土地は財産ではない!?


世界史上類い稀な大型のバブル経済を発生させた原因の一つは日本の土地所有のシステムです。土地所有のシステムが土地にたいする執着と「土地神話」の幻覚を生み、土地投機に狂奔して日本経済を大きく狂わせてしまいました。これはまさに集団幻想のなせる災厄でもあります。幻想から目が覚めない政府・官僚はバブル崩壊を阻止しようとしているのでしょうか?平成4年8月に不良資産保有会社を設立し、平成6年2月の総合経済対策では、公共用地の先行取得のためと称して2兆2800億円の予算を盛り込みました。一方ではSPC関連2法を成立させて資金投入の窓口を創るなど、政府はあの手この手で土地の値下がりを食い止めようとしています。
東京都など地方自治体でも第3セクターなどをカモフラージュにして、すぐには使う予定が立たない土地を大量に抱え込み、土地造成で借りた借金の返済に頭を痛めています。
バブル関係者は土地の値上がりを一日千秋の思いで待ちこがれていることでしょう。
しかし、日本の土地価格は暴落した今でもなお世界の先進国のなかでは桁外れに高いのです。投資を促進し経済を活性化させるために必要なことは、土地価格を吊り上げバブルを呼び戻すことではなく、土地私権に抜本的なメスを加え、土地の有効利用が促進されるように日本経済のシステムをつくり変えることではないでしょうか?

●土地私権について

本来誰のものでもなかった土地を個人または国家集団が占有しようとする意識が芽生えたのは、約400万年にわたる人類史上では、ごく限られた地域、限られた時代でのことです。
土地は水や空気と異なり移動しないため有限の資源であることが、すぐ判ります。
人口が増え土地が有限とわかると先を争って分捕り合戦をはじめるのは人間の浅はかな知恵のなせる業というべきでしょうか?古来土地をめぐる争いは絶えることがありません。
かっては氏族間の争いであったものが、現在は国家間の争いになっています。

「土地にかこいをして”これは俺のものだ”と宣言することを思い付き、それをそのまま信ずるようなごく単純な人々を見出した最初の人間が、政治社会の真の建設者であった。杭を抜き取り、あるいは溝を埋めながら”こんなペテン師のいうことを聞いてはならない。果実は万人のものであり、土地は誰のものでもないことを忘れるなら、それこそ諸君の身の破滅だ”とその同胞に向かって絶叫する者がかりにあったとしたら、その人はいかに多くの犯罪と戦争と殺人を、またいかに多くの悲惨と恐怖を人類にまぬがれさせてやれたことだろう。」これはルソーの有名な言葉です。

現代社会でこのペテン師の役割を演じているのは国家です。

わが国においても個人の土地私有を公式に認めるようになったのは、政府が明治6年に行った地租改正以後のことです。地租改正は明治政府の財政立て直しのための窮余の一策であり、年貢(税金)を取り立てるためのシステム変更でした。
幕府や大名が管理していた土地を取り上げ、安く売り出したのですが、土地を買えば高率の税金(地価の3/100定率課税)を取られることが判っていたため、なかなか買い手がつかず、丸の内辺りは三菱財閥が買ってくれたものの、青山辺りは買うものが現れず、とうとうお墓になってしまいました。
それでも税金を納める能力のある人は安い土地を買占め大地主を誕生させました。この土地を徴税のターゲットとする地租改正は財政的に寄与するところ、極めて大きく、明治政府の財政を立て直し、日本の近代国家建設の基礎を固めたのです。
現在の借金漬けの国家財政、都財政の立て直しにも、この高率の土地課税は大いに参考にすべきかもしれません。
本来土地はだだ同然のものであり、道路、水道などのインフラが整備されてはじめて利用価値を生ずるのですから、土地は安く放出しても、付加価値に応じた高率の利用料を税金という形で長期間にわたって取り立てれば借金財政の解消に寄与するところが大きいからです。
道路と公園緑地を除いて公有の土地建物は付加価値を付けた上で、どんどん民間に放出して利用料を取り立てるべきでしょう。この利用料は資産課税ではないのですから広大な土地を無税で利用している宗教法人からも例外とせず、取り立てるべきです。(もっとも、あまり税金が高すぎると法人の多くは土地を捨てて海外に逃げ出すでしょうから、日本に残って欲しい法人には一定の基準を設けて税率に格差をつけ、生産性の低い緑地、農地や一般居住地の税率も低くするなどの考慮は必要でしょう。)

明治政府が多額納税者であった地主を大切にするため、土地にかこいをして私権を尊重したのは当然の行為でした。しかし、今日の大地主、農家と法人は土地所有に見合う多額の税金を納めてはいません。法人の多くは所有する土地の再評価をせず差益を隠した上で、地価税を廃止せよと国家に迫っている現状では、土地私権を保証する根拠は無くなりつつあります。

