりました」
私もそのつもりだった。それに、人形の祟りなどという話は『伝統と芸能』という
硬い雑誌には不向きな題材だと考えていた。
しかし、私はその約束を守ることができなかった。
編集長は私に無断で、その写真と、私のメモを元にして書いた短い記事を、十月号
の伝統人形芝居の特集に載せてしまった。まともな人形芝居の紹介記事の隙間に、な
んとこんな無惨で不吉な人形もあった、という調子の埋め草にされていた。
「あんたを信頼していたのに」
電話があった。怒りと悲しみを抑えた当主の声に、私はなおさら罪の意識に苛まれ
た。自分が意図したことではないとはいえ、写真を編集長に預けた責任は私にある。
私はただ謝るしかなかった。
十一月の連休に、私は再び水無を訪れた。当主の前できちんと謝罪をしたかったの
だ。先方に余計な気を使わせては申し訳ないと思い、事前の連絡はしなかった。
玄関に出てきたのは当主の息子だった。私が、先日取材でお世話になった者ですと
話すと、四十代のその息子は、ああ、あのときお出でになった方でしたか、とうなづ
いたあと、
「父は先月亡くなりました」
と言った。
私は声もなかった。
「父は、家族が眠っている夜中に、その縁側から庭に降りようとしたのです」
焼香を終えた私に、息子は落ち着いた声で語った。
「靴脱ぎにあった古い下駄をはこうとして転んだようです。鼻緒が切れていたんです。
下の置き石に額を打ちつけていました。父はなぜ、真夜中に庭に降りようと思ったの
でしょうか」
胸騒ぎを抑えきれなかった。しかし、私はただ頭を垂れて、お気の毒でした、とだ
け言った。
玄関を出て、土蔵の前を通りかかったとき、扉の閂錠が新しくなっていることに気
付いた。
「以前の錠ではありませんね」
「ええ。ちょうどあなたがお見えになって、父が蔵を開けたときに、壊れたようです。
古い物でしたから。修理に出していたのですが、結局もう直せないと言われて新しく
しました」
「修理の間、錠はなかったのですか」
鼓動が胸に響いた。
「盗まれるようなものは入っていません。父の死があったりして、この錠を付けたの
もついこの間です」
私が泊まったあの夜、土蔵の錠は掛けられていなかった。老当主が死んだ夜にも。
「もう一度あの人形を見せていただけませんか、お父上はとても大切になさっていた
ようでしたので」
息子は、どうぞと言って、真新しい錠を開けた。
土蔵の奥に案内されて、薄暗い電灯の下で桐箱の蓋を開いた。髪が美しく整い、傷
が消えた人形の顔が、私に笑いかけたように見えた。
◇ ◇ ◇
あれから二十年がたちました。
私はアトリエを持ち、定期的に個展を開く程度の写真家になっています。
今朝コーヒーを飲みながら、何気なく新聞をめくるまで、この首人形のことはまっ
たく私の記憶から消え去っていました。
昨夜、渋谷のデパートで催されていた『東北伝統人形芝居展』の会場から、出品中
の人形が盗まれた、という記事を見つけたのです。盗まれたのは『水無の首人形』と
いう未完成の古い人形の一体だけで、損傷もひどく、骨董価値もないため、関係者は
首をひねっている、という内容でした。
私は知っています。
盗まれたのではありません。あれは目的があって、自ら抜け出したのです。
私のアトリエは、そのデパートのすぐそばにあるのです。
(完)