「正義」の内容ほど、多様且つ変化の落差が大きいものはありません。
思想、信条が異なれば、正義の内容は異なり、思想、信条の数だけ「正義」が存在します。
社会にとっての「正義」は存在しないという意見さえあります。
社会主義、共産主義国家の崩壊で、ソ連やお隣の中国では、価値観は180度転換し、
社会正義の内容も大幅に書き換えられました。
しかし、正義の内容がばらばらでは法治国家は成立しません。
一つの国の正義は一つに集約する必要があります。
どうしても正義の内容を集約出来ない場合は、国家を分割し、
異なる法体系ごとに国家を編成する以外に正義を実行する方法はありません。
わが国の現状を見ると、国内は勿論、信条を等しくする筈の政党内でも異なる価値観を持つ集団が存在し、
正義の内容がばらばらです。これではまともな政治は出来る筈がありません。
政治に「哲学」が求められる理由です。
但し、「貧困な思想、哲学」は、「貧困な社会」を創り出すことになるでしょう。
問わねばならないのは思想、哲学の内容であり、
求められるのは普遍性を持つ思想、哲学です。
政治思想学会 ルソーとヘーゲルの正義
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