道州制で真の地方自治を!


小泉チルドレンの誕生は日本の政治を大きく変える契機になるかも知れない。議員を辞めても失うものが少ないからである。利権に縛られない与野党の若手国会議員が理想を掲げてまとまって行動すれば、国民の賛同を得て憲法改正は意外に簡単に実現し、道州制も憲法改正を踏まえて議論すれば、国民の関心を集める可能性が高い。

憲法に地方自治(Local-Autonomy)を「本旨」と定めている論拠としては、「補完性の原理」が有力のようだ。「補完性」の英名はSubsidiarityだと言う。EU(欧州連合)統合の原理となったこの言葉は補助、付属、従属性を意味する。政府と自治体は従属の関係であってはならない。政府と自治体の関係を定義する言葉には対等且つ相互補完的な関係を意味する相補性(Complimentarity)がより相応しいと思う。

道州制導入と補助金返上を肯定する先見性のある知事も地方交付税の存続を希望している。これでは税金を国家が徴収し、地方へ配分することを許すことになり、東京一極集中と中央集権制を容認することになる。補助金の名目が交付金に変わるだけだ。

真の地方自治を実現するためには行政権に加えて立法権も移譲して、地方が自立できる条件を完全に満たし、同時に分立する各地域の連帯を可能にする制度改革が必要だ。部分の「自立」と全体の「共生」を両立させる法整備が必要であり、その仕組みを国家レベルで実現するための具体策としては「連邦制」が該当する。現代社会は「支配」から「連帯」へ、ピラミッド型からネットワーク型へと社会構造の変革を迫っている。「共生」が必要な地域は日本国内だけではなく、今やアジアから世界へと広がっている。

大前研一氏は近著「ロウアーミドルの衝撃」(講談社刊、248頁)で、日本社会のボーダレス化と連邦化された地域国家の重要性を説き、「地方分権ではなく第2次廃藩置県を」と主張している。「廃藩置県」の意義は地域のエゴを否定し、各藩と武士が持つ既得権を解体して権力を国家に集中させ、開国政策をとったことにある。地域国家の発想は地方分権とは異なり、各道州があたかもひとつの国家のような権力を持ち、世界を相手に直接交易できるような地域を創ることを意味している。交易のないところに繁栄はない。世界を相手にした交易が付加価値を生み、地域経済を活性化させるのである。

日本政府の累積債務は、700兆円を超えるのに、税収は年間40兆円台で低迷し、毎年約30兆円の借金を積み増してきた。「その内、何とかなるだろう」と年々増大する債務を放置しているのは衆愚政治そのもので、無責任な縦割り官僚機構の肥大化を黙認してきた議院内閣制の限界を露呈するものである。

道州制は、中央集権制で肥大化した既得権を解体して「小さな政府」を実現し、大増税に対する国民の不安を解消する絶好の手段になる。道州制の導入で、中央省庁は縮小再編して連邦政府とし、一般会計の5倍の規模を持つ特別会計の事業予算と資産は州政府に移すか、または事業を民営化して課税対象とし、地方交付税交付金約14兆円、中央省庁所属の天下り公益法人に対する補助金約5兆5000億円を廃止すれば、国家財政のプライマリー・バランスは直ちに黒字化できる。行政のスリム化で増税の不安を解消し、公的年金も含めた制度の合理化で国民の老後の不安を解消すれば、1400兆円の金融資産を持つ国民の意識は、貯蓄から投資へ、貯蓄から消費へと変わり、質の高い付加価値を求める事業の拡大で日本経済を再び4%以上の成長路線に戻すことも不可能ではない。

税金納付と公的年金給付の窓口業務はすべて自治体で行い、地域の経済力に応じて税の一部を政府に上納する仕組みこそ地方自治に相応しい制度だ。地方交付金で生き延びている自治体からの税の上納は当面免除せざるを得ないが、都市部の余裕のある自治体は税の一部を上納するだけでなく、政府から譲渡される資産の額に応じて政府の借金返済にも協力しなければならない。

上納金を受け取る連邦政府は道州のまとめ役になり、道州でできない外交、防衛、通貨管理などの業務を担当するが、政府が所有する巨額の外国債を活用すれば、年間の実質予算はGDPの1%(約5兆円)もあれば足りるだろう。

自治体(コミュニティー)の役割を暮らしやすい生活基盤(街づくり、公教育、ゴミ収集、医療介護など)の整備とすれば、州政府の役割は産業基盤(大学、研究所、空港、港湾、道路など)の整備、効率化と、海外との人的交流促進、国内外からの企業の誘致、防災、治安、環境対策が重要になる。住民に直接関わりを持つ自治体は主に消費者を対象とするサービス事業を担当し、州政府は地域産業の振興と広域行政を担当する事業体とみることができる。両者は非営利の公的セクターとして唯一地域内での独占が許されるが地域間では競争原理が働き、いつまでも赤字を続ける事業体の経営者(首長と議員)は無能という烙印が押されることになる。経営者を厳しく選別し、監視する仕組みも重要だ。有能な民間人を公的セクターに迎えるため、一回の試験で生涯のキャリア資格を保障する公務員試験は廃止すべきだ。

無視できないのは、生産性の低い公務員に支出される年間約30兆円の人件費である。地方税の殆どが地元公務員の人件費に消える地域では、行政コストを大幅にカットする必要があり、郵政民営化以上の公務員の「官から民へ」の移行が求められる。業務の省力化はIT化で達成できるが、不要となる公務員の官から民への転職は民間地域経済の活性化なくしては実現不可能の難題といえる。解雇できない公務員の大量転職を可能にするために、天下りを容認しても弊害のない官民交流の制度をつくる必要がある。

道州制は地域住民の生活と安全の保障に加えて、人材の有効活用を保障し、地域産業を発展させるための制度改革としなければならないのである。連邦政府のリーダーには、全国民の信託に応えられる有能で人望のある人材を選出する必要があり、首相公選制(または大統領制)の導入も併せて検討する必要があるだろう。

基礎自治体の規模を大きくするだけでは、少子高齢化で衰退に向かう国内経済の活性化は難しく、政府の巨額債務の返済も不可能だ。連邦制にもとづく地域国家のような発想の大転換をともなう道州制でなければ、過疎化し補助金漬けで疲弊した農山村の地域経済の立て直しはできないし、国家の財政破綻を阻止することも難しいと思う。

文京区 松井孝司


生活者通信第128号(2006年4月1日発行)より一部修正して転載

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