●土地問題の本質

土地は経済の根幹にかかわる重要な要素であり、土地所有のシステムが経済活動に決定的な影響を及ぼすことは土地私有制の資本主義国家と土地を公有化している社会主義国家の相違点に注目すれば自明といってもよいでしょう。
現今の情勢は土地私有制に軍配が挙がったように見えますが、例外は中国と日本です。
中国は土地公有を前提にしながら市場原理が機能しているのに対して、日本は自由経済を前提にしながら土地に対する市場原理が働かず理不尽な土地価格がまかり通っています。
中国と日本、いづれの国にも大なり小なり土地問題は介在しますが、とりわけ今日の日本の土地私有制の現状は悲劇に近いものです。
バブル経済による地価高騰のあと地価暴落の危機に瀕して多額の不良債権をつくり出し平成の大不況をもたらしていることから、土地問題を地価問題ととらえがちですが、土地問題の本質は地価にあるのでは有りません。
地価が高騰しても下落しても土地の資産価値にウエイトを置くかぎり土地流動性の阻害要因となり土地の低利用を促進するからです。
野口悠紀雄氏は「土地の経済学」の中で日本の土地問題の本質は土地が居住用、産業用に十分に利用されない点にあり、資産としての利用から土地を解放しなければならないと指摘しておられます。経済の古典理論では地価は土地利用収益にもとづいて決まる筈ですが、現在の日本では土地所有権(土地私権)を資産とみなして取り引きされるため理不尽な地価決定が横行し、地価は利用収益からは正当化できない高水準になってしまったのです。
問題はいかにして土地を私権から解放し、土地を有効利用するかにあります。

自然保護、環境保護のために、これからの土地利用は地域住民の、さらに広くは人類の共同管理のもとに置く必要があり、局地的利用といえども、全体との調和を考慮し土地の有効利用をはかる必要があります。
どんなに狭い土地でも、その土地は自分だけのものでないことを認識しなければなりません。
防災都市の建設も、こうした住民の土地所有に対する意識の変革があって、はじめて実現できるのではないでしょうか?
そこで必要となるのが明治時代に制定された法律の見直しです。

●土地と財産権

幸いなことに日本国憲法は財産権の内容を明記していません。
憲法29条では「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」となっており土地が財産であるとは言っていないのです。
憲法を変えなくても、民法をはじめとする土地関連法の改正で財産権の内容を公共の福祉に適合するやうに変更できます。むしろ、公共の福祉に適合していない現行の財産定義こそ憲法違反であるといってもよいでしょう。
現行憲法の草案28条には「土地及び一切の天然資源の究極的所有権は人民の集団的代表者としての国家に帰属す」とする条項が有ったのですが、これは共産主義だとする意見が通り原案から削除されました。
人類の理想を掲げた現行憲法草案から、土地や天然資源の私権制限を規定した条文を落とした影響は小さくありません。土地こそ財産とする意識が土地神話とバブル経済を生み出し、膨大な税金をつぎ込んでも重要な公共事業は遅々として進まず、防災都市の建設は百年河清を待つ状況です。土地を持つ人と持たざる人との間に著しい社会的不公平を生み出す一方で遺産相続のために土地を売り払い、永年続けてきた店をたたまねばならない悲劇も生んでいます。

我妻栄氏は財産権の内容を「個人の労力と資本とで、自由な競争をえて獲得し蓄積した資産」と定義されましたが、有史以前から存在する土地はこの定義にはずれます。
土地は所有することに価値があるのではなく、有効利用することに価値があるのですから土地の「所有権」は「利用権」に変更すべきでしょう。

さらに極論するならば、土地は人間だけの所有物ではなく、地球上に生をうける全生物の共有資源と考えるべきでしょう。局地的といえども核実験、森林破壊の影響は地球上の全生物に及びます。特定の個人、法人または国家が土地を占有し、環境を破壊する行為は許されることではありません。ボーダーレスの時代を迎えて、国家の役割も変わらねばなりません。
現行憲法第29条には「財産権は、これを侵してはならない。」とする一方で「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」としており、土地の強制収容による公有化を認めています。
ここでも土地を資産と考えることから、正当な補償をめぐって紛争が絶えず、税金のムダ使いとゴネ得する人があとを絶ちません。
「財産権に土地は含まない」と定義して、土地に関する権利は「利用権」に限定し、利用価値に応じて課税すれば、土地の資産価値を期待する人は無くなり、土地に対する執着も払拭されて、土地をめぐって争うこともなくなるのではないでしょうか?

憲法に規定する財産権には特許などの知的所有権を含むと解釈されているようですが明治時代に制定された民法は、不動産のような物件にしか目が向いていません。
これからますます重要性が高まる知的所有権などは眼中にないのです。個人の創意工夫で構築した資産こそ無形有形を問わず、尊重しなければならない真の財産です。
21世紀にも通用し、国際社会にも通用するように、尊重すべき財産権の内容は書き換えねばなりません。知的資産にウエイトを置き、これを厚く保護すれば、新しい省エネルギー型知的産業の誕生を促進し、産業社会の構造変革にも寄与し、物量に依存しないベンチャー企業育成の役割を果たすことも期待できるでしょう。

一元 居士


以上はNiftyserveの旧平成維新フォーラムに「土地共有化論」と題して掲載した論文の一部です。
